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	<title>ワンダーランド wonderland</title>
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	<description>小劇場レビューマガジン</description>
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		<title>玉造小劇店「ワンダーガーデン」</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 04:58:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[金塚さくら]]></category>

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		<description><![CDATA[◎不思議の庭の四姉妹　新旧三種の「二十年間」を定点観測 　金塚さくら 　時は明治の終わり。白いバラの咲き乱れる洋館の庭。 　とある良家の三姉妹が、長女の結婚によって四姉妹になるところから物語は始まる。長女・千草、次女・薫 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎不思議の庭の四姉妹　新旧三種の「二十年間」を定点観測<br />
　金塚さくら</p>
<p><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/tamasho_wandergarden0a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/tamasho_wandergarden0a-141x200.jpg" alt="「ワンダーガーデン」公演チラシ"  width="141" height="200" class="alignright size-thumbnail wp-image-20787" /></a>　時は明治の終わり。白いバラの咲き乱れる洋館の庭。<br />
　とある良家の三姉妹が、長女の結婚によって四姉妹になるところから物語は始まる。長女・千草、次女・薫子、三女・葉月に、千草の夫の妹・桜が実の妹同然に親しく交わるようになり、さらにそれぞれの娘たちの恋人ないしは配偶者が加わって、二十年に渡る一家のささやかなドラマを紡いでいく。明治から大正、昭和と移り変わってゆく時代の中で、舞台上ではNHK朝の連続テレビ小説のようにクラシカルな物語が展開する。<br />
<span id="more-20786"></span><br />
　わかぎゑふ作・演出の『ワンダーガーデン』は、八人の登場人物をたった四人の役者が一人二役ずつ担当し、しかも各々が男と女を両方演じ分けるという趣向が大きな見どころの作品である。役者たちは衣裳もメイクもほとんど変わらぬままで、男女の間をばたばたと行き来する。</p>
<p>　実は初演を観ている。いや、正確にはそれと今作とは「初演」「再演」の関係とは言えないのだろうか。2009年の「初回」は花組芝居OFFシアターの一環であり、「今回」は同じ出演者ながら玉造小劇店配給芝居のvol.9という扱いだ。<br />
　今回の公演では、「初回」メンバーの花組男子「四獣」に加えて、もう一組、女子のみ四人で構成される「四華」チームも上演するという。こちらは特定の一劇団のメンバーということではなくバリエーションに富んだ出自の女優が集まっている。小椋あずき、大森美紀子、澤田育子、高橋由美子。彼女たちも勿論、男女の二役である。</p>
<p>　まじめな長女・千草役の役者は、義妹・桜の見合い相手で後に三女の夫となる商売人の毛利修平を兼役し、しっかり者の次女・薫子を演じる者は三女の元恋人にして後に義妹の夫となる詩人くずれの石巻竜司も演じる。華やかな三女・葉月役が兼ねるのは、次女・薫子の永遠の王子様、大村洋次郎子爵。個性的な義妹・桜役はその実の兄にして長女の夫である厳格な海軍将校、杉山孝明を兼ねている。<br />
　「初回」の公演時は、長女／毛利を桂憲一、次女／石巻を八代進一、三女／大村子爵が大井靖彦で、杉山兄妹に植本潤という配役であり、妥当性と意外性がほどよく混在していて、見ごたえのある配役であった。<br />
　今回の公演では四獣の四人も役柄の組み合わせががらりと変わり、長女／毛利は大井靖彦、次女／石巻は桂憲一、三女／子爵に植本潤で、杉山兄妹は八代進一になっている。女優による四華バージョンでは、長女から順に、大森美紀子、高橋由美子、澤田育子で、杉山兄妹に小椋あずきという配役である。</p>
<p>　舞台上では淡々と彼らの人生の一場面が綴られる。私たちはその 二十年間を、庭の一隅から定点観測のようにこっそりと目撃するのだ。決して大上段なドラマが展開するわけではないが、小さな騒動は巻き起こり、それなりに波乱万丈な年月を、彼らは全力で生きてゆく。</p>
<p>　最初に嫁いだ千草は、まじめな夫と計画通りに子をつくり、厳格な家訓に則って模範的な家庭を営む。文学少女を気取って新聞を読んでは「はしたない」と千草に叱られていた葉月は、自由恋愛を主張してみたり女権拡張運動にかぶれてみたりと青春を謳歌し、毛利に嫁いだ後は事業に成功して、ブルジョワジーと呼ばれながら優雅に暮らす。<br />
　桜はおとなしい平凡な娘なのかと思わせて、ある日突然、勝手に小劇団に飛び込んで舞台女優になる。いつの間にか民権運動にも手を染めて官憲から目を付けられるが、夫の石巻と共に貧しくもたくましく生き抜いている。<br />
　姉妹たちが嫁いで出て行った屋敷を、ひとり守り続けるのは薫子だ。杉山兄をして「女にしておくのはもったいない」と言わしめる冷静で辛辣な彼女も、一生に一度の大恋愛をする。しかし相手の大村子爵を飛行機事故で亡くし、自身も怪我をして以降、見合いも結婚もすることなく、救世軍の仕事などしながら庭の手入れをし、バラを咲かせ、台湾人の文通相手へ手紙を書き、訪う者たちを迎え入れて日々を送る。</p>
<p>　性格も境遇もまるでバラバラの姉妹たちだが、意外にも対立することはなく、互いの個性を尊重しながら、移り変わる世情の中を助け合って生きている。桜が政治活動で投獄されれば薫子が大慌てで救いに行くし、裕福な葉月夫婦は、張り込みの憲兵の目を大仰な猿芝居で誤魔化しながら、桜夫婦に現金を渡して経済的に援助する。<br />
　千草が悩めば、実家の庭で薫子がその愚痴を受け止める。そしてきっと、そうやって実家の庭に集うことが、独りで暮らす薫子をなぐさめてもいるだろう。</p>
<p>　「初回」では、四姉妹の物語とは言っても、実質次女が中心的な位置に立っている印象があったが、「今回」は他の三人の娘たちも見せ場を主張していたように感じられ、とりわけ義妹の桜が存在感を強めていたように思う。四獣でも四華でも、血のつながらない異質なものとして、ぐいぐいと力強く場を牽引していた。<br />
　八代の桜は、最初の登場時の、世間知らずな少女の佇まいにはいささかの違和感を覚えるものの(その点については「初回」の植本が独壇場であった)、後半戦、アングラ的な舞台女優になり、果ては大正デモクラシーの民権運動家として活躍するようになると、鋭利な持ち味が俄然冴える。したたかで芯の強い彼女の背後に、激しく移り変わってゆく時代の波が見えるようだ。<br />
　小椋あずきの桜も強烈だ。やたらに古風なインパクトは、出てくるだけで満場の笑いを攫うが、それだけでない圧倒的な存在感で作中通して舞台に君臨し続ける。あか抜けない鈍感少女からたくましく生き抜く女闘士まで、異様な説得力で演じ抜けていく。</p>
<p>　小椋はしかし、桜以上にその兄が見事であった。とりたてて男を装うことのないごく自然体の演技は、冷静に振り返れば単に男っぽいおばさんなのだが、観ている間は大きな違和感はなかった。むしろ、小椋の海軍将校はそのおばさん的な要素が重要な意味を持っていただろう。</p>
<p>　物語の終盤で、杉山兄と薫子が二人だけで話をする場面がある。結婚以来ずっと従順な妻として杉山家の家訓に従っていた千草が、息子の入隊をめぐって初めて夫に反旗を翻し、実家に立てこもったのを杉山が追ってくる。<br />
　その一幕の中で、千草が席を外している間に薫子に語るのだ。妻の気持ちはちゃんと解っているのだと。それでもなお頑固なまでに厳格に振舞うのは、真面目な妻の長年の努めを慮ってのことである。今ここで家訓を曲げるのは簡単だが、それでは彼女のこれまでの忍耐をないがしろにし、努力を無にしてしまう。<br />
　四角四面で杓子定規な軍人だとばかり思われていた彼も、懐の深い理解のある人間であることを描く好シーンなのだが、その中でさらりと一言、自分の母の姿と重ねて、千草の心痛に理解を示す台詞がある。</p>
<p>　なんということはない台詞だ。自分が軍隊に入ると言ったときに、母が物陰で泣いていたという、ただそれだけの一言なのだ。しかし、その瞬間の小椋には、杉山兄という媒介を通して、後ろに母そのものが透けていた。軍人は立派な仕事だと頭で解っていても、我が子を危険にさらしたくはない裏腹な親心。けれどその本心を表に見せることはゆるされない、古い時代の哀しい母性が杉山兄の向こうに滲んで、胸を突かれた。<br />
　この場面がこんなにも印象深いものになるとは思ってもみなかった。この境地は、いかに女形芸を鍛えられた花組芝居の面々であっても、容易に体現できるものではないのだろう。ここにこそきっと、女優四華版の真価がある。</p>
<p>　互いの個性をぶつけ合いながらもどこか同質の空気を持つ四獣の四姉妹に対して、四華の姉妹は実はあまり姉妹らしく見えない。どちらかと言えば、デスパレートでセックス・アンド・ザ・シティな女友達のようだ。彼女たちの舞台はむしろ、姉妹をとりまく四人の男たちのほうが似通った統一感を持っていたようにも思う。一方で四獣の演じる夫たちはまるで他人であることを思うと、その違いははたして演じ手の男女差に拠るのか、それとも所属劇団が一緒か否かの問題なのか、そのあたりはなかなか興味深い。</p>
<p>　しかし、姉妹らしく見えない四姉妹も、まるで他人の義理の兄弟たちも、全体で見るとき、彼らは大きなひとつの家族のようだ。一族間のつながりが深かった時代のレトロな情景ということなのだろうが、しかし同時にそれはとても現代的な風景だとも感じられた。<br />
　姉妹たちはあまりにも姉妹間だけで仲が良い。外部の人間との関わりはあまり詳しく描かれることなく、姉妹義兄弟以外の親戚も登場せず、なにもかもごく近しい内部の人間だけで完結している様は、随分と今風の人間関係にも思われるのだ。<br />
　<br />
　作中でほとんど唯一、「外部」であるのは大村子爵だろう。しかし身内だけで結束した世界の中では、外部は中途退場を余儀なくされるのか、子爵は結局、飛行機の墜落による非業の死を遂げる。</p>
<p>　彼は飛行機乗りなのだった。上空から見たバラの美しさに惹かれてその庭を訪れ、薫子と出会う。互いに想いを寄せながらも、子爵は既婚者であり、薫子はかたくなに「良き友人」以上の関係を望もうとしない。子爵は急かすことなく、彼女が心を開くのを待っている。<br />
　自分の気持ちを押し付けることは相手にとって迷惑だと独断し、分別を言い訳に、本心を明かすことを怖れる。両者の、それは思い遣りと見せかけた臆病なのだ。曖昧な現状の心地よさに甘えて、先へ進むことから逃げている。決断を下すことで、何かを変えてしまうのが怖いのだ。<br />
　運命のその日、もどかしい二人の関係が急展開を迎えることになる日、子爵は言う。「僕はこの庭から貴女を連れ出したことがない」<br />
　ぽつりと漏らされるその一言は、もしかするとこの作品のある側面を自ら指摘するものであったかもしれない。無意識には違いないが、たしかにこの物語では、すべては庭に取り込まれ、内部でのみ展開しているのだ。<br />
　少数の演じ手によるワンシチュエーションであれば当然のことだし、だから決して閉塞感などネガティブな印象があるわけではないが、そんな風に見ることはできる。</p>
<p>　実際にはその一連は、とても美しい場面であったのだ。分別ぶった妙な遠慮と臆病から自ら幸福を遠ざけていた二人が、ようやく互いの心を通わせる。飛行機に一緒に乗せてほしいと頼む薫子に、子爵は、隣に乗せるのは真の恋人だけと決めていた、と答え、出会ってからおそらく初めて二人の手は重なり合う。<br />
　二人は庭を出て、飛行機に乗り込んでゆく。無人の舞台にはエンジンの爆音だけが響き、やがて不穏な豪雨の音も重なって、エンジン音は不意にバランスを失う。誰もいない舞台を目を凝らして見つめる私の耳に、突き刺さる衝突の轟音。長い暗転の中で、子爵は想い出の人となる。</p>
<p>　大井が演じた「初回」の子爵は夢のような王子様ぶりで、うっとりするほどロマンチックな舞台を見せた。その点「今回」の子爵は、四獣の植本も四華の澤田も、やや笑いを狙いがちな役作りであり、正攻法のロマンスを避けている印象があって、いささか心残りだ。彼らはエンディングにおけるもう一役の方が誠実な芝居であったと思う。</p>
<p>　それは「初回」では四人の役者の誰も演じなかった役だ。次女の文通友達。「初回」では、劇団を離れてしまった四獣の元同期が、そのためだけに舞台に立った。<br />
　実は、「初回」は純粋な演劇の公演ではなかった。あのときは花組芝居同期入座の四人による、在籍二十周年記念の特別イベントという側面があったのだ。</p>
<p>　舞台の終盤に、女たちが四姉妹になってから二十年の来し方を振り返る一幕があるが、それは物語の一場面でありながら、同時にそこに演じ手の、彼らそのものの姿が重なるように企図されていた。ラストシーンで交わされる台詞は、作中の登場人物としての言葉である以上に、彼ら自身による、生身のメッセージであったのだ。<br />
　エンディングでは、バラの咲く庭の姉妹のもとへ、また新たな人物が訪れる。来訪者は言う。この二十年間、自分は誰よりも貴女がたを知る者のひとりなのだと。<br />
　物語において、その来訪者は二十年に渡って次女と文通を続けてきたペンパルだ。そして現実に、その台詞を口にするのは、懐かしい元同期という仕掛けなのだ。<br />
　舞台上には四姉妹が勢ぞろいし、元同期の来訪者を見つめて次女が言う。<br />
　「きてくださって、ありがとう」</p>
<p>　「初回」公演時、舞台のすべてはこの、次女の最後の台詞のためにあった。それは作中の薫子として、長年の友に向けての歓迎の言葉であり、そして同時に、役者八代進一として、自分たちのためにこの場に立ってくれた旧い仲間への謝意であり、そして何より、今この客席で彼らの舞台を観ている者への「きてくださって、ありがとう」でもあったのだ。作品はまるごと、彼らの役者人生を支えてきたすべての人へ、感謝の言葉を伝えるための方便であった。<br />
　それは芝居としては少しばかり卑怯な手段と言えるのかもしれないが、イベントとしては、ひとつの台詞が二重三重の意味で響いてひどく感動的だった。しかし「今回」はイベントではなく、二十年はただ、あくまで姉妹の二十年なのだ。この仕掛けは意味を持たない。<br />
　「今回」のエンディングはどんなふうに変わるのか、私は少し固唾をのんで待っていた。</p>
<p>　物語は同じ流れで展開し、やがてバラ咲く庭に来訪者が現れる。三女／子爵役を務める役者が演じるからには、四姉妹が舞台上に勢ぞろいするわけにはいかず、ラストシーンは次女とペンパルの一対一の邂逅となる。</p>
<p>　「ここは不思議な庭」「不思議なことが起こる庭」<br />
　貴女がいつもそう手紙に書いている、と初対面の文通友達は言う。だから自分の突然の来訪も、驚くほどのことではないだろうと。<br />
　その言葉には、少しばかりの引っ掛かりを覚える。いつもと言うほど、この庭ではかつて不思議なことと呼べる何かが、はたして起こっていただろうか。<br />
　四姉妹たちの二十年間は決して華々しいドラマというわけではない、ささやかな日々の積み重ねではなかったか。たしかに次女と子爵の悲恋はロマンチックな一大悲劇ではあったが、それも思い出の中に埋もれて、もはや美しい挿話にすぎない。</p>
<p>　いったいどんな不思議なことが、この庭にはあっただろう。<br />
　まだほんの娘だった時代、宮様のドレスに憧れて、庭先で新聞を囲んで皆ではしゃいでいた。杉山兄は千草に杉山家の家訓を提案し、軍から配給の衛生サックを託した。葉月は行儀見習いの奉公が長続きせず、桜は見合いをあっさり断った。夕空を飛行機が飛んでいた。あの木戸から、バラに誘われて子爵は庭へ入ってきた。石巻も木戸から入ってきて、毛利に追い出された。この庭で、子爵と薫子は互いの想いを打ち明けあった。</p>
<p>　ペンパルの一言に、気がつけばつい思わず、ここまでの舞台を振り返っている。過ぎ去った「あの日々」が、まるで我が事のように懐かしい。<br />
　つまり、物語の中で真実「不思議なこと」が起こったかどうかというより、この台詞には発されること自体に重要な意味がある。観客はその言葉に促されて、ついうっかりここまでの舞台を追想し、姉妹の気持ちに寄り添ってしまうのだ。</p>
<p>　そこからどっぷりと二十年を回顧した「初回」に比べて、けれど「今回」は来し方に思いを馳せるのはさらりとほんの一瞬だ。<br />
　「今回」の次女は、ありがとうとは言わない。初めて顔を合わせる長年の文通友達を、ようこそ、とやわらかく迎え入れ、お茶に誘う。</p>
<p>　同じ流れで構成されても、おそらくは作品そのものの、まなざしの向きが違っているのだ。<br />
　過去を懐かしむのか、未来を目指すのか。「今回」の舞台は二十年を回顧するものではなく、積み重なった二十年の、その先をこそ正面に見据えている。ペンパルは懐かしい思い出としてではなく、新しい未来そのものとして、希望の予感をたずさえて舞台に現れるのだ。<br />
　屋敷の中へ入ってゆく友を、彼女もすぐに追ってゆくだろう。どんなにささやかでも人生は常に驚きにみちて、物語の結末は、幕の下りたその先にある。<br />
（観劇日時：四獣　2012.3.12  19:00－／四華　2012.3.18  19:00－）</p>
<p>【筆者略歴】<br />
金塚さくら（かなつか・さくら）<br />
　1981年、茨城県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、浮世絵の美術館に勤務。有形無形を問わず、文化なものを生で見る歓びに酔いしれる日々。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kanezuka-sakura/" target="_blank">http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kanezuka-sakura/</a></p>
<p>【上演記録】<br />
<a href="http://tama-show.jpn.org/ "  target="_blank">玉造小劇店</a>配給芝居vol.9 『<a href="http://tama-show.jpn.org/next/1508/ "  target="_blank">ワンダーガーデン</a>』<br />
東京公演　座・高円寺（2012年03月08日-18日）</p>
<p>【作・演出】わかぎゑふ<br />
【出演】<br />
四獣/スーショウ：桂憲一(花組芝居)、植本潤(花組芝居)、大井靖彦(花組芝居)、八代進一(花組芝居)<br />
四華/スーホア：高橋由美子、大森美紀子(演劇集団キャラメルボックス)、澤田育子(拙者ムニエル／good morning N°5)、小椋あずき </p>
<p>【スタッフ】<br />
舞台監督：安田美知子<br />
舞台美術：佐々木記貴<br />
大道具：アーティスティックポイント<br />
照明プラン：高山晴彦（PAC）<br />
照明オペレーター：千原悦子（PAC）<br />
音響：清水吉郎<br />
小道具：石井みほ<br />
衣裳：リリパットアーミーⅡ<br />
演出助手：大野裕明（花組芝居）<br />
【料金】全席指定　4,500円(税込)</p>
<p>主催・企画・制作：玉造小劇店<br />
後援：杉並区<br />
提携：座・高円寺／NPO法人劇場創造ネットワーク<br />
初演舞台　撮影：コスガデスガ</p>
<p>神戸公演　新神戸オリエンタル劇場（2012年4月7日-8日）<br />
【料金】S席：5,000円 A席：3,500円(全席指定税込)</p>

