鵺的「丘の上、ただひとつの家」

◎根こそぎにされた存在の遍歴と出会い
 チンツィア・コデン

「丘の上、ただひとつの家」公演チラシ 1ヵ月以上前に観劇した鵺的の「丘の上、ただひとつの家」(高木登作・演出)を振り返って、ジョン・レノンの「マザー」(1970)の歌詞を台本の骨組に照らし合わせてみると、その歌詞の背景に存在しうる人間の心境が、鵺的の上演から浮かび上がってくるように思った。

 もう少し踏み込んで言えば、レノンの「マザー」の歌詞に、親を必要とする子供の悲嘆の声にも聞こえる言葉「お母さん行かないで」がある。その置き換えとして、鵺的の新作では、家から去ってしまった母を引き止めたかった幼いころの娘「渡瀬愛」(高橋恭子)があり得ると考えた時に、深い傷を背負った彼女の絶望的な表現はさらにレノンの悲痛な叫びと重なった。その思い込みから連想し続けると、「マザー」の「子供たち、私の過ちを繰り返さないで」という念願が、鵺的の上演では、「愛」と母親の再会を実現するまでの過程をスタートさせる触媒作用の役割を果たしていることに気付く。そして、現代における「瞼の母」のような旅の果てに、「愛」自身の自己確認、自意識の冒険が待っていると想像できる。

 そう考えるうちに、舞台の中心に据えられているものは、母を知らない「愛」が根こそぎにされた存在の象徴にも見えてくる。

 「丘の上ただひとつの家」では、女性の登場人物たちが、母になることをめぐって語り合う場面がある。特に、「愛」が夫の渡瀬章朗(平山寛人)に求められている通りに子供を産もうかどうか悩んでいることをきっかけに、自分を捨てた母を知ろうとする。彼女との対面を実現できた時に、過去の行動を引き起こした理由を問い詰められたお母さん真登香(安元遊香)が何回も「わかんない」と答える。その一言だけでも、家庭から離れた母親の行動は、思考停止状態で衝動的だったことが明確に伝わってくる。

、「丘の上、ただひとつの家」公演から1
【写真は、「丘の上、ただひとつの家」公演から。撮影=石澤知絵子 提供=鵺的 禁無断転載】

 後に、娘「愛」の発する「わかんない」でも、同類の感情が反映されているように聞こえてくる。「愛」が求めた再会の必要性がその言葉からにじみ出ている。娘の人生で、母の行動が繰り返される可能性が十分にある。彼女の心に潜んでいるその恐れがよく感じ取れる。「愛」が感知して、本能的に恐れていたのは、お母さんと同じ立場に置かれて、行き詰った時に有りうる自分の反応である。

 「丘の上、ただひとつの家」の冒頭で、「愛」が相談に訪れた弁護士「残間塔子」(生見司織)が夢を語る。「こわい。逃げたい」と感じた際に、眠りから目覚めることが自然な反応である。自覚へ導くシグナルでもなりうる。その時こそ、何となく恐れたことの正体を分からないままに生きるよりも、一度、その恐いものに向き合ってみることが一つの選択である。「愛」が母親について聞いた噂ばかりに頼らず、自分の眼で確かめてみることにした。

 「荒野1/7」の続編ともいえる「丘の上、ただひとつの家」が、前作と違って、別の父親を持つ4人の兄弟がお母さんと再会することで互いの心境を伺うことを選んでいる。それで、あらためて「マザー」に言及すると、レノンンの曲が弔いの鐘で始まるのと符合するように、本公演の最後のシーンでは、4人の兄弟がお母さんの葬式について話している。能の謡曲「海士」で言えば、この世にすでにいない「母」が登場して、息子に会ってから成仏できる。同様に、鵺的の劇では、不在だった母と再会して話し合った上で、別れを告げる。言い換えれば、一度過去を振り返ったからこそ、登場人物が自己確認を終えて、個々の道を歩める。

、「丘の上、ただひとつの家」公演から
【写真は、「丘の上、ただひとつの家」公演から。撮影=石澤知絵子 提供=鵺的 禁無断転載】

 今回の作品で、家族の新たな模様は具体的に提案されていると受け取れるのなら、それは母親真登香の愛人高野浩志(井上幸太郎)のせりふからである。彼が提案するのは、既存概念に基づいた家族のフレームを超えた、柔軟性をもったコミューニティに近いものである。高野が「もっと適当でいいんじゃないの。ゆるくていいんじゃないの?」という問いで示唆しているのは、様々な家族の形を認める寛容的な姿勢として受け取れる。それが、同胞愛のような、楽天的な理想のものでもあるが、公演の楽日に、その可能性を想像できた。

 鵺的の上演作品を振り返えると、自分らしく生きようとする登場人物たちの姿が常に描かれていると感じる。阿部定を中心に書いた台本から考えても、高木が持っている、男社会に生きる女性への目配りを見受ける。

