KAAT×五大路子「ニッポニアニッポン~横浜・長谷川伸・瞼の母~」

◎悲しみへの愛着
 岡野宏文

kaat_hasegawa0a 私は子供の頃、たいした映画少年だった。生家の向こう三軒あたりに小さな映画館があって、日曜日になると、守をするのも邪魔くさかったのか、十円玉を三つほど握らされては、追い出されるようにして、スクリーンばかりが明滅する心地よい暗闇の中へ潜り込んだ。
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新国立劇場「テンペスト」

◎テンペスト、希望の婚礼
 鉢村優

【新国立劇場「テンペスト」公演チラシ】
【新国立劇場「テンペスト」公演チラシ】

 シェクスピア最後の戯曲。彼が長い劇作の末に行き着いたのは、理性で感情を制し、他者を赦す人間の気高さを称えることである—テンペストをしてそのように語る人は多い。しかし演出を手がけた白井晃は、そこではない何かを見つめていた。

 実の弟の奸策によってミラノ大公の地位を追われ、娘と二人、絶海の孤島に追放されたプロスペロー(古谷一行)。彼は魔術を身につけ、空気の精エアリエル(碓井将大)を従えて妖精を操る。プロスペローは嵐を起こして船を難破させ、彼の政敵を孤島に集めた。いまやミラノ公となった弟ゴンザーロー(長谷川初範)、共謀してプロスペローを追放したナポリ王アロンゾー(田山涼成)とその従者たち。彼らはプロスペローの魔術に幻惑され、おびえて逃げ惑っている。一方、父王とはぐれたナポリ王子ファーディナンド(伊礼彼方)は、プロスペローの娘ミランダ(高野志穂)を一目見て恋に落ちる。ミランダはやさしさと好奇心にあふれ、目を輝かせている—。
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DULL-COLORED POP「アクアリウム」

◎1982年生まれのレイアウト水槽
 小泉うめ

「アクアリウム」公演チラシ
「アクアリウム」公演チラシ

 1997年「神戸連続児童殺傷事件」(当時14歳)、2000年「西鉄バスジャック事件」「岡山金属バット母親殺人事件」(当時17歳)、2008年「秋葉原通り魔事件」(当時25歳)、2010年「取手駅通り魔事件」(当時27歳)、これらの事件の犯人は、いずれも「1982年度生まれ」という共通点を持っている。
 更に2013年に「パソコン遠隔操作ウィルス事件」(31歳)が起こり、再び世間を騒がせた。この事件では、容疑者が「1982年生まれ」が大きな犯罪を起こし続けてきたことを意識していたとも供述している。
 DULL-COLORED POP主宰・谷賢一は、これらの事件の犯人とされる者たちと同じ「1982年生まれ」である。

 決して、約150万人いる1982年生まれの全てがそうだということではない。だが、世間は継続して彼らを「キレる世代」と評してステレオタイプ化して扱ってきた。
 この作品で表現されたのは、それらの事件の犯人の異常性ではなくて、むしろそのような犯人と同類として括られて見られた者たちの心に生じた苛立ちと、同時に「ひょっとしたら自分もそうかもしれない」という自己への疑いである。
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die pratze/寺山修司「青森県のせむし男」フェスティバル

◎いかに「青森県のせむし男」は料理されたか?
 芦沢みどり

aomoriken0a 寺山修司が亡くなって今年で31年。この固有名詞は一定の年齢以上の人にとって、ある時代を思い出させるなつかしさに満ちているのではあるまいか。60年代の初めに「家出のすすめ」といういささか物騒なキャッチフレーズで登場して以来、たちまちメディア(当時はマスコミ)の寵児となった寺山修司は、歌人・放送作家・劇作家・演出家・映画監督・競馬やサブカルの評論家、その他あれやこれや。怪人二十面相みたいに(市川浩・三浦雅士『寺山修司の宇宙』)多方面で活躍したこの多面体の才能は、60年代から70年代を一気に駆け抜け、80年代の初めに47歳でこの世を去った。
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大池企画「MOTHER II」