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		<title>忘れられない1冊、伝えたい1冊　第6回</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 04:57:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[田辺剛]]></category>

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		<description><![CDATA[◎「14歳の国」（宮沢章夫著　白水社　1998年） 　田辺剛 　わたしが初めて自分で戯曲を書き、劇作家として活動を始めようとした頃、どうやって書けばいいのかも分からず見よう見まねでやるほかないと、やる気だけは十分な時に出 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎「14歳の国」（宮沢章夫著　白水社　1998年）<br />
　田辺剛</p>
<p><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/14years0a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/14years0a-139x200.jpg" alt="「14歳の国」表紙"  width="139" height="200" class="alignright size-thumbnail wp-image-20781" /></a>　わたしが初めて自分で戯曲を書き、劇作家として活動を始めようとした頃、どうやって書けばいいのかも分からず見よう見まねでやるほかないと、やる気だけは十分な時に出会った『14歳の国』だ。戯曲の一部を試演しているのを観て興味をもち、本屋を探したのを覚えている。装丁の写真やデザインも印象的だった。<br />
<span id="more-20779"></span><br />
　この本は本編だけではなく、まえがきやあとがきに加えて「上演の手引き」という文章もあり、いま読み返してみると、単に一本の戯曲というよりも、本全体として著者の演劇論になっているのだと気が付く。そうしたこともあって駆け出しの頃のわたしには特に刺激に満ちていたのだろう。戯曲や演劇への手がかりのようなものをわたしはこの本から得たのだった。</p>
<p>　『14歳の国』は、1998年に上演された戯曲だ。中学校の教室を舞台に体育の授業中で生徒が不在であるところに教師たちがやってきて持ち物を調べる。二場構成になっていて、一場では時間が足りずに目的が果たせなかったので、翌週の同じ時間に改めて教師たちがやって来る(二場)という構成である。</p>
<p>　学校の教室は、そこで子どもたちを効率よく管理し教育を施すために大人が設えたもののはずだが、それにもかかわらず、大人がよそ者として侵入することでしか入れない「国」がそこにできている。侵入するのは、持ち物検査をしにくる教師たちだ。彼らは学校や生徒を危険から守るという「高邁な精神」と、荷物を調べていることを生徒にバレてはいけないという「こそこそした身体」でもって、そこにいる。</p>
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<p>　一般に、戯曲にはト書きというカタチでその状況などが補足されはするものの、なぜだか舞台に現れる登場人物が発話したその内容が記されるだけだ。だから読者はその発話されたことばにこそ劇のすべてが詰め込まれているとつい思ってしまうし、書き手にしたって、そのように「台詞」はあらねばならないと考える人はいる。しかし『14歳の国』ではその台詞そのものから「高邁な精神とこそこそした身体」は直接には示されない。よく考えれば当たり前のことだが、台詞は「高邁な精神とこそこそした身体」の結果として発話されたものであって、そのことばの連なりを読者は目の当たりにするだけなのだ。虚構のことばが先にあって身体や世界がそれから生成されるのではなく、虚構の身体と世界がまずあってその残滓としてことばが残され記録されるのである。読者は残されたもの(ことば)から逆に辿って、その劇世界やそこにある身体を想像するしかない。</p>
<p>　戯曲には、その劇の世界についてほとんどのことは書かれていないし、そもそも書かれえない。著者が言ったわけではないが、戯曲とはそういうものではないかと『14歳の国』を読んだわたしは思った。</p>
<p>　円を示すために、くるっと丸を描くのではなく、その周囲が円ではないことを示すことでかろうじてそれが円であることが伝わるような、そうした表現への臨み方だ。当時、初心者ながら、丸を描いて「これが円です」と声高に叫ぶ演劇に疑問を感じていたわたしには、『14歳の国』がその疑問に応えてくれたように思われたのだった。戯曲の体裁は同じでも、そこで表現されるものやその方法は実にさまざまなのだなと。</p>
<p>　さらに。当時わたしは『14歳の国』のことばの扱い方について注目しあれこれ考えていたのだけれど、読み返してみるともう一つのことにも無自覚に魅かれていたのだと思う。それはこの作品の強い虚構性だ。この作品は中学校の教室で行われた持ち物検査を写実的に描写したものではない。今のわたしにとってはこの点こそが重要なのだけれど、それについて述べるのはまた別の機会があれば、そのときに譲りたい。</p>
<p>　とにかくわたしにとって『14歳の国』は表題にあるように「忘れられない」だけでなく、まだ手放すこともできない一冊だということが改めて読み返して分かった。いまだに刺激に満ちていることに正直驚いてしまうが、もう少しいろいろ考えてみたい。<br />
<div id="attachment_20783" class="wp-caption alignleft" style="width: 152px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/tanabe02.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/tanabe02-142x200.jpg" alt="田辺剛さん"  width="142" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20783" /></a><p class="wp-caption-text">田辺剛さん</p></div></p>
<p>【著者略歴】<br />
田辺剛（たなべ・つよし）<br />
　劇作家、演出家。劇場「<a href="http://gekken.net/atelier"  target="_blank">アトリエ劇研</a>」ディレクター。1975年生まれ。福岡県福岡市出身。現在は京都市に在住し「<a href="http://tana2yo.under.jp"  target="_blank">下鴨車窓</a>」というユニットを中心に創作活動を続けている。<br />
　2005年に『その赤い点は血だ』で第11回劇作家協会新人戯曲賞を受賞。2006年秋より文化庁新進芸術家海外留学制度で韓国・ソウル市に一年間滞在し、劇作家として研修する。2007年に『旅行者』で第14回OMS戯曲賞佳作を受賞する。</p>