 「丘の上、ただひとつの家」の舞台美術と照明は象徴的でミニマルである。同じく、高木登の筆致が簡潔で、台本の言葉は本質的である。台本の言葉は率直であるからこそ、観客の内心に入り込める。役者が発するのは物語の発展に必然的で限られたせりふである。それでも、鵺的のメンバーと、毎回客演する役者群の個性の絶妙なバランスが印象に残る。それが、役者個人個人の存在感によって、舞台上で、せりふで語られる以上に、登場人物たちの背景にありうるそれぞれの世界感の広がりが垣間見れて、そこの様々な生き方の可能性が示唆されているからである。

 「丘の上、ただひとつの家」では、以前の作品と異なって、観客席との緊張感がうすめられている分、舞台上に集中して、濃密な空間が作り上げられていた。魚の背骨の形に配置された多種の形の足を組み合わせた椅子に座った役者たちと観客の位置関係が多面的であった。それが効果的に、対話劇の密集した進み方にダイナミックな様相を加えている。その演出は、人間の内面と人間同士の関係をあらゆる角度から考察し続ける鵺的の姿勢を象徴的に表している。

 鵺的の芝居は絶えず、ドラマチックな事柄の極端なケースを取り上げている。それでも、スキャンダルあさり的な質ではない。今回も、ギリシャ悲劇にもある、禁じられた愛をテーマにしているにも関わらず、ショッキングな展開として扱われていない。それが、もっと奥行の深い人間肖像に焦点を合わせているからである。

「丘の上、ただひとつの家」公演から
【写真は、「丘の上、ただひとつの家」公演から。撮影=石澤知絵子 提供=鵺的 禁無断転載】

 本公演では「愛」が、母親との再会と同時に別の父を持つ、血の繋がった他の二人の兄弟と初めて出会う。彼らが、社会的な観点からにしてみれば、倫理的に望まれない命として生まれてきた。その姉の秋山遥(ハルカ・宍戸香那恵)の言葉で言えば、生きてきた「無意味な日々」に価値を生み出せないのである。彼女は「愛」の妹・椎名遥(奥野亮子)の姿勢と対照的に、自分の幸せを犠牲にしても、母への復讐だけに自分の人生が意味を成すと考えている。「この世の楽園」では、家を去った奥さんに対してあきらめることができなかった佐井志津男という登場人物にも似ている。

 本公演は、数年前の「昆虫系」で示された救いのない暴力的な結末と正反対の希望を与える劇である。終わりに、世間の目を避けて、恥を感じながら生きてきたハルカの弟・秋山太一(古屋敷悠)が発見した幸せを語ることによって、「会ってみんなで不幸になればいい」と刺すような言葉しか持たなかった姉のハルカの冷淡な心にすこしずつ変化が引き起こされる。太一が優しい声で説得し続けている内に、恨みに支配されていた姉の内面も崩れ始めているように見える。以前の作品と違って、今回最終的に「愛」から始まった過程で、生命力の強さの象徴である母と、その愛人の寛容性を通過して、太一の繊細な働きかけによって、慰めのような穏やかな印象が残る。

 これから、新たな姿を見せている鵺的の新作を期待しつつ、ピランデッロ作の「鈴の帽子」と連想できる「暗黒地帯」を始め、過去の作品の再演も楽しみにしたい。
(2015年2月12日14:00の回、2月16日19:30の回観劇)

【筆者略歴】
チンツィア・コデン(Cinzia Coden)
 ヴェネツィア大学外国語学部日本語学科卒。卒論は「唐十郎の『特権的肉体論』―役者の記号的な身体」。横浜国立大学に留学。同大学院修了。イタリア文化会館や桜美林大学で非常勤講師。ヴェネツィア大学のルペルティ教授編集『日本における現代演劇のことばと変遷』(Mutamenti dei linguaggi nella scena contemporanea in Giappone, ed. by Bonaventura Ruperti)(2014年9月, イタリアのLibreria Editrice Cafoscarina社から出版。>> amazon.it)で、「唐十郎」「別役実」「山崎哲」「女性の時代」の章を担当。(イタリア語のみ)

【上演記録】
鵺的第9回公演『丘の上、ただひとつの家
新宿 SPACE雑遊(2015年2月11日-16日 全9回)(上演時間約110分)
作・演出 高木登

[キャスト]
井上幸太郎
奥野亮子
宍戸香那恵
高橋恭子
生見司織
平山寛人
古屋敷悠
安元遊香

[スタッフ]
舞台監督=田中翼・岩谷ちなつ
演出助手=元吉庸泰(エムキチビート)・田上果林(エムキチビート)
ドラマターグ=中田顕史郎
照明=千田実(CHIDA OFFICE)
音響=平井隆史(末広寿司)
衣装=中西瑞美(ひなぎく)
舞台美術=袴田長武+鴉屋
宣伝美術=詩森ろば(風琴工房)
舞台写真撮影=石澤知絵子
ビデオ撮影=安藤和明(C&Cファクトリー)
制作=鵺的制作部・J-Stage Navi
制作協力=contrail
協力=劇団前方公演墳/チタキヨ/MU/ Saliva/IVYアイビィーカンパニー/
株式会社ぱれっと/film_puzzle
企画・製作=鵺的

[チケット]
前売 3200円
当日 3500円
初日割 2/11[水]の回 2800円
学生割 2500円 (要学生証提示)

 

 


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