SPAC『マハーバーラタ』アヴィニョン演劇祭公演

6. 甘美な童話の世界へ

【写真撮影:新良太】
【写真撮影:新良太】

 多様で洗練された視聴覚表現を緊密に精巧に構築することでSPACの『マハーバーラタ』は、豊穣な夢幻の世界を作り出す。その多彩な表現のポリフォニーが提示する世界は、子供の頃に楽しんだおとぎ話のような世界でもある。ときに愉快で滑稽な語りと演技、観客を取り囲む舞台上を走り回る巨大な虎と象、指人形の隊商。フランスの観客は「怯えたり、安堵したりしながら絵本のページをめくるように」(『リベラシオン』7/9付)この作品を楽しみ、「大人であることを忘れ、無邪気な甘美な子供時代へと戻り、舞台上で展開する世界の大胆な美しさに目を奪われた」(『Inferno』7/10付)。『マハーバーラタ』に童心に戻る悦びを見出したことを述べる評は数多い。『Théâtre du blog』(7/16付)の評者は、「喜びに満ちたこのスペクタクルを余すところなく享受するには子供の心を持つ必要があるだろう」と記している。

7. 卓越した俳優の技術、ユーモア、そして阿部一徳の語り

【写真撮影:新良太】
【写真撮影:新良太】

 劇中に挿入されたギャグの数々は、フランス人の観客を大いに喜ばせたようだ。フランスの劇評のほとんどが『マハーバーラタ』のユーモアについて言及していた。「いくつか挿入された携帯電話での通話や[お茶の]広告などの現代の風俗が、観客を笑わせた」(『リベラシオン』7/9付)。「宮城聰の演出には多くのユーモアが含まれている。われわれの愛唱歌である《アヴィニョン橋の上で》をフランス語で歌わせるという遊び心もわれわれを楽しませた」(『SceneWeb』7/9付)。

 アヴィニョンで公演を見た知人の話によると、これらのギャグにフランスの観客は日本の観客よりはるかに大きな反応を示したという。見事に統御され、様式的な美しさを持つ俳優の動き(「25人の俳優たちは、断崖に沿って設置され、観客を取り囲む狭い帯状の舞台の上を激しく動き回った。高い様式性を持つ卓越した技術の持ち主である彼らの演技は唖然とするほど素晴らしいものだった」『ラ・クロワ』紙7/15付)、そして生真面目な日本人というステレオタイプ(「日本人劇団のユーモアと自虐的なギャグは、あらゆるステレオタイプからほど遠いものだった」『RFI』7/23付)とのギャップが、大きな笑いを生み出したのだろう。

 阿部一徳の語りのユーモアと多彩さに対しては、フランスの観客の大半には理解できない日本語で行われたにも関わらず、多くの評が驚嘆の意を示していた。7/23付『RFI』の評者は「とりわけ、語り手、阿部一徳の唇の動きに釘付けになった。彼は、他の俳優・ダンサーが動きに集中しているあいだ、見事にあらゆる声と音響効果、擬音を演じ分けた」と記す。 他にも阿部の語りへの称賛の記述は多い。「蓮華座の上に座る老いた賢人の趣を持つ語り手、阿部一徳の卓越した技量を称賛しよう。彼の語りは快挙といっていい。うなり声、鼻歌、朗唱し、つぶやき。あらゆる役柄を担当する彼の声は、なんと多くの抑揚の変化を持っていることか!」(『リュマニテ』紙7/10付)。「語り手の朗朗とした語り口は、侍の力強さ、相撲取りの集中力、驚くべき声の色合いと高さを持っている」(『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』7/12付)。

8. 絶賛の声

 この稿の執筆のため、私が参照した劇評は平均して600-800語のボリュームがある。その記述はおおむね堅実で、しっかり構成されている。どの劇評も作品の梗概を記し、特徴を的確に描写する。そして作品を総括・評価する際に、執筆者の印象・感動が率直かつ修辞的な表現で語られる。この評価の部分をいくつかピックアップしてみるだけで、SPACの『マハーバーラタ』が、アヴィニョンの観客にどれほどの熱狂的に受け入れられたのかを思い浮かべることができるだろう。

