「特別寄稿」の記事を10件ずつ表示します。
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◎「内なるオウム」の視座なく
鈴木励滋
舞台は一昨年の公演ではマンションの一室であったが、今回は一戸建てだという。
赤を基調とした調度品、調度品と言っても正面奥に天井まで延びた7列9段の棚があるくらいなのだが、上から三段目辺りが下手側に、その上の段は上手側に伸び、それぞれが梁のようになっている。上手側にのみ壁がありこれもまた生々しい赤で塗られている。棚や梁にはマトリョーシカやエッフェル塔やベネチアのマスクなどが全集とともに並べられ、間接照明が配され、洗練された部屋を表していた。
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2010/06/12 01:08 編集部 |
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◎「他者性/関係性」の方に踏み出す 誰かの生き難さを救うためにも
鈴木励滋(舞台表現批評)
ハイバイという劇団の名の由来は「ハイハイからバイバイまで」だという。わたしは勝手に出会い(ハイ)と別れ(バイ)の間を描いているからハイバイなのかと思っていた。主宰の岩井秀人のプロフィールには「外科医の父と臨床心理士(カウンセラー)の母の元で育ち、夜尿症、多動症を抱え16歳から20歳まで引きこもっていた」という“乗っ取る”とか“刺す”などということに至ってしまった若者の紹介かと見紛う記述がある。もし、このプロフィールを先に見ていたとしたら、敬遠していたかもしれない。けれどもそれは、重いのが嫌なのではなく、自らの痛みのみを見せ付けるような表現が苦手なために、それを警戒し回避する直感が働いたかもしれないということだ。
実際には、贅というユニットのプレビュー公演に出演していた岩井の演技に好感を持ち、彼が主宰するハイバイを観始めたので、つまらない偏見で機会を逃さなくて本当に幸いであった。
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2009/05/28 11:15 編集部 |
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◎豊かな混沌にいざなう表現へ エイブル・アートの出会い、共鳴、可能性
鈴木励滋(舞台表現批評)
入り口反対側の奥まったところにあるトイレの方から強い照明が差し込み、ロビーに集い談笑していた人々は静まりかえり視線を送る。そこから大音量で音楽が流れてきて、光の中から現れた車椅子に腰掛けた女(山村景子)の手に抱えられたラジカセが音の源のようである。
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2009/02/06 15:05 KITAJIMA Takashi |
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◎リボンをほどいて進み出る 「絶望に酔わず、希望に溺れず」の覚悟
鈴木励滋(舞台表現批評)
奥行きがあり細長い劇場の空間の両側に席が二段ずつ作られている。挟まれるように少し高くなった長方形の舞台。席と舞台の間には溝のように通路ができている。
談笑しながらひとり、またひとりと俳優が現れる。観客に視線を送り、会釈する者や言葉をかける者もある。オブジェのように組まれていた箱や棒を配置していくとテーブルと椅子、そして二つの入り口となった。各々発声をしつつ呼吸が整っていき、隊列を組み、深呼吸。踵や棒で床を鳴らしリズムを整えて行進が始まる。テーマ曲をハミングしながら暗めの照明の中、厳かな隊列は軍隊というより葬列である。
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2008/05/01 10:48 KITAJIMA Takashi |
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◎それでも誰かが隣にいる 平田オリザ流不条理劇
鈴木励滋(舞台表現批評)
▽「夫婦になる」とは
ある朝、目を覚ますと昇平とすみえは夫婦になっていた。
高校で非常勤講師をしつつ小説家を目指す昇平と看護師のすみえは旧知の間柄である。昇平の兄で会社勤めをする義男とすみえの姉で国語教師の春子は別居中でありながらも、良子という子どももいる夫婦なのであった。
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2008/03/01 20:17 KITAJIMA Takashi |
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