鴎座クレンズドプロジェクト02「浄化。」

◎「浄化。」されるわたし
關智子

「浄化。」公演チラシ

 「わたしは強烈な力であの人の中に投影されており、ひとたびあの人を欠くとなると、再び自分を捉えることも、とり戻すこともできなくなる。わたしは永遠に失われてしまうのだ。」

 この言葉はロラン・バルト(Roland Barthes)が『恋愛のディスクール・断章』(Fragments D’un Discours Amoureux, 1977. 三好郁朗訳、みすず書房、1980年)における「破局」の項で述べたものである。この本は、『浄化。』の戯曲である『洗い清められ』(Cleansed, 1998. 近藤弘幸翻訳。以下敬称略)を書いた際に作者のケイン(Sarah Kane)自身が影響を受けたと述べており、作品の主題である精神的限界状態としての愛を表象するために参照していたとされる。この『浄化。』では、このバルトの言葉にあるような状態が上演の中で描かれると同時に、それは作中の登場人物だけではなく観客までも巻き込もうとする力強い、挑発的な試みが見られた。
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あうるすぽっと・豊島区「おやすみ、かあさん」

◎邪悪
 杵渕里果

「おやすみ、かあさん」公演チラシ 『おやすみ、かあさん』(‘Night, Mother)は、1983年ピューリッツア賞受賞の戯曲。
 「アラフォーおんなが自殺するはなし」というと「やたら暗い」けど、現代演劇に「自殺」がからむのは、『セールスマンの死』、『動物園物語』、『欲望という名の電車』…あんがい忌み嫌われてもないみたい。
 「自殺」をめぐる葛藤は、健康な人でも…というか、そのカラダがそのカラダを殺せるくらい健康なカラダの人なら、窮状から消え去る手段としての「自死の誘惑」に襲われうるワケで、とりたてて異常なものではない。
 なのに「自殺」がらみの葛藤は、まずその本人が隠すし、遺族も黙って抱えこんでヒミツにすることが多いから、外からはその存在じたい見えにくい。そんなふうに隠しこむ風習のためますます人は、孤独のドツボに落ちてゆく。
 でも演劇にしてさしだせば、「特定の誰かの死」から離れたかたちで「自殺」についてコミニケーションする契機にできる。多くの力ある劇作家が「自殺」を好んで描いてきたのは、「演劇」という制度を最大限活用させられるテーマだから、なんだろう。
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「激情コミュニティ」と「十七戦地」 2月のクロスレビュー挑戦編

 クロスレビュー挑戦編の2月公演は、次の2本を取り上げることになりました。
・激情コミュニティ「つぎ、待ち」(2月2日ー5日、日暮里 d-倉庫)
・十七戦地「百年の雪」(2月23日-27日、王子小劇場)

 1月を休んだので今回は、2012年の第1回クロスレビューです。
 レビューは★印による5段階評価と400字コメント。締め切りは公演最終日の翌日です。 本名と職業を載せますが、そのほかに条件はありません。公演を見た人はだれでも応募可能です。

 次回3月対象公演の募集中です。締め切りは2月15日(水)です。
 クロスレビューは、舞台のさまざまな見え方を知る好個の機会です。レビューの評者何人かを主催者側が指名できる仕組みになっています。リスク含みですが、挑戦の価値はありと思います。ご検討ください。(編集部)
 詳細は、次のページをご覧ださい。>> クロスレビュー挑戦編 応募要項


青年団「ソウル市民 五部作」

◎差別を描くとはどういうことなのか
 高橋宏幸

 平田オリザの代表作の一つ、『ソウル市民』が5部作となって上演された。『ソウル市民』、『ソウル市民1919』、『ソウル市民 昭和望郷編』、『ソウル市民1939 恋愛二重奏』と4作目までが、30年以上にわたる日本が朝鮮を統治した時代を10年ごとに描いている。5作目は、タイトルが『サンパウロ市民』とあるように、戦時期を背景に、サンパウロへと移民した日系人の一家を舞台にしている。