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		<item>
		<title>ひょっとこ乱舞「うれしい悲鳴」</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20752/</link>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 02:29:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[堤広志]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.wonderlands.jp/?p=20752</guid>
		<description><![CDATA[◎ネタ・シアターの限界と、戯曲の寿命（第1回） 　堤広志 ●「ひょっとこ乱舞」は、常に“気がかり”な劇団だった 　ひょっとこ乱舞という劇団は、私にとって常に“気がかり”な存在だった。 　“気がかり”というのは、他の多くの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎ネタ・シアターの限界と、戯曲の寿命（第1回）<br />
　堤広志</p>
<p>●「ひょっとこ乱舞」は、常に“気がかり”な劇団だった<br />
<div id="attachment_20795" class="wp-caption alignright" style="width: 151px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_himei0a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_himei0a-141x200.jpg" alt="「うれしい悲鳴」公演チラシ"  width="141" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20795" /></a><p class="wp-caption-text">「うれしい悲鳴」公演チラシ<br />宣伝美術=山代政一</p></div></p>
<p>　ひょっとこ乱舞という劇団は、私にとって常に“気がかり”な存在だった。<br />
　“気がかり”というのは、他の多くの若手小劇団に対して抱くような“心配”とはまた別種の懸念といっていいかもしれない。実際、小劇場演劇に接していると、将来を期待したくなるような才能が感じられず、突出した舞台成果も見受けられないために、「この人たちはこんなことをしていて大丈夫なのだろうか!?」「もっとこうした方が良いのではないだろうか?」といった老婆心が湧き起こることが往々にしてある。<br />
　その一方で、このままそうした人たちの活動にオブザーバーとして付き合いながらも、無為に自分の人生の貴重な時間を浪費するような生活を送っていて、はたして割に合うのか、無駄なのではないかと思わされることも少なくない。<br />
<span id="more-20752"></span><br />
　もちろん、時間芸術であるパフォーミングアーツを対象に批評や取材の仕事をしているのだから、ライブな観劇のために多くの時間を充てなければならないことは百も承知していて、それゆえ真っ当な人生なぞ歩めるはずもないことは最初から覚悟して臨んでいる。無名の若手劇団の活動に対しても、一度きりではなく、最低三度(3作品)ぐらいは見届けながら粘り強く付き合わなければ、その才能は見極められないものと日々観劇に勤しんできた。<br />
　しかし、そうした努力がそのまま仕事に直結するケースは皆無に等しく、非効率的であることには変わりない。いつ消えてなくなるかもしれない未熟な表現者たちの刹那的な自己満足や自己充足のために、人生を犠牲しなければならないのはどうしたものだろうかと自分の境遇を呪いたくなることも一度や二度ではないのである。</p>
<p>　しかし、ひょっとこ乱舞の場合、そうした憂鬱とはまったく無縁であった。主宰・広田淳一の劇作家・演出家しての才能や、劇団員(客演陣も含む)の演技のセンスやスキルに関しては、最初の出会いからして疑問を差し挟む余地がまったくなかったからである。</p>
<p>　ひょっとこ乱舞は、1998年東京大学に入学した広田が劇団Theatre Mercuryでの活動を経て、2001年に結成した劇団である。以後、広田の作・演出により、現代口語によるオリジナル戯曲と、ダンスやクラッピングなどの身体表現を取り入れたスピード感と脱力感とが共存する舞台を繰り広げてきた。演劇でしか成しえない「大嘘」を追求し、「現代日本を生きる観客の最上の娯楽」になることを目標として、精力的に公演活動を行ってきた。2005年には、日本演出家協会主催「若手演出家コンクール2004」に出品した『無題のム』で、広田は最優秀賞を受賞している。</p>
<div id="attachment_20753" class="wp-caption alignright" style="width: 157px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/3f1e62975e0d48da4bc06e4d8967c69b.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/3f1e62975e0d48da4bc06e4d8967c69b-147x200.jpg" alt="「水」公演チラシ"  width="147" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20753" /></a><p class="wp-caption-text">「水」公演チラシ<br />宣伝美術=山代政一</p></div>
<p>　私が初めてひょっとこ乱舞の舞台を観たのは、その翌年の『水』(2006年初演)であるから、そう古くからの観客ではない。<br />
　ただし、それ以前からシアタートラムでゴールデンウィークに行っていた市民開放企画「フリーステージ」に何度か参加していて「変な名前の劇団だな」という印象とともに興味は持っていた。日本演出者協会主催「若手演出家コンクール」の最終審査に残ったり、現在はキリコラージュで活躍する外山晴菜が当時振付で関わっていたりして、ずっと気になってはいたのである。ビギナーを勧誘する奇抜な企画や精力的な制作活動を展開していることも知り得ていたが、とんと観にいくチャンスがなかった。<br />
　そんな折、他の公演の折り込みチラシの中に観劇無料を謳った「当たりチラシ」を発見したことから、「これは呼ばれているのかもしれない」 と思い、足を運んだのだった。</p>
<p>　当時は看板俳優だったチョウ・ソンハ(現・成河)や伊東沙保も出演していて、まだほとんど無名だったころの彼/彼女らのクオリティの高い演技に接する機会に恵まれたことは、今から振り返れば幸運だったといえるだろう。<br />
　そして、広田の書く戯曲には独特な魅力があると感じざるを得なかった。繰り出される詩的な言葉づかいとリズミカルなフレーズの連なり、ユニークなキャラクター造型とそのセンシティブなメンタリティ、丁寧にシーンを紡ぎ出しながら端麗にして痛切なドラマへと収斂させていく手腕。セリフは現代口語であるが、“静かな演劇”(現代口語演劇)のように客観的視点を確保した写実的リアリズムの世界とは明らかに異なっていて、むしろ個人の主観から語られる文字通りの「物語」であり、ある種文学性さえ感じられた。</p>
<div id="attachment_20757" class="wp-caption aligncenter" style="width: 310px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_water60111.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_water60111.jpg" alt="「水」公演の舞台写真"  width="300" height="450" class="size-full wp-image-20757" /></a><p class="wp-caption-text">【写真は、「水」公演から。提供=アマヤドリ　禁無断転載】</p></div>
<p>　事実、『水』はボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』を原作とした舞台であったのだが、そうした舞台化の難しい世界を演劇として再構築してしまえる広田の演出家としての力量も大したものと感心した。まだ過渡期にある若い劇団特有のバイタリティと旺盛な実験精神があり、私はそこに早稲田大学劇研のアンサンブルだったころの双数姉妹のイメージを重ね合わせて観ていたのだった。</p>
<p>　その次の公演『でも時々動いてるわ』(2006年)では、広田の劇作家としての関心が同時代の社会事象に向けられていることを確信できた。<br />
<div id="attachment_20759" class="wp-caption alignleft" style="width: 151px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_ugoiteiru0a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_ugoiteiru0a-141x200.jpg" alt="「でも時々動いているわ」公演チラシ"  width="141" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20759" /></a><p class="wp-caption-text">「でも時々動いているわ」公演チラシ<br />宣伝美術=山代政一</p></div></p>
<p>　物語は、10代の女の子たちの間で「チョーキング・ゲーム(choking game!)」が流行っているという設定である。「枝」と呼ばれる遊具を使い、多人数でプレイするゲームで、クビ締めごっこのトリップ感を共有するリスキーな感覚はコックリさんに似ているという。「枝」が作り出す架空の場所は「箱庭」と呼ばれ、「落ち葉が雨のように降り注ぐ電線の上、枯山水の空中庭園」と説明される。また、ゲームの参加者は自分の代わりのキャラクター(アバター)を「箱庭」にエントリーさせ、チャットのような冗談めかした言動でコミュニケーションを取っていく。<br />
　主人公の江口雅子はいい年をして、この「チョーキング・ゲーム」にハマっていて、派遣の仕事にも行かずにゲーム三昧の日々を送っている。しかし、それはかつてこのゲームで命を落とした仲良しの「河村みづき」の影を追って、ゲームの世界に引きこもってしまったためなのである。</p>
<p>　この作品の発表当時、韓国や中国で10代や20代の若者が寝食を忘れてオンラインゲーム(インターネットゲーム)に熱中するあまり、過労死してしまう事件が発生し、社会問題化していた<span style="font-size:small;">(※1)</span>。日本でも、オンラインゲーム依存症となって仕事や学校へも行かず、家の中で動く気力さえ失いながら、ゲームを介してしか他人とコミュニケーションすることができなくなった引きこもりやニートの存在が指摘されていた。舞台の作品名『でも時々動いてるわ』とはこれに由来したものであるが、その後そうした人たちは「ネトゲ廃人」と呼ばれるようにもなった<span style="font-size:small;">(※2)</span>。</p>
<p>　また、インターネット上の仮想コミュニティ「セカンドライフ」のビューワがオープンソース化され、メディアなどで盛んに取り上げられたのが2007年、日本でも一時ブームになったのは2007～2008年である。<br />
　そして、3D映像で話題となったジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』が公開され、「アバター」という概念が一般に定着したのが2009年であったことも考え合わせると、2006年の時点で「ネトゲ廃人」を主人公にドラマを描いた広田の創作がいかに先進的で同時代的なリアリティを追求していたかがわかるだろう。そして実際の舞台では、そのイタすぎる主人公を切実なリアリティとともに演じた伊東沙保の迫真に満ちた演技にただ圧倒され、感服するしかなかったのである。</p>
<div id="attachment_20762" class="wp-caption aligncenter" style="width: 310px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_ugoiteiru277.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hyottoko_ugoiteiru277.jpg" alt="「でも時々動いてるわ」公演の舞台写真"  width="300" height="450" class="size-full wp-image-20762" /></a><p class="wp-caption-text">【写真は、「でも時々動いてるわ」公演から。<br />提供=アマヤドリ　禁無断転載】 </p></div>
<p>　このように高得点をマークするひょっとこ乱舞だっただけに、私は2008年のシンポジウム「国際演劇交流セミナー2008ドイツ特集」<span style="font-size:small;">(※3)</span>で紹介することにした。ドイツから演出家・振付家のヘレーナ・ヴァルトマン(Helena Waldmann)、新進気鋭の演出家リズ・レヒ(Liz Rech)、ベルリン・ドイツ座ドラマトゥルクのローランド・コーベルク(Roland Koberg)の各氏を招き、シンポジウムのほかにそれぞれ講演やワークショップも行われた。<br />
　ヴァルトマン氏が「労働と消費」を、レヒ氏が「アイデンティティ」をテーマにワークショップを行っていたこともあり、私はシンポジウムでは「ロスジェネなんて呼ばないで－00年代日本の小劇場シーンにみる労働観とアイデンティティ」と題して、日本の小劇場シーンで同時代的なリアリティを表現している劇団を紹介したのである。</p>
<p>　具体的に紹介したのは、以下の劇団と作品だった。<br />
　派遣労働者の生き甲斐の時間を描いたチェルフィッチュの『フリータイム』(2008年)。低賃金労働者のメンタリティを自虐的に描いたピチチ5の『はてしないものがたり』(2005年)、『おさびし者』(2006年)、『吐くな!飲み込め! 甦れ!』(2007年)といった一連の作品。高度資本主義社会が家族を蝕む様を描いたサンプルの『家族の肖像』(2008年)。ニートの若者の視点から現代社会が逆照射される五反田団の『偉大なる生活の冒険』(2008年)。ニートの若者たちの非生産的な生態を描いたポツドールの『ANIMAL』(2004年)や『夢の城』(2006年)。ネット心中に集まった者たちの最期の宴を描いた東京デスロックの『再生』(2006年)。ヒッキー(ひきこもり)のサバイバルを描いたハイバイの『ヒッキー・カンクーントルネード』(2008年再演)や『コンビニュまたは謝罪について』(2008年)などである。</p>
<p>　就職氷河期世代が「ロストジェネレーション」と呼ばれ、日雇い派遣や二重派遣による違法な搾取があり、小林多喜二の『蟹工船』が再評価され、ニートやひきこもりが社会問題化する時代の中にあった。それで、ひょっとこ乱舞の『でも時々動いてるわ』も小劇場に現れた同時代的な作品として紹介したのである。<br />
　こうした事例に接したドイツからの参加者たちは強い印象を持ったようである。コーベルク氏は「日本の劇作家たちが、これほど素早く同時代の題材をテーマに作品を作っているのには驚かされた」と感想を述べた。また、ヴァルトマン氏も、何も生産的なことをせず(できず)にただ消費するだけで資本主義の奴隷となっているニートたちを描いたポツドールの『夢の城』を高く評価して、「彼等が何もしていないということが面白い」と語ってくれ、「ロストジェネレーション」という言葉にも関心を持ったようだ<span style="font-size:small;">(※4)</span>。</p>
<p>　その後、ポツドールはドイツの演劇フェスティバル「THEATER DER WELT2010」に参加し、『夢の城』をもって初の海外公演に挑むことになる。チェルフィッチュは、すでにベルギーの「クンステン・フェスティバル・デザール」に招聘された後で、世界ツアーを始めていた。五反田団も後を追うようにクンステンへ招聘される。サンプルの松井周は岸田國士戯曲賞を受賞する。東京デスロックの多田淳之介は富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの芸術監督に就任した。ピチチ5の福原充則も大手プロデュース公演の作・演出をするようになった。ハイバイの『コンビニュまたは謝罪について』はNHKでテレビドラマ化された。</p>
<p>　若手の劇団が様々に評価されていくなかで、ひょっとこ乱舞だけがいつまでも決定的な評価を獲得できずにいた。つまり、この段階でもまだ私の“気がかり”が解消されることはなかったのである。<br />
（続く）</p>
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<div style="font-size:small;">[註]<br />
※1)『Searchina』「<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&#038;d=0727&#038;f=it_0727_001.shtml">オンラインゲーム依存症防止システムがまもなく開始</a>」(2006/07/27)</p>
<p>※2)フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87">ゲーム依存症</a>」の項目を参照。</p>
<p>※3)「演劇と社会」講演とシンポジウム(日本演出者協会主催・ドイツ文化センター共催)2008.11.15.@東京ドイツ文化センター・ホール。<br />
ドイツ文化センター　<a href="http://www.goethe.de/ins/jp/tok/kue/the/ja3602890v.htm">http://www.goethe.de/ins/jp/tok/kue/the/ja3602890v.htm</a></p>
<p>※4)国際交流基金『<a href="http://www.jpf.go.jp/j/publish/intel/cul_initiative/">平和のための 文化イニシャティブの役割 ～日独からの提言～</a>』(2009年5月)報告書
</div>
<p>【筆者略歴】<br />
堤広志（つつみ・ひろし）<br />
1966年川崎市生まれ。文化学院文学科演劇コース卒。美術誌「art vision」、演劇誌「演劇ぶっく」、戯曲誌「せりふの時代」編集を経て、舞台評論家となる。編著にパフォーミングアーツマガジン「Bacchus」、「空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕生』」(論創社)、「現代ドイツのパフォーミングアーツ」（三元社）など。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧： <a href="http://www.wonderlands.jp/category/ta/tsutsumi-hiroshi/">http://www.wonderlands.jp/category/ta/tsutsumi-hiroshi/</a></p>

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		<title>クロスレビュー「佐藤佐吉演劇祭」編を6月-9月に</title>
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		<pubDate>Mon, 07 May 2012 14:50:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース＆報告]]></category>
		<category><![CDATA[編集部]]></category>

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		<description><![CDATA[　ワンダーランド（小劇場レビューマガジン）は王子小劇場と提携して、今年6月から9月にかけて開かれる「佐藤佐吉演劇祭」の全公演（10本）をクロスレビュー形式で取り上げることになりました。王子小劇場が2年に一度のペースで開催 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>　ワンダーランド（小劇場レビューマガジン）は王子小劇場と提携して、今年6月から9月にかけて開かれる「佐藤佐吉演劇祭」の全公演（10本）をクロスレビュー形式で取り上げることになりました。王子小劇場が2年に一度のペースで開催する演劇の祭典に、観客のレビューによる参加の機会を設けます。観客のみなさんの投稿を期待しています。<br />
　この企画は5月7日(月)に王子小劇場で開かれた「佐藤佐吉演劇祭記者会見」で公表されました。<br />
<span id="more-20744"></span></p>
<p>▽実施要領は次の通りです。</p>
<p>　公募：公演を見た人は誰でも投稿できます。原則として本名、職業・肩書（会社員、学生など）を掲載します。<br />
　締切：各公演終了の翌日正午。<br />
　掲載：各公演終了の翌日午後（予定）、ワンダーランドwebサイトに掲載します。掲載は到着順。<br />
　内容・形式：レビューは★印による5段階評価とコメント400字。観劇日時を末尾に付記。コメントは未発表のもの。二重投稿はご遠慮ください。<br />
　謝礼：採用分には薄謝（図書券500円）を進呈します。住所、郵便番号、名前、メールアドレスをお知らせください。<br />
　宛先：ワンダーランド編集部　info@wonderlands.jp</p>
<p>▽問い合わせ<br />
<a href="http://www.wonderlands.jp/">ワンダーランド</a>（小劇場レビューマガジン、担当：北嶋）info@wonderlands.jp<br />
〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9　tel&#038;fax: 042-422-5219</p>
<p>　同演劇祭の詳細は次のページをご覧ください。<a href="http://www.en-geki.com/sakichisai2012/">&gt;&gt; 佐藤佐吉演劇祭 特設サイト</a></p>
<p>▽クロスレビューで取り上げる参加団体公演は次の通り。<a href="http://en-geki.blogspot.jp/2011/11/2012_08.html">&gt;&gt;  王子小劇場ブログ</a></p>
<p>6/22-7/2　<a href="http://k-mizugi.com/">劇団競泳水着</a>「Goodnight」（脚本・演出　上野友之）<br />
7/5-7/8　<a href="http://www17.plala.or.jp/magokoro18/">まごころ18番勝負</a>「錯惑の機序、或いはn質点系の自由度 The Slight Light Like Sleight of Hand.」（作・演出　待山佳成）<br />
7/10-7/16　<a href="http://waruishibai.jp/">悪い芝居</a>「カナヅチ女、夜泳ぐ」（作・演出　山崎彬）<br />
7/19-7/23　<a href="http://syncrojesse.web.fc2.com/">シンクロ少女</a>「少女教育」（作・演出　名嘉友美）<br />
7/25-7/30　<a href="http://nakagoo.com/">ナカゴー</a>「黛さん、現る！」（作・演出　鎌田順也）<br />
8/5-8/14　<a href="http://llo88oll.com/">ロロ</a>「父母姉僕弟君」（作・演出　三浦直之）<br />
8/17-8/19　<a href="http://www.geocities.jp/pinkundergrounder/">ピンク地底人</a>「明日を落としても」（作・演出　ピンク地底人３号）<br />
8/22-8/27　<a href="http://www.geocities.jp/nuigurumihunter/">ぬいぐるみハンター</a>「ゴミくずちゃん可愛い」（作・演出 池亀三太）<br />
8/30-9/5　<a href="http://pekinchocho.com/">北京蝶々</a>「都道府県パズル」（作　大塩哲史　演出・登米裕一=キリンバズウカ）<br />
9/8-9/17　<a href="http://amayadori.sub.jp/">アマヤドリ</a>（ひょっとこ乱舞改め）「フリル」（作・演出　広田淳一）</p>