 『リュマニテ』紙(7/10付)は「野外で次々と展開する情景は、闘争と波乱万丈の冒険が詰め込まれた1冊の本のようだった。われわれは、溢れんばかりの才能、創意、精妙さ、そしてユーモアによって、目のくらむような陶酔を味わった。それは絶えず更新される純粋な喜びによって作られた幸福のスナップショットだった」と記す。『inferno』(7/10付)はさらに修辞的な表現で、『マハーバーラタ』の感動を語る。「人々が目覚めているときに見る夢である神話は、この舞台を通して、観客個々の神話である幻夢を生み出す。集団と個の幻想の入れ子構造により、観客は現実世界を超えた個人的な旅へといざなわれ、心躍らせる。『マハーバーラタ』という源に遡ることで、観客は若返りの泉に浸かって蘇ったかのような幸福感と喜びに満たされるのだ」。

 文化情報誌『テレラマ』(7/19付)はこの作品に最高の評価(TTT「熱狂的に好き!」)を付与した。「アヴィニョンは『マハーバーラタ』によって清められた。妖精たちの舞踏会は完璧といっていいものだった。静岡舞台芸術センターという卓越した団体によって上演されたこの『マハーバーラタ』は、ブルボン石切り場で、観客の大喝采を浴び、燦然たる輝きを放った。(中略)文化の障壁はそこにはもう感じられない。観客はフランス語の字幕を読むことを忘れ、夜に響きわたることばの音楽に聞き入った」という記述からは、『テレラマ』誌の評者の興奮が伝わってくる。

 公演終了後に『マハーバーラタ』の総括的評価を行った『RFI』の記者は「日本的『マハーバーラタ』、これまでにないほど普遍的な」と題された記事で、「ブルボン石切場に生命を吹き込んだこの演劇詩の傑作に1秒たりとも退屈することはなかった」と記している(7/23付)。

9.「詩的で政治的なフェスティヴァル」の実現:教皇庁前広場での無料特別公演の反響 

 今年のアヴィニョン演劇祭は、アンテルミタンと呼ばれる舞台・映像業界で働く短期契約雇用者たちの労働問題に巻きこまれることになった。3月にフランス政府が署名した失業保険制度改定にアンテルミタンたちが反対し、その抗議活動によってフェスティヴァルの開催が危ぶまれたのだ(なおアンテルミタンの問題については、筆者のブログに掲載した「アヴィニョン演劇祭のストライキについて:理解するための3つの問いと個人的見解」で詳しく解説している)。

 演劇祭ディレクターのピィは、舞台公演を支えるアンテルミタンの労働運動への理解とディレクターとしての責任、「公演がストライキで中止されることには反対する」という彼個人の芸術家としての信条のジレンマで苦しむことになった。2003年には同じ失業保険制度の問題で、アヴィニョン演劇祭は中止に追い込まれている。今年は結果的に演劇祭開催中止という最悪の事態は回避できたが、演劇祭開催中に3度にわたってストライキが実施され、合計12公演が中止に追い込まれ、約30万ユーロ(約4000万円)の損害が出た(『リベラシオン』7/27付の記事などによる)。

 最初のストライキはアヴィニョン演劇祭の開幕日である7/4に実施され、2本のオープニング公演が中止になった。2回目のストライキは、演劇祭の人出が最も見込まれるフランス革命記念日(7/14)の直前の週末、7/12(土)に行われた。この日上演が予定されていた公式プログラム12公演のうち、9公演がストライキのため中止となった。SPACの『マハーバーラタ』も現場の技術スタッフの投票により、ブルボン石切場での公演の中止が決まった。個々の意見はどうであろうと、投票の結果にはグループの成員は従わなくてはならない。これがフランスの労働運動における民主主義のルールだ。

