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2009-06 |
2009-07
◎家族の解体から新しい人間関係へ 女優と楽屋をモチーフに
鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰、脚本家、演出家)
座・高円寺のこけら落とし公演「化粧」と、シアタートラムのシスカンパニー公演「楽屋」が、ほぼ同じ時期に上演されていたのは、僕にとっては嬉しい偶然だった。どちらも“楽屋”が舞台で、“女優”をモチーフにした芝居であり、チラシも“化粧”をしている女優の写真。しかも、名作と呼ばれている戯曲の何度目かの再演(「化粧」の初演は1982年、「楽屋」の初演は1977年)と、共通点の枚挙に暇がない。もちろん、「化粧」は一人芝居であり、「楽屋」は女優四人の芝居だから、そこのところは大きく違う。ストーリーだって全然違う。観劇後の僕の満足度(つまり、僕が感じた芝居の出来)だって、180度違った。しかし、その違いをつぶさに見比べると、太いつながりを感じずにはいられなかった。
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2009/06/28 14:32 編集部 |
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◎舞台こそが化粧
金塚さくら
埃だらけで薄汚れた楽屋の、そこだけが聖域か何かのように白い布で覆われている。ちゃぶ台より少し大きいくらいの、平机。起き上がった女座長は威勢よく座員に檄を飛ばし、かと思うとぶつぶつ何やらひとりごちる。夏の夕暮れ、あと一時間もしないうちに舞台の幕が開く。
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2009/06/28 14:30 編集部 |
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◎二人の女優と一人の女 または彼女たちは如何にして心配するのをやめ劇場を愛するようになったか
島田健司
座・高円寺のオープニングで600回の上演を迎える渡辺美佐子の一人芝居『化粧』。再演という上演形式の定着に恵まれず、大量に作られては消費され、また作られては消費される奔流のような日本の演劇状況において、1982年の初演から27年の歳月をかけて打ち立てられたこの記録は継続することが可能にする演劇的醸成とはいかなるものかを僕たちに示している。
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2009/06/28 14:27 編集部 |
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◎「劇」を動かしているものは何か 「母性」が観客と出会うとき
坂本俊輔
『化粧 二幕』の公演を見終えた後、ワンダーランドのセミナーの一環として、主演の渡辺美佐子さんと舞台監督の田中伸幸さんから直接話を伺う機会が得られた。海外公演での観客の反応、「ゴキブリ」のくだりが生まれるきっかけとなった地方公演のエピソード、渡辺さんの演技に対する姿勢など様々な話を聞くことができ、舞台とは異なる面から劇を理解する上でも大変参考になった。気がついたのは、お二人の話には観客との距離に関係したものが多く、すし詰めの観客を間近にして行われた下北沢のザ・スズナリ劇場での初演を、渡辺さんはとても感激した、と感慨深く語っていたことや、逆に1000人を超えるような地方の大ホールで公演を行った際は、舞台を客席に近づけるよう田中さんが苦心された話など、観客との「近さ」にこだわりをもっていることが感じられた。
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2009/06/28 14:24 編集部 |
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◎訪れるものの形象、宙吊りの悲喜劇
柳沢望
『一月三日、木村家の人々』は、介護に疲れた30代独身の娘が認知症の父親を巻き込んで心中をはかる場面から始まる。とはいえ、この戯曲をある種社会派的なリアリズムとして受け取るべきではない。そうすれば、中途半端な出来と評価するほかは無い。
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2009/06/20 14:26 編集部 |
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◎「地域演劇祭」の原型に 地元劇団の奮起に期待
カトリヒデトシ
長久手町でのセカンドステージは1st選抜5団体と、各地で推薦されたカンパニーである「全国地域推薦」6団体、「主催者推薦」5団体、計16団体が参加した。地域の推薦は各地の表現に精通する団体が行った(注1)。
5月2日(土)~4日(月)に「森のホール」(最大客席数819)と「風のホール」(最大客席数300)とで開催された。
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2009/06/19 23:25 編集部 |
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◎エロチシズムの上で弾けるポップコーンのように
三橋 曉
人は見かけによらぬものだし、必ずしも名が体を表すわけではない。そんなことは百も承知なのに、ついつい抱いてしまうのが先入観というやつだ。
しかし、これを必ずしも悪癖と決めつけるわけにはいかない。というのも、先入観がいい意味で裏切られたとき、そこには少なからず驚きの快感があるからだ。そして、いやます快感は、自ずと好奇心へと繋がっていく。のっけから個人的な話で恐縮だが、DULL-COLORED POPへのわたしの興味は、まさにそのケースなのだ。