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		<item>
		<title>劇団しようよ「ガールズ、遠く－バージンセンチネル－」（クロスレビュー挑戦編第27回）</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20731/</link>
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		<pubDate>Wed, 02 May 2012 14:44:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[クロスレビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[「劇団しようよ」は、作家・演出家・俳優の大原渉平と、音楽を担当する吉見拓哉を中心に結成。「団体名のぱっと見のダサさによって印象に先手を打ち、劇場にてそれを覆すように努めながらも、覆さないまま晒すかのように見せかけて、実は [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<div class="sp_intro">
「劇団しようよ」は、作家・演出家・俳優の大原渉平と、音楽を担当する吉見拓哉を中心に結成。「団体名のぱっと見のダサさによって印象に先手を打ち、劇場にてそれを覆すように努めながらも、覆さないまま晒すかのように見せかけて、実はきっちり覆すのかもしれない」（劇団HP）そうです。今回の作品は、2011年7月から路上を中心に展開してきた《4のつく日のパフォーマンス》『ガールズ、遠く』の劇場完結版。「総勢11人の出演者が蝶のように舞い、蜂のように刺す70分」と述べています。どのような公演だったのか。レビューは、★印による5段階評価と400字コメント。掲載は到着順。末尾の括弧内は観劇日時です。（編集部）
</div>
<p><span id="more-20731"></span></p>
<p>▽<strong>森山直人</strong>（京都造形芸術大学教授、演劇批評、現代演劇論）<br />
★★☆（2.5）<br />
　「きっとこの芝居を作った人たちは、ただ心の底から泣きたかっただけなのだろう」ということは強く伝わってくる作品である。不穏なたとえが許されるなら、ここでは主役級の役者たち（男子）は自傷行為のように泣きじゃくる（ストーリーの上でも号泣と去勢は完全に重ね合されている）。その意味ではとても痛ましい。痛ましいがやはりそれは「少年の心の叫び」の域を出るものではなく、一本の表現＝作品としては自立していない。一人の少年が生まれてから死ぬまでの成長過程を普遍的な視点でとらえようとするドラマツルギーは柴幸男に似ているが－私は柴を評価しないが－、テクニックの自立性という点ではままごとの方が上である。コロス的役割を果たす役者たちが手にする小型ハンドマイクや、登場人物の内面の動きになど一切共感することなく仕事しつづけるムーヴィングライト、それに生演奏などは、もう少し自覚的に使えば効果が倍増しただろう。<br />
（4月17日19:00の回）</p>
<p>▽<strong>水牛健太郎</strong>（ワンダーランド編集長）<br />
　★☆（1.5）<br />
　たとえば漱石の『夢十夜』の第三夜は文庫本で四ページに満たないが、数万字に及ぶ批評や分析が行われてもなお、語り尽くされない。小説は、単なる単語や文章の集合以上の、独自の生命（比喩だが）を持つ構造体だから、このようなことが起きる。演劇も同じ。セリフや演技の集合以上のものである。<br />
　この作品は、強すぎる観念の壁に阻まれて目の前の女性と「出会う」ことができない男を主人公にしている。作品そのものにも同じ病がある。この頭でっかちな作品が出会い損ねているのは「劇」というものだ。よく練られた言葉、身をよじって心の苦しみを訴える役者。それらをいくら集めても、「劇」はそこに立ち上がらなかった。<br />
　音楽との関係も難しい。表現者として二本の脚で立っているギタリスト吉見拓哉に、作品自体が依存してしまっていると見えた。作・演出の大原渉平は独り立ちを真剣に考えるべきだ。<br />
（4月28日15:00の回）</p>
<p>▽<strong>中西理</strong>（演劇批評誌「act」編集長、演劇舞踊批評、ブログ「中西理の大阪日記」）<br />
　★★★<br />
　劇団しようよは悪い芝居などに俳優として参加している大原渉平の主宰する劇団。ただ現在メンバーは大原と今回も生演奏で音楽を提供した吉見拓哉だけなのでプロデュースユニットと考えた方がいいのかもしれない。「ガールズ、遠く」は実は大原と吉見の２人が毎月4がつく日（4日、14日、24日）に路上パフォーマンスとして行ってきた路上パフォーマンスの集大成的な公演となった。<br />
　性に対する葛藤があからさまに語られるなど内容があまりにも「中２病」じみていて、最初はちょっとついていけないような気分だったが、終わりまで見ると見ごたえがあった。大原自身の分身を思わせる「僕」という男が登場して、生まれてすぐから老齢になるまで人生の時々の「僕」に「僕１」「僕２」などと名を付けて、何人もの俳優が演じ継いでいく。こうした手法はマームとジプシーやままごとといった東京のポストゼロ年代の劇団との共通点を感じさせポストゼロ年代特有の特徴を共有している。ただ一方でセリフは拡声器を使っているが、それがどういう効果を生んでいるのかいまひとつはっきりとはしない。おそらく、路上パフォーマンスとしてやっていた時には必要だった演出が残っているのだと思われたが、そのあたりは先に挙げた東京の劇団とくらべ稚拙さが目立つのも確かで発展途上の感が強かった。<br />
（4月28日15:00の回）</p>
<p>【上演記録】<br />
<a href="http://gkd-444.net/top.html">劇団しようよ</a>　「ガールズ、遠く－バージンセンチネル－」<br />
京都・東山青少年活動センター創造活動室（2012年4月26日-30日）</p>
<p>【出演】石原慎也　西村花織(月面クロワッサン)　玉城大祐(劇団発泡鉄)　出村弘美　宗岡ルリ　脇田友　地主辰生　井戸綾子　阿部潤(イッパイアンテナ) ／ 大原渉平　吉見拓哉</p>
<p>【策・演出】大原渉平(劇団しようよ)<br />
【音楽・演奏】吉見拓哉(劇団しようよ)<br />
【ドラマトゥルク・制作】稲垣貴俊<br />
【舞台監督】稲荷(企画集団FRONTIER)<br />
【音響】中野千弘(BS-Ⅱ)<br />
【照明】西崎浩造(キザシ)<br />
【舞台美術】小西梨絵<br />
【宣伝美術】田佐印子(劇団しようよ)<br />
【WEB】田中誠人 桑折慧 【演出助手】住川愛<br />
【衣裳】宗岡ルリ<br />
【フライヤー写真】(表面)鈴木トオル (裏面)山口真由子 (役者写真)田佐印子(劇団しようよ)<br />
【制作協力】坪井梢 成田果央<br />
【共催】(財)京都市ユースサービス協会<br />
【製作】劇団しようよ<br />
【協力】イッパイアンテナ 月面クロワッサン 劇団発砲鉄 企画集団FRONTIER キザシ BS-Ⅱ 東山青少年活動センター</p>
<p>◆アフタートーク／ゲスト（敬称略）◆<br />
26日（木）19:00 &#8230; 杉原邦生［KUNIO］<br />
27日（金）19:00 &#8230; 作道雄・丸山交通公園［月面クロワッサン］<br />
28日（土）15:00 &#8230; 出演者トーク・大原渉平欠席裁判<br />
28日（土）19:00 &#8230; 岡田太郎［悪い芝居 / Jamokashi / Rude Stompers]<br />
29日（日）11:00 &#8230; 中谷和代［劇団ソノノチ］<br />
29日（日）15:00 &#8230; ピンク地底人3号［ピンク地底人］<br />
＊30日（月・祝）13:00の回はアフタートークなし</p>
<p>前売1000円　当日1300円◎ プレビュー公演800円<br />
過去公演映像上映会　500円<br />
27日15時…劇団しようよvol.2『茶摘み』<br />
28日11時…劇弾ジャスティスアーミー最終撃『亡骸達の都市伝説』</p>

]]></content:encoded>
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		<title>忘れられない1冊、伝えたい1冊　第5回</title>
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		<pubDate>Wed, 02 May 2012 06:45:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[忘れられない一冊]]></category>
		<category><![CDATA[松田正隆]]></category>

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		<description><![CDATA[◎「マッチ売りの少女／象－別役実戯曲集」（三一書房、絶版） 　松田正隆 　戯曲というものを知ったのはこの本があったからだろうし、今でも、私にとってきわめて重要な戯曲である。「マッチ売りの少女」の場合、舞台に老夫婦が現れて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎「マッチ売りの少女／象－別役実戯曲集」（三一書房、絶版）<br />
　松田正隆</p>
<p><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/betsuyaku-minoru_matchgilr01.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/betsuyaku-minoru_matchgilr01-132x200.jpg" alt="「マッチ売りの少女／象－別役実戯曲集」表紙"  width="132" height="200" class="alignright size-thumbnail wp-image-20724" /></a>　戯曲というものを知ったのはこの本があったからだろうし、今でも、私にとってきわめて重要な戯曲である。「マッチ売りの少女」の場合、舞台に老夫婦が現れて、そのあと、姉弟が入ってきたときに、内にいる人と外から来る人の違いが出るのだということが、ものすごいことに思えてならなかった。ひとまず、そのことがこの戯曲の最大の奇妙さである、と思った。舞台で戯曲を上演するということはこれほどまでの虚構を成立させることができる。そこにそれまで住んでいた人とそこにやって来る人の「差」がたちどころに出現し、なにかがなに食わぬ顔で始まるのである。そのことになによりも驚いたのだった。「家の中の人」も「外からの人」も同じように「舞台のそで」から現れているにもかかわらず、である。<br />
<span id="more-20709"></span><br />
　つまり、いつかなされるであろう俳優のせりふによる演技がその「内」「外」の差異を際立たせることになる。この戯曲作品の文学的な解釈よりも、ただそこに、おそらくは上演によって決定的な差異が生まれていることが不思議でならなかったし、それこそが私がその後、演劇に魅かれてゆく理由だった。</p>
<p>　ある役柄がリアルさをもって立ちあらわれるというより、この人はその人よりも内側もしくは外側の位置に「ある」という設定の確信がえられるということのほうがものすごいことだと思うのだ。なぜなら、そもそも舞台の上にはなにもないのだし、そのなにもないところから、まるで取り返しがつかないことであるかのように設定がうかんで来るというのはなにか奇跡的なことのように思える。そのような「事の起こり様」を経験する戯曲にはなかなか出会えない。</p>
<p>　では、どのような「事の起こり」があったのか。私たちには決して知りようのない外部のことが表象されたのである。現前する人間によって外部のことが代理され再現されたのである。</p>
<div class="quote">
男　（思いついて）外は・・・・・・雪でしたか？<br />
女　・・・・・・。（うなずく）<br />
妻　（思いついて）コナ・・・・・・ユキ？<br />
女　え・・・・・・。（うなずく）</p>
<p>　しゅんとする。
</p></div>
<p>　外のことについて男も妻も何も知りえず、それゆえ彼らは外のことを訊ねるしかなかったのだが、その問いに対してついさっきまで外にいたであろう女がかろうじて外のことについてうなずいている。そして、その了解が、つまり「外は雪であり、コナユキであること」が内にもたらされたとき、一同はしゅんとしなければならなかった。もちろん、これは、嘘をついた（女が降ってもいない雪のことを虚構として成り立たせ、一同がそれを承認した）ということへのうしろめたさにとどまらないだろう。今はひとまずどうあれ、かつて雪は、降ったのである。それゆえ、雪にまつわるおそろしい出来事は確かにあったのだ。</p>
<p>　出来事はあった。それ（外）は現在（内）と断絶している。今を生きる私たちは、それを想起することでしか外部との関わりようの術がない、というのが演劇の、そして戯曲の条件である。</p>
<p>　尾形亀之助という詩人と出会ったのも、この戯曲集を読んだからである。あとがきにその詩人についての論評がある。</p>
<p>　尾形亀之助の詩には、この世の中で私がこの私（私の精神と身体）を生きてしまっていることに気付く時間というのがあるが、そんなことばかりが書かれている。たとえば、知人と世間話をして、帰る途中で私のいるこの光景のもたらす感触がたった一人、私だけのものであると思うときにそんなことになる。それでも、この世界は自分の知らないところで勝手に動き、他人から自分が誰それと言われたり自分も世の中に対してああだこうだ言ったりすることが不思議でならないのだ。</p>
<p>　「昼の街は大きすぎる」という題の詩がある。最後に引用したい。</p>
<div class="quote">
　私は歩いている自分の足の小さすぎるのに気がついた<br />
　電車位の大きさがなければ醜いのであった
</div>
<p>　この人は、みもふたもないことを書くのだな、と思うが、そう言われてみればいつか私もそうだったことがあると確かに思うのだった。</p>
<p>【筆者略歴】<br />
　松田正隆 （まつだ・まさたか）<br />
<div id="attachment_20729" class="wp-caption alignleft" style="width: 173px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/matsuda_masataka01.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/matsuda_masataka01-163x200.jpg" alt="松田正隆さん"  width="163" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20729" /></a><p class="wp-caption-text">【撮影=相模友士郎】</p></div> 　劇作家、演出家、マレビトの会代表。1962年、長崎県に生まれる。1990年〜1997年まで劇団「時空劇場」代表を務め、劇作・演出を手がける。 1994年『坂の上の家』で第一回OMS戯曲賞大賞受賞。1996年『海と日傘』で岸田國士戯曲賞受賞。1997年『月の岬』で読売演劇大賞作品賞受賞。 1998年『夏の砂の上』で読売文学賞受賞。2000年には京都府文化奨励賞を受賞。劇団解散後、フリーの劇作家として、青年団、文学座、演劇集団円などに作品を書き下ろしている。舞台戯曲の他、黒木和雄監督作品『美しい夏キリシマ』にて映画脚本を手がけ、『紙屋悦子の青春』は原作として映画化されている。2003年8月より「マレビトの会」を結成し、劇作及び演出活動を開始。マレビトの会の主な作品に『島式振動器官』『クリプトグラフ』『声紋都市―父への手紙』『PARK CITY』『都市日記 maizuru』などがある。現在、京都造形芸術大学 舞台芸術学科客員教授</p>

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		<title>サンプル「自慢の息子」</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20713/</link>
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		<pubDate>Wed, 02 May 2012 06:45:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[西川泰功]]></category>