【アヴィニョン教皇庁前広場での上演。写真提供:SPAC】
【アヴィニョン教皇庁前広場での上演。写真提供:SPAC】

 『マハーバーラタ』公演中止の決定を受けて、宮城聰の採った選択は意表をつくものだった。彼は労働問題とはまったく別の次元の論理、芸術の論理を提示することで、ストライキによる公演中止という事態に対応したのだ。

 ストライキのため中止される公演を伝える記者会見で、フェスティヴァル・ディレクターのオリヴィエ・ピィは次のように告げた。日本人の俳優たちにとって「演じることは神聖な行為なので、彼らは小教皇庁(教皇庁広場のそば)の前で、公演の抜粋版を無料で上演することになりました」。「演じることは神聖な行為」という言葉をフランスの新聞各紙は伝えた。労働争議によるストライキという緊迫した局面で、一緒に舞台を作っていくアンテルミタンたちに配慮した上で、自主的な公演を行うことを正当化する苦肉の策だ。しかし筆者はこの報道記事を読んだときにいささか不安を覚えた。「演じることは神聖な行為」という素朴で場違いに思える説明を、フランス人はどう受け取るだろうか。スト破りとみなされて現場のスタッフの信頼を失うことにならないだろうか。あるいはこうした形而上学的な理由をつけて公演を行うことで、神秘的で霊的な日本という通俗的な東洋趣味の次元でSPACの公演が捉えられてしまう危険性があるのではないか。宮城聰はストライキによる公演中止という事態で、大きな賭けに出たのである。

 この教皇庁前広場での抜粋版の上演に先立って、「上演を行うという約束は、観客に対して結んだ約束にとどまらず、「天」に対しての約束」であると考える宮城の演劇観、そしてストライキが決定されたにもかかわらず、なぜ彼らが公演の抜粋版を無料で上演することを決断したかを説明する掲示が張り出され、この内容は、公演に同行した日本人スタッフによって日本語で、現地のフランス人技術スタッフによってそのフランス語訳が読み上げられた。このマニフェストの全文はSPACのサイトで読むことができる。またこの公演の様子を詳しく記したフランス人のレポートの翻訳は、筆者のブログで読むことができる(筆者のブログには、この特別公演に立ち会った演劇評論家の長谷部浩氏から写真を数点提供して頂いた)。ここではフランスを代表する全国紙である『フィガロ』紙(7/13付)の記事の抜粋を引用しておこう。

心、視覚、そして魂を洗う崇高な時間

 7/12夜は[アンテルミタンのストライキにより]モンプリエでのフランス国営放送のフェスティヴァルのオープニングも中止になった。[ストライキにより多数の公演が中止になった]アヴィニョンは、しかしながらそのバイタリティを失ってはいなかった。ブルボン石切場で上演されている『マハーバーラタ』の日本人俳優たちは、その驚嘆すべき作品を[ストライキのため]上演することができなかったのだが、彼らはこの日、教皇庁前広場、ノートルダム(聖母)・デ・ドン大聖堂の後側の広場で、無料のパフォーマンスを行った。金色の輝きを放つ聖母マリアがこのスペクタクルを祝福しているかのようだった。
 この公演の情報はすぐに教皇庁の町中に広がった。数百人の観客がこの公演にかけつけ、その優雅で壮麗な美に驚嘆した。[上演にあたって]演出家の宮城聰は、次のような声明を準備していた。「私たちは、演劇の普遍的な価値を世界の人々とともに確認できる場所がアヴィニョン演劇祭だと考えています。そしてその確認は上演するという行為によって実現すると考えています」。
 日本人俳優はまず輪になって瞑想を行ったあと、白い衣装を身につけた(悪魔の衣装のみは灰色)。そして沈みつつある夕日による黄金色の照明のなか、彼らの素晴らしい作品の抜粋を上演した。大人も子供たちも、その声、音楽、動き、オブジェの美しさに呆然となった。心、視覚、魂を洗う崇高な時間だった。「ありがとう! ありがとう!」観客たちは盛大な喝采を送った。

