革命アイドル暴走ちゃん「騒音と闇 ドイツ凱旋ver.」

◎変わらないこと、変わったこと
 水牛健太郎

 二階堂瞳子が主宰していたバナナ学園純情乙女組(以下、バナナ学園)が公演中のトラブルにより、活動を休止したのは2012年の末のこと。それから1年9か月を経て、「革命アイドル暴走ちゃん」(以下、「暴走ちゃん」)なる新団体を率いて二階堂が東京に戻ってきた。ドイツで公演を成功させて戻ってきたという触れ込みだ。公演では「逆襲」という言葉も使われており、バナナ学園のリベンジ戦という位置づけを、堂々と打ち出している。
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バック・トゥ・バック・シアター「ガネーシャVS. 第三帝国」

◎問われる境界と私たちの慣性―演劇、障害、好奇、当事者性を架橋するメタシアター
 水谷みつる

 アイディアは、そして作品は、誰のものか? 誰が意見を言い、誰が決定を下すのか? そこにあるのは支配と搾取なのか? 彼らは演じさせられているのか? 演じているのか? そもそも演じるとは何か? リアルとは? フィクションとは? 稽古場で起こる本気のぶつかり合いが台本に組み込まれ、繰り返し演じられる時、その演技は「リアル」なのか? 「障害者」「健常者」とどちらも一括りにされがちな人々のなかに否応なく存在する多様性/差異は、グループの関係性に何をもたらすのか? 「できる」「できない」が両極とそのあいだのリニアなグラデーションではなく、複雑に絡み合い、時に反転さえするものだとしたら、互いの役割もまた揺らぎ、交換され、共有されるものではないのか? そして、それら一部始終をあちら側で見ている観客こそが、好奇の目で覗き見し、果実を掠め取っていく簒奪者ではないのか? いや、それとも…?
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Asia meets Asia「Unbearable Dreams 8 Somewhere」

◎アジアという「もの」
 高橋宏幸

チラシ アジア・ミーツ・アジア(Asia Meets Asia)という、アジアとアジアが出会うとは何か、という問いを、舞台を通して行っている団体がある。1997年に始まって以来、それは継続的に、アジアのさまざまな地域の、そのなかでもとくにインディペンデントで、体制に迎合せず、ポリティカルなイシューを作品に取り混んでいる、といくつも言葉を足すことができる集団の作品を招聘して、フェスティバルを開催していた。
 もしくは、それらの劇団のパフォーマーたちを集めて、コラボレーション作品を作っている。そして、いくつかのアジアの地域を、その作品でツアーする。ただ、ここ最近は、かつてに比べれば規模自体は小さくなり、日本の演劇ギョーカイのなかで見てしまえば、マイナーな流れとなっている。
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笑の内閣「福島第一原発舞台化計画~黎明編~超天晴!福島旅行」
地点「光のない。」
フランソワ・シェニョー&セシリア・ベンゴレア「TWERK」

◎あなたたちとわたしたち――KYOTO EXPERIMENT 2014報告(最終回)
 水牛健太郎

 KYOTO EXPERIMENT最終日19日も京都はもったいないくらいに晴れた。この日は回る場所も多く、自転車に乗った。午前から夜まで、京都を北から南まで。最高の一日になった。
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地点「光のない。」
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【レクチャー三昧】2014年11月

 毎年この時季はフェスティバル/トーキョーも重なり多忙をきわめます。このページで紹介しきれない分は【レクチャー三昧】カレンダー版に掲載致しました。皆さまお身体に気をつけてお過ごし下さい。(高橋楓)
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はえぎわ「ハエのように舞い 牛は笑う」

