#3 市村作知雄(東京国際芸術祭)

芸術祭「独立」とアートネットワーク・ジャパン

市村作知雄さん -東京国際芸術祭の内容面に絞ってここまでお話をうかがいました。今度は方向を変えて、組織面に関してお尋ねしたいと思います。市村さんがフェスティバルの事務局長に就任されたのが1998年。2000年からはディレクターとして参画されてきました。それ以降はコンセプトも固まり、常勤組織も立ち上げて骨格のはっきりしたフェスティバルになったとの印象があります。この芸術祭は名称が何度か変わっていますが、確か1988年に始まったんですね。

市村 最初は「東京国際演劇祭’88池袋」という名称でスタートしたようです。

-そのころから企画運営に参加していたのですか。

市村 当時はシンポジウムを手伝ったぐらいです。97年にはまだ事務局に入っていなくて、地方の2団体、(京都の)ダムタイプ「OR」と札幌の斎藤歩さんのAGS(札幌舞台芸術家協議会)「亀、もしくは…。」という芝居を呼んでフェスティバルに参加しました。斎藤さんの芝居を知って、地方にもすばらしい劇団が活動していることが実感できました。もちろん駒場アゴラ劇場などで地方劇団が集まるフェスティバルが開催されていたことは知っていました。非常に申し訳ないんですが、そういう土壌から育った成果をぼくらがいただいてしまおう(笑)

-それぞれがそれぞれの趣旨と企画で進んいったということでしょうか。98年に事務局入りしたのは、どんないきさつからですか。

市村 これといったいきさつはなくて、そのころぼくは山海塾を離れていました。山海塾の制作の仕事は83年から始めて十数年…。別にけんかしたわけではなくて、そのあともずっと付き合いが続いていますから。そこで長いこと仕事してたので、この世界で食べていく方法も分かって、仕事を絞って、あとは遊んでいよう、楽をしようと思っていたのですが(笑)、後藤美紀子さんが動いてぼくを事務局長にしたわけです。当時はパークタワーホールの手伝いをしていたぐらいだったので割に時間もあるので引き受けました。やりたくてこうなったという感じじゃなくて、流れていくうちにこんなになっちゃったという感じかなあ(笑)。就職活動もあまりした覚えがなくて、大学の先生になってしまったり、その場の行きがかりでしょうかね(笑)。

-札幌のAGSはまだ活動していますか。

市村 斎藤さんは活動を続けています。AGSはTPS(シアタープロジェクト札幌)として、北海道演劇財団と一体化しているようですね。「亀、もしくは…。」は海外公演に出かけたり凱旋公演したりしています。非常におもしろい芝居ですね。

芸術祭の台所

-芸術祭を主催しているアートネットワーク・ジャパン(ANJ)が発足したのが2000年です。芸術祭を運営する恒常的な組織が必要だという当面の事情のほかに、さまざまな活動を展開するお考えがあったのでしょうか。

市村 いまだから言っていいかもしれませんが、99年当時は東京都から約3500万円出ていたと思います。最も多いときで約7000万円あったと聞いています。しかし東京都の財政事情が厳しくなって、もう3500万円も出せないと言われた。それで何かを変えることが必要となりました。

まず、隔年だったのを毎年開催に変えました。時代の流れが速くて、あるテーマを1年寝かせておいては取り残されてしまう。忘れられてしまう。毎年やらないと追いついていけない。そう考えて毎年開催に踏み切りました。

しかしいろんな不都合が起きてきました。東京都はそれまで隔年で予算を付けてきた。ところがお金が出ない年にフェスティバルを開いてしまうと、お金がなくてもできることを証明することになってしまう。そう言われるとは夢にも思わなかったのですけど、結局どちらを取るのかということになりますよね、東京都を取るのか毎年開催を取るのか。そういう択一を突きつけられた問題があります。

さらにもう一つ、東京都から助成があると、国からのお金が出ない。東京都と文化庁から同時にお金を出したもらうということはありませんよ、と言われた。東京都はどうも特殊な存在のようです。東京都からもう3500万円も出せないと言われているし、このままだとつぶれてしまうので、事務局の独立を考えました。東京都には悪いことをしましたが、離れることになりました。

実行委員会方式ですと、実行委員会の決議によって事務局長が任命され事務局を作る。ということは、フェスティバル以外のことはいっさいできない決まりです。NPO法人を作ると、芸術祭以外のこともできるようになるんですね。これはもっけの幸いでして、フェスティバル以外の活動も展開しようかということになりました。運が良かったんだと思います。直前にNPO法が成立して、絶好のタイミングだった。これはもう、運としか言いようがありません。

-そういうさまざまな巡り合わせもあって、ANJがフェスティバルを主催するほか、創造舎という活動拠点を作り、クリエーションのサポートするなど多方面にわたる活動を果たしています。そこでお聞きしたいのですが、東京国際芸術祭の予算規模はどれぐらいでしょうか。どのような形で財源を得ているのでしょうか。

市村 NOP法人なので公開されていますが、次回のフェスティバルに関して文化庁から5500万円出ています。「国際フェスティバルを開催する」というカテゴリーに入っていますが、「原則として3年に1回」という但し書きが付いています。その通りだと3年に1度しか申請できません。これでは死活問題なのですが、どうして3年に1度なのかというと、BeSeTo演劇祭を支援するという枠組みなのです。北京、ソウルと回ってきて、東京には3年に1ぺんやってくるからというわけです。ですから2005年は2400-2500万円ぐらいしか出なくて、2000万円前後の大幅な赤字です。内部留保を取り崩して、ほぼゼロになってしまいました。今度はかなり厳しいと覚悟しています。

それ以外には、プログラムを作って共催を呼びかけています。リージョナルシアター・シリーズは財団法人地域創造との共催ですし、1000万円ほど出してもらっています。中東シリーズは国際協力基金に一緒にやりたいとお話ししたら、ちょうど向こうもやらなければいけないと思っていたと話がかみ合って、破格でしょうが2000万円、海外から招くIVPプログラムに300万円の予算が付きました。本当に助かっています。企業からのお金も何千万円かある。などなどでかつかつ成立しているというところです。ドイツからの招聘に関しては、東京ドイツ文化センターがとても力を入れてくれて、渡航費や運送費などさまざまに援助してくれる。いