ラ・スフルリー劇団「綿畑の孤独の中で」(ベルナール・マリ=コルテス作)

◎逃げ場のない関係性に陥った人間を描く 他者の他者性に漸近する現代劇
大岡淳(演出家・批評家)

「Shizuoka 春の芸術祭2007」パンフレット『綿畑の孤独の中で』は、フランスの劇作家ベルナール=マリ・コルテスの代表作として我が国でも知られているが、実際の上演に触れる機会に乏しい私たちにしてみれば、この特異な戯曲に相応しい演出がどのようなものかについては、なかなか想像がつかないというのが正直なところではないか。しかしこのたび来日を果たし、「Shizuoka春の芸術祭2007」にエントリーしたラ・スフルリー劇団による公演『綿畑の孤独の中で』は、ともすれば難解なダイアローグの連続とも見えるこの戯曲を、明快なスタイルと強烈なインパクトを備えた芝居に仕立て上げたという点で、意義深いものであった。

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ピッポ・デルボノ・カンパニー「戦争」「沈黙」

◎<特異な俳優たち>が芸術と生の壁を爆破する(下)
芦沢みどり(戯曲翻訳家)

「Shizuoka 春の芸術祭2007」パンフレット雨中観劇の巻

「戦争」を観終わった時、外は雨が降り出していた。どうやら天気予報が当ってしまったらしい。もう一つの演目「沈黙」は野外劇場で夕方7時半の開演である。それまでに雨が上がらなかったら、雨の屋外での観劇ということになる。どういうことになるのやら見当もつかなくて、通りがかったスタッフに尋ねると、みんなでビニール合羽を着て観劇しますという返事。「これがけっこう盛り上がるんですよ」という明るい声に励まされて、芸術センターそばの「ジョナサン」で本を読みながら時間を潰すことにした。晴れていれば劇場のある公園を散策することもできただろうに・・・。

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ピッポ・デルボノ・カンパニー「戦争」「沈黙」

◎<特異な俳優たち>が芸術と生の壁を爆破する(上)
芦沢みどり(戯曲翻訳家)

「Shizuoka 春の芸術祭2007」パンフレット静岡県舞台芸術センターでは2007年4月に芸術総監督が鈴木忠志から宮城聰に交代した。新芸術総監督は初企画となる「春の芸術祭」に16演目を用意したが、そのうちの10作品は海外からの招聘だった。イタリアのピッポ・デルボノ・カンパニーもその一つである。筆者が静岡県舞台芸術センターへ足を運ぶのは、じつはこれが初めて。イタリアからやって来たカンパニーをわざわざ新幹線に乗って観に行くのである。どうせならと、このカンパニーが持ってきた2つの演目を一日で観ることができる日を選び、ちょっとした旅行気分で新幹線に乗り込んだ。2つの演目とは「戦争」と「沈黙」。「戦争」は屋内の静岡芸術劇場(客席数350)で、「沈黙」は野外劇場の「有度」で上演された。

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岩渕貞太×清家悠圭「yawn」

◎瑞々しくて強くてカラッとした運動
木村覚(ダンス批評)

「yawn」公演チラシ
撮影=ニーハオ・のんのん

からだをおもちゃにして踊る。ぼくの夢にみる光景。よく聞く表現ではあるが、実際のところ、まず舞台上でお目にかかれない幻。
いや、優れたパントマイマーや教育番組での森山開次やロボコップのコロッケとか、いるでしょ? 巧みなコントロールで色んなものに変身しからだをおもちゃにするテクニシャンが、というひともいるかも知れない。うん、それはそう、彼らのテクニックについうなる自分がいるのは事実。それはそれで嫌いじゃない。

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ヨン・フォッセ作「死のバリエーション」

◎夢幻能の世界観も感じさせる戯曲 時間、空間の交錯を具象化する演出
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「死のバリエーション」公演チラシ現代ノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセの戯曲は、抽象度の高い詩的言語でつづられており、難解であるという。果たしてそうであろうか。5月にシアタートラムで上演されたフォッセ作の「死のバリエーション」を観て、私は全く難解だとは思わなかった。むしろ、凡庸なくらい、わかりやすい芝居ではないか、と拍子抜けがしたくらいである。

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野田地図「THE BEE」(日本バージョン)