◎他者や関係性に変化を
 橋本清

mother2_0a 一枚のカードがあった。
 定期乗車券ほどの大きさのそれには、《双葉》を模したと思われるデザインのロゴが黒インキで小さく、左下角にプリントされている。二枚の葉の左側には、葉脈の代わりに、子葉の輪郭に合わせた二つの同心円が《瞳》のマークを形作っている。これから成長してゆく、という意味合いで《芽》とかけたのであろう。—《観ることが、育てること》のフレーズでおなじみの《こまばアゴラ劇場支援会員》のロゴだ。会員証の提示で、こまばアゴラ劇場、アトリエ春風舎での公演、その他の会場でのこまばアゴラ劇場主催・提携公演を観劇可能(*1)となるこの支援制度に、昨年秋、新たに《アーティスト会員・プロデューサー会員》が設置された。作り手が劇場へ通う機会を—ということで応募してみることにした。有り難いことに対象者に選ばれた。私事だが、自分の主宰する劇団の公演中止、活動休止などの問題と重なった時に、その会員証にずいぶんと助けられた。—正直言えば、観劇数は少ない。が、それでも、演劇とどう向き合っていいか精神的混乱に陥っていた時期、その何度でも使えるカードが自分にとって大きな支えになった。こちらに向かって《いつでも劇場においでよ》と、気さくに話しかけてくれているような気がしたのだ。そして、『MOTHER II』(@アトリエ春風舎)に出会えた。
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【レクチャー三昧】2014年7月

今月も魅力的な催しが沢山あるのですけど、どうにも開始時間が早くて「一般」の勤め人には間に合いそうにないのが無念です。大学の授業に組み込まれているのを公開して下すってる場合などは是非もないのですが。
(高橋楓)
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劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン」

◎物語のけじめと感動する責任
 金塚さくら

劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ
劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ

 木が一本立っている。骨ばって寒々しい、いかにもゴドーを待ちそうな木だ。ほとんど枯れたような枝に、申し訳ばかり三枚の葉がへばりついているが、この葉も開幕十秒ですべて風に吹き飛ばされて、物語の間中、木は丸裸のまま観客にさらされる。

 東京乾電池公演『そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜』の会場にて、舞台上に立つこの木を目にし、「いかにもゴドーを待ちそうだ」と思った瞬間はたと、私は自分がこれまでに一度も『ゴドーを待ちながら』の舞台を観たことがなく、あまつさえ戯曲すら読んだことがなかったのだという事実に気がついたのだった。
 さらに言うと、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』は確かにかつて読んだはずだが、マザーグースの『十人のインディアン』の歌詞に見立てた連続殺人、という以上のディティールを問われると目が宙を泳ぐ。関係者全員が犯人——だったのは何か急行列車の話のはずだ。
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連載「もう一度見たい舞台」第5回

◎演劇集団キャラメルボックス「スキップ」
 片山幹生

 2003年の9月末、フランスに留学中だった私は心筋梗塞で入院し、手術を受けた。フランスの大学で博士課程の一年目に取得可能な学位であるDEA(専門研究課程修了証書)の論文を提出した直後だった。学位取得後、この年の12月に帰国。医学的他覚所見では順調に回復していると医者からは言われていたのだが、30代なかばで思いもよらぬ大病に襲われたショックは、自分が思っていた以上に心身に大きなダメージをもたらしていたのか、結局、一年間ぐらいは体調が思わしくなく、外出もままならぬ状態が続いた。
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流山児★事務所+楽塾「寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~」

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「寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~」公演チラシ

◎おばさまたちの「女の平和」
 北野雅弘
  
 流山児★事務所と、流山児が塾頭を務める「楽塾」の合同公演、『寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~』を見た。小屋は彼らの本拠であるSpace早稲田だ。「楽塾」は流山児が1998年に、同世代の普通の人々と一緒に演劇を作りたくなって、地域の人々に呼びかけて作った劇団で、今回は平均年齢六十代の「楽塾」の「普通のおばさん女優」(パンフ)たちに流山児★事務所の俳優たちが絡む。
 
 『女の平和』は、紀元前411年、スパルタとのペロポネソス戦争の末期に、多くの犠牲者を出し、敗北の予感が立ちこめていたアテネでアリストファネスが上演した喜劇だ。そこでは戦争を止めさせたい女たちが、アクロポリスの城壁内に立てこもり、セックスストライキをする。男たちは城壁への突撃を試み、また、女たちの説得のために手だてを尽くすが、結局は性欲に打ち勝てず、女たちの要求をのみ、最後はスパルタとの和平と平和の祝祭で終わる。
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範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」

◎劇評を書くセミナー 東京芸術劇場コース2014 第1回 報告と課題劇評

stage41987_1 5月から始まったワンダーランド「劇評を書くセミナー 東京芸術劇場コース2014」。第1回で取り上げたのは範宙遊泳の「うまれてないからまだしねない」、講師は劇作家・演出家・批評家の大岡淳さんでした。大岡さんは劇評の構成とバランスの問題についてふれた後、各課題原稿を講評。一人一人に狙いや意図を聞くなどして進められ、休憩なしの2時間半でした。提出された16本の原稿のうち、了解の得られたものを掲載します。(編集部)
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