ダンスボックス「≒2」(エイブルアート・オンステージ)

◎豊かな混沌にいざなう表現へ エイブル・アートの出会い、共鳴、可能性
鈴木励滋(舞台表現批評)

「≒2」公演チラシ入り口反対側の奥まったところにあるトイレの方から強い照明が差し込み、ロビーに集い談笑していた人々は静まりかえり視線を送る。そこから大音量で音楽が流れてきて、光の中から現れた車椅子に腰掛けた女(山村景子)の手に抱えられたラジカセが音の源のようである。

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急な坂スタジオ「ラ・マレア横浜 (下)

横浜・吉田町を舞台に10月3日-5日の3日間、「ラ・マレア横浜」と呼ばれる街頭パフォーマンスが繰り広げられました。アルゼンチンの劇作家・演出家の作品を、日本人の俳優をオーディションで選んで上演する国際企画です。(上)で3編紹介しましたが、(下)ではさらに2編を掲載します。(編集部)

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風琴工房公演「hg」

◎加害/被害…二元論の先へ
 鈴木励滋

 障害がある人たちが過ごす施設の現在を描いた二場冒頭、およそ50年前のチッソ水俣工場内を舞台とした一場で工場長や付属病院長を演じた俳優が、水俣病患者として登場したという仕掛けは、少なからぬ観客を当惑させたに違いない。その仕掛けが意図していたのが転生、つまり彼らに業を負わせるためのものであったとすれば、障害者が因果応報によって生まれるというえらく古い曲解に基づくこととなり、はたまたそれが罪に対する罰を表していたとしたら、障害そのものが悪であるということになってしまうのだから。

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時間堂「三人姉妹」

◎リボンをほどいて進み出る 「絶望に酔わず、希望に溺れず」の覚悟
鈴木励滋(舞台表現批評)

「三人姉妹」公演チラシ奥行きがあり細長い劇場の空間の両側に席が二段ずつ作られている。挟まれるように少し高くなった長方形の舞台。席と舞台の間には溝のように通路ができている。
談笑しながらひとり、またひとりと俳優が現れる。観客に視線を送り、会釈する者や言葉をかける者もある。オブジェのように組まれていた箱や棒を配置していくとテーブルと椅子、そして二つの入り口となった。各々発声をしつつ呼吸が整っていき、隊列を組み、深呼吸。踵や棒で床を鳴らしリズムを整えて行進が始まる。テーマ曲をハミングしながら暗めの照明の中、厳かな隊列は軍隊というより葬列である。

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青年団「隣にいても一人」

◎それでも誰かが隣にいる 平田オリザ流不条理劇
鈴木励滋(舞台表現批評)

▽「夫婦になる」とは

「隣にいても一人」公演チラシある朝、目を覚ますと昇平とすみえは夫婦になっていた。
高校で非常勤講師をしつつ小説家を目指す昇平と看護師のすみえは旧知の間柄である。昇平の兄で会社勤めをする義男とすみえの姉で国語教師の春子は別居中でありながらも、良子という子どももいる夫婦なのであった。

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