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		<description><![CDATA[◎移動する主体が＜まなざし＞の変容を照らす 　西川泰功 １ 　なぜ人は自慢するのでしょう。対象に愛情があり、そこに誇りを感じる属性を発見したとき、自慢したくなるとしましょう。自慢したい気持ちを心にとどめて、人に伝えないと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎移動する主体が＜まなざし＞の変容を照らす<br />
　西川泰功<br />
<div id="attachment_20739" class="wp-caption alignright" style="width: 151px"><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/sample_jiman01a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/sample_jiman01a-141x200.jpg" alt="「自慢の息子」 公演チラシ"  width="141" height="200" class="size-thumbnail wp-image-20739" /></a><p class="wp-caption-text">「自慢の息子」 公演チラシ</p></div></p>
<p>１<br />
　なぜ人は自慢するのでしょう。対象に愛情があり、そこに誇りを感じる属性を発見したとき、自慢したくなるとしましょう。自慢したい気持ちを心にとどめて、人に伝えないという選択肢だってあるのですが、そうせずに、人に言葉で自慢する。このとき何が起こっていると言えるでしょうか。自慢をすれば自慢の対象が他人のまなざしに晒されることになるでしょう。それは自慢が真に自慢に値するかを判定されることにもなるはずです。誰に対しても一笑にふされない自慢であるならば、なるほど自慢するだけの何かであり、それは思いきって自慢に値すると言ってもいいかもしれません。<br />
<span id="more-20713"></span><br />
　劇団サンプルの『自慢の息子』の冒頭で、ある母がある男に息子の自慢をします。正という名前のその息子は、自分の国をつくったらしいのです。母は息子を誇らしく思っている。男は話半分で聞いているようにみえますが、話を否定するわけでもありません。この二人の関係に、劇の構築原理の萌芽が凝縮されていると思います。この男は、自慢を判定するだけの視線を、正の母に注ぎはしないのです。戯曲に忠実に書くならば、男は「フォーク代わりにナイフを使って」、果物を食べています。ですから目線と意識をおのずと果物へ向け、母の自慢話に「あ、そう」と返すくらいしかしません。自慢の妥当性は棚に上げられ、判定が先送りにされます。それどころか、男は正の母を正の国へ導くガイドになります。判定者であるはずの男が、自慢の虚構性へ誘う役を担わされている。この劇が現実の妥当性を踏み越え、観客を虚構性へ導くものだということが理解されるかに思えます。</p>
<p>　しかし、観客はさらに混乱させられるでしょう。なぜなら安心できる虚構性へ踏み込むことも許されないからです。舞台に大きく、しかも局所的に投射されるハワイの絵葉書を前に、観客はできすぎた虚構性へも懐疑の視線を注がざるをえません。現実性への通路を閉ざしておきながら、虚構性への回路を整えることもなされていない。正確に言えば、虚構性への通路も巧妙に回避されているという印象です。なるほど演劇をよくご存知の観客にとっては、現実性の基盤とされてきたリアリズムと虚構性の陶酔へ導くとされてきたスペクタクルが、ともに疑われている事態に気づくでしょう。明言されることはありませんが、正の国はニートの男性が自宅をそう呼んでいるにすぎないらしい。しかも母の方はどうやら痴呆老人で、正の国へ訪問するというよりは、帰られなくなった自宅へ帰宅するらしい。観客は、これらいっさいの現実の妥当性を開示されることはなく、あくまで母と息子の妄想を通して劇世界へ誘われるのです。といって、すでに書いたように虚構性は肯定されていないのですから、確固とした妄想として妄想があるわけではない。事態はつねに、現実と妄想の間で宙づりにされたままなのです。</p>
<p>２<br />
　もう少し具体的に解剖してみましょう。俳優の演技は平田オリザ氏と青年団の系譜である現代口語演劇によるものです。この演技法は、明治以降、近代劇運動の流れで翻訳劇を行うなかから成立したリアリズムの演技スタイル、言い換えれば「新劇」と呼ばれてきた演劇のスタイルを、現代口語というレンズを通して修正した現代の近代劇リアリズムと考えられるでしょう。近代劇が特徴的に持っていた自然主義に基づくリアリズムが踏まえられていると思います。平田氏の現代口語演劇がその線で徹底されているのは、アリストテレスの三一致の法則（時、場所、筋の統一）が厳守されているからです（その意味で、平田氏の現代口語演劇は古典主義でもあります）。これによって科学的で実証的な立場をとる自然主義リアリズムの基盤をつくることに成功しています。むろん現代口語演劇における三一致の法則はすでにチェルフィッチュによって放棄されており、現代口語マジックリアリズムが誕生しています（ⅰ）。また以前、ぼくが批判した柴幸男氏およびままごとの試みは、現代口語演劇でありかつ音楽劇であるという点において、チェルフィッチュとは別の仕方でオリザ式の近代劇を乗り越えている現代口語ミュージカルと考えることもできるでしょう（ⅱ）。</p>
<p>　松井周氏の『自慢の息子』は、現代口語で書かれています。しかし、自然主義に基づくリアリズムでもマジックリアリズムでもミュージカルでもありません。あえて言えば、象徴劇のようにみえなくはないのですが、そう言い切ることにも躊躇いを覚えます。象徴という強い同化や顕現もやはり拒んでいるように感じるからです。</p>
<p>　整理しましょう。俳優の身体はリアリズムです。台詞は現代口語です。しかし戯曲の構築原理がはっきりしない。ですから、独自のやり方で、この劇について考察しなくてはなりません。</p>
<p>　先述したように、事態が現実と虚構の間で宙づりになっているという印象を持ちます。これは戯曲の構築原理が、現実層と寓話層の間を揺れているからだと考えることができます。寓話層では、母が息子のつくった国へ移住するという枠組みがあります。現実層では、気がふれた母がニートの息子の待つ自宅へ帰宅する話と受け取ることができます。現実層は基本的に隠されていますが、例えば、以下のような台詞から読み取ることができます。母が正の国に到着し、息子である正と交わす最初の会話です。</p>
<div class="quote">
正の母　正！　正！<br />
正　え？<br />
正の母　（サングラスを外して）やっと着いたよ。<br />
正　どこ行ってたんだよ。
</div>
<p>　息子が長らく会っていない母親に「どこ行ってたんだよ」とは言わないでしょう。こういった現実性の欠片が付着している台詞から、劇世界の現実層を想像する他ありません。寓話層での矛盾が現実層として開示するわけです。常識的に考えれば、こういう箇所は戯曲の穴であり、完成度を下げるものです。寓話として世界を構築すれば、その方が「よくつくり込まれた作品」として容易に理解されるでしょう。ですが、すでに述べたように虚構性の安住も回避されているからには、裂け目から現実性もみえなくてはならない。この穴はそういう仕掛けだと考えられるでしょうし、そう考えなければ、本作の豊かさはすぐに失われてしまうでしょう。</p>
<p>３<br />
　寓話層の裂け目から現実層が少しだけみえる。これによって寓話層に傷をつけると同時に、現実層の存在をかすかに知らせています。では、寓話層と現実層の間にとどまりつづけることに一体どんな意味があるのでしょうか。</p>
<p>　ぼくが寓話層と言うのは、本作が国というもののあり方を探っていると読み取ろうとするからです。正の国が変容を迫られるのは、母が男と結婚し家を去ろうとするときでした。正は母に精神的に依存しています。もし正がひきこもりであるならば、経済的にも母に依存していることになるでしょう。母の結婚相手である男は流通の象徴として登場し、正の国へ人や物を届けますし、行商人のように商品を売りつけようとし、自らを「パイプ」と名乗ります。母が男と家を去るということは、正から流通を奪うことになる。国家が資本と結託しているならば、流通を奪われた国は存続できません。もしも自給自足が可能であるなら正の国が崩壊の危機に晒されることはなかったでしょうが、自給自足ができる国ではないのでしょう。ならば別の資源を探さなくてはなりません。</p>
<p>　正は母が去るのと同じ頃、浅沼咲子という女性と結婚をします。咲子は元々、正が何かの企業のカスタマーサービスで電話ごしに知り合った女性であり、仕事を辞め、正の国へ移住しています。正は当初から咲子を王妃に迎えたいと企んでいましたが、ある時、「希望の丘」と呼ばれるぬいぐるみが大量に置かれた祭壇の前で、レイプに失敗し、以降、咲子に嫌われていました。一度は「うるさい！　出てけ」と咲子に国外追放を命じましたが、咲子の方から結婚を申し出ることになります。それは咲子と正の国へ一緒に来た兄が、咲子のもとを去ってしまったからです。この兄妹は近親相姦の関係にあり、強い精神的な結びつきがありました。他に行く場所もないと考えた咲子は、正との結婚がどれだけ辛いものでも、耐えて生きていくしかないと決意します。正がよそ者である咲子と結婚したことで、国の形体は決定的な変容をしたと考えることができます。これを明らかにするためには、咲子の兄について検討しなくてはなりません。</p>
<p>　咲子の兄は、赤の他人が襲ってくるのではないかという恐怖に駆られており、対抗するためにナイフを常備しています。そのため他人を傷つけてしまうのではと不安を抱いている。これを克服するには、隣の女の養子に志願しなくてはなりませんでした。それは同時に隣の女の息子の、陽（すでに死んでいるらしい）という名前をつけられることでもありました。この劇の登場人物は6人ですが、現実的な固有名は3つしか出てきません。正、浅沼咲子、そして陽です。正と咲子は結婚し、新しい国をつくる基盤として重要です。ではなぜ陽が重要なのか。それは、浅沼咲子の兄が偽物の陽として生きることを選ぶからに他なりません。おもしろいことに、本作で最もポジティブな存在はこの偽物の陽なのです。妹から離れ、それでも妹に愛情を持つこの兄は、偽物の陽として、地中から咲子のいる地面を支えると宣言します。一方で、正は去る母に未練を感じながらなくなく咲子との結婚に承諾しますし、咲子の方も兄を失ったために妥協して正との結婚を選んでいます。正と咲子の新しい国は、こういう緊張関係を孕むことになり、率直にポジティブなものではありません。問題は、その咲子のいる地面を、兄が地中から支えるという寓意の意味するところは何かです。</p>
<p>　ぼくの考えは、正の国の実質的な権力が、正と咲子の結婚を通じて、正の母から隣の女に移ったのだというものです。偽物の陽として隣の女の養子になった咲子の兄は、むろん義母である隣の女に食わせてもらっているのでしょう。ならば隣の女から咲子の兄へ、咲子の兄から妹の咲子へ、つまり正の国へ、資本が移動していてもおかしくはありません。つまり寓話層での「兄が地中から妹を支える」とは、現実的に考えれば「偽物の陽から正の国への贈与」になりはしないでしょうか。ここで実質的に力を持っているのは、偽物の陽の義母である隣の女なのです。<br />
<!-- 「自慢の息子」東京公演  --></p>
<div style="font-size:10px; text-align:center; line-height:140%; "><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/sample_jimanT3_0075.jpg" alt="「自慢の息子」東京公演の写真"    style="margin-bottom: 1px;"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/sample_jimanT3_0473.jpg" alt="「自慢の息子」東京公演の写真"   style="margin-left: 1px;"><br />
【写真は、「自慢の息子」東京公演から。撮影=青木司　提供=サンプル　禁無断提供】</div>
<p>４<br />
　この劇が示した興味深い観測を明らかにすることができます。それは、実母から義母へ実質的な権力が移行したことにともない、正の国が中心軸を国外に移してしまっているという点です。正の国はひきこもりの独りよがりに過ぎませんでしたが、咲子との結婚を通じて緊張関係を国の内部へ持ち込みました。それは他人との共存という意味では希望でもあったかもしれません。しかしその途端、国の中心は国外に移動し、実質的な権力を手放さなければならなくなったのです。実母から義母へという権力の移動は、正の国をさらに弱体化させるでしょう。偽物の陽の咲子への愛情が、この国の生命線になっているからです。好意だけに頼る国が永続するはずはありません。</p>
<p>　この劇は、現実層と寓話層の間にとどまるという構築原理を持っていました。観客はそこで安住を許されていないのでした。これが何を意味するか。それは、現実層と寓話層の間で、ほとんど救いようがないと思われるような人間の醜態をあたたかく笑ってみせるだけではありません。むしろ、最悪の事態がさらに悪くなるという構造転換を、幻惑的に顕示することこそ狙われていると考えたい。垣間見えていた現実層も、それを覆う寓話層も、言うなれば、一度その境界を仕切り直しているようなものです。観客は間に宙づりにされる、その位置は変わらないのですが、現実層の底は一段と深くなり、寓話層の天井はもっと高くなる。相対的に宙づりにされている間は広くなりますが、その広さのなかに正の国は溶かし込まれるように消えかかるでしょう。</p>
<p>　正と咲子のネガティブな結婚は、偽物の陽というポジティブな存在に支えられている。それは実母から義母への権力の移行を意味しました。終幕、舞台の中央に立つのは偽物の陽です。今や偽物の陽が劇世界の中心人物になっているのです。表題の『自慢の息子』とは、正だけでなく、偽物の陽をも指しているに違いありません。愛情をもとに他国へ贈与する、二つの国の媒介者です。</p>
<p>５<br />
　さて、ここまで読み進めてきて、この偽物の陽という「自慢の息子」を肯定できると考えたでしょうか。あるいは、否定的に受け止めたでしょうか。観劇されていない方のために、もう少し説明を加えます。隣の女はロックミュージックを愛好しています。したがって、隣の女の養子になった偽物の陽は、日本の若者によくいそうなオシャレ系のファッション（カーゴパンツにピンクのTシャツ！）から、ハードロック系のファッション（ノースリーブのTシャツに色彩タイツとバンダナ！）に変貌を遂げるのです。この表象から、この「自慢の息子」が何の偽物であるかを想起させられずにはいません。ぼくは、偽物の陽から正の国への贈与を、アメリカから日本への贈与の寓意としてみました。正の国はぬいぐるみを国民と見立てた独裁国家ですが、正はひきこもりという特殊性を持った日本の男性です。偽物の陽のファッションに代表されるカルチャーの本場はアメリカでしょう。なるほどこうなれば偽物の陽という「自慢の息子」が、率直にポジティブであることにも疑問が呈されることになるでしょう。そこで照らされるのは、多くの日本人（観客）が独裁国家（正の国）に注ぐまなざしが、アメリカ（偽物の陽の立場に立った観客）から日本（正の国）へ注がれるまなざしと重なるという劇構造だと受け取ることができるからです。そう言い切ってしまえば今度は、変容したまなざしが今まで笑われていた正の国に憐憫を移すというような相対的な主体性を突きつけられてしまう。現実層と寓話層の間では、相対的に気色を変える移ろいやすい主体性が浮遊しているのです。ですから、象徴を顕現させるかに思われたこの劇は、象徴の顕現そのものよりも、その象徴によって捉え返される主体性の移動を突いています。最後の台詞はこうです。</p>
<div class="quote">
男　ご覧下さい。こちらに展示されているものがこの地の始まりを表しているとされています。<br />
正の母　……（機械のように動きながら）あたし、今どこにいるの？<br />
男　……どこにでもいますよ。
</div>
<p>　中心となる母が偏在すれば、それにあわせて主体も偏在するということです。そこに意味があるとすれば、そういう方法によってしか知らない事象を知ろうとする構えができないということでしょうか。</p>
<p>　ぼく自身は、主体の偏在を批評方法として利用するだけでなく、生活主体として選択してよいのかという懐疑を持っています。ここで書き表そうと努めた主体性の移動は、観劇者の心に批評的な効果を生じさせるでしょう。これによって、みなれた風景は一変し、今までみていたものが自分たちの姿だったのだと後から気づかされることにもなるでしょう。これをおもしろいと感じます。しかし移動する主体そのものには、ポストコロニアリズム（独立後も継続される植民地主義）を超える契機は含まれていないと思う。むろん簡単に超えられる道があるとも思いませんが、危惧するのは、ポストコロニアリズムという矛盾を批評的な感性という傘の下で暗に肯定してしまいはしないかということです。本作がポストコロニアリズムという政治性を含む以上、こういう状態になっているけれど、仕方がない、肯定しよう、としたいならば、なぜそうなのかと問いたくなりますし、正直なところそれではつまらないとも思います。そういう矛盾を観劇者自身（私）が抱えてしまう。つまり、この劇をおもしろいと感じながら、一方でこれでは変われないと虚しくなるのです。こういった屈折を作家が織り込んでいないとは思いません。ですからより正確にその虚しさについて言えば、こうなるのを理解せざるをえないという虚しさです。</p>
<p>　しかし、芸術家には、芸術を通してこの種の虚しさを超えることが許されているのではなかったでしょうか。この指摘は無い物ねだりにすぎないでしょう。そうだとしても、それをこそみたかったのだと書き残すことには意義があるだろうと思います。なぜなら、ぼくがここで求めているのは、批評を手放さずに可能性の世界をどう描くか、ということだからです。この問いは、現実と虚構を宙づりにしたまま何ができるか、という本作に特徴的な構築原理の変形でもあります。日本におけるポストコロニアリズムの起源となった1945年の敗戦以来、最悪とさえ言える悪夢のような現実が現に広がっている、沈みかけた日本で、21世紀初頭を、残り何十年も暮らさなければならない、こう言ってよければ「ぼくら」に、現実を諦めず、虚構に陶酔せず、一体、何ができるかという、微妙だが、しかし真摯な問いに、これは重なると思うのです。裏返せば、こういった問いが出てくるのは、「ぼくら」が久しく忘れていた、あるいはカッコ付きでしか許しえなかった切実な問いの許される「特別な時間」が、もうすぐそこまで来ている証でもあるかもしれません。作品が開示する世界の高台から、ぼくは何か少しでも晴れた眺望を感じ取りたかったのだと思います。</p>
<p>（2012年4月5日、名古屋の七ツ寺共同スタジオで観劇）</p>
<div style="font-size:small;">【注】<br />
（i） チェルフィッチュとマジックリアリズムについて補足をします。モツ鍋の反復（「ホットペッパー」）、極度の身体冷化（「クーラー」）、踏んだ死にかけの蝉（「お別れの挨拶」）、長丁場のセックス（『３月の五日間』）、日記に書きつける円（『フリータイム』）、疑似竜宮城への迷走（『ゾウガメのソニックライフ』）と、劇を駆動させる戯曲の構築原理はしばしば魔術的です。台詞やシーンの繰り返しや身ぶりの重視という点でも魔術を想起させます。また基礎にある身体のあり方は現代口語のリアリズムですから、ぼくがここでマジックリアリズムと言うのも的外れではないだろうと思います。そもそも「自分本位の（selfish）」をさらに幼稚化させた名前を持つこの劇団が、魔術（遊び、無意識）に近づくのは当然と言えば当然だったでしょう。</p>
<p>（ⅱ）2012年4月現在、ぼくはままごとの作品を『わが星』しか観劇したことがありませんし、戯曲も『わが星』しか読んだことがありません。すみません。</p></div>
<p>【筆者略歴】<br />
　西川泰功（にしかわ・やすのり）<br />
　1986年山口県生まれ。2009年より静岡県在住。ライター。静岡アート郷土史プロジェクト 芸術批評誌「DARA DA MONDE（だらだもんで）」（http://ddm.sndcafe.net/）編集代表（オルタナティブスペース・スノドカフェ発行）。ライフワークとして創作に従事し、「西河真功」名義で書いた小説『懐妊祝い』で第23回早稲田文学新人賞最終候補。ブログ「妊婦／忍者」（http://nin2pujya.exblog.jp/）をたまに更新します。</p>
<p>【上演記録】<br />
<a href="http://www.samplenet.org/yotei.htm">サンプル</a> 「自慢の息子」（第55回岸田國士戯曲賞受賞作）<br />
全国ツアー （2012年4月4日-5月13日、上演時間は約100分）<br />
作・演出：松井周</p>
<p>【出演】<br />
古舘寛治(サンプル・青年団)<br />
古屋隆太(サンプル・青年団)<br />
奥田洋平(サンプル・青年団)<br />
野津あおい(サンプル)<br />
兵藤公美(青年団)<br />
羽場睦子</p>
<p>【スタッフ】<br />
 舞台監督：熊谷祐子<br />
舞台美術：杉山至＋鴉屋<br />
照明：木藤歩<br />
音響：中村嘉宏<br />
衣裳：小松陽佳留(une chrysantheme)<br />
ドラマターグ：野村政之<br />
映像・WEB：マッキー<br />
英語字幕：小畑克典・門田美和<br />
宣伝写真：momoko matsumoto(BEAM×10inc.)<br />
フライヤーデザイン：京(kyo.designworks)<br />
票券：中山静子(quinada)<br />
制作：三好佐智子(quinada)・坂田厚子(quinada)・冨永直子</p>
<p>【名古屋公演】<br />
七ツ寺共同スタジオ（2012年4月4日-5日）<br />
◆ポストパフォーマンストーク　4月4日：松井周<br />
【三重公演】<br />
三重県文化会館小ホール（4月7日-8日）<br />
◆ポストパフォーマンストーク　4月7日：岩井秀人（ハイバイ）<br />
【京都公演】<br />
アトリエ劇研（4月10日-11日）<br />
◆ポストパフォーマンストーク　4月10日：ごまのはえ（ニットキャップシアター）<br />
【北九州】<br />
北九州芸術劇場（4月14日-15日）<br />
◆ポストパフォーマンストーク　4月14日：岩井秀人（ハイバイ）<br />
【東京公演】<br />
こまばアゴラ劇場（4月20日-5月6日）<br />
◆ポストパフォーマンストーク<br />
20日(金)：サンプルメンバートーク<br />
22日(日)：田川啓介（水素74％）<br />
24日(火)：長塚圭史（阿佐ヶ谷スパイダース）<br />
25日(水)：本谷有希子（劇団本谷有希子）<br />
◆英語字幕付き上演<br />
4月28日(土) 14：00、18：00<br />
【札幌】<br />
コンカリーニョ（5月13日）<br />
ポストパフォーマンストーク　5月13日：松井周</p>
<p>チケット料金：<br />
前売り　3,000円　※全席自由(整理番号付)<br />
 当日　3,300円<br />
 学生　2,500円(WEB予約・各劇場のみ取扱い／要学生証提示)<br />
高校生以下　2,000円(三重県文化会館のみ取扱い／要学生証提示)<br />
コンカリーニョ会員価格　2,700円(北海道公演のみ)<br />
半券割引き<br />
特別企画　『歓待』『東京人間喜劇』の半券提示で200円引き (東京公演のみ)</p>
<p>提携：七ツ寺共同スタジオ　三重県文化会館　レディオキューブFM三重　アトリエ劇研　北九州芸術劇場　(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場　 NPO法人コンカリーニョ<br />
主催：サンプル　quinada<br />
助成：公益財団法人セゾン文化財団<br />
協力：小熊ヒデジ　青年団　レトル　にしすがも創造舎　シバイエンジン  </p>

