かいこに寄す

本年も回顧企画「振り返る 私の2005」に参加しました。
05年は「基本的には小劇場の芝居やダンス、パフォーマンスを対象にしますが、何が「小劇場」か、シリーズ公演を1本と数えるかどうかもふくめ、執筆者の判断」(北嶋氏のメール「年末回顧のお願い」より)で、記憶に残る3本を選ぶという内容です。
04年はちょっと変な実験をしてしまったので、今回は熟考して取り組みました。

以下、演劇とは違う表現や舞台以外のことから得られた示唆・発見も踏まえながら、個人的に年間を通して考えた「リズム/日本におけるドイツ年/西欧の時代劇で言われる自由」についてまとめてみました。企画の拙稿ともども、覗いていただけましたら幸甚です。

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三条会『若草物語』

小見出し
・まえがき
・原書『Little Women』原作『若草物語』と、上方歌舞伎の和事の近さ
・歌舞伎・バレエ・ミュージカルを、それぞれたらしめる可視・不可視のもの
・三条会に物語は可能か
・倫理と友情よ永遠なれ
・「発条ト」参加の音楽から浮かび上がった三条会の猛々しい魅力

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松平健 錦秋公演

※以下の文章は、公演内容にすごく言及しています。
 新鮮な気持ちで公演をご覧になりたい方、これから劇場に行かれる方はご注意くださいますよう、お願い申し上げます。河内山より

 新宿コマ劇場にはやはり、顔の大きな座長がふさわしい。
 三重の回り盆を従え丸く張り出したコマの舞台にあうのは、幅の広い顔だ。特に舞台前方で正面を向いて立った時、ワイドTV的(横に引き伸ばしたよう)に広がる舞台空間に負けない顔幅は、座長を座長たらしめる重要なファクターだといえよう。
 逆に顔が小さいと、コマ興行である必然性が希薄になってくる。そのことを確信したのが、昨年の氷川きよし座長公演であった。何かしっくりこないと思っていたら、顔が小さいのだ。もっとも客席へ視線を送る時、高齢の観客を確実に捉えゆっくりと微笑みを与える氷川の正確なアクト、また司会者を置き、氷川への賛辞とMCの段取りは任せる演出など、観るべきものはたくさんあった。

 さてブームになって久しい「マツケン」。梅田コマ劇場と博多座に続く今回の新宿コマ興行は、一部を芝居、二部を歌謡ショウに分けた近年の彼のスタイルは取られず、『暴れん坊将軍スペシャル 唄って踊って八百八町~フィナーレ・マツケンサンバ』という一つの作品を上演するかたちで行われた。

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THE DEAF WEST THEATRE PRODUCTION OF『BIG RIVER THE ADVENTURES OF Huckleberry Finn』

 ◎ミュージカル『ビッグ・リバー』 アメリカの劇団、デフ・ウエスト・シアターに見た「違い」の意識 

 観に行こうと決めた最大の理由は、健常者と聾唖者が一緒に演じるこのミュージカルについて、手話が「いわばダンスの振付になっている」と紹介している文を読んだことだ。この文だけでなく、新聞のインタビューでも似た記事があったのを覚えている。手元に原文がないので記憶で書くと、「手話をダンスにしたのですか?」という趣旨の質問をされた公演のスタッフが、そんなつもりはないのだがと困惑していた。感動!!絶賛!!の声に包まれながら主催者が微妙に困っている様子を想像すると、それ自体演劇みたいだ。

 たしかに「手話がダンスの振付になっている」は、舞台をイメージしやすそうな例えなのだが、手話とダンスどちらから考えても、その言い方は雑ではないかと思う。まずアメリカ式手話(=American sign language)は、れっきとした言語(=language)の一つだ。「手をこういうかたちにしてこう動かしたら、こんな意味になる」というように、身体の動きは最初から具体的な、決まった意味を持っているはずである。さらにそのかたちは機械的につくられ組み立てられるのではなく、感情が伴う。
 一方、ダンスは基本的に「言語を使わないという制約」(DANCE CUBE)がある。踊る身体の動きはsignとは異なり、決まった意味を必ずしも持たない。それにダンスはとても幅が広いので、現代の観客は「ダンスだけを抽出し、感情を分離させた振付」(前出リンク先より)を観て、それぞれの感受性で自由に作品を理解するという体験もできる。例外といえそうなのは、バレエで用いられるマイムだ。自分の意志や状況を説明するマイムと、手話のかたちが似る場合はあるかもしれない。が、バレエはマイムのみでは成り立たないし、いわゆる「物語バレエ」と呼ばれる作品の中にも、物語の説明に従事することから身体が解き放たれる瞬間はたくさんある。
 このようにダンスは、言語で表現できない・言語から解放された領域に深く関わる。しかし手話は言語だ。ダンスと手話には根本的な違いがある。それを無視できてしまえるのは、もしかしていっしょくたに「どちらも身体の動き」と捉えているからではないだろうか。紹介文の説明に疑問を呈するだけでは仕方がないので、道徳教育的な狙いが強い公演だろうかと若干かまえるところもあったが、とにかく観に行った。

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BATIK『SHOKU-full version』

 8月最終週の週末は、We Love Dance Festival(1)、芸術見本市とダンス関連の催しが都内各所で同時に行われた。イベントは互いにリンクしていたらしい。「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2003 受賞者公演」と銘打たれていたBATIK『SHOKU』も、芸術見本市との提携公演である。会場のトラムは大入りで、公演に寄せられた関心の高さがうかがわれた。  

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三条会『班女 卒塔婆小町』

◎タブーにつきあわない三条会  

 男優は皆スキンヘッドである。かぶると道端の石のように周りから気にされなくなるというドラえもんの道具「石ころぼうし」(てんとう虫コミックス4巻)を着用した絵にそっくりだ。三条会の『班女 卒塔婆小町』は、俳優という出たがりの人間が舞台にいて、三島由紀夫の長台詞を喋っているのに彼らの存在を消そうとするという、石ころぼうしを地で行く公演だった。

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The Godfather ゴッドファーザー デジタル・リマスター版

◎洗礼式のバッハ「パッサカリア」とコルレオーネ・サーガ、及びいくつかの所感 
 
 まだ赤ん坊だったソフィア・コッポラが出演していることで知られる洗礼式の場面は、新しくコルレオーネ・ファミリーのドンを襲名したマイケル(アル・パチーノ)が甥の名づけ親として参列する中、教会でおごそかに進んでいく。その一方でマイケルの放った刺客たちが、各地を仕切る有力者らを次々暗殺していくシークエンスも交互に映し出される。ここは洗礼を進める牧師と銃を整える刺客、宣誓するマイケルと機をうかがう刺客、違う場所で汗をぬぐうそれぞれの刺客というように、粛々と進行する二つの儀式が、画面で重なりあいながら緊張が高まっていく、映画後半の山場だ。

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