◎見切れが生み出した舞台の陰と陽 何を見せられ何を見せられなかったか
鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰/脚本家/演出家)

「The Bee」公演チラシ見切れという演劇用語がある。僕の愛読書「きれいなお姉さんのための演劇用語辞典」によると、「俳優の演技や舞台装置が客席から見えない状態になっていること」、と書いてある。不思議である。観客が舞台を見ていても、見えない状態。つまり、演出家に隠されている状態。それが見切れ。まあ、暗転だけで場面転換のないリアル系演劇の、具象的な舞台美術なら、セットがしっかり建て込まれている分、隠せる場所もたくさんあるから、とりたてて見切れに注目することもないのだが、抽象的でシンプルな舞台美術だと、話は変わってくる。例えば、野田秀樹の「THE BEE 日本バージョン」。巨大な紙が一枚、天井から吊るされている、ただそれだけの舞台美術。そこには、どんな見切れがあったのか。演出家によって何が隠されていたのか。観客は何を見せられ、何を見せられなかったのか。一枚の紙が生み出した舞台の陰と陽をレポートしたい。

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岡田利規 × 中野成樹「チェルフィッチュ、世界的超感染力のゆくえ」

◎自分が使ってる言葉と、生活している動きを肯定的に提示したい
高野しのぶ(「しのぶの演劇レビュー」主宰)

アートカフェvol.7チラシ2007年5月に代表作『三月の5日間』の海外ツアーを行った、チェルフィッチュの岡田利規さんを迎えた「ポスト海外ツアートーク」に伺いました。聞き手は中野成樹さん(中野成樹+フランケンズ)。仲良しのお2人の歯に衣着せぬトークに笑いながら、岡田さんがパリとブリュッセルの舞台芸術業界に触れて、「いま思うところ」を聞かせていただきました。
岡田さんと中野さんが話された言葉を、なるべくそのままにご紹介することを心がけたレポートです。

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観客参加型のC.T.T.活動が根付く

 C.T.T.(Contemporary Theater Training)という現代演劇の試演企画が10年あまり前から京都で実績を重ね、今年から名古屋でも地元演劇関係者の手で始まりました。いきなり本公演を開く前に、演劇愛好者の前で開く試演会+合評会という形態のようです。小劇場の各団体が集団で組織する観客参加型ワーク・イン・プログレスという点に特色があるかもしれません。名古屋のほか、広島にも活動の輪が広がっているようです。
 ハンドルネーム「しおこんぶ」名で演劇ブログ「観劇の日々」を運営している柿内幹さんに、名古屋で始まったこの新しい活動に関して寄稿していただきました。

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タテヨコ企画「ムラムラギッチョンチョン」

◎複雑な状況を乗り越えることこそ修行 心満たされる舞台に
扇田拓也(ヒンドゥー五千回代表)

「ムラムラギッチョンチョン」公演チラシタテヨコ企画「ムラムラギッチョンチョン」を下北沢・駅前劇場にて観た。
作品を通して描かれている人間臭さが実に心地よい、優れた作品だったと思う。私はタテヨコ企画の観劇が初めてだったが、観終わって深く感じたのは「人間とは、許す生き物なのかも知れない」ということだった。
生きてゆく上で人は過ちを犯し、その犯した過ちを自ら許し、成長しながらもまた過ちをくり返す。人間とはそういうものなのかも知れない、そんなことを思ったのだ。

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ポかリン記憶舎「息・秘そめて」

◎方法論と内容が一致した幸福な舞台 おおらかな「笑い」に開放感
松井周(サンプル主宰)

「息・秘そめて」公演チラシポかリン記憶舎の「息・秘そめて」(作・演出:明神慈)を観た。
ポかリン記憶舎の作品は元々独自の世界を形成していて、「地上3cmに浮かぶ楽園」と名付けられたその世界は、日常と非日常の間のぼんやりした「あわい」の世界である。日常の喧噪がシャットアウトされた中で、着物美女がたゆたう様は、男性の視点で言えば(その視点は意識されているように思うので)、新しいリラクゼーションスポットのような「癒しの空間」を創り出していた。しかし、今回の作品にはそれだけでなく、おおらかな「笑い」が組み込まれていたように思う。このような変化がいつ頃から起こったのか、近作を観ていない私には判断できないのだが、少なくとも今作品においては、それが成功しているように思えた。

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