]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【レクチャー三昧】2012年5月</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20702/</link>
		<comments>http://www.wonderlands.jp/archives/20702/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 30 Apr 2012 14:49:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[高橋楓]]></category>

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		<description><![CDATA[　ようやっと暖かくなり身体に優しい季節となりました。個人的には首都圏直下型地震の可能性におびえておりますが、それでもどうしても出かけたい芝居もレクチャーもございます。（6月予定の一部を含みます） （高橋楓） ▽劇評家講座 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>　ようやっと暖かくなり身体に優しい季節となりました。個人的には首都圏直下型地震の可能性におびえておりますが、それでもどうしても出かけたい芝居もレクチャーもございます。（6月予定の一部を含みます）<br />
（高橋楓）<br />
<span id="more-20702"></span></p>
<p>▽劇評家講座2012/13<br />
2012年6月24日(日)～全10回。各回17:00〜20:00。<br />
座・高円寺地下３Fけいこば２<br />
12,000円、要申込、申込締切5月末、定員20名。<br />
国際演劇評論家協会日本センター・シアターアーツ編集部主催。<br />
講師は以下の諸氏：西堂行人、柾木博行、他シアターアーツ編集部＋α<br />
<a href="http://theatrearts.activist.jp/2012/04/aict201213.html#more">http://theatrearts.activist.jp/2012/04/aict201213.html#more</a></p>
<p>▽舞台芸術のクリティック16　理論編「舞台を読む」<br />
2012年<br />
(1)6月23日（土）15：00～17：00<br />
(2)9月15日（土）15：00～17：00<br />
(3)11月10日（土）15：00～17：00<br />
(4)2013年3月9日（土）15：00～17：00<br />
世田谷文化生活情報センター<br />
4,000円、要申込。<br />
世田谷パブリックシアター主催。<br />
講師は以下の諸氏：<br />
八角聡仁、森山直人、高橋宏幸。<br />
<a href="http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/16.html">http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/16.html</a></p>
<p>▽舞台芸術のクリティック16　合評編「批評を書く」<br />
▽▽ ロンドン・ヤングヴィック劇場『カフカの猿』<br />
2012年5月26日（土）14:00～17:00<br />
世田谷パブリックシアター劇場事務所内会議室<br />
無料、ただし該当作品を観劇のうえ批評を締切(5月20日（日）必着)までに提出のこと。<br />
世田谷パブリックシアター主催。<br />
講師は八角聡仁氏、森山直人氏<br />
<a href="http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/16.html">http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/16.html</a></p>
<p>▽日独シンポジウム:日本とドイツにおける近年の社会変化<br />
2012年5月8日(火)10:00～18:15<br />
国際交流基金 JFICホール「さくら」<br />
日本語、ドイツ語 （同時通訳付）<br />
無料、要申込。<br />
<a href="http://www.jpf.go.jp/j/intel/new/1204/04-03.html">http://www.jpf.go.jp/j/intel/new/1204/04-03.html</a> </p>
<p>▽再掲▽バロック演劇の楽しみ―P.コルネイユを中心に(有料)<br />
2012年5月9、16、23、30日(各水曜日)14:30～16:00<br />
日仏会館501室<br />
8,000円、要申込。<br />
講師は伊藤洋氏（早稲田大学名誉教授・早稲田大学演劇博物館顧問・前日仏会館長)<br />
<a href="http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/events/details/188--p.html">http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/events/details/188&#8211;p.html<br />
</a><br />
▽フクシマ－その政治的・文化的帰結／国際的政治家としてのアンゲラ・ミルケル<br />
2012年5月9日(水)11:00～12:30<br />
上智大学<br />
ドイツ語、同時通訳付。<br />
申込不要。<br />
<a href="http://www.info.sophia.ac.jp/ei/pdfs/120509_merkelsimpo.pdf">http://www.info.sophia.ac.jp/ei/pdfs/120509_merkelsimpo.pdf<br />
</a><br />
▽東日本大震災と知の役割<br />
2012年5月9日(水)～全7回。各回18：00～19：30<br />
桜美林大学町田キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.obirin.ac.jp/topics/event/year_2012/20120419_1.html">http://www.obirin.ac.jp/topics/event/year_2012/20120419_1.html</a></p>
<p>▽再掲▽東京工芸大学芸術学部春季公開講座<br />
2012年、全四回<br />
東京工芸大学中野キャンパス芸術情報館<br />
無料、要申込、定員各回先着順200名。<br />
申込期間2012年4月2日（月）～5月9日（水）必着<br />
対象者は主に中野区在住・在勤・在学の方<br />
(＊中野区外でもお願いしたら入れていただけました）<br />
▽▽映像は、なぜカットを割るのか?<br />
5月26日(土)13:30～15:30<br />
講師は山川直人氏（芸術学部映像学科教授）<br />
▽▽ゲームと遊びの学び－人間は遊ぶ存在である－<br />
6月2日(土) 13:30～15:30<br />
講師は岩谷徹氏(芸術学部ゲーム学科教授）<br />
▽▽デザインと幸福　－デザインにおける社会貢献の可能性－<br />
6月16日（土）13:30～15:30<br />
講師は福島治氏（芸術学部デザイン学科VCコース教授）<br />
▽▽マンガの巨人たち　－戦後マンガ史ノート－<br />
6月23日（土）13:30～15:30<br />
講師は畑中純氏(芸術学部マンガ学科教授）<br />
<a href="http://www.t-kougei.ac.jp/guide/extension/spring_e/">http://www.t-kougei.ac.jp/guide/extension/spring_e/<br />
</a><br />
▽スイス－諸文化のモザイク<br />
2012年5月10日(木)17:00～18:30<br />
上智大学<br />
ドイツ語、要約通訳付。<br />
申込不要。<br />
<a href="http://www.info.sophia.ac.jp/ei/pdfs/120510_grosjean.pdf">http://www.info.sophia.ac.jp/ei/pdfs/120510_grosjean.pdf</a></p>
<p>▽トップデザインセミナー<br />
2012年5月11日(金)～全10回予定<br />
武蔵野美術大学デザイン・ラウンジ<br />
1,000円、要申込。<br />
<a href="http://www.musabi.ac.jp/news/2012/0420_koho1_5715.html">http://www.musabi.ac.jp/news/2012/0420_koho1_5715.html</a></p>
<p>▽21世紀の動物園をどうデザインするか─人と自然の共生社会を考える<br />
2012年5月11日（金）19:00～20:30<br />
立教大学池袋キャンパス 11号館2階 A203教室<br />
講師は： 小宮輝之氏（上野動物園前園長）、村田浩一氏よこはま動物園ズーラシア園長）、江戸家猫八氏（演芸家）<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10718/">http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10718/</a></p>
<p>▽製作60周年日仏映画作品『おかあさん』<br />
2012年05月11日 (金)16:00～17:45<br />
東京日仏学院<br />
無料、当日15:00より整理券配布。<br />
<a href="http://www.institut.jp/ja/evenements/11843">http://www.institut.jp/ja/evenements/11843</a></p>
<p>▽フランソワ・トリュフォー生誕80周年：『日曜日が待ち遠しい！』<br />
2012年05月11日 (金) 19:30～21:30<br />
東京日仏学院<br />
上映前に舞台挨拶あり。<br />
無料、当日15:00より整理券配布。<br />
<a href="http://www.institut.jp/ja/evenements/11848">http://www.institut.jp/ja/evenements/11848</a></p>
<p>▽アジアにおける「核」と私たち―フクシマを見つめながら<br />
2012年5月11日(金)～全10回。各回16:30～18:00<br />
慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階517番教室<br />
無料、要申込。<br />
<a href="http://www.kieas.keio.ac.jp/lectures/index.html">http://www.kieas.keio.ac.jp/lectures/index.html</a></p>
<p>▽新しいインダス文明像を求めて<br />
2012年5月11日（金）18：30～20：00<br />
ハートピア京都<br />
無料、要申込。<br />
総合地球環境学研究所主催。<br />
<a href="http://www.nihu.jp/events/2012/04/12/shimin/">http://www.nihu.jp/events/2012/04/12/shimin/</a></p>
<p>▽14:20カンパニーによるニュー・マジック・ショー！<br />
2012年05月12日(土)14:00～19:00<br />
東京日仏学院<br />
無料。<br />
<a href="http://www.institut.jp/ja/evenements/11762">http://www.institut.jp/ja/evenements/11762</a></p>
<p>▽縄文人と動物たち<br />
2012年5月12日（土）14:00～15:30<br />
東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.l.u-tokyo.ac.jp/event/2842.html">http://www.l.u-tokyo.ac.jp/event/2842.html</a></p>
<p>▽再掲▽つかこうへいの70年代<br />
2012年5月14日(月)19：00～20：30(18:30開場）<br />
早稲田大学大隈記念講堂（大講堂）<br />
無料、予約不要。<br />
講師は以下の諸氏：<br />
風間杜夫（俳優）、平田満（俳優）、根岸季衣（俳優)、扇田昭彦（演劇評論家）。<br />
<a href="http://www.waseda.jp/enpaku/event/index.html#20070421">http://www.waseda.jp/enpaku/event/index.html#20070421</a></p>
<p>▽3.11以後を考える<br />
2012年5月14日（月）、5月28日（月）19:00～21:00<br />
東京工業大学大岡山キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
講師は加藤典洋氏（批評家・早稲田大学教授）<br />
<a href="http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=200">http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=200</a></p>
<p>▽再掲▽映像作家が見た日米戦後<br />
2012年5月14日（月）19:00～20:30<br />
東京工業大学大岡山キャンパス西9号館2Fディジタル多目的ホール<br />
無料。<br />
講師は ジャン・ユンカーマン氏(ドキュメンタリー映画監督、早稲田大学教授）<br />
<a href="http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=195">http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=195</a></p>
<p>▽欧州評議会　女性に対する暴力及びドメスティック・バイオレンス防止条約<br />
2012年5月15日（火)13：30～15：00<br />
日英同時通訳有。<br />
日本学術会議１階講堂<br />
無料、要申込。<br />
<a href="http://www.gender.go.jp/renkei/ikenkoukan/53/index.html">http://www.gender.go.jp/renkei/ikenkoukan/53/index.html</a></p>
<p>▽東日本大震災の教訓―減災社会に向けて―<br />
2012年5月16日(水)18:00～21:00<br />
神奈川大学横浜キャンパス<br />
無料、要申込。<br />
<a href="http://www.ku-portsquare.jp/site/course/detail/277/">http://www.ku-portsquare.jp/site/course/detail/277/</a></p>
<p>▽＜東北＞と声<br />
2012年5月16日(水)18:30～20:30<br />
明治大学リバティータワー<br />
無料、申込不要。<br />
シンポジウムと朗読。<br />
講師は以下の諸氏：<br />
柴田元幸（アメリカ文学、東京大学）、野崎歓（フランス文学、東京大学）、古川日出男（小説家）、管啓次郎（比較文学、明治大学）。<br />
<a href="http://www.meiji.ac.jp/sst/information/2012/6t5h7p00000bjdgq.html">http://www.meiji.ac.jp/sst/information/2012/6t5h7p00000bjdgq.html</a></p>
<p>▽危機とジャーナリズム─ 「危機」の時代にどう向き合うのか─<br />
2012年5月18日(金)17:00～19:00<br />
早稲田大学早稲田キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
講師は：後藤謙次氏(ジャーナリスト・元共同通信編集局長)、江川紹子氏(ジャーナリスト)、佐野眞一氏(ノンフィクション作家)、深川由起子氏（本学広報室長(政治経済学術院教授)）<br />
<a href="http://www.waseda.jp/jp/global/guide/award/event/120417_sympo.html">http://www.waseda.jp/jp/global/guide/award/event/120417_sympo.html</a></p>
