連載「もう一度見たい舞台」第3回

◎庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」
廣澤 梓

 22時の東急東横線の車内で、わたしの隣に座り眠っていた若い女性がケロリ、と嘔吐した。「ん、ん」とかわいらしい声をあげ、女性のからだが大きく2回波打ったのちのことだ。ゆっくりと目を覚ました彼女は自分に起きた異変を察して、口元に手を当てて指先の湿り気を確認すると、タイミングよく停車した電車から降りて行った。
 からだ全体が揺さぶられるほどの出来事を、女性は触覚という別の回路を使ってしか理解ができなかった。驚きと恐怖が混ざった感覚はいつまでも残り、すれちがう人たちひとりひとりの腹部に水をたたえた袋があることを想像して青ざめながら、わたしは過去に見たある芝居について思い出していた。

***

 庭劇団ペニノ『アンダーグラウンド』はザ・スズナリで2006年9月に上演された。最前列の席に座ると、緞帳は膝小僧すれすれのところに吊るされており、鼻の先にくるような格好になったことを記憶している。さらさらと引かれた緞帳が何度か膝を打ったのち、わたしは目の前に広がる光景に息を飲んだ。

 舞台は薄暗く、床や壁の一部には白いタイルが敷き詰められていた。白衣を着た「指揮」(マメ山田)が隅で本を読んでいる。レントゲンを見る際に使うあの機械(シャウカステンというらしい)の蛍光灯が何度か明滅したのち点灯した。すこし明るくなったそこは、古めかしい病院ということのようだ。舞台全体に強く照明が当てられ、慌ただしく次々に運び込まれてくる機材や器具は本物の医療用器具らしい。鈍く光るステンレスの器具。

 この物語では手術衣を着た7人の女性が、舞台中央に設置されたベッドに横たわる「患者」(飯田一期)の開腹手術を行う。彼女たちはお互いに話をしているが、その内容は観客にはほぼ聞こえず、小さな囁き声だけが響く。
 患者は手術前に一瞬だけ観客の前に姿を見せるが、何も台詞を発することなく舞台から去る。そして、次に現れるときには手術台に横たわり続けるからだとして登場し、それは上演が終わりカーテンコールが終了しても、観客が劇場を出ていくところまで続けられる。

 麻酔が効いているだろう患者の無意識の間、次第に看護師たちは怪しい動きを見せ始める。彼女らのうちの一人に招かれ、患者のからだという「舞台」の中央にやってきた指揮は半裸で菅笠を被り、腹部に釣り糸を垂らして臓器を釣り上げる。それに続かんとばかりに、次々臓器を引きずり出しては放り投げる看護師たち。

【庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」より  写真撮影=田中亜紀、提供=庭劇団ペニノ 禁無断転載】
【庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」より  写真撮影=田中亜紀、提供=庭劇団ペニノ 禁無断転載】

 上演中、言葉による説明はほぼなかったと言ってよいだろう。そこに舞台上手にしつらえられた部屋に常にスタンバイしている、ピアノ、ウッドベース、ドラムという編成の佐山こうたトリオの演奏が響く。終盤に舞台上に水をたたえる場面があることも関係しているだろうか、しっとりとした劇場の空気に、アコースティックの楽器が奏でる艶やかなジャズが充満する。即興的な要素の強い彼らの演奏は、手術器具が触れ合って立てるカチャカチャという音に寄り添う。そう言えばこれらの楽器の音だって、弦が弾かれ叩かれ、バチがぶつかりたてる音なのだった。

 言葉がない分、そこにあるモノの「語り」に注目することができる。そして、この芝居の「舞台」になっているのは、患者のモノ化したからだだ。患者に起こった出来事は、切り刻んだ腹部がそうであるようにつくりごとである。しかし、それをつくりごととして割り切ることはほんとうにできるだろうか、という思いがよぎる。一旦自分のからだを余所に置いて眺める、まさにこうやって客席から観劇するようなことを行わない限り、手術という出来事を受け入れることはできないのではないか—

 実際の舞台と、手術をテーマにした物語の発想の「舞台」となっているからだ、そしてそれを客席から見つめるからだとしてのわたし。これらは入れ子構造と言うと分かりやすいのかもしれないが、しかし互いに様々なレベルで結びつき複雑に絡み合う。『アンダーグラウンド』はわたしが演劇に興味を持ち始めた頃に見て、衝撃を受けたいくつかの作品のうちのひとつだ。

 ワンダーランドにはこの作品についての木村覚さんの劇評が掲載されており、そこでは「妄想」をキーワードにして展開され、それに閉じ込められる快楽で締めくくられている。だがわたしにとって『アンダーグラウンド』の患者のからだのあり様は、決して妄想の枠に留めることができないものに感じられた。自分に、そして隣にいる人にいつでも起こり得ることなのだ、と。

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 ある舞台を「もう一度見たい」とはどういうことだろうか。現実的に考えられるのは、その作品が再演されたらよいと願うことだろう。それに対して、あのとき見たものと同じものを見たい、という観客の欲望が叶えられることはない。このことはパフォーマーの肉体的限界を挙げなくても首肯してもらえるだろう。また昨日の上演と今日の上演というレベルですら違うというのが上演だ。

 実は2010年、この作品はシアタートラムにて再演されている。そこでは手術室での一場面という設定はそのままに、しかし指揮は観客に向けて話しかけ、音楽は耳あたりのよい軽やかな音楽になり、観客に対して饒舌なのだった。90分のショーであることが説明され、残りの上演時間を知らせるタイマーが舞台上にはセットされた。患者のからだを舞台に繰り広げられるドタバタコメディという要素が強調され、エンターテインメント作品として随分様変わりしていた。わたしと患者を繋ぐ回路はそこになかった。

 件の女性は隣に座る前、吊り革に危なっかしくつかまって、ときおりわたしの膝にぶつかってきた。酔っているのは明らかで、大きく両足を開き、片足を曲げて腰を突き出した奇妙なポーズがどうにも安定がよいようだ。彼女が白目をむいていても分かるほどの美人で、わたしは寝ていることをいいことに、演劇でも見るかのようにじっとりと彼女のことを見ていた。手術といった特殊な状況でなくとも、わたしのからだがわたしの手から離れる瞬間はある。湿った指先に驚く彼女を見る経験は『アンダーグラウンド』初演に接続され、わたしにとっての「再演」のようだと思った。

【筆者略歴】
廣澤梓(ひろさわ・あずさ)
 1985年生まれ。山口県下関市出身、神奈川県横浜市在住。2008年より百貨店勤務。2010年秋よりTwitter上で「イチゲキ」開始。2012年秋には「Blog Camp in F/T」に参加。2013年1月よりワンダーランド編集部に参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hirosawa-azusa/

【上演記録】
庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」
下北沢ザ・スズナリ(2006年9月15‐20日)

作・演出 タニノクロウ
CAST:佐山こうた(p) 中林薫平(b) 長谷川学(d)
安藤玉恵、佐山和泉、島田桃依、瀬口タエコ、保坂エマ、吉原朱美、横畠愛希子、飯田一期、マメ山田

STAFF 
舞台監督:矢島健
舞台美術:田中敏恵
演出助手:川嶋はづき
照明:今西理恵
宣伝美術:野崎浩司
DMイラスト:坂口時継
構成助手・撮影:玉置潤一郎
構成補佐:海老原聡
写真:田中亜紀 
メイク:井上悠
WEB:佐田丘仁子
PA:阿部将之
制作:樺澤良・河口麻衣・小野塚央
プロデューサー:野平久志
企画製作:PUZZ WORKS /劇団制作社
助成:東京都歴史文化財団

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