 この公演に立ち会った観客のひとりは「この魔法の時間は、観客たちの非常に、非常に[この副詞が2回繰り返されていた]長い喝采によって幕を閉じた。特別な時間だった」とブログに記している。

【アヴィニョン教皇庁前広場での上演。写真提供:SPAC】
【アヴィニョン教皇庁前広場での上演。写真提供:SPAC】

 教皇庁前のこの特別公演は、その場に居合わせた観客たちを強く感動させただけでなく、失業保険制度改正に反対し、抗議活動を行うアンテルミタンたちにも衝撃を与えたようだ。ティボーダ氏のRue89 [Le Théâtre et Balagan]に掲載された『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』劇評へのコメントで、文面からおそらくアンテルミタンの一人だと思われる人間が次のようなメッセージを残していた。

 私は教皇庁広場で行われた『マハーバーラタ』抜粋版の無料公演を幸運にも見ることができました。この公演はアンテルミタンたちの要求を支持するために行われたものでした。公演開始前に、宮城聰自身によって声明が読み上げられました。[注:このコメントの書き手の誤認。実際には宮城聰ではなく、公演のスタッフが読み上げた]この公演は寛容と人間愛についての素晴らしい時間でした。あれほどまで心動かされるようなことは滅多にあるものではありません。感動的で、力強く、壮麗で、何ともいえないほど甘美で荘厳な時間でした。闘争中のアンテルミタンたちや、このようなタイプの作品にとって自分たちは必ずしもふさわしくないと感じていた観客たちにとっても、この上なく貴重な価値を持つ本物の贈り物でした。誰もが作品の偉大さと美しさを感じとっていました。(中略)私は宮城聡に感謝しています。彼は表現の多様性を守るために「私たち」と強い絆を結ぶことに関心を持っていること、そしてスペクタクルの芸術家と技術スタッフたちの戦いが正当なものであることを、この公演を通じて高らかに表明してくれたのですから。あの広場で、音楽家と俳優たちとともに、宮城が贈ってくれたプレゼントは、人が滅多に到達することができないような人間的で、詩的で、技術的な美しさを備えたものでした。

 この件について宮城聰自身から後で話を聞く機会があった。ストライキを行うかどうかは、演目ごとにスタッフが投票を行って決めたらしい。『マハーバーラタ』では10人の技術スタッフが投票を行い、7人がストライキに賛成票を投じた。誰がストライキに反対したのかはすぐにわかったそうだ。ストライキ反対票を投じた3人がブルボン石切場からの機材、衣装等の運び出しを手伝ってくれたからだ。面白いことにストライキに賛成票を投じた7名の技術スタッフも教皇庁前広場に待機していて、特別公演の準備に手を貸したそうだ。ブルボン石切場での作業はストライキに賛成したため協力できないが、教皇庁広場での準備なら可能だという理屈のようだ。教皇庁前での無料公演以後、SPACと現地フランス人スタッフの信頼関係はさらに強まったに違いない。

 アヴィニョン演劇祭は公式招聘部門の《イン》と自主参加の《オフ》に分かれているが、この2つの間には歴然とした格の違いがある。補助金の出ない《オフ》の参加団体はすべて自前で公演を準備しなくてはならない。彼らは公演の宣伝のために、《オフ》の参加団体は町中でビラを貼ったり、配ったりする。時には街中で宣伝のためにパフォーマンスを行うこともある。観客の入りが悪ければ、公演期間の途中で撤退してしまうことも珍しくないそうだ。
 アヴィニョン演劇祭の表看板である《イン》の公演は、制作資金とスタッフのケアを享受し、《オフ》の団体のように街中に出て観客を呼び集める努力は不要だ。ブルボン石切場での『マハーバーラタ』の公演のチケット代は38ユーロ(約5200円)。これは《オフ》の公演の平均的チケット代15ユーロ(約2100円)の倍以上だ。アヴィニョン演劇祭で《イン》の公演を見に来る観客の多くは、裕福なインテリ、フランス社会におけるエリートたちだと言ってもいい。アヴィニョン演劇祭で格の高い《イン》の公演団体が、町の広場で一般の観光客を含む不特定多数の観客のために無料公演を行うことは、極めて異例のことであることは強調しておいたほうがよいだろう。