◎松花堂弁当のように舞い、プルコギは笑う
 岡野宏文

「ハエのように舞い」チラシ 魚をすなどる投網のように、三つの注意事項が必ず開幕の前にお客に投げかけられます。

 その一、携帯電話を殺すこと。
 その二、録音録画の禁止。
 その三、飲食の御法度。

 僕にとっての最大の問題は飲食です。許したからといって飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが客席でおっぱじまるとは劇団側もまさか思ってはいないでしょう。せいぜい場違いに煎餅などガリガリとかじり出すやつが発生するくらいが関の山だと思います。しかし、ものを食べながらなにかを見る楽しさは、映画館のポップコーンを考えるとき、一舌瞭然なんであります。なにも名画「無法松の一生」でかの阪妻が枡席でくさやを焼いて鼻つまみになる、そんなひそみにならってご託を並べているわけではありません。僕はごく慎ましく、松花堂弁当を食べながら「ライオンキング」が見たい。ごくごくひたむきに、冷やし狸を食しながら蜷川幸雄だって見たいし、めっぽういたいけに、モスバーガーを頬張りながら野田秀樹を見つつ手がベタベタにさえなりたいと焦がれているわけです。
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三野新「Prepared for FILM」

◎Prepared for FILM
 山崎健太

はじめに

チラシ 三野新構成・演出によるパフォーマンス作品『Prepared for FILM』はサミュエル・ベケット唯一の映画作品『フィルム』の翻案であり、同時にタイトルが示す通り、これからベケットの台本に基づいて『フィルム』を撮影する者たちのために「準備されたprepared」ものとして構想されている。ゆえに、『Prepared for FILM』という作品は『フィルム』「以降」と「以前」とに同時に位置することになる。
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ルイス・ガレー「メンタル・アクティビティ」
木ノ下歌舞伎「三人吉三」
番外 She She Pop アーティストトーク

◎モノの魂――KYOTO EXPERIMENT 2014報告(第3回)
 水牛健太郎

 私が京都に行ったのは11日(土)、台風19号はまだ沖縄にあり、京都は気持ちよく晴れていた。これまで3週、雨には一度も降られていないのはありがたい。
 今回、諸事情により予算を切り詰めており、来週も含め4週とも宿泊はなく、滞在は1日きり。食事は基本カロリーメイトだし、観光らしいこともしていない。空き時間は公園などで本を読んだり、原稿を書いたり。これはこれで、後々懐かしく思い出すような気がして、しみじみとした幸福感を味わっている。
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村川拓也「エヴェレットゴーストラインズ」
ルイス・ガレー「マネリエス」
She She Pop「春の祭典――She She Popとその母親たちによる」

◎隠すほど現れるもの――KYOTO EXPERIMENT 2014報告(第2回)
 水牛健太郎

 京都行の高速バスではせいぜい4~5時間しか眠れず、午前中梅小路公園で仮眠を取ろうとしたが、読んでいた本が面白すぎてうまくいかなかった。観劇中に寝てしまうのではと心配したが、この日3演目とも一瞬も眠くなることがなかったのだから、この週の演目がいかに充実していたかということだろう。どういうわけか3演目とも女性演者が上半身裸になる場面があったので、そのせいもあるかもしれない。一昨年だったか、海外演目で男性演者がやたらと男根を露出した年があったが、こういうのをシンクロニティと言うのだろうか。たぶん違うと思うが。
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ダンカン・マクミラン「The Forbidden Zone」ザルツブルク音楽祭演劇公演

◎通りすがりのザルツブルク、「きっかけ」としてのスペクタクル
 高橋英之

 安心した。舞台の上に、大きなスクリーン。これだけ大きなスクリーンだと、字幕も読みやすいだろう。『The Forbidden Zone』という<演劇>は、タイトルこそ英語なのだけど、セリフは英語とドイツ語のバイリンガル上演のようだから、ドイツ語の部分は英語の字幕がないとちょっと心もとない。字幕があっても、そのスクリーンが小さいと、舞台と並行して見ることが難しいことが多くて、ストーリーが追いにくい。でも、舞台の幅の半分以上もあるような大きさのスクリーンだと、その心配はない。そもそも、脚本家も演出家もイギリス人のようだし、字幕がしっかりしていれば、きっと普通に楽しめる<演劇>のハズだ。それにしても、舞台の上は装置で立て込んでいる。左手前には、実物大の列車が置かれ、舞台奥には複数に区切られた部屋がある。こんな空間で、どのような<演劇>が展開されるのだろう。そう思いながらの、観劇前の客席。オーストリア・ザルツブルク郊外、ペルナー・インゼル劇場。期待は、冒頭から、全く違った方向で裏切られる。舞台の上で始まったのは、<映画>だった。
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