TACT / FEST 2013

◎児童演劇の祭典で出会ったおとなげないおとなたちの記憶と記録
 中村直樹・小泉うめ

 2013年7月29日(月)~8月11日(日)TACT/FEST(大阪国際児童青少年フェスティバル)が大阪・阿倍野で開催されました。
 TACTとは、ラテン語で「触覚」のこと。「機転が利く」、「配慮する」という意味があるそうです。それを冠するTACT/FESTは、こども達が世界の多彩多様な表現に触れることで「機転が利く」柔軟な思考を、そしてこども達が演劇を観賞することで、周囲に「配慮する」社会性を獲得することを目的としているそうです。

 ワンダーランド・東京芸術劇場共催の劇評セミナーに参加中の中村直樹と小泉うめの二人は、なんと8月3日(土)のTACT/FESTの会場でばったりと出くわしてしまいました。2人とも参加したのはこの1日だけなのに。逆に言えば、「TACT/FESTのレビューを書け」という演劇の神の思し召しかもしれません。
 果たして、それはどんなイベントだったのか。東京で再び2人で語り合いました。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第28回

◎「ロック微分法」(渋谷陽一著 ロッキング・オン)
 永山智行

「ロック微分法」表紙
「ロック微分法」表紙

 音楽が思考のスタート地点になっている気がする。

 劇団で「水をめぐる」というシリーズの作品をつくった時に、俳優の発語の様式として、「生活言語イントネーション」なるものを試してみた。これは、語彙としては共通語のそれを使用するのであるが、その発語においては、俳優個々の普段のイントネーションを採用するというものだ。別に、郷土の言葉を大切にしたい、などという思いではなく、話し言葉の音楽性について考えてみたかったのだ。
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かもめマシーン「スタイルカウンシル」

◎ドキュメンタリー演劇としてのかもめマシーン
  夏目深雪

「スタイルカウンシル」公演チラシ
「スタイルカウンシル」公演チラシ

 かもめマシーンは不思議な劇団だ。観た後はたまらなく感動して好きだと思うのに、いざその感動を言葉にしようと思うとなかなか言葉が出てこない。新作である『スタイルカウンシル』も同じだと思った。身体性が強いから? 一種のドキュメンタリー演劇だから? そういえば、ちょっと前に観たブルーノプロデュースの『My Favorite Phantom』も同じような隔靴掻痒感を味わった。これは何か新しい批評的枠組みが必要とされているのではないか。
 かもめマシーンの(暫定)主宰である萩原雄太は1983年生まれ、ブルーノプロデュース主宰の橋本清は1988年生まれである。若い世代に、震災後新しい動きが出てきているのではないかという前提で話を進めてみたいと思う。
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カトリ企画UR「紙風船文様」

◎表すこと、現れるもの
  西尾佳織

 アトリエセンティオで2013年4月4日-7日に上演されたカトリ企画UR「紙風船文様」について、先日3人の方の書いた劇評を掲載しました(»)。今回はそれを同上演の構成・演出の西尾佳織さんにお読みいただいた上で、「応答する形で」寄稿をお願いしたものです。(編集部)

*

 私が構成・演出を担当したカトリ企画UR『紙風船文様』の公演が終わってすぐ、ワンダーランドの水牛さんから、山崎健太さん、落雅季子さん、宮崎敦史さんが今回の公演に対する劇評を書いてくださるそうだとうかがった。そして「それに応答するかたちで、作り手からの原稿を」とご提案をいただいた。舞台作品について、腰を据えた、粘り強い対話が必要だと常々思っていたので、一も二もなくお引き受けした。そしていつものパターンで、引き受けてから考え出した。「応答」ってなんだ?
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流山児★事務所公演「義賊☆鼠小僧次郎吉」

◎だれが日本を盗むのか ― 鼠小僧が消えた闇の今
  新野守広

「義賊☆鼠小僧次郎吉」公演チラシ
「義賊☆鼠小僧次郎吉」公演チラシ

 流山児★事務所が『義賊☆鼠小僧次郎吉』を上演した。安政の大地震からわずか1年2ヵ月ほど後の1857年、江戸市村座の正月興行で上演された河竹黙阿弥の『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』が原作である。東日本大震災から2年が経ったこの時期に江戸末期の泥棒芝居が選ばれた背景には、崩壊する幕藩体制と現在の日本社会の混迷を重ねる意図があったと思う。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第20回

