鳥公園「空白の色はなにいろか?」

◎主人公の空虚と呼応する男性の危機
 水牛健太郎

鳥公園公演チラシ 今回の公演「空白の色はなにいろか?」製作の途中の工程にあたるショーイング公演については昨年、劇評(なにものかへの別れのあいさつ――鳥公園「空白の色はなにいろか?」)を書いた。ショーイング公演は大阪の造船所跡地(クリエイティブセンター大阪)で行われており、広大な敷地を生かした演出が印象的だった。今回は打って変わってSTスポットという、小劇場の中でもかなり小さめのスペースなので、違う作品になることは十分予想できた。

 実際、今回の作品はキャスト3人の顔ぶれこそ同じだが、全く別の話になっていた。スペースが小さい分、会話の比重が大きい。かろうじて武井翔子の演じる「史香(ふみか)」という役名がショーイング公演と共通している。

 舞台は1辺3~4メートルのほぼ正方形で、高さ1.3メートルぐらい。客席に向かってはすに置かれている。舞台の下は囲われていなくて、客席から見える。このスペースでも芝居が行われるので、いわば地下室といったところ。芝居の中では「小部屋」と呼ばれている。舞台の手前のあたりに1辺60~70センチの正方形の、扉がついた穴が開いていて、舞台上からこの小部屋に出入りできる。

 3人の登場人物のうち哲生(浅井浩介)と好美(西山真来)は夫婦。しかし哲生は家出して今は地下室で史香と暮らしている。三角関係なわけだが、しかし、あまりどろどろした感じはしない。史香は繰り返し好美の元を訪れ、哲生について話す。好美は哲生との会話を回想する。このようにして、2人ずつの会話が重ねられる。2人ずつの会話が交錯する形で3人が顔を合わせる場面はあるが、ふつうに3人で会話することはない。

鳥公園公演写真
【「空白のいろはなにいろか?」横浜公演より。撮影=塚田史子 提供=鳥公園 禁無断転載】

 哲生は食べ物の味を感じず、何を食べてもモノを口に入れた感触しかしないという。もともと世界との接点が普通より一つ少ない人間なのだが、そのことを料理を用意する好美にも言わずにいた。その後史香と生活するなかでだんだん食欲を失って、自分の排泄物だけを食べるようになり、やがて史香のところからも姿を消してしまう。それは現世を超えようとする超俗のふるまいにも、自分の中にある空虚に飲み込まれたようにも見える。

 面白いのは名前を巡る問題である。哲生は自分や周囲にいる人の名前を通常の形から脱臼させて、意味から逃れる試みを繰り返す。妻の名前「好美(よしみ)」は、ふつうは「よ」が低い音、「しみ」が高い音で発音される(たとえば「ドミミ」のように)。しかし、哲生は好美と二人でいるときにはこれを逆に(「ミドド」のように)発音している。

 史香との生活では、哲生は緑色の観音像のようなものを買ってきてそれを「テツオサン」と呼ばせる。自分は名無しでいようとするが、それは不便なのでできず、結局は「テテサン」と呼ばれるようになる。一方史香のことは「カカサン」と呼ぶが、「てて」と「かか」の組み合わせは昔の日本語では父と母という意味になる。意味から逃れようとして意味に落ち込んでいく面白さ。

 大阪でのショーイング公演では、浅井が演じる史香の祖父がぼけて自分の名前を認識しなくなるようすが、言葉の世界からの自由、解放として描かれていた。その公演は現在の社会を締め付けている男性性への異議申し立てが前面に出ており、「名前の解体」は日本の近代化が一段落し、男性原理が力を失っていく姿とも重ね合わせられていた。

 今回の公演では男性性の解体がさらに突き詰められている。それは哲生の自己解体という形で表現されている。独白によれば彼の中には「あめりか」と呼ばれる町があるのだが、それはスラム化したアメリカの住宅地のようなところである。大きな家々の庭には水を抜かれたプールがあり、荒れた家に麻薬の注射針が散らばっている。現代社会の繁栄の末の断末魔の光景である。

 哲生はその心の中のプールに失ったものを埋めていくが、それがいつの間にか「埋めて消す行為」になる。哲生はやがて「自分でないものが自分に入ってくるのがどうしても、駄目」になり、排泄物しか口にできなくなる。ついにはプールの話を史香としたのを最後に、ふらっと出ていったきり戻らない。浅井は空虚さを抱えて自壊していく哲生の姿を芋虫のように這ったり、裏声でしゃべったりするなどの方法で印象的に表現していた。

 昨年来、女性の社会進出を巡る話題が増えているが、その一方で、いま男性こそが大きな危機を迎えている。日本では特にそれが顕著だ。男性の生涯未婚率は既に2割を超えており、女性の2倍に達している。若い世代ではさらに未婚率が高く、近い将来3割以上に達する可能性が高い。それを生き方の多様化として前向きにとらえることは可能だし、部分的には同意したい。だが、少子高齢化が社会に与える巨大なインパクトや、予想される孤独死の激増一つとっても、待ち受ける未来を明るいイメージでばかり語ることは不可能だ。

 未婚率の上昇や少子化は女性の社会進出や子育て環境の未整備と結び付けて論じられることが多いが、それと同様に、あるいはそれ以上に、男性側の要因も大きい。過剰に社会化されながら、商品として流通する性的イメージで強化された自我のよろいを身にまとった、ひ弱な甲虫のような男たち。ある種の繊細さを身に付けた一方で、おおざっぱな鈍感さで他者を受け入れるたくましさを失った彼ら。それは生命力の減衰にほかならない。

「空白の色はなにいろか?」という作品がジャーナリスティックなものでないことは言うまでもない。だが哲生という登場人物の抱える「空虚さ」は、私が感じる男性の危機と呼応している。それは日本社会の中心に、全てを飲み込む大きな空洞を今まさにうがちつつあるのだ。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2014年9月より、慶應義塾大学文学部で非常勤講師。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro

【上演記録】
鳥公園♯10「空白の色はなにいろか?
STスポット(2015年1月16日‐25日)

作・演出 西尾佳織
キャスト 浅井浩介(わっしょいハウス)、武井翔子、西山真来
舞台監督:本郷剛史
舞台美術:中村友美
照明:中山奈美
衣裳:藤谷香子(FAIFAI)
宣伝美術:鈴木哲生
制作:萩谷早枝子
協力:レトル わっしょいハウス FAIFAI 六尺堂
共催:京都芸術センター(京都公演)
提携:STスポット(横浜公演)
助成:アサヒグループ芸術文化財団
製作・主催:鳥公園

チケット料金
一般 2500円/U25 2300円/高校生以下 500円
当日券は300円増

 


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