◎年末回顧「振り返る 私の2014」

 年末回顧「振り返る 私の2014」は、小劇場の演劇・ダンスなどから3本を選び400字でコメントする恒例のアンケート企画です。すべてが全く違わずに演じられる舞台はないように、同じ年が再び巡ってくることはありません。多様な作品の中から選ばれた3本の集合体は、二度と体験できない2014年という年の色や形や音や匂いの記憶を、どこかに留めるものとも言えるのではないでしょうか。(編集部)
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ミクニヤナイハラプロジェクト「桜の園」

◎2Φ14:気の毒でもすてきでもないエージェント人たち
高橋英之

桜の園チラシ画像 笑った。2度目の観劇で、やっと。しかも、かなり。

 最初の観劇では、まったく、笑えなかった。それは、よく言われるように、原作者チェーホフが『桜の園』を“喜劇”とした理由がよくわからない[注1]…というような理由ではなかった。ミクニヤナイハラが、その『桜の園』をモチーフとして現代の東京に展開してみせた作品は、自分の痛い部分にストレートに差し込んできた。当事者間の正当な売買の結果、長くその地にあった桜の木を、別の場所に移す。単にそれだけのことじゃないか。その単純なことに、過剰な意味を込める闖入者を登場させ、感傷的な言葉を吐かせるミクニヤナイハラに、自分自身のそっとしておいてほしい心の傷口を、無遠慮に広げられた気がした。拍手もせず、上演後のトークもすっ飛ばして、劇場を後にした。現実の世界で身に着けた心の鎧は、堅牢すぎて、笑いも感動も寄せ付けず、過剰な防衛反応だけがおきていた。ちょうど、海外の開発案件を進める中で、3つの訴訟に巻き込まれ、2つ勝ち、1つ負けたばかりだった。

 にしすがも創造舎の屋外。工事用やぐらの上、体育館の上、そして倉庫の上と、3つの離れ離れの場所に、登場人物が現れる。体育館の上から、拡声器で、女(笠木泉)が語り掛ける。東京には木々がたくさんあるように見えるが、そうではないのだと。よく見かける桜はソメイヨシノであって、日本古来のヤマザクラは、希少種なのだと[注2]。それゆえ、自分は、この場所にある桜を守りにきたのだと。ミクニヤナイハラは、土着の桜を守ろうとする存在を、<緑を守る会>を名乗る女に担わせた。当事者ではない、よそ者に。
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KJプランニングス「ザ・モニュメント 記念碑」

◎直接的であることと代行すること
 清末浩平

「ザ・モニュメント 記念碑」公演チラシ1.「ザ・モニュメント 記念碑」

 前置きをしている場合ではない。ただちに私が観たものについて述べよう。
 小さな劇場は壁も床も剥き出しになっている。舞台側の壁際には、廃物めいたさまざまな道具が無造作に置かれており、その内側に、細いひもでアクティングエリアが仕切られている。「私はハッピーだ」と歌う能天気なダンス曲が流れている。舞台奥には配線を露出したモニターがあり、その画面に、世界の各国で踊る人たちの姿が次々に映される。やがて音楽が消え、モニターも真黒になる。男女1人ずつの俳優が舞台に入って来る。「THE MONUMENT/記念碑」という字幕がモニターに映されて劇が始まる。
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市原幹也(演出家)、岸井大輔(劇作家)

◎街と演劇を考える

 北九州の枝光、横浜の黄金町など、街と出会い巡り会った人々とともに作品を作ってきた演出家の市原幹也さん。そして折々にその現場に立会ってきた劇作家の岸井大輔さん。岸井さんも、コミュニティと演劇の関係について、考えを巡らせながら作品を作り続けています。こうしたユニークな活動を展開しているお二人に話をうかがいました。そこからは、地域の演劇にまつわるさまざまな事柄がうかがい知れるとともに、これからの課題も垣間見えるのではないでしょうか 。(編集部)
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薪伝実験劇団『ゴースト 2.0-イプセン「幽霊」より』

◎イプセン戯曲の限界と、その可能性について
矢野靖人

 2014年11月24日(月)、フェスティバル/トーキョー14のプログラムの一つ、薪伝実験劇団(中国)の『ゴースト 2.0-イプセン「幽霊」より』を観劇した。演出は、2012年の利賀・アジア演出家フェスティバルにも参加していたワン・チョン(王翀)氏。1982年生まれ、とおそらく中国ではまだまだ若手の扱いだろうにも関わらず、非常に洗練された、“巧い”演出であった。

 イプセンの戯曲『幽霊』(1881年)は、ギリシャ悲劇にも比せられるイプセンの傑作の一つである。三幕の家庭劇と銘打たれたその物語は、愛のない結婚を否定しつつも、因襲的な観念に縛られて放縦な夫のもとに留まり、夫亡き後も家名を守るため偽善に終始してきたアルヴィング夫人を主軸にして展開する。夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、可愛い一人息子のオスヴァルが、病を患って帰ってくる。帰国した息子は夫人の召使いのレギーネを自分の伴侶にと望むが、彼女が他ならぬ彼自身の異母妹であることを知らされる。親の犯した過ち。その償いをさせられる子。誰もが無自覚なままに繰り返される悲劇。――法や道徳、宗教への不敬、近親相姦や自由恋愛の擁護、性病など当時の社会ではタブーであった様々な題材を取り扱いながら、イプセンは深く、近代以降の人間の精神の在り様に迫っていく。

 『ゴースト 2.0-イプセン「幽霊」より』では、演出のワン・チョンは、この戯曲を大胆に、現在の中国に、その時代と文化的背景を置き換えた。登場人物たちの名前もすべて中国名に変えられ、またストーリーの進行上、重要な役割を担う「牧師」マンデルスについては、「(党)書記」とその役職までが変換され、演出のいうところの「中国のリアル」を獲得し、そのことでアクチュアルな批評性を獲得しようと試みていた。
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地点『光のない。』

