KYOTO EXPERIMENT 2014

◎観劇体験「KYOTO EXPERIMENT 2014」
 柴田隆子

 芸術の秋に加え、オリンピックの文化プログラムを意識してか、あちこちで芸術祭が賑々しい。京都国際芸術祭KYOTO EXPERIMENTと相前後して、東京ではダンストリエンナーレを引継いだ「Dance New Air ダンスの明日」や「フェスティバル/トーキョー14」が、地元横浜でも「ヨコハマトリエンナーレ」とは別に「神奈川国際芸術フェスティバル」が開催されている。芸術祭の名ではないものの、複合的なイベントは東京近郊ではたくさんあり、その気になれば毎日どこかで舞台を見ることができる。では、なぜ京都なのか。

 芸術祭は祭りだ。同じ祭りなら非日常がいい。日々の雑事を忘れ、舞台に集中したい。JR東海だって言っている、「そうだ、京都、行こう!」。去年観て気になったShe She Popの公演は今年も京都のみだし、週末なら3~4公演が見られる美味しい設定。会場毎の一律チケット料金制も値ごろ感があるし、ついでに京都観光だってできるかも。次々に発行されるニュースレターや作品についての紹介記事を読むと、気になるんだよね。

 こうした私の反応は「フェスティバルを組織する」ことに心を砕き、広告媒体の製作と展開、チケット料金や販売方法、開場時間や入場整理の方法などを議論してきた、橋本裕介プログラム・ディレクターらスタッフの戦略にまんまとはまった結果だろう。開催2年目にあたる2011年のドキュメントに掲載された「仕組みであると同時に運動でもあるフェスティバルの姿とは」の中で、橋本は「週末に観光を兼ねて2~3本の舞台をまとめて観に来ることができる仕掛けにすれば、京都へ足を運ぶ動機としては成り立つのではないか」と構想している。当初からフリンジ企画と合わせて複数本を見られるようにし、今年はとうとうプログラム・ディレクターとして選んだ主催公演だけで、本当に週末に2~3本みられるようになったのである。

 だが、もちろん理由はそれだけではない。KYOTO EXPERIMENTが独自のフェスティバル形態を模索しているように見えたことも大きい。今後の衰退を予感させるような百花繚乱的なフェスティバルの現状にあって、実際には他のフェスティバルとも重なる公演があったにもかかわらず、京都が魅力的にみえたのは、独自路線を模索していることが醸し出す「実験的」な雰囲気のためである。もっとも「実験」の功罪は検証する必要がある。開場時間の一律の撤廃は、演出によっては、開場時間から開演までの時空間を劇場内で楽しむといった導入の余白がなくなり、個人的には少し残念であった。

 橋本の言う「創作の場所」や「ネットワークの結節点」というフェスティバルの位置づけは、「フェスティバル/トーキョー」なども目指していた路線であるが、京都の場合、当初からブラジルのアーティストとの連携を考えるなど、ヨーロッパ中心のフェスティバル文化と異なる文脈を持ち込もうとしている点が面白い。これについてはまだ道半ばのようだが、その片鱗は個々の作品にみてとることができると思う。

 以下は今回見ることのできた7作品について、各作品がどのような取組みをしていたのかをまとめたものである。個々の作品について詳述したい誘惑にも駆られたが、それは別の機会に譲り、芸術祭実行委員長の森山直人が言う「EXPERIMENT=実験」が生み出す「新しい価値」を念頭に横断的思考を心がけた。誰が作品に署名しているかという観点から、タイトルの前には基本的には個人名を挙げている。

金氏徹平『四角い液体、メタリックなメモリー』
 美術展などで上演芸術としての「パフォーミング・アーツ」が取り上げられることは、昨今珍しくなくなった。が、「舞台芸術祭」でこうしたアート作品が展示されると、一瞬戸惑う。これはセノグラフィーとして上演の一部を構成する「舞台作品」のための美術ではなく、「舞台」で起きていることそのものを描いた「作品」なのだろう。「日常」の断片、それもカラフルでコミカルな断片からなるオブジェは、「舞台は楽しめばいいんじゃない?」と語りかけてくるようだ。モノクロの幾何学模様の映像は「あ、でもちょっと思索的に考えるのもいいよね」と。肩の力を抜いて、難しいことは考えずにまずは舞台を見ようか。