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2009/06/12 16:22 編集部 |
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◎青春に取り憑かれた「夢想者」たち 燃えたぎる身体が放った鋭い閃光
高野しのぶ
演劇は、瞬く間に過ぎて忘れ去られていく、豊かでかけがえのない“今”という瞬間の連続だ。どんなに現実離れした夢や虚構を舞台上に作り出しても、俳優と観客がいる劇場で上演される限り、演劇はライブ(生)の現実であることから逃れられない。そして、どんなに昔や未来の出来事でも“今”起こったことにしてしまう。そんな演劇の宿命を生かした作品をこそ観たいと思う。
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2009/06/11 16:03 編集部 |
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次回のクロスレビューは、ハイバイの新作公演「リサイクルショップ『KOBITO』」を取り上げます。東京公演はこまばアゴラ劇場(6月5日-16日)、大阪公演は精華小劇場(6月25日-28日)。締め切りは、大阪公演終了後の2009年6月30日(火)となります。
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2009/06/08 01:30 編集部 |
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◎ファンタジーの世界を描き出す ダンスと映像の掛け合いの面白さ
中西理
珍しいキノコ舞踊団 の新作「The Rainy Table」を山口情報文化センター(YCAM)で観劇した(3月1日観劇)。珍しいキノコ舞踊団とメディアアートのplaplax、そして音楽にはBuffalo Daughterの大野由美子、衣装にAOMIといつもとは少し違う組み合わせによるコラボレーション(共同制作)作品である。YCAMに長期滞在して現地制作した。
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2009/06/07 23:58 編集部 |
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◎神話的ヴィジョンの魅惑と個としての肉体の不在
竹重伸一(舞踊批評)
今迄のBATIKの作品を観てきて踊りのディテールが欠如しているという印象を受けてきた。唯一ディテールを感じたのは「SHOKU」のラスト、数人で横並びになって白い下着姿のお互いの肉体をまさぐりながらゆっくりと前に歩んでくるシーンだけである。ディテールがないということは、つまりダンサーの個としての肉体が感じられないということであり、個としての生(記憶)が感じられないということでもある。代わりに思春期から大人の女性になる微妙な移り目にしか発しないような独特な熱っぽい生理的エネルギーが集合的になって渦を巻くように奔出してくるのである。そして速度。黒田育代の振付の目的はダンサーから余計な自意識を奪い、速度と生理的なエネルギーの美にひたすら奉仕させる抽象的な存在にすることである。
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2009/06/06 23:40 編集部 |
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◎「これからの演劇界」を考える機会に 全国から25カンパニーが結集
カトリヒデトシ
名古屋で開催された、国内最大規模の小劇場の博覧会に行ってきた。「演劇8耐」と銘打つだけに、1時間の舞台を1日で8ステージ見るという、修行のような企画である。
またそれを全部見る酔狂を敢行。のべ4日間、30本を鑑賞した。なるべくいろんな劇団を見たいと思っている人間には格好のイベントであった。
しかし、今回の名古屋行きは、「演劇のショーケースとはなにか」、「東京外、地域での演劇の活動」、「地域小劇場の今後」など、きわめて「これからの演劇界」での課題を実感させ、考えさせてくれる機会となった。
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2009/06/04 16:24 編集部 |
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◎未完成でもよい、血の出るような鮮烈さを観よ
田口アヤコ(演劇ユニットCOLLOL主宰、演出家/劇作家/女優)
GWの終わりに、面白い舞台作品を観た。
団体名「d'UOMO ex machina」は「どぅおも・えくす・まぁきなぁ」と読む。
「デウス・エクス・マキナ 機械仕掛けの神」という言葉があるが、もともとは古代ギリシアの演劇において使われた、
「劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、
いきなり絶対的な力を持つ神が現れ、
混乱した状況に解決を下して物語を収束させるという手法(Wikipediaより)」
だが、「デウス・神の力ではなく、人間&空間の力によりその収束をもたらしましょう」という意味からつけられたイタリア語とのこと。東京での公演は4度目である。
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2009/06/01 00:10 編集部 |
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