「特別寄稿」の記事を10件ずつ表示します。
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◎影が踊り始める
竹重伸一
「明晰」シリーズの前作、昨年2月の「明晰の鎖」では同じ吉祥寺シアターの舞台奥の搬入口を開いて裏の道路と繋げたり、バルコニー・床下の上下の空間も使うなどワイドでスペクタクルな空間創りをしていたが、今回は観客の一部を上演空間に入れて、親密さのあるとても凝縮されてコンパクトな空間になった。出演するダンサーも過去に大橋可也作品に出演経験のある勝手知った7人に絞り込んでいて、匿名性の高い振付からよりダンサーの「個」が浮き上がってくる振付への変化の兆しがはっきりと伺えた。この変化は微細だが重要な変化で私には非常に共感できるものだ。
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2009/11/19 13:48 編集部 |
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◎「人間的な、あまりにも人間的な」ヤン・ファーブル
竹重伸一
観劇後というか観劇中から当惑した苛々とした気分が湧いてくるのを抑えることができなかった。8年のインターバルがあるとはいえこれがあの刺激的な「わたしは血」と同じヤン・ファーブルの作品なのだろうかという思いである。
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2009/08/06 14:49 編集部 |
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◎神話的ヴィジョンの魅惑と個としての肉体の不在
竹重伸一(舞踊批評)
今迄のBATIKの作品を観てきて踊りのディテールが欠如しているという印象を受けてきた。唯一ディテールを感じたのは「SHOKU」のラスト、数人で横並びになって白い下着姿のお互いの肉体をまさぐりながらゆっくりと前に歩んでくるシーンだけである。ディテールがないということは、つまりダンサーの個としての肉体が感じられないということであり、個としての生(記憶)が感じられないということでもある。代わりに思春期から大人の女性になる微妙な移り目にしか発しないような独特な熱っぽい生理的エネルギーが集合的になって渦を巻くように奔出してくるのである。そして速度。黒田育代の振付の目的はダンサーから余計な自意識を奪い、速度と生理的なエネルギーの美にひたすら奉仕させる抽象的な存在にすることである。
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2009/06/06 23:40 編集部 |
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◎舞踏の様式性と即興性の融合へ、そしてエロティシズム
竹重伸一(舞踊批評)
舞台は横浜BankART Studio NYKの眼前を流れる運河に泊められた艀の上である。開始時間は夜の九時半を過ぎていて、みなとみらいや赤レンガ倉庫が望める180度大パノラマの美しい夜景が広がる中、最初大野一雄の出演した映画『O氏の肖像』の映像が10分程写される。上映が終わると下手側の運河から上杉満代を乗せた水上ボートが音もなく近付いて来て、彼女が舞台に崩れ落ちるように登場した。
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2009/01/16 23:40 KITAJIMA Takashi |
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◎消費社会と明晰さへの抵抗 慎重かつ根底的なアプローチで
竹重伸一(舞踊批評)
1980年代以降日本の社会は資本主義の消費文化に全面的に支配されるようになったわけだが、実は消費社会が一番抑圧、管理しているのが身体である。
一つ例を挙げよう。ここ最近マスコミでは若者の凶暴化を騒ぎ立てる声が喧しいが、統計的なデータによると事実は正反対で、若者の凶悪犯罪は例えば1960年代以前と比べて明らかに減っているし、他の先進国の若者と比べても著しく少ないらしい。「日本の若者は、おそらく世界一、人を殺さない若者だ」と進化生物学の立場から殺人の研究をしている長谷川真理子・早大教授はいっている。(註)
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2008/05/30 09:54 KITAJIMA Takashi |
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