「特別寄稿」の記事を10件ずつ表示します。
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◎ 人形たちの映し出すもの
柾木博行

撮影=神崎千尋
演劇関係者が集まると必ず出る言葉が「最近面白い舞台ありましたか?」。今回この原稿を書くきっかけも、ある芝居の帰りに北嶋氏から言われたこの言葉がきっかけだ。いつもは、「いやー、これっていうのはないですねぇ」という枕詞を挟んで、2、3記憶に引っかかった芝居の名前をあげるが、その時は違った。
「この前、座・高円寺でやったシアター・リフレクション、あれはすごかったです。子どものための人形劇だけど、内容は大人向けというか、もうシュールで不条理、カフカを見てるな感じで、なかには怖がってる子どももいたくらいで。最後はタルコフスキーの『惑星ソラリス』を思い出したりして…」
まさに今年見た舞台ではダントツに刺激的な作品であった。今思い起こせば7月は芝居関係で会う人すべてにシアター・リフレクションを勧めていたようにも思う。このカンパニーが面白いのは昨年観て分かっていたからだ。しかし今回の『箱とジョージさん』は、こちらの予想をさらに裏切るような刺激的な作品だった。今回はこのデンマークの人形劇団シアター・リフレクションの魅力について解き明かしてみたい。
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2010/09/04 10:11 編集部 |
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2010/08/27 16:22 編集部 |
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◎《官能》と《多様性》の夜にその《現象》を目撃する
プルサーマル・フジコ
身長155cmのダンス・デュオ・グループほうほう堂(新鋪美佳+福留麻里)は神出鬼没な妖精、もしくはオリーブ少女的な小動物のようにキュートな動きでどんな空間でも味方につけてしまう。3月はカフェで。4月はジャンボサボテンと。5月は斜面をごろごろ転がり、6月は砂丘で飛び跳ねる。7月は下北沢の「開かずの踏切」横にあるスーパーマーケット・オオゼキのエレベーターで昇降して電車が過ぎると消えてしまった。
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2010/08/27 15:17 編集部 |
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◎すれ違うことで出会い直す
柳沢望
今回上演された『日常茶飯事』に限らず、佐々木透によるテクストが2010年の日本における劇作のひとつのエッジであることは紛れも無い。リクウズルームを主宰する佐々木透は、既に堤広志氏が注目し(注1)、川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場のクリエイション・サポート事業に抜擢されたことさえあるものの、まだ評価が固まっているとは言えず、未だに「無名」であると言っても誇張ではないだろう。
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2010/08/27 14:56 編集部 |
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◎第1回 キラリ☆ふじみ館長 松井憲太郎さん
芸術創造の理念とポリシーをいまこそ
昨年の政権交代後に始まった一連の政策・事業の見直しによって、舞台芸術の創造環境にもあらためて光が当たり、劇場法案(仮称)の進行が話題に上っています。公立文化施設の活動をどのように組み替えるか、地域から舞台芸術を作り上げる理念と方法、さらに人的・財政的な裏付けをどう盛り込むか、民間劇場の位置づけ、などなど課題は山積しているようです。
その折、特色ある活動を続けている各地の公立・民間の小劇場を訪ね、現場から舞台芸術環境の実態を聞き、そのあり方を考えたいと思いました。毎月1-2回、ワンダーランド支援会員の方々とともにインタビューします。(編集部)
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2010/08/16 12:28 編集部 |
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◎人が月に行く時代に《共振》する
プルサーマル・フジコ
池袋の繁華街の果てに小さな劇場・シアターKASSAIが誕生した。こけら落とし公演は、久間勝彦氏の戯曲『ON THE WAY HOME』を4人の演出家が順繰りに演出する連続企画公演である。そのトップバッターを務めたのが、今回取り上げる黒澤世莉(時間堂)だ。
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2010/08/12 23:58 編集部 |
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◎ 子供だって残酷の意味は分かるのに
芦沢みどり
「白雪姫」と聞けばたいていの人はグリム童話よりディズニー・アニメか子供向けにリライトされたお話の方を思い浮かべるのではないだろうか。かく言う筆者もその一人だったので、グリム童話をほぼ忠実に再現したという鳥の劇場の『白雪姫』を観て大いに驚き、かつ誤解してしまった。まずは原作と、一般に膾炙されていると思われるお話との違いをいくつか挙げてみたい。
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2010/08/09 15:15 編集部 |
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◎不完全な肉体に宿る不完全な精神と、その救い
小畑克典
3人のパフォーマーたちは240cm×270cmの狭い舞台に乗り、"Zero" のコールとともに、各々のペースで脱力を開始する。自らの身体についてブツブツとつぶやいて実況しながら、ゆっくり時間をかけて身体を整える。"One" のコールで椅子に腰掛け、雑談を始める。服のこと、音楽のこと、食べ物のこと、その他諸々の、たわいのないリラックスした会話。そのうちに "Two"、"Three"、とカウントが進み、その度に少しずつシーンが中断される。ラウンドの間にほんの何秒かだけインターバルの入るボクサーのようだ。"Four"、"Five"、と進むにつれて、パフォーマーたちの身体が徐々にこわばるのが見て取れる。おそらく、カウントが一つ進むとともに、何らかの身体的制約、もしくは条件・ルールのようなものを課せられるのだろう。腕がプルプルと震え、土踏まずに力が入る。それに連動して、3人の関係にもこわばりが生じてくる、ように見える。
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2010/08/07 23:59 編集部 |
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◎振付家がつくり出したもの
都留由子
「カタルシス」という言葉がある。学生時代、習ったのによくわからなかったこの言葉の意味を、あ、これか、と思ったのは、ミュージカル『コーラスライン』を見たときだった。まぶしいステージのダンスナンバーを見終わって席を立ったとき、やっぱりダンスにはカタルシスがあるね、と後ろの席から声が聞こえた。ああ、この快感がカタルシスなんだ! 本当にそれが正しいのかどうか、実は今でもわからないのだが、しかし、筆者の中では、ダンスを見る快楽とカタルシスという言葉はこのとき結びついてしまった。生身の人間の身体が動く。シンプルなそのことの、ぐいと心をつかむこの力の強さはどうだろう。それ以来、筆者にとってダンサーや振付家は、カタルシスをもたらすという特別な力を持った、神様に祝福された人になった。
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2010/08/07 23:54 編集部 |
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◎プライベートから漏れ出てくるもの
米山淳一
以前から気にはなっていたのだが、まだ見たことのなかった手塚夏子作品を、今回ようやく見ることができた。その舞台は、一瞬も目を離せないほどに、見入ってしまうものだった。それがどんな作品だったのか、また何がそれほどまでに面白かったのかについて、少し考えてみたい。
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2010/08/07 23:35 編集部 |
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