劇団チョコレートケーキ「サラエヴォの黒い手」

◎歴史に向き合う自然な演技
 (鼎談)芦沢みどり(戯曲翻訳)、チンツィア・コデン(演劇研究)、北嶋孝(編集部)

「サラエヴォの黒い手」公演チラシ
「サラエヴォの黒い手」公演チラシ

北嶋 今年は第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォ事件からちょうど100年になります。1914年6月28日、当時オーストリア=ハンガリー帝国に併合されていたボスニアの都市サラエヴォで、オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されました。犯行グループの青年たちをセルビアが支援したとみたオーストリアは7月28日に宣戦布告。それがドイツやロシア、フランス、イギリスなどを巻き込んだ戦争に発展しました。
 劇団チョコレートケーキの「サラエヴォの黒い手」公演はこの史実に正面から取り組みました。過去の公演では、第一次世界大戦後から第二次大戦にかけて、主にドイツで起きた歴史にスポットを当てた舞台が続いていました。今回はその源流をたどる趣もあります。
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PARCO STAGE「金閣寺 The Temple Of The Golden Pavilion」

◎イメージの中の輝き
 植村真

 想像は現実を超える。
 『金閣寺』は三島由紀夫の代表作の一つであり、今も国内外で多くの人の支持を得ている小説である。
 2011年、演出家の宮本亜門によってKAATの杮落としとして上演された『金閣寺 The Temple Of The Golden Pavilion』はニューヨークのリンカーンセンターフェスティバルでも好評を受けた。海外でも三島の小説は多くの国で翻訳がなされ、高い評価を受けている。1985年にアメリカで公開された『Mishima: A Life In Four Chapters』(Paul Schrader監督)では三島の生涯と、3つの三島の小説を映画化し、第一部の「美」というテーマの中では、『金閣寺』が描かれている。
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飴屋法水「教室」

◎境界線上のグロテスク
 落 雅季子

「教室」チラシ 『教室』は、2013年夏、大阪のTACT/FESTで上演された子どものための演劇である。一年の時を経て、東京の清澄白河の地で再演されることとなった。作、演出は飴屋法水。出演者は飴屋、コロスケさんこと三好愛、くんちゃんこと三好くるみちゃんという、実際の家族として暮らす三人だ。 “飴屋法水「教室」” の続きを読む

蓮沼執太フィル 「音楽からとんでみる4」全方位型フィル

◎「ステレオ」のパフォーマンス空間
 ラモーナ・ツァラヌ/井関大介/廣澤梓

「音楽からとんでみる4」公演チラシ
「音楽からとんでみる4」公演チラシ

 TPAMへの2度にわたる招聘や快快への楽曲提供など、舞台芸術との関わりも深い音楽家・蓮沼執太。彼による15人編成のオーケストラ「蓮沼執太フィル」は2010年の結成以来、ライブベースの活動を行ってきました。そこでは集団性や観客を含めた場の創造という観点において、今日の演劇を考える上でのヒントを与えてくれるように思います。この度、4月27日(日)の「全方位型フィル」と題されたライブに立ち会った3名によるライブ評を掲載します。(編集部)

解放感のサウンドスケープ—蓮沼執太フィル公演『音楽からとんでみる』
 ラモーナ・ツァラヌ
作者をこれ聖と謂ふ—音楽共同体への憧れと蓮沼フィル—
 井関大介
もう一度、集まることをめぐって
 廣澤梓

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彩の国さいたま芸術劇場/ホリプロ「わたしを離さないで」

◎大きな芝居を小さな劇場で上演したら、小さな劇場で上演された芝居を大きな劇場で上演したらと妄想しながら
 大和田龍夫

never_let_me_go0a 彩の国さいたま芸術劇場は開館して20年。新国立劇場中劇場、神奈川芸術劇場より長い歴史を持つ有数の大劇場だということに少し驚きをもって会場に向かった。実はこの演劇チケットを買ったのは「農業少女」で好演した多部未華子が脳裏から離れなかったからと、倉持裕脚本であることがその理由。蜷川演出、カズオ・イシグロ原作にはあまり惹かれてはいなかった(というよりはその事実をヒシヒシと感じたのは会場に着いてからだった)。
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連載「もう一度見たい舞台」第6回