村川拓也『エヴァレットゴーストラインズ』
 開演時間になり、スクリーン上に時刻と出演者への指示が映し出される。この指示通り、舞台上に人が現れ、その時間を舞台で過ごし、帰っていく。あるいは誰も現れず、そのまま舞台が進行する。この自動システム化された指示書=台本の遂行には、「演劇」にあると思われていた共同体意識や集団性は感じられない。「今、ここ」で起こっていることは、極論すれば「在」と「不在」であり、両者が重なり合う世界である。タイトルにあるエヴァレットの多世界解釈では、相矛盾する状態が重なり合って存在する可能態の「現実」が想定される。そこでは「在/不在」「生者/死者」は同じ場を占めるのだ。観客=観察者は、指示書にある時間が到来した後の、分岐後の現実しかみることができないが、亡霊の存在を想像してみることはできる。

ルイス・ガレー『マネリエス』
 暗闇にぼんやりと見えていた白い影が、微細に動く人間になる。網膜に映る身体の動きが感知され、徐々に空間内にダンサーの身体が描き出す痕跡、「コレオグラフィー」が見えてくる。冒頭の内的圧力を感じさせるような動きからも、高速で精緻でストイックにさえみえる運動からも、トリッキーでユーモラスな身振りからも、感情や情動はそぎ落とされている。パースペクティヴを意識して構成された舞台はフレーム化した観客の視線の中にある。思わず体に力がはいってしまうほど観る側の集中力を引き出し、あわせて感情や情動も観客から引き出すのだ。ダンサーだけでなく観客も含めた作品空間を支配しようとする芸術家の強い意志を感じる。

【写真は「マネリエス」公演から。撮影=Yoshikazu Inoue 提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】
【写真は「マネリエス」公演から。撮影=Yoshikazu Inoue 提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】

She She Pop『春の祭典―She She Popとその母親たちによる』

 それに対しShe She Popは、メンバー全員で集団制作を行う。スクリーンに大写しにされる母親たちはメンバーの実母だが、いわゆるドキュメンタリー演劇ではない。世代間の対立に加え、次世代を生み育てる「母」という存在は、愛情と抑圧、自己実現と犠牲など相反する要素を内包する。ストラヴィンスキー「春の祭典」の音楽に乗せて描かれる母子関係は、共同体の存続を考える上で避けては通れない問題として普遍化されているのだ。個人を特定しない「私たちのひとり」「彼女たちのひとり」という言い回しが示すのは、ひとつの声に代表されない、集団の多声性である。メンバー自身の問題意識を出発点にしながら、劇中にコミカルに散りばめられた様々な断片的イメージは、観客に自分自身の問題として考えることを促す。

【写真は「春の祭典―She She Popとその母親たちによる」公演から。撮影=Yoshikazu Inoue 提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】
【写真は「春の祭典―She She Popとその母親たちによる」公演から。撮影=Yoshikazu Inoue 提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】

三浦基『光のない。』
 2012年の初演時と演出上の違いは感じないにもかかわらず、舞台から受けた印象は驚くほど違う。2年の歳月を経て、メディアで繰り返し流された東日本大震災の映像による記憶が薄れ、代わりにその後の遅々として進まぬ復興や先行きの見えない原発事故処理などの情報・知識が増えたこととも関係があるだろう。横浜での再演では、客席上空を飛ぶ(ように聞こえる)ヘリコプターの音に、最近頻出する災害救助の様子が想起されてぞっとしたが、京都公演では合唱隊の声のもつ存在感に改めて気づかされた。それは身体を伴った声であり、時に調和して増幅する音として、舞台上にある俳優の身体と拮抗しており、そのことが3度目にしてやっと私には明らかになったのである。

フランソワ・シェニョー&セシリア・ベンゴレア『TWERK』
 テーマ的にも形式的にも『光のない。』の後で観るのは、何とも居心地が悪い。しかし額縁舞台で観るように作られていることから、こうした居心地の悪さも上演意図の一部なのだろう。この作品はただクラブイベントの雰囲気を舞台上に再現したものではない。ドラァグ・クイーンやドラァグ・キングを思わせる両性具有性に加え、男性性と女性性のヒエラルキーが、悪ふざけのような形で表れる。一緒に戯れるのにも眉をひそめるのにも中途半端な対面式の客席。もっともこれは、歴史学や文化人類学といった作者の肩書から類推される穿った見方で、ただただ延々と続く回転や臀部の筋肉の動きに驚いていればよかったのかもしれない。

危口統之『わが父、ジャコメッティ』
 She She Pop同様、実の父子のドキュメントに基づく作品だが、テーマとなっているのは「演劇」と「作品」である。フランス語の「演出」 “Mise-en-scène” の語源通り、演出家危口はまさに人や物を空間造形的に配置することで「演劇作品」にしている。「台本」のテクストは、多くの部分が録音音声と字幕によって再現性が担保され、舞台に並べられた木口家所蔵の品々や、映像やキャンパスに描かれる父子の身体像は、生身の身体よりも表現力に富んでいる。だが、その間をぎこちなく動く人間は、その拙さを暴露するだけの存在なのだろうか。金氏の作品が舞台芸術概念を外側から造形したものであるならば、本作は演劇というジャンルを成立させる骨組を内側から透かして見ようとする試みと言えるかもしれない。