◎直示の倫理について
 よこたたかお

 本論考では、三浦基演出のイェリネク『光のない。』を扱う。本作品で用いられた演技術に焦点を当て、劇場倫理・表現の倫理について考察していく。分析の細かいところは、上演の回ごと・観客の視点ごとに違っていても不思議ではない。ご理解いただければ幸いである。

 2014年10月10日から13日、KAAT神奈川芸術劇場にて地点によるエルフリーデ・イェリネク『光のない。』が上演された。同作品は2012年の再演で、京都でも10月18日から19日に上演された(フェスティバル「KYOTO EXPERIMENT 2014」、京都芸術劇場 春秋座にて)。演出は三浦基。
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TRワルシャワ「4.48サイコシス」

◎素材としてのテクスト、揺るがされる観客
辻佐保子

これは演劇のテクスト?

 イギリスの劇作家サラ・ケイン作の『4.48サイコシス』(4.48 Psychosis, 1999) には、登場人物がいない。文頭に付されたハイフンによって複数人による対話と読める部分はあっても、対話であるという根拠はどこにもない。幕や場といった区切りもされておらず、明確な起承転結もない。誰のものともつかない断片的な言葉が、意図的に組まれたであろう不規則なインデントで綴られていく。言葉どころか、数字のみが羅列される部分すらある。初めてテクストを読んだ時、上演されることを拒んでいるようだと圧倒されたことを記憶している。『4.48サイコシス』を書き上げた一週間後にケインが命を絶っていることから、演劇のためのテクストというよりも遺書であるとしばしば考えられてきた。それにも関わらず、上演へと引きつける磁力が備わっているのか、『4.48サイコシス』はケイン作品の中でも上演回数が比較的多い部類に入る。本稿では、2014年10月にブルックリンの小劇場セント・アンズ・ウェアハウス (St. Ann’s Warehouse) に招聘されたTRワルシャワによる上演を取り上げる(註1)。
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クリストフ・シュリンゲンジーフ「外国人よ、出て行け!」

◎大成功したアート・プロジェクトの記録
 水牛健太郎

 現実の政治社会状況と切り結んだアート・プロジェクトとして名高いクリストフ・シュリンゲンジーフによる「オーストリアを愛せよ」。F/T14の映像特集の1本として上映された「外国人よ、出て行け!」はその記録である。
 このプロジェクトは2000年のウィーン芸術週間の1作品として、隣国ドイツから気鋭のアーティスト・シュリンゲンジーフを招いて制作したもの。1週間にわたりウィーン歌劇場の真正面に設置されたコンテナ・ハウスの中に12人の亡命希望者を滞在させ、通りすがりの人が小窓から彼らの生活を見ることが出来るようにした。さらにビデオカメラによる内部の映像が24時間ネット中継される。そして、視聴者の投票により、彼らのうち1日に1~3人ずつを国外追放するという触れ込みである。1週間後に残った最後の1人にはトップ賞として賞金とオーストリアへの滞在許可が与えられる、とされた。コンテナ・ハウスのてっぺんには、「外国人よ、出て行け(Ausländer, raus!)」と書かれた大きな看板が。
 この悪趣味極まりない見世物は、初日こそ新聞に小さな記事が出る程度だったが、すぐに爆発的な反響を引き起こし、連日メディアに大きく取り上げられた。周囲には様々な立場の市民が集まり、激論を繰り広げ、興奮のあまり、相手を叩くといった騒ぎも多発した。夜間にコンテナへの侵入を企てた形跡があったり、正体不明の液がまかれたり。4日目には「移民を解放する」と称するデモ隊に襲撃されて、移民たちが緊急避難する事件も発生した。
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悪魔のしるし「わが父、ジャコメッティ」

◎再現の美学
 柴田隆子

悪魔 チラシ画像 ジャコメッティの描く肖像画は不思議だ。遠くから見ている時はちゃんと「顔」に見えるのに、近くに寄るとぐにゃぐにゃと塗り重ねられた絵具の跡しか見えなくなってしまう。絵筆がキャンパスに届く距離では絵具の跡にしか見えないのに、画家はどうやって描いたのだろう。1つ1つの線には大した意味などないように見える。が、距離をとるとそれは確かな像を結ぶ。悪魔のしるし『わが父、ジャコメッティ』もどこかジャコメッティの描く絵に似ている。個々のエピソードは笑いを誘うだけの意味などないものに見えるが、距離をとると舞台芸術における「演劇作品」の新しい像を結んでいるように思えるのだ。
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九十九ジャンクション「本間さんはころばない」

◎そして、飯島君にさようなら ~こんにちは、土屋さん~
 宮本起代子(因幡屋通信発行人)

【チラシデザイン=大田真希男】
【チラシデザイン=大田真希男】

【九十九ジャンクション】

 この風変わりな名の演劇ユニットは、プロデューサーHこと原田大輔、ツクモ芸能編集長こと大竹周作によって結成された。ふたりはいずれも演劇集団円所属の俳優である。公式サイトには「演劇づくりの各セクションに一切の制限を持たず、演劇界だけでなくあらゆる分野からの参加により、新たな風、新たな流れ、新たなワールドを生み出すことを掲げ、発足」とある。プロデュース形式をとり、書き下ろし作品を中心に今後5年間活動するとのことだ。
 おもしろい企画やリクエストを「大募集!!」と呼びかけつつ、原田大輔がうんと言わなければ採用されないというから、ゆるいのかきついのかわからない。しかし新人劇作家デヴューのチャンス、新作の本邦初演の場にもなりうるということであり、大いなる可能性を秘めているわけである。
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