 アヴィニョン演劇祭はそもそも、演劇はあらゆる社会階層の人間に開かれた芸術であり、演劇公演を民衆啓蒙のための公共事業であると考えるジャン・ヴィラールの民衆演劇運動の実践のための重要な場だった。しかし1968年のアヴィニョン演劇祭でのリヴィング・シアターの公演を巡って、ヴィラールの姿勢はブルジョワ的だと若い観客たちに激しく糾弾され、この年のアヴィニョン演劇祭は大きな混乱に陥った。ヴィラールの楽天的な民衆演劇の理念、演劇による階層を超えた連帯を作るという理想は、五月革命以降の若者たちにとっては保守的で時代遅れなものになっていたのだ。

 今年はじめてアヴィニョン演劇祭のディレクターを務めたオリヴィエ・ピィは、演劇祭創始者であるヴィラールの理念の重要性を強調する。アヴィニョン演劇祭のパンフレットの序文にピィは、この演劇祭の「起源は、脱中心化と民衆演劇の運動」にあり、そこでは「政治が思想と希望が分化していない世界、文化と政治が同意語であるような世界」と関係を結ぶことが可能になると述べている。そして「文化的な政治のみが真に政治的である」と考える彼が目指すのは「政治的で詩的なフェスティヴァル」だ。民衆に開かれた演劇祭とするために、チケットの価格をこれまでより下げ、年齢(「7歳から107歳のあらゆる人間のための」!)、文化、社会的階層、地域を越えた普遍的な演劇祭を目指すことが謳われている。

 ストライキによる公演中止という事態のなかで、「観客に対して結んだ約束にとどまらず、「天」に対しての約束」という別の次元の価値観に基づいて行われたSPACの『マハーバーラタ』教皇庁前広場の公演は、ヴィラールの民衆演劇の理念、そしてピィが目指した「政治的で詩的なフェスティヴァル」を、結果的に具現したものになった。高みにあった《イン》の公演が街中の広場で、無料で行われることで、演劇祭スタッフ、演劇祭の観客のみならず、通りすがりの人間など周囲にいたあらゆる人間をまきこんで、親密かつ崇高な共感の共同体が一時の間、作り出された。この特別公演についての記述からは、思いがけずアヴィニョンの街中に出現した演劇のユートピアに居合わせた観客の驚嘆と興奮を読み取ることができる。この冒険の成果は小さいものではなかったはずだ。この無料パフォーマンスは、SPACの『マハーバーラタ』公演をアヴィニョンでさらに強く印象付ける事件となったに違いない。

10. 総括:ジャポニスム、オリアンタリスムから普遍へ

 私が今回参照したフランスの劇評のなかには1本だけ、SPACの『マハーバーラタ』公演に対する批判的な記事があった。『L’insensé』(7/15)に掲載された劇評である。評者は「エキゾチックな観光旅行に過ぎない」、「ある種のクラブ・メッド[世界各地にリゾート施設を持つフランスのヴァカンス企業]のようなものだ。終演後に露わになる西欧の観客の傲慢さは、バリかどこかの海岸で寝そべるヨーロッパの観光客の姿さながらだ」と辛辣に批判する。

 確かに『マハーバーラタ』には、フランス人の東洋/日本に対する無邪気なエキゾチスムの期待に応えうる要素が多数詰め込まれている。SPAC『マハーバーラタ』はこうしたジャポニスム(日本趣味)、オリアンタリスム(東洋趣味)の問題を真正面から引き受けた作品だ。動きと語りと音楽が分離された上演形式、優雅に幾重にも折って作られた白い紙製の着物、様式的で優雅な俳優の動き、語りと演劇の融合といった西欧演劇にはない発想の数々に、フランスの劇評の多くは文楽、歌舞伎、能、紙芝居さらにはインドの古典舞踊クーティヤッタムの影響を指摘する。また神々の仮面、象やライオン、隊商などの精巧でユーモラスなデザインに、マンガを連想した評者もいた。