◎「鬱」(花村萬月著 双葉社 1997年)
  中屋敷法仁

「鬱」表紙
「鬱」表紙

 姉が買ったのだろうと思う。高校時代に居間に置いてあった小説『ゲルマニウムの夜』に出会った僕は、そのまま著者・花村萬月氏の狂信者となった。
 平凡な情景描写でありながら、どこかグロテスク。過激で醜悪な場面なのに、恐ろしく美しい。愛と暴力、性、宗教、歴史、組織―あらゆるテーマを軽快なテンポと重厚な文体で描く。中毒性の高い花村文学に完全に心酔していまい、貪るように氏の作品を読み漁った。それから大学に入学してからの数年間というもの、花村氏以外の小説は読んでいない。(いや、読んでいたかもしれないが、全く記憶に残っていない)
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山下残「ヘッドホンと耳の間の距離」

◎広がりゆく、コレオグラフ
 中野三希子

「ヘッドホンと耳の間の距離」公演チラシ
公演チラシ

 山下残の作品は、訳が分からない。ある程度はもう覚悟ができているので、まずは我慢する。全力なのか適当なのか分からないシーンの連続に、そろそろ何か展開があるのではないかとつい期待する。期待は裏切られて、わりと何も起きない。のに、目が離せない。何も起きていないフリをして何かが起きているからだ。そして、訳が分からないフリをして、そこで起きていることは実はまぎれもない「ダンス」なのである。そう気付いて、嬉しくなってしまう。
 『大洪水』『庭みたいなもの』に続き、STスポットと山下の3作目の協働となった『ヘッドホンと耳の間の距離』。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第13回

◎「日本凡人伝」(猪瀬直樹著、新潮文庫)
 中井美穂

「日本凡人伝」表紙
「日本凡人伝」表紙

 猪瀬直樹さんの『日本凡人伝』は雑誌『STUDIO VOICE』に連載されたもので、大学生だった80年代の後半、とても好きな読み物でした。後に単行本・文庫になりましたが、続編も出ています。猪瀬さんは、若い方たちには東京都副知事のイメージが強いかもしれませんが、当時はもっと尖がった社会派ジャーナリストの印象がありましたね。
 インタビューものなんですけど、相手は著名人ではなく一般の社会で働く人たち。今でこそ、そういう本もけっこう出ていますが、あの頃は、誰にも知られない普通の人に話を聞くというのが新鮮でした。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第11回

「プロセス 太田省吾演劇論集」(太田省吾著、而立書房、2006)
 西尾佳織

「プロセス 太田省吾演劇論集」表紙
「プロセス 太田省吾演劇論集」表紙

 遅いテンポと沈黙劇で知られる、太田省吾の演劇論集である。1975年、1980年、1988年に出版された三冊の演劇論集が収められている。私は太田さんに会ったことも、作品を生で見たこともないけれど、この人はきっと恐いくらい誠実で厳しい人だったに違いない、と読むたび思う。語られている内容以上に、語る口調にハッとする。読んでいる私が見られている気がする。ベッドで読むと寝てしまう。ってそれ、全然ハッとしてないじゃないのと言われそうだが、なんだか、だららんとは読めないのだ・・・。
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国際サーカス学校「旅する道化師と大道芸人たち」

◎70日間全国巡演で広がった輪 放射能汚染で休校中に
 西田敬一

サーカス学校所在地
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 旅にでた。
 群馬県みどり市東町沢入という、渡良瀬川の上流に位置する中山間部の村落。この地で廃校になった小学校を借りて、10年以上も若いアーティストを育ててきた沢入国際サーカス学校は、福島第一原発の巨大事故による放射能汚染の影響で、休校という道を選んだ。今も、世界中に放射能をばら撒き続けている福島第一原発から、栃木県との県境にある、沢入という自然豊かな山間の部落までは、直線距離にして170キロもあるにもかかわらず、汚染除去地域に指定されるほどの放射能を帯びさせられたのである。
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