<p>▽ジェンダーと医療化：ドイツにおける生殖技術の事例から<br />
2012年5月18日(金)17:00～19:00<br />
明治大学駿河台キャンパス リバティタワー<br />
英語、通訳有。<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.meiji.ac.jp/infocom/gender/info/2012/6t5h7p00000bjn1w.html">http://www.meiji.ac.jp/infocom/gender/info/2012/6t5h7p00000bjn1w.html</a></p>
<p>▽再掲▽140年前の文化財保護<br />
2012年5月19日（土)13:30 ～ 15:00<br />
国立博物館平成館-大講堂<br />
無料、ただし入館料要、定員380名。<br />
東京国立博物館創立時の文化財保護活動について。<br />
<a href="http://www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=dtl&#038;cid=1&#038;id=5984">http://www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=dtl&#038;cid=1&#038;id=5984</a></p>
<p>▽再掲▽テオフィル・ゴーチエと19世紀芸術<br />
2012年5月19日（土）、20日（日）<br />
上智大学<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.info.sophia.ac.jp/futsubun/annonce/Gautier2012_affiche.pdf">http://www.info.sophia.ac.jp/futsubun/annonce/Gautier2012_affiche.pdf</a><br />
<a href="http://www.info.sophia.ac.jp/futsubun/annonce/Gautier2012_programme0315.pdf">http://www.info.sophia.ac.jp/futsubun/annonce/Gautier2012_programme0315.pdf<br />
</a><br />
▽ルターとエラスムス－聖書の明瞭性をめぐって<br />
2012年5月19日（土）15:00～16:30<br />
立教大学池袋キャンパス マキムホール（15号館）3階 M302教室<br />
講師は竹原創一氏（文学部キリスト教学科教授）<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10714/">http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10714/</a></p>
<p>▽大人のための化学実験教室　スチールウールから化粧品まで～鉄にまつわる実験～<br />
2012年5月19日（土）14:00～15:30<br />
法政大学自然科学センター<br />
100円、要申込。<br />
<a href="http://src.i.hosei.ac.jp/">http://src.i.hosei.ac.jp/</a></p>
<p>▽トルコ民衆音楽の世界<br />
2012年5月19日(土)14:00～16:30<br />
明治大学駿河台キャンパス<br />
1,000円、要申込。<br />
<a href="https://academy.meiji.jp/course/detail/699/">https://academy.meiji.jp/course/detail/699/</a></p>
<p>▽【経験の共有】震災復興・連続シンポジウム第1回被災地からみた復興の現状<br />
2012年5月20日（日）13:00～17:30（12:30開場）<br />
東京大学駒場リサーチキャンパス<br />
無料、要申込。<br />
<a href="http://www.iis.u-tokyo.ac.jp/announce/2012/120420_openlecture23.pdf">http://www.iis.u-tokyo.ac.jp/announce/2012/120420_openlecture23.pdf</a></p>
<p>▽現代韓国・朝鮮をめぐる課題と展望(全10回)<br />
2012年、各回16：30～18：00<br />
早稲田大学早稲田キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
▽▽第1回5月21日（月)韓国社会の流動性と人の移動<br />
▽▽第2回5月28日（月)韓国における教育伝統について<br />
▽▽第3回6月4日（月）北朝鮮社会の研究展望<br />
▽▽第4回6月18日（月）＊時間未定 北朝鮮の公的制度：権威構造<br />
▽▽第5回6月25日（月）北朝鮮における民衆生活(1)<br />
<a href="http://www.kikou.waseda.ac.jp/asia/uploadfile/oshirase/00232/JPN/OAS連続セミナーポスター_2012前期_20120427143853_80s9uc58vvotsvd98662km3871.pdf">http://www.kikou.waseda.ac.jp/asia/uploadfile/oshirase/00232/JPN/OAS連続セミナーポスター_2012前期_20120427143853_80s9uc58vvotsvd98662km3871.pdf</a></p>
<p>▽再掲▽逍遙書簡に想う<br />
2012年5月22日（火）14：45～16：30<br />
早稲田大学小野記念講堂<br />
無料、予約不要。<br />
〇記念鼎談「逍遙書簡に想う」<br />
講師は以下の諸氏：<br />
坪内ミキ子、菊池明、松山薫。<br />
〇記念上演　逍遥作舞踊「新曲浦島」<br />
立方：若柳翔寶氏<br />
演奏：杵屋徳衛社中氏<br />
司会：濱口久仁子氏　<br />
<a href="http://www.waseda.jp/enpaku/special/2012shoyo.html">http://www.waseda.jp/enpaku/special/2012shoyo.html</a></p>
<p>▽自然・人間・文明<br />
2012年5月22日（火）、5月29日（火）19:00～21:00<br />
東京工業大学大岡山キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
講師は長谷川宏氏（哲学者）<br />
<a href="http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=201">http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=201 </a></p>
<p>▽演劇教育の現在―アクターズスタジオ（ニューヨーク）の場合<br />
2012年5月24日（木）13:00～15:00<br />
世田谷文化生活情報センター ワークショップルーム<br />
1,000円、要申込。<br />
世田谷パブリックシアター主催。<br />
講師は小川絵梨子氏（演出家・翻訳家）、七字英輔氏（演劇評論家）<br />
<a href="http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/post_252.html">http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/05/post_252.html</a></p>
<p>▽復興まちづくりの計画と実際<br />
2012年5月25日(金)15:00～17:00<br />
首都大学東京飯田橋キャンパス<br />
無料、要申込。<br />
<a href="https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1211Z003/">https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1211Z003/</a></p>
<p>▽空間を知る～ 空間・情報・人間～<br />
2012年5月25日(金)13:30～16:30<br />
東京大学 本郷キャンパス<br />
要申込。<br />
<a href="http://www.csis.u-tokyo.ac.jp/japanese/news/20120525.pdf">http://www.csis.u-tokyo.ac.jp/japanese/news/20120525.pdf</a></p>
<p>▽戦争と暴力－社会科学からのアプローチ<br />
2012年4月～12月、全８回。<br />
一橋大学兼松講堂<br />
無料、申込不要。<br />
<a href="http://www.hit-u.ac.jp/function/outside/news/2012/20120314.pdf">http://www.hit-u.ac.jp/function/outside/news/2012/20120314.pdf</a></p>
<p>▽リンカーンの英米文学史<br />
2012年5月24日(木)15:45～17:30<br />
日本女子大学目白キャンパス<br />
無料、申込不要。<br />
講師は巽孝之氏。<br />
<a href="http://www.jwu.ac.jp/grp/lecture_news/2012/20120524.html">http://www.jwu.ac.jp/grp/lecture_news/2012/20120524.html</a></p>
<p>▽与謝野晶子、100年前の巴里との遭遇<br />
2012年05月25日(金)18:00～20:00<br />
日仏会館ホール<br />
1,000円、要申込。<br />
<a href="http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/events/details/197-263-100.html">http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/events/details/197-263-100.html</a></p>
<p>▽中東欧のユダヤ人と国民国家<br />
2012年5月26日(土)14:00～17:50<br />
早稲田大学33-2号館2階第一会議室<br />
申込不要、来聴歓迎。<br />
<a href="http://www.waseda.jp/bun/activities/lecture/index.html">http://www.waseda.jp/bun/activities/lecture/index.html</a></p>
<p>▽キューバ映画上映会第1回:『キューバの恋人』<br />
2012年5月26日（土）17:00～20:00<br />
立教大学池袋キャンパス14号館3階 D301 教室<br />
無料、申込不要。<br />
上映と解説。<br />
講師は、<br />
映画紹介:寺島佐知子氏（ラテンビート映画祭制作コーディネーター）<br />
背景解説:伊高浩昭氏（ジャーナリスト、元共同通信記者、本学ラテンアメリカ講座講師）<br />
<a href="http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10764/">http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10764/</a></p>
<p>▽東日本大震災の教訓と今後の巨大災害への備え<br />
2012年5月26日（土）14:00～16:30<br />
立教大学池袋キャンパス4号館3階4342教室<br />
講師は 林春男氏（京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授）<br />
<a href="http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10739/">http://www.rikkyo.ac.jp/events/2012/05/10739/</a></p>
<p>▽1300年目の古事記<br />
2012年、各回13:30～15:30<br />
無料、要申込、申込締切5月31日（必着）。<br />
▽▽第1回6月2日（土）外国人が見た古事記<br />
講師は平藤喜久子氏（國學院大學准教授）<br />
▽▽第2回6月9日（土）世界の神話と古事記<br />
講師は松村一男氏（和光大学教授）<br />
▽▽第3回6月23日（土）出雲と古事記<br />
講師は神田典城氏（学習院女子大学教授）<br />
▽▽第4回6月30日（土）古事記の反乱物語<br />
講師は谷口雅博氏（國學院大學准教授）<br />
<a href="http://www.kokugakuin.ac.jp/event/event_h24_shiru-kouza.html">http://www.kokugakuin.ac.jp/event/event_h24_shiru-kouza.html</a></p>
<p>▽連続講演会 大規模災害と減災 Part1<br />
2012年6月2日～6月30日（土）、各回14:00～16:00<br />
神奈川大学横浜キャンパス<br />
無料、要申込（各回選択可）。<br />
▽▽6月2日(土) ジャーナリストの目で見た東日本大震災<br />
▽▽6月9日(土) 自衛隊・史上最大の災害派遣の現実<br />
▽▽6月16日(土) 東日本大震災と流通企業の被災地支援<br />
▽▽6月23日(土) 津波シミュレーションによる災害への備え<br />
▽▽6月30日(土) これからの防災まちづくり<br />
<a href="http://www.ku-portsquare.jp/site/course/detail/278/">http://www.ku-portsquare.jp/site/course/detail/278/</a></p>
<p>▽世界の同時代演劇<br />
2012年<br />
世田谷文化生活情報センターセミナールーム<br />
各回1,000円(500円）、要申込。<br />
世田谷パブリックシアター主催。<br />
<a href="http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/06/sptiti.html">http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/06/sptiti.html</a><br />
▽▽(1)Vol.1　ルーマニア<br />
▽▽▽レクチャー「ルーマニア語圏演劇の現在―民主革命とソ連解体後のルーマニアとモルドヴァから」6月7日（木）19:00～21:00<br />
▽▽▽勉強会「ルーマニアの『演出家の時代』」6月16日（土)14:00～16:00<br />
▽▽▽勉強会「ロシア演劇とルーマニア演劇の折衷―モルドヴァ」6月20日（水）19:00～21:00<br />
講師は七字英輔氏（演劇評論家）。<br />
▽▽(2)Vol.2　ケベック（カナダ）<br />
▽▽▽レクチャー「ケベック舞台芸術の現在―演劇・ダンス・サーカス」6月26日（火）19:00～21:00　<br />
▽▽▽勉強会「ケベック舞台芸術―ナショナリズムと文化政策」7月4日（水）19:00～21:00　<br />
講師は藤井慎太郎氏（早稲田大学教授）<br />
▽▽(3)Vol.3 中東<br />
▽▽▽レクチャー「中東演劇の現在―アラブ演劇とその背景」7月19日（木）19:00～21:00　<br />
▽▽▽勉強会「東アラブ世界の演劇―レバノン、ラビア・ムルエを中心に」7月25日（水）19:00～21:00　<br />
▽▽▽勉強会「西アラブ世界の演劇―アルジェリア、カテブ・ヤシンを中心に」8月2日（木）19:00～21:00<br />
講師は鵜戸聡氏（日本学術振興会特別研究員）　<br />
<a href="http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/06/sptiti.html">http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/06/sptiti.html</a></p>
<p>◇【レクチャー三昧】カレンダー版もご利用ください。<a href="http://www.wonderlands.jp/info/lectures/">>>http://www.wonderlands.jp/info/lectures/</a></p>