 強引にまとめれば、7作品の中で唯一の展示作品『四角い液体、メタリックなメモリー』は、舞台芸術そのものの定義を問い直す試みであり、この対極に、演劇やダンスというジャンルの枠組を補強する実験を行っていた『光のない。』や『マネリエス』がある。他の4作品の試みは両者の中間に位置し、ジャンルを成立させる形式を維持しつつ、それを異化してみせる実験的な取組みだったのではないだろうか。

 これらはもちろん私の恣意的な見方であって、今年の、また将来のKYOTO EXPERIMENTないしフェスティバルについて考えてみるためのたたき台である。いろいろなコンセプトでフェスティバルが開催されるが、多くの作品を横断的に見ることは観客サイドではなかなか難しく、その検証作業は困難である。だが、意欲的で面白いフェスティバルが文化として根付くことを望むのであれば、微力でも拙くてもその努力はしていかなくてはならない。いや、そんなに気負わなくてもいい。他の人の体験と交換することで、多世界的なフェスティバル像が事後的にでも観られたら、二度美味しいではないか。

【筆者略歴】
柴田隆子(しばた・たかこ)
 演劇・舞台芸術研究者。オスカー・シュレンマーの舞台芸術研究で博士号(表象文化学)取得。学習院大学・麻布大学非常勤講師、東京大学特任研究員。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/shibata-takako/

【展示・上演記録】
KYOTO EXPERIMENT 2014

金氏徹平「四角い液体、メタリックなメモリー
京都芸術センター ギャラリー北・南(10月4日- 11月3日)

琳派400年記念祭事業
展示照明:高田政義(RYU)
協力:透明堂
主催:KYOTO EXPERIMENT
料金:無料

村川拓也「エヴェレットゴーストラインズ
京都芸術センター 講堂(10月2日-5日)

演出:村川拓也
舞台監督:浜村修司、磯村令子
照明:葭田野浩介(RYU)
音響:齋藤学((株)STAX)
映像:嶋田好孝、小西小多郎
演出助手:山村麻由美、豊山佳美
助成:公益財団法人セゾン文化財団
製作:村川拓也
共同製作:KYOTO EXPERIMENT
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)

ルイス・ガレー「マネリエス
京都芸術センター フリースペース(10月4日-5日)

演出:ルイス・ガレー
出演:フロレンシア・べシーノ
ライブミュージシャン:マウロ・パンジッロ
照明デザイン:エドアルド・マッジオーロ
共同製作:Internationalle Musikfesttage Martinu B. CH. Subsidy of Prodanza
助成:Porto a Solo(ポルトガル)
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)

She She Pop「春の祭典―She She Pop とその母親たちによる
京都府立府民ホール“アルティ”(10月4日-5日)

コンセプト:She She Pop
クリエーションメンバー:コーネリア&ゼバスティアン・バーク、ハイケ&ヨハンナ・フライブルク、ファニ・ハルンブルガー、リーザ・ルカセン、ミーケ・マツケ、イレーネ&イリア・パパテオドル、ハイディ&ベーリット・シュトゥンプフ、ニーナ・テクレンブルク
映像:ベンヤミン・クリーグ
美術:ザンドラ・フォックス
衣装:レア・シュブシュ
音楽協力:ダミアン・レープゲツ
振付協力:ジル・エマーソン
アシスタント・ドラマトゥルク協力:ヴェロニカ・シュタイニンガー
照明デザイン・テクニカルディレクター:スヴェン・ニヒタライン
照明:アンドレアス・クレーアー
音響:フロリアン・フィッシャー
グラフィック・デザイン:トビアス・トロースト
映像アシスタント:アナ・ツェット
トレーナー:マリアナ・セネ・ドス・サントス
制作・広報:ehrliche arbeit- freelance office for culture
カンパニーマネージャー:エルケ・ヴェーバー
英語字幕翻訳:KITA
字幕翻訳:古後奈緒子
製作:She She Pop
共同製作:KYOTO EXPERIMENT, HAU Hebbel am Ufer, FFT Düsseldorf, Tanzhaus NRW, Künstlerhaus Mousonturm, Kaserne Basel, brut Vienna, German Language Theater Festival of Prague, Archa Theater Prague, Théâtre de la Ville/Festival d’Automne à Paris
京都芸術センター×KYOTO EXPERIMENTアーティスト・イン・レジデンスプログラム
特別協力:ドイツ文化センター
助成:ベルリン州政府文化局、ベルリン首都文化基金
共催:京都府立府民ホール“アルティ”
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥3,500/当日 ¥4,000
ユース・学生 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
シニア 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥6,000(前売のみ)