 場所や時代は違っても、基本的にすべての作品に共通するのは、ある日本の一家の何気ない日常生活のなかに潜む、差別意識を浮かび上がらせることである。それが4作目までは朝鮮人であり、5作目は先住民への差別意識となる。
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青年団「ソウル市民 五部作」

◎耽溺と覚醒? 〈唄〉をめぐるアンビヴァレンス
 プルサーマル・フジコ/藤原ちから

 生まれる土地を選ぶことはできないけども、生きていく土地を選ぶことならできる。そう思いつつも、実際はそう簡単に移住できるものではないけどねー、とゆう実感は今では広く共有されつつあるのではないだろか。仮にえいやっと思いきって新天地を求めたところで、いろんな摩擦に晒されるのは避けられない。ぬぐえない。泥まみれの人生だ。おまけにそこに放射能まで加わっている。

 2011年、移民とゆう選択肢はわたし(たち)にもそれなりにリアルなものとして突きつけられた。その壊滅的な年の秋に、〈ソウル市民五部作〉は2本の新作を含む一挙上演とゆう形で東京・吉祥寺シアターでお披露目となった。ある意味、移民の話である。日本列島本土を離れてソウルに移り住んだ豪商・篠崎家を数世代にわたって描いた歴史クロニクル。いつもの青年団の芝居と同じくただ日常が進行し、特に大事件が起きるわけでもないのだが、手品師や臆病な相撲取り、はたまた偽・看護婦や偽・ヒトラーユーゲントまでもが次々やってくるので、篠崎家の女中たちはお茶を出すのに大忙し、てんやわんやとなっている。
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イキウメ「太陽」

◎「象徴など、何もつかってはいない。」
 阪根正行

「太陽」公演チラシ 何かが違っていた。イキウメの新作公演『太陽』を観劇したのは日曜日だった。この週の月曜から土曜まで工場での夜勤生活を送っていた。朝日が眩しいなか帰宅し、カーテンを閉めて床に就く。日がすっかり沈んだ午後6時頃目覚め、また工場へと向かう。そんな毎日を過ごし、昼夜がひっくり返った状態のまま劇場へ向かった。確かに私自身がいつもと違っていた。しかし、違っていたのはそれだけではなかった。
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ITI/UNESCO日本センター「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」

◎視界に入らないものの世界
 林英樹

「動乱と演劇」公演チラシ 2011年12月2日から4日まで東京神楽坂のイワト劇場で、3大陸3戯曲のリーディングとシンポジウム、トークによる「動乱と演劇」が開催された。

 この企画はITI(国際演劇協会)日本センターが制作する「紛争地域から生まれた演劇」のシリーズ3回目となるものである。ユネスコ傘下の国際NGOであるITIは、近年のユネスコの大テーマ「芸術と平和構築」を受ける形で、ITI各国センターが「紛争地域の演劇」をテーマに活発な活動を行っているが、日本センターもこれに呼応する形で本企画を開始したというものである。シリーズ第1回(2009年)は「バルカン半島」、第2回は「中東-パレスチナ・トルコ」を取り上げ、第3回は、それまでの流れを継承しつつ、特定の地域に限定せず、時代とそのときどきの社会体制とが引き起こす軋轢や個人に与える過酷な現実を扱った作品を取り上げることとなった。
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ユニットえりすぐり「乙女の祈り」

◎乙女のあいのり
 岡野宏文

「乙女の祈り」公演チラシ
「乙女の祈り」公演チラシ(表)

 乙女の祈りとはなんだろう。いや、それではいい方が違う。正確に言えば、祈っている乙女とはいったい誰だろうとどなたかにたずねたいのだ。
 乙女なるものの祈りときた日には、憧れと絶望が猛烈に混濁して、クラインの壷のように胸中をでんぐり返っているのではあるまいかとわたしには思える。
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