◎燔犠大踏鑑「すさめ玉」
 大泉尚子

 その日は深夜、高い熱を出した。一緒に下宿暮らしをしていた姉によると、気持ち悪い、気持ち悪いと譫言のように言っていたそうだ。1972年、地方から東京の大学に入って間もない頃、情報通のクラスメートに連れられて、土方巽が演出・振付をした「すさめ玉」を見に行ったのだった。

 今はない、池袋西武百貨店ファウンテンホールでのその舞台は、芦川羊子、小林嵯峨など女の踊り手がメインだった。結い上げた髪に全身白塗り、思いっきり口角を引き下げたへの字の口に、目は半眼で時に白目を剥いたりギュッと真ん中に寄り目にしたりする。背を丸め、がに股でお尻を落とししゃがみこんだ姿勢で蟹歩きに這う。手首や足首は不自然に内側に曲がり、痙攣めいたギクシャクとした動き。
 「いざり」「足萎え」「不具」とか、口に出すのを憚られる言葉が頻々と頭を掠める。いや、言葉ではなくそういう身体そのものが目の前で蠢く。
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KAAT×五大路子「ニッポニアニッポン~横浜・長谷川伸・瞼の母~」

◎悲しみへの愛着
 岡野宏文

kaat_hasegawa0a 私は子供の頃、たいした映画少年だった。生家の向こう三軒あたりに小さな映画館があって、日曜日になると、守をするのも邪魔くさかったのか、十円玉を三つほど握らされては、追い出されるようにして、スクリーンばかりが明滅する心地よい暗闇の中へ潜り込んだ。
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die pratze/寺山修司「青森県のせむし男」フェスティバル

◎いかに「青森県のせむし男」は料理されたか?
 芦沢みどり

aomoriken0a 寺山修司が亡くなって今年で31年。この固有名詞は一定の年齢以上の人にとって、ある時代を思い出させるなつかしさに満ちているのではあるまいか。60年代の初めに「家出のすすめ」といういささか物騒なキャッチフレーズで登場して以来、たちまちメディア(当時はマスコミ)の寵児となった寺山修司は、歌人・放送作家・劇作家・演出家・映画監督・競馬やサブカルの評論家、その他あれやこれや。怪人二十面相みたいに(市川浩・三浦雅士『寺山修司の宇宙』)多方面で活躍したこの多面体の才能は、60年代から70年代を一気に駆け抜け、80年代の初めに47歳でこの世を去った。
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劇団印象「グローバル・ベイビー・ファクトリー」

◎ファンタジーから現実へ
 今井克佳

gbf0a 劇団印象(いんぞう)の鈴木アツトの作品と言えば『青鬼』や『匂衣』などが印象に残っている。食用に飼っていたイルカが人間化してしまう話(『青鬼』)やら、盲目の女性の家に「犬」として住み込む居候の話(『匂衣』)など、鈴木の劇作はありえないファンタジックな設定から、笑いと現代社会へのちくりとした批判を汲み出してくるといった作風だった。『青鬼』などは再演でブラッシュアップされ完成された面白さを持っていたし、『匂衣』は新たな劇作世界への可能性を感じさせてくれた。演出においてもフィジカルシアターとしての面白さを持つものが多かった。

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劇団青い鳥「ちょっと、でかけていますので→」

◎秘密の貌との戯れ モヤモヤを携えたまま
 岡野宏文

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 悩みと言うほどの悩みはないのだが一つあるとすれば脳粗鬆症である。パニック障害にとって「ほんとうにあった怖い話」としかいいようのない医療機器MRIに、嫌だから金輪際入らないが入れば尖閣諸島でオリンピック開催してくれるんならば嫌がらせのため入るかもしれず、入ると私の脳の映像はかそけくはかなげに頼りなく映るのではないだろうか。

 誰もが苦笑いまじりにはき出す人名がおぼつかないはすでに神の域に入り、小説の登場人物の名前が分からず、誰だか分からない男が突然犯人で驚愕するのだが、人名はまだよく、存命まで不覚なので、とっくに亡くなったと思っていた私に洗面台の鏡で出くわしこの世のこととも思えなかった。
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