地点「光のない。
京都芸術劇場 春秋座(10月18日-19日)

作:エルフリーデ・イェリネク
翻訳:林立騎
演出:三浦基(地点)
音楽監督:三輪眞弘
出演:安部聡子、石田 大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平(以上、地点)
合唱隊:朝日山裕子、今井飛鳥、大井卓也、大畑和樹、小村典子、中西重人、野口亜依子、 圜羽山圜、真都山みどり、村田結、好光義也、米津知実
美術:木津潤平
衣裳:堂本教子
照明デザイン:大石真一郎(KAAT 神奈川芸術劇場)
照明オペレーション:岩田麻里(KAAT 神奈川芸術劇場)
音響デザイン:徳久礼子(KAAT 神奈川芸術劇場)
音響オペレーション:稲住祐平(KAAT 神奈川芸術劇場)
舞台監督:山口英峰(KAAT 神奈川芸術劇場)
舞台監督助手:足立充章
技術監督:堀内真人(KAAT 神奈川芸術劇場)
制作:小森あや、田嶋結菜(以上、地点)
製作:フェスティバル/トーキョー、地点(2012 年初演)
2014年版共同製作:KYOTO EXPERIMENT
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥3,500/当日 ¥4,000
ユース・学生 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
シニア 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥6,000(前売のみ)

フランソワ・シェニョー&セシリア・ベンゴレア「TWERK
京都府立府民ホール“アルティ”(10月18日-19日)

構想:フランソワ・シェニョー、セシリア・ベンゴレア
出演:エリザ・イヴラン、アナ・ピ、アレックス・マグラー、フランソワ・シェニョー、セシリア・ベンゴレア
DJ:イライジャ&スキリアム(Butterz[ ロンドン])
照明クリエーション:ドミニク・パラボー、ジャン=マルク・セガレン、フランソワ・シェニョー、セシリア・ベンゴレア
照明:ドミニク・パラボー、シンディー・ネゴス
舞台監督:ジャン=マルク・セガレン
音楽監督:ミグエル・カレン
監修:アレクサンドル・ロコリ
衣装:フランソワ・シェニョー、セシリア・ベンゴレア
製作:カンパニーVlovajob Pru
共同製作:リヨン・ダンス・ビエンナーレ、ポンピドゥー・センター舞台芸術部(パリ)、フェスティバ ル・ドートンヌ(パリ)、トゥールーズ公立振付振興センター(ミディ=ピレネー)、ベルフォール国立振付 センター(フランシュ=コンテ)、グルノーブル国立振付センター、Le Vivat d’ Armentières – Scène conventionnée danse et théâtre(ノール=パ・ド・カレー)、カーン国立振付センター(バス=ノルマンディー)
製作助成:ARCADI(イル=ド=フランス)
助成:FUSED(French U.S. Exchange in Dance)、FACE(French American Cultural Exchange)
協力:la Ménagerie de Verre(パリ)、Chez Bushwick(ニューヨーク)、ドリス・デューク慈善財団(ニューヨーク)、フローレンス・グールド財団(ニューヨーク)
共催:アンスティチュ・フランセ日本
助成:アンスティチュ・フランセ パリ本部
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
京都公演共催:京都府立府民ホール”アルティ “
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥3,500/当日 ¥4,000
ユース・学生 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
シニア 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥6,000(前売のみ)

悪魔のしるし「わが父、ジャコメッティ
京都芸術センター 講堂(10月16日-19日)

作・演出:危口統之
原案:『ジャコメッティ』『完本 ジャコメッティ手帖』 矢内原伊作 / みすず書房
出演:木口敬三、木口統之、大谷ひかる
映像:荒木悠
音楽:阿部海太郎
照明:大島真(KAAT神奈川芸術劇場)
字幕操作:木口啓子
舞台監督:佐藤恵
グラフィック・デザイン:宮村ヤスヲ
企画:悪魔のしるし、KAAT神奈川芸術劇場
制作:悪魔のしるし、岡村滝尾(オカムラ&カンパニー)、澤藤歩(KAAT神奈川芸術劇場)
製作:悪魔のしるし
共同製作:KYOTO EXPERIMENT、KAAT神奈川芸術劇場
助成:公益財団法人セゾン文化財団、公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団
主催:KYOTO EXPERIMENT
チケット料金:
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)

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