忘れられない1冊、伝えたい1冊 第8回

◎「死せる『芸術』=『新劇』に寄す」(菅孝行著、書肆深夜叢書、1967)
 西川泰功

「死せる『芸術』=『新劇』に寄す」表紙 宮崎駿監督(1941~)のアニメ映画『もののけ姫』(1997)に、タタラ場という製鉄を産業とした村が出てきます。村を治める頭はエボシという女です。宮崎はエボシについて、あるインタビューで「もの凄く深い傷を負いながら、それに負けない人間がいるとしたら、彼女のようになるだろうと思った」と語っています(ⅰ)。彼女は、理想の国を築くため、その地域を支配するシシ神と呼ばれる神を、自らの手で殺そうとするのです。他の登場人物たちは怖じ気づいて逃げ出してしまうのに。ぼくはここに、理想を実現する人物の根源にある苦悩を感じます。いきなりこんな話をするのは、この苦悩が、理想を芸術として実現するときにも生じるものだと考えるからです。
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サンプル「自慢の息子」

◎移動する主体が<まなざし>の変容を照らす
 西川泰功

「自慢の息子」 公演チラシ
「自慢の息子」 公演チラシ


 なぜ人は自慢するのでしょう。対象に愛情があり、そこに誇りを感じる属性を発見したとき、自慢したくなるとしましょう。自慢したい気持ちを心にとどめて、人に伝えないという選択肢だってあるのですが、そうせずに、人に言葉で自慢する。このとき何が起こっていると言えるでしょうか。自慢をすれば自慢の対象が他人のまなざしに晒されることになるでしょう。それは自慢が真に自慢に値するかを判定されることにもなるはずです。誰に対しても一笑にふされない自慢であるならば、なるほど自慢するだけの何かであり、それは思いきって自慢に値すると言ってもいいかもしれません。
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ままごと「わが星」

◎「現在にふれるために未来へ疾走せよ」に乗れないのはなぜか?
  ~ままごと『わが星』を批判する~
 西川泰功

「わが星」公演チラシ 第54回岸田國士戯曲賞を受賞した柴幸男作『わが星』が、三鷹市芸術文化センター星のホールで再演されました。特にツイッター上では、この作品の「褒め言葉」が溢れており、ほとんど「奇妙な」と言っていいほどのその盛況に違和感を抱かずにはいられません。ぼくは、この作品が「新しい」とも「今だからこそ」とも「気持ちいい」とも思わなかったのですが、ただ何かしら感動的なものを含んでいることは確かで、そのことについて書いておきたいと思います。そのために、感動的だと思わない要素を、ひとつひとつ捨てていきたい。ここでぼくが捨ててゆく要素に、多くの人が感動しているのだとしたら、そのことを批判したいからです。そして最後に、この作品の真に感動的だと思われることにだけ、ぼくなりの光を当て、しかしその美点をも作品自体が裏切っていることを付け加えたいと思います。
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青年団「冒険王」

「怠惰、退廃」から「真摯」へ 「世界旅行」の変容と批評性の喪失
西川泰功(学生)

「冒険王」公演チラシ2008年12月7日18時開演の青年団『冒険王』を観劇した。劇場で配布されたパンフレットに作、演出の平田オリザ氏はこう書いている。

「96年の時点で描いた70年代末の若者像は、たしかに怠惰、退廃を描写したのだ。それが12年後のいま、真摯な若者たちに見えるということはどういうことだろう。」

私は『冒険王』初見である。が、観劇するうち私のなかに湧いた思いは、この作家の問いはアクチュアルな力をもったものだ、ということだった。そのことについて書きたい。

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