 『リベラシオン』紙の劇評(7/9付)のタイトルが「日本化された『マハーバーラタ』」、『francetvinfo』の記事(7/12付)のタイトルは「アヴィニョンで、『マハーバーラタ』は、宮城聰によって完璧に日本化された」、『ラ・クロワ』紙(7/15付)は「日本生まれの魔術的『マハーバーラタ』」と、多くの劇評で「日本」が強調されたタイトルが採用されているのは、日本がフランス人にとっていまだ大きなエキゾチスムの対象であることを反映しているように思える。われわれ日本人の観客が『マハーバーラタ』を見るときに抱く幻想と一般的なフランス人の観客が抱く幻想にはかなり大きなずれがあるかもしれない。

 西欧の土俵で日本の芸術が勝負するには、多かれ少なかれ西欧人のオリアンタリスム/ジャポニスムの視点と格闘し、それを乗り越えざるを得ない。西欧的な文脈の上で西欧的作品を作っても、劣化した模倣とみなされ、まず高く評価されないだろうし、仮にそれがどれほど日本的な美学から乖離した作品であっても、その作品の評価は「日本」という文脈からは逃れることは難しいだろう。しかし西欧的なステレオタイプのジャポニスムを素直に踏襲した作品を提示することは芸術家にとって屈辱的なことであるし、そうした作品はそれこそエキゾチスムへの安易な迎合とみなされ、高い評価を得られないだろう。

 フランスの劇評での『マハーバーラタ』への高評価が、果たしてフランス人の素朴なジャポニスム礼讃によるものなのかどうかについては、検討しておく価値はある。ここではまずフランスの舞台芸術におけるジャポニスムの流れを簡単に振り返っておこう。フランスの日本の舞台芸術への関心は1900年のパリ万博での川上音二郎一座の公演に遡ることができるだろう。その後、ジャック・コポー(1879-1949)、シャルル・デュラン(1885-1949)という20世紀前半のフランス演劇界を代表する人物がとりわけ能に大きな関心を持ち、彼らの演劇実践のなかに能を取り入れている。また1921年から26年まで東京でフランス大使を務めたポール・クローデル(1868-1955)も日本演劇の影響をもとにした作品を発表している。

 デュランの弟子であり、クローデルと共同して彼の作品を上演したジャン=ルイ・バロー(1910-94)もまた能に大きく影響された演劇人だ。バローは能の秘伝的性質、高度な文学性、壮麗な衣装、精選された小道具に魅了され、この演劇形態の宗教的儀式性に注目した。舞踊・歌謡・所作・台詞・楽器演奏といった複合的要素によって象徴的な演劇世界を作る能は、バローの全体演劇の美学の形成に大きな役割を果たした。

 バロー、ヴィラール、ブルック(1925-)、グロトフスキ(1933-)などの20世紀の巨匠に絶大な影響を与えたアルトー(1896-1948)はその「残酷演劇」の理念のモデルをバリ島の演劇のなかに発見する。アルトーは演劇を言葉の独占的支配から解放し、音楽、舞踊、身振りなどあらゆる芸術的表現からなる全体的な演劇の創造を主張した。彼が目指したのは呪術的・祭儀的な特徴を持った原初の演劇環境の回復である。そこでは観客を舞台上の出来事のなかへ取り込むような演劇空間が思い描かれた。フランス演劇は、オリアンタリスム/ジャポニスムを通して、西欧演劇のあり方を再検討し、演劇の始原的形態に遡ることで現代における演劇の新たな地平を切り拓こうとしてきたのだ。

