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[特別寄稿]
◎劇の厳密なる作動(前編)
 清末浩平

1-前提……状況の中で

「蛇姫様-わが心の奈蛇」公演チラシ
 唐十郎の劇について今日何事かが語られるとき、かつて唐の提示した「特権的肉体」を初めとする術語群が用いられることほど、陳腐で心そがれる光景はない。唐の『特権的肉体論』が仰々しいマニュフェストとして読まれざるをえない時代のあったことを否認する必要もあるまいが、しかし、同書の中に並ぶ文章がすべてエッセイにすぎぬことは明白であり、ある状況下に置かれたある書き手の瞬発的な反応以上のものを『特権的肉体論』から読み取ろうとする試みは、すべて否応なく誤読となる。実際、書き手であるところの劇作家も、40年も前に書き捨てた例のエッセイを、もはや一顧だにしていないではないか。
 彼が戯曲を書く際の驚嘆すべき速筆に象徴されるように、唐十郎の特質のひとつは、文字を書き捨ててゆくその異様なまでの速度である。状況に対する直観的感応力と言い換えてもよい。時が過ぎ状況が変化したいま、40年前のエッセイを参照せねばならぬ理由はどこにもなく、我々は赤い表紙のあの書物を本棚の隅にしまって、身ひとつで劇場へ出かければよいのだ。唐作品の上演される劇場へ。
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2010/07/31 00:39 編集部 | 0 comments | 0 Trackback

[特別寄稿]
◎観る前には戻れない 上質なドキュメンタリー映像の感覚
 清末浩平(劇作家、劇団サーカス劇場主宰)

「春琴」公演チラシ
 先日、私の先輩で休業中(?)の演出家である西悟志氏と会ったとき、彼が「戯曲でなくても、どんなテキストであっても舞台作品として上演することは可能だ」と言ったのを聞いて驚いた。
 西氏は実際、プーシキンの小説など非戯曲作品の演出をこれまで行っており、特に阿部和重の小説『ニッポニアニッポン』の舞台化作品は大傑作の名に値する舞台として私の記憶にも刻みつけられているのだが、しかし、喫茶店で私と話しているときに「舞台作品として上演」できるテキストの例として彼が挙げたのは、東浩紀の『動物化するポストモダン』だったのである。言うまでもなくこの高名なテキストは評論文であり、ストーリーを備え会話もある程度書かれている小説ならともかく、そんなテキストが演劇として上演されるような事態など、そのときの私には想像もできなかった。
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2008/03/14 23:52 KITAJIMA Takashi | 0 comments | 0 Trackback