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		<title>SENTIVAL! 2012 報告 1</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20683/</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 05:21:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース＆報告]]></category>
		<category><![CDATA[梅田径]]></category>

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		<description><![CDATA[◎5年目のミニフェスティバル始まる 梅田　径 はじめに 　板橋駅から徒歩七分、東武東上線の線路脇の小さな路地に「atelier SENTIO」がある。壁面が白い漆喰の壁という劇場で、座席数は三十席ほど。暖色のライトに照ら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎5年目のミニフェスティバル始まる<br />
 梅田　径</p>
<p><strong>はじめに</strong><br />
　板橋駅から徒歩七分、東武東上線の線路脇の小さな路地に「atelier SENTIO」がある。壁面が白い漆喰の壁という劇場で、座席数は三十席ほど。暖色のライトに照らされたときの、壁面の白く淡い暖かさが聖域のように神々しくて、白くて優しい空間と畳敷きの観客席の穏やかな雰囲気。なぜか懐かしいような、頼もしいような、どこかに帰ってきたような錯覚を覚えてしまう。<br />
　atelier SENTIOはそんな優しい魅力のある、僕にとってはほんの少しだけ特別な劇場だ。だからここで行われるフェスティバルには毎年少しだけ不思議な魔力が宿るのかもしれない。<br />
<span id="more-20683"></span></p>
<p><strong>アフタートークは40分</strong><br />
　今年の「SENTIVAL!」はatelier SENTIOのほか、日本基督教団巣鴨教会、SUBTERRANEAN　の三カ所を使って行われる舞台芸術フェスティバルである。</p>
<p>　atelier SENTIOのレジデンスカンパニーであるユニークポイントの山田裕幸氏と第七劇場の鳴海康平氏がフェスティバル・ディレクターとなり、両劇団と交流があるカンパニーをはじめ、東京を中心に全国津々浦々、果ては海外からの参加まで現れることとなった。二〇〇八年からはじまり今年で五回を数える。</p>
<p>　四月の後半から七月中旬までという長期間に及び、参加カンパニー18、公募ワークショップ1、クラシック音楽とコンテンポラリーダンスの競演プログラム1、公演数約80ステージを数えるイベントにまで成長した。</p>
<p>　かくいう僕も、初めてatelier SENTIOを訪れたのは、「SENTIVAL!」の縁によるところが大きい。</p>
<p>　去年の五月ごろ、「SENTIVAL! 2011」の一演目であったカトリ企画UR「チェーホフのスペック」がきっかけだったと記憶している。マチネとソワレでそれぞれ異なる演目を上演する公演形態でも、マチネとソワレの間に帰る人はあまりいない。公演と公演をつなぐ時間、中で行われる楽しい時間（なにがあるかはまだ秘密）があるのだ。ただ観劇をして帰るだけの悲しさとは無縁なのである。</p>
<p>　それ以来ちょくちょくとatelier SENTIOに通い続けるうち、ディレクターの鳴海氏からこんなお願いをされることになる。「SENTIVAL! に出てくれない？」と。</p>
<p>　「SENTIVAL!」には様々なスタンスをもった劇団が参加する。高度な身体表現を追求する劇団、会話劇の可能性を模索する劇団、ダンスを中心とするカンパニー。こうした多彩な劇団の主宰や演出家たちが、それぞれの個性と才能を持ち寄り多様なトークを展開するのもこのフェスティバルの魅力なのである。</p>
<p>　「SENTIVAL!」ではアフタートークをすべて「トーク！」と称して、演目ごとに一度は行っている。2008年のスタート以来、「トーク！」は小さな空間を活かして、作り手側と見る側の距離を縮め、作り手同士だけではなく見る側との交流を図ってきた。そして今年からの新しい試みとして登壇者に作品を作る側だけではなく、観客側からの意見も反映しつつ、見る人と作る人とのより楽しく密接な交流を目指すガイドとして、演劇製作には携わらない僕が参加することになったようです。</p>
<p>　時折議論を交通整理したり、お客さんからの発言をいただいたり、やや専門的になりそうな話をかみ砕いたり、話を振ったり伺ったりと、いろいろがんばっております。どうぞよろしく。</p>
<p>　さてさて、「SENTIVAL!」の「トーク！」には三つの特徴がある。一つ目は、終演後四〇分という長さである。従来のアフタートークが十分前後の「意見交換会」であるならば「トーク！」は「シンポジウム」のよだ。議論や掛け合いが白熱して、そこから新しい知見が開けるまで話が弾む。長時間、多岐にわたる話題は聞いている側もなかなか大変かもしれず、ここもやや試行錯誤中。とはいうものの、出入り自由で飲食もできるリラックスした体勢で聞いていただける環境にしていく予定だそうだ。</p>
<p>　観劇を趣味とする人ならば、ある公演で質問や感想をいいたかったのに、タイミングがつかめなかったり、そういうことが一度はあるのではないだろうか。「トーク！」では、観客のみなさまとの意見交換の時間も豊富にとっているので、この時間を利用して、いろいろ聞いてみてほしい。演劇に関すること、演劇の環境についての疑問、舞台美術や俳優についてもいろいろ聞けるチャンスです！</p>
<p>　二つ目に、登壇者の多さも「トーク！」の魅力だろう。初回、ユニークポイント『白痴』の時は、鳴海康平、山田裕幸両氏をはじめ、Ort-d.dの倉迫氏、ブルーノプロデュースの橋本氏、shelfの矢野氏、ダンサーの木野氏、そして僕の総勢七名の登壇者が舞台上にあがった。時折議論が錯綜し、停滞することもあったものの、六名の演出家それぞれのスタンスから発せられる様々な意見は、その場で思考を形にするライブ感をもっていた。</p>
<p>　鳴海氏は、「トーク！」を通じて、少しでも現代の演劇を作る人々の思いや方法を知ってもらいたいのと、作り手側も見る側も「自分の言葉で作品について語り」「自分の言葉で作品について尋ね」「お互いの違いを見つけて許容する」ことを目指したいという。作り手たちも今演劇を見に来てくれる人が何を考え、何を求めているのか知りたいはずだ。</p>
<p>　三つ目は、「トーク！」終了後も続く交流である。facebookやtwitterをはじめ、必要とあればメールやブログなどでの意見交流も展開する予定である。</p>
<p><strong>「仲間」として観劇を</strong><br />
　このように、「SENTIVAL!」のミッションは「よりよき演劇作品を作りだす／提供する」だけにとどまらない。</p>
<p>　観客として劇場に足を運ぶ人々が、作り手も観客もよりよき関係でつながれるようになっていくことを目的としている。演劇とよりよき関係を結べるように、もっと劇場を、演劇を自分の人生のためにうまく利用してもらえるように様々な試みをためしていくと、フィスティバルディレクターの鳴海氏は述べる。</p>
<p>　豊島区の小さな劇場の小さな企てがどこまで成功するのかはわからない。未知数だ。未知数であるということは、未完成だ、ということでもある。作り手だけでは演劇を完成させられない。ぜひ「SENTIVAL!」へ、ともに演劇を作り上げる「仲間」として、観に来ていただきたい。</p>
<p><strong>劇評、ユニークポイント『白痴』</strong><br />
　「SENTIVAL!」の先陣を切ったのはユニークポイントの『白痴』である。坂口安吾の代表作で、ユニークポイントにとっては三度目の舞台化である。今年三月の『アイ・アム・アン・エイリアン』から僅か一月。全体的な設計は初演のままに、より高度な技術的進化を遂げて再々演を果たした。</p>
<p>　会場のatelier SENTIOは白の壁面を塗り変えてより白く鮮やかな風合いになり、蛍光灯に照らされたブックシェルフと小道具たちがおさまる棚、奥にはプロジェクターによる投影のスペースがある。舞台美術も空間も目をひいた。手前の空間には舞台と客席を仕切るように三つのディスプレイが浮かぶ。</p>
<p>　芝居の開始はやや唐突に、いままで会場の案内をしていた洋服の女性が『白痴』のテキストを読み始めることで始まる。白い服をきた男女が入場し、ときおりつっかえながら読み上げる洋服の女性に合わせてビデオカメラのほうにむかって話し始める。観客はプロジェクター越しに二人の姿を確認しながら、時折楽しそうに、あるいは寂しげにふざけあう二人の姿を見続けるのだが、それが狭いatelier SENTIOの空間を幾重にも屈折させながら広げて面白い。</p>
<p>　テキストで「白痴」とよばれる女が現れるところで、着物を厚く着込んだ女性が舞台上手から現れる。彼女はテキストを読み上げるわけでもなく、時折悲鳴にもにたうめき声をあげ、時に諧謔的に、あるいは悲劇的な様相で手を天空にかざし、倒れ込む。舞台は白服の男女、洋服の女性、着物の女性と四人の人物がたたずむ。</p>
<p>　彼らの動作は『白痴』のテキストとつかず、はなれず、曖昧な距離を保ちながら、小説世界をゆるやかに拡張していた。男性がはしゃぎながら白痴の女性にたいして暴力的な男性性をたたきつけるテキストを読み上げたかとおもえば、着物の女性は静かに涙を流している。</p>
<p>　洋服の女性が淡々と空襲によって火の海となるトウキョウの様子を読み上げている横で、白衣の男性と女性が、実に楽しそうな表情を浮かべながらろうそくに火をつけ、飛行機のミニチュアをその上にかざしながらビデオでその様子を撮影する（ろうそくの列は爆撃を受けたトウキョウのようだ！）。その光景は奇妙に圧倒的で、安吾の『白痴』がもつエロティシズムと悲劇性を着物の女性が一人で背負っていた。</p>
<p>　ことなる服装をもつ四名は役割があるようでもあり、ないようである。けれども、着物の女性がもつ悲劇性は特筆に値する。『白痴』のテキストを読んだものにとって、分厚い着物は空襲の時に伊沢が女性にかぶせる布団に見えるだろうし、洋服の女性は戦争の記憶を遠く離れた現在にいきる私たちの姿にも見えてくるだろう。</p>
<p>　ビデオカメラを使ったライブ映像を投影する手法はけして珍しいものではないだろうが、atelier SENTIOでは思いもかけぬ効果を生んでいた。西武線の真横に位置するatelier SENTIOは電車が通るたびに振動するのだが、白服の男女がたわむれにビデオカメラを劇場の外に持ち出し、線路上の映像を壁面に映し出す。いままではランダムに発生するノイズであった振動に原因（理由）を与えることで、それが一つの演出として機能する可能性を開いていた。もちろん、それは悲劇の連鎖としても寓意を発揮するだろう。空襲＝震災＝振動＝電車＝爆撃機といったような……。</p>
<p>　安吾の原作のテキストから削られた箇所があるとはいいつつも、長文のテキストを丸暗記して臨んだ洋服の女の記憶力をはじめ、着物の女性の演じる「白痴」の、無言の圧力と重さ、寓意性、白衣の男女のゆるみのない持久力ある演技など、みどころはいくらでもある演劇であった。演劇作品としての完成度の高さもさることながら、同時にインスタレーションダンスのような華麗さも<br />
備えていた。</p>
<p>　しかし、いささかテキストと俳優の所作との距離感がつかみづらいシーンもあり、そもそも「白痴」も人によってはやや難解なテキストであるといってよいだろう。テキストと演出の距離感をどのようにとらえるのか、この公演では大きな迷いも感じられた。また、客席と舞台を隔てる三機のディスプレイはやはり全面投影面積が大きく、演劇を見る集中力を大幅にそがれたことは否めない。またディスプレイの文字の切り方などにも不揃いな印象が拭えない。演出意図であったとしてももう一段の工夫はできたように思われた。</p>
<p>　ただ、僕はこうした微細な点しか文句のつけようがない。作品に横溢する、不思議な「難しさ」を作品と坂口安吾とユニークポイントといっしょに考えてみたくなる好作品だ。</p>
<p>　本レポートの続編は「SENTIVAL!」終了時に全作品のショートレビューという形でワンダーランド上で公開したい。また「トーク！」についてはUSTREAMで公開しており、そちらもごらんいただければ幸いである。</p>
<p>【関連サイト】<br />
・SENTIVAL! <a href="website http://sentival.blog43.fc2.com">website http://sentival.blog43.fc2.com</a><br />
・「トーク！」USTREAM <a href="http://www.ustream.tv/channel/sentival-2012">http://www.ustream.tv/channel/sentival-2012</a><br />
・atelier SENTIO <a href="http://www.atelier-sentio.org">http://www.atelier-sentio.org</a></p>
<p>【筆者略歴】<br />
梅田径（うめだ・けい）<br />
　1984年生。早稲田大学大学院日本語日本文学コースの博士後期課程に在籍中。日本学術振興会特別研究員DC2<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/category/a/umeda-kei/">http://www.wonderlands.jp/category/a/umeda-kei/</a></p>
<p>【SENTIVAL! 2012　<a href="http://sentival.blog43.fc2.com/blog-entry-117.html">スケジュール</a>】<br />
◆ユニークポイント（東京）<br />
◆Q（東京）atelier SENTIO<br />
◆LiveUpCapsules（東京）<br />
◆百景社（つくば）<br />
◆shelf（東京・愛知）<br />
◆木野彩子（東京）<br />
◆カトリ企画（東京）<br />
◆A.C.O.A.presents（那須）<br />
◆このしたPosition!!(三重×京都)<br />
◆劇団渡辺（静岡）<br />
◆ブルーノプロデュース（東京）<br />
◆14＋（福岡）<br />
◆A La Place（東京）<br />
◆iaku（大阪）<br />
◆七ツ寺企画（愛知）<br />
◆Didier GALAS（フランス）<br />
◆Ort-d.d（東京）</p>

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		<title>忘れられない1冊、伝えたい1冊　第4回</title>
		<link>http://www.wonderlands.jp/archives/20673/</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 05:21:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>編集部</dc:creator>
				<category><![CDATA[北嶋孝]]></category>
		<category><![CDATA[忘れられない一冊]]></category>

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		<description><![CDATA[◎「芸術立国論」（平田オリザ著、集英社新書） 　北嶋孝 　「芸術立国論」が刊行されたのは2001年10月だった。 　もともと平田演劇論は「演劇と市民社会」「参加する演劇」などの言葉をよく参照する。「現代口語演劇のために」 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>◎「芸術立国論」（平田オリザ著、集英社新書）<br />
　北嶋孝</p>
<p><a href="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hirata_artmanagement0a.jpg"><img src="http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/hirata_artmanagement0a-121x200.jpg" alt="「芸術立国論」表紙"  width="121" height="200" class="alignright size-thumbnail wp-image-20675" /></a>　「芸術立国論」が刊行されたのは2001年10月だった。<br />
　もともと平田演劇論は「演劇と市民社会」「参加する演劇」などの言葉をよく参照する。「現代口語演劇のために」（1995年）や「演劇入門」（1998年）では、「演劇世界のリアル」と「現実世界のリアル」が交差するには、作品と観客の出会いが重要だと繰り返し述べていた。社会にとって芸術は必要であり、芸術にとって社会の支持は不可欠だ、というのが平田理論の核心だった。そこから補助線を少し引けば、本書で展開される「芸術の公共性」や「国家の芸術文化政策」はすぐ間近に見えてくる。<br />
　本書「芸術立国論」は、たどり着いた「芸術の公共性」のコンセプトから逆に、現実の文化行政、教育分野への応用、劇場法への適用、公的助成のあり方などがアイデア豊富に述べられている。<br />
<span id="more-20673"></span></p>
<p>　まず序章はそのものずばり、「『芸術の公共性』とは何か」となっている。そのあと、社会は「芸術」を必要とすると説き、そのために芸術活動を育てる文化政策のあり方が語られる。さらに高度消費社会における産業構造転換の必然とメリットが指摘され、サービス産業としての芸術振興が国家として避けて通れない－などと構成されている。国と地方の役割、教育分野で芸術が要請されるわけ、劇場を核とした助成金制度の改革、劇場法の制定などなど、いま検討されている問題の原初形態がほとんどここに述べられている。</p>
<p>　「芸術の公共性」を高く掲げ、芸術活動が社会に必要なのだから、公的助成を受けるのはむしろ当然だと声高に主張した演劇人は、本書の平田が初めてではないだろうか。しかも10年も前に、産業構造の転換を踏まえた国策として芸術振興を提唱したのだから、その見通しの確かさに驚く人も少なくないはずだ。文化政策、アートマネジメントに関心を持つ人は一度は読んでみるべき必読文献だろう。</p>
<p>　そうは言っても無条件で礼賛しているわけではない。当時もいまも腑に落ちないことが少なからずある。その最たるものは、「芸術の公共性」を持ち出しながら、本書でその中身があまり鮮明に説かれていないことだ。</p>
<p>　特に肝心の「公共性」の説明がしっくりこない。演劇活動が市場原理だけで担保されないという理屈は理解できる。しかし、そこから公的助成が必要だというには、まだ固めなければならない隙間が相当あると思う。</p>
<p>　「エンターテイメント」と「芸術」の区別もそのひとつだろう。ぼくはその境界線がいまだによく分からない。専門書やお役所の奥深くにその定義らしきものが眠っているならぜひ表に出してほしい。多様性確保のためにさまざまな芸術への助成が必要というなら、エンタメも芸術も、演芸も芸能もみな雑居できる枠組みを明示しないと説得力を欠いてしまうだろう。</p>
<p>　もう一つ、付け加えよう。「芸術」は演劇に限らず、文学、音楽、美術、写真、舞踊などさまざまな領域を含んでいる。それらの分野と比較しながら、演劇の特質が詳しく説かれ、際だった「公共性」が指摘されるのかと思っていたら、本書はそこを素通りしてしまった。演劇には、美術や音楽、ダンスなどと比較して、どのような特質、共通性があるかが分析されていないと、ちょっとやばいのではないか。ここが手薄だと、現実に、目に見える形で影響が出てくるはずだ。</p>
<p>　予算潤沢、財政豊かな折なら、パイが多くなるにつれて演劇の予算が同時に増えるかもしれない。しかし緊縮財政の時期だと、小さくなったパイの取り合いになる。そのときに主張できる「比較論」の強弱が分野別の額に跳ね返らないはずはない。芸術以外の分野とやり合うには「芸術の公共性」理論は有効なツールかもしれないが、芸術の諸分野と力ずくの勝負をするには役立たない。</p>
<p>　平田は本書の「あとがき」で、ここに述べた芸術文化政策は「私という一人の芸術家の妄想から出発している」と断っている。そのうえで「だとすれば、演出家ごと、劇団ごとに、アートマネジメントの理論があってしかるべきなのだ。極論すれば、演出家一人ひとりに、個別の文化行政政策があってしかるべきだし、そのくらいの構想力がなければ現代演劇の演出家としては失格だとさえいえる」と挑発している。</p>
<p>　青年団にもアゴラ劇場にも、優秀有能な演出家・制作担当者がそろっている。トップが挑発してから10年も経っているのに、その挑発に乗って、新しい文化政策理論を披露、実施しようという人はいないのか。確かに、挑発に乗るのは「バカ」と相場は決まっている。しかし「失格」の烙印より、向こう見ずな「バカ」の冠はそれなりに勲章にはならないだろうか。</p>
<p>　民主党政権になって実施された事業仕分けの影響で、この1、2年、劇場関連の公的助成が大幅に減額されたらしい。平田の拠点こまばアゴラ劇場・青年団の活動がそのため制約を受け、昨年は託児サービスを縮小、今年度は支援会員制度をスリム化した。来年2013年度は、大世紀末演劇展、サミット、そしてサマーフェスティバル〈汎-PAN-〉と受け継いできた演劇祭も休止せざるをえなくなり、2003年度から廃止していた貸し館業務を10年ぶりに再開するという。</p>
<p>　平田オリザ名義で劇場Webサイトに掲載された「<a href="http://www.komaba-agora.com/news/2012msg.html">新年度のご挨拶</a>」「<a href="http://www.komaba-agora.com/tk/tk2013s.html">2013年度 春夏の劇場使用カンパニー募集のご案内</a>」などには、経営の危機状況が淡々と語られている。打つべき手は打つだろう。平田にそれだけの経験があり、その力は大きい。それは間違いないだろうが、さらにこの苦境を抜け出すのに、ほかの人たちの「バカ」力があればとても心強いのではないかと思うのだけれど－。</p>
<p>【筆者略歴】<br />
　北嶋孝（きたじま・たかし）<br />
　1944年秋田市生まれ。早稲田大学文学部卒。共同通信社文化部、経営企画室などを経てフリーに。編集・制作集団ノースアイランド舎代表。80年代後半から演劇、音楽コラムを雑誌に寄稿。TV番組のニュースコメンテーター、演劇番組ナビゲーターも。2004年創刊時からワンダーランド編集長を務め、2009年10月から編集発行人、代表。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/category/ka/kitajima-takashi/">http://www.wonderlands.jp/category/ka/kitajima-takashi/</a></p>

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