 あらゆる演劇形態に精通した見巧者のはずであるフランスの劇評家たちは、この夏、ブルボン石切場で、バローの全体演劇の夢、アルトーの演劇理念が、宮城の『マハーバーラタ』のなかに驚異的な完成度で実現されていることを認めなかっただろうか。『マハーバーラタ』アヴィニョン公演では、ブルボン石切場という神話的な空間を背景に輪状の舞台が客席を取り囲む。打楽器を中心とするオーケストラの音楽が物語の展開を統御し、観客を陶酔させる。日本語による多彩な語りは、呪文のように響きわたり、空間を神秘化する。宮城は日本の伝統演劇を西欧の観客に理解しやすいように翻案したわけではない。西欧演劇とは異なる論理と美学のもとに成立している東洋の伝統演劇の様々な要素を、理知的に分析し、変形した上で再構成することで、西洋と東洋の伝統的美学の違いを超えた、現代における演劇の新たな可能性を探っているのだ。この文脈において、宮城はエキゾチックで神秘的な東洋の演劇人ではなく、むしろバローやアルトーの日本における後継者なのである。『ル・モンド』紙の評が記すように、様々な日本的な手法が取り入れられていること自体は、作品の評価の上では「重要なことではない」。

 SPACの『マハーバーラタ』を通して、フランスの観客と日本の観客が見た幻想はまったく同じものではないかもしれない。しかしわれわれもまた『マハーバーラタ』が提示する彼方の世界の幻想に魅了され、その幻想が生み出す祝祭性に陶酔したことは変わりない。7/14付『RFI』英語版の記事の表現を借りると、「日本人による『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』は、文化の違いを超えて人間が共通して持ちうるものをはっきりと示」すことに成功したのだ。フランスの劇評で表明された賛辞の数々に、彼らもまた私たちと同じ演劇的感興を味わっていたことを確認できるだろう。

【著者略歴】
片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。2012年より《ワンダーランド》スタッフ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

【上演記録】
SPAC『マハーバーラタ』 アヴィニョン公演
演出:宮城聰
台本:久保田梓美 
音楽:棚川寛子 
空間構成:木津潤平
ドラマトゥルク:横山義志
照明:大迫浩二、小早川洋也、山森栄治(KAAT) 
出演:阿部一徳、赤松直美、石井萠水、大内米治、大高浩一、片岡佐知子、加藤幸夫、木内琴子、榊原有美、桜内結う、佐藤ゆず、鈴木麻里、大道無門優也、舘野百代、寺内亜矢子、仲村悠希、本多麻紀、牧野隆二、牧山祐大、美加理、森山冬子、山本実幸、横山央、吉見亮、若宮羊市、渡辺敬彦 
音響:水村良、加藤久直、牧嶋康司
衣裳デザイン:高橋佳代
美術:深沢襟
ヘアメイク:梶田キョウコ
衣裳:大岡舞 
技術監督:堀内真人(KAAT)
舞台監督:村松厚志 
舞台:岩崎健一郎、山田貴大
演出補:中野真希

制作:大石多佳子、中野三希子
製作:SPAC − 静岡県舞台芸術センター
共同製作:KAAT神奈川芸術劇場
上演会場:アヴィニョン演劇祭 ブルボン石切場
公演日:7月7日(月)、8日(火)、10日(木)、 11日(金)、 12日(土)、 13(日)、 14日(月)、 15日(火)、 17日(木)、 18日(金)、 19日(土) 各日22時開演
入場料:一般38ユーロ(約5200円)、割引料金[失業者、舞台関係者など]29ユーロ(約4000円)、学生及び26歳以下(約2400円)

【資料】
第68回アヴィニョン演劇祭SPAC関連記事リスト(PDF, 140KB)


「SPAC『マハーバーラタ』アヴィニョン演劇祭公演」への1件のフィードバック

  1. この記事を執筆した片山です。
    事実関係の訂正があります。教皇庁前広場での無料パフォーマンス上演前にマニフェストが「宮城自身によって読み上げられた」と書きましたが、現地同行したスタッフのかたから、「日本語文を読み上げたのは同行した通訳の方、仏語は現地のフランス人スタッフが読み上げた」とのご指摘がありました。
    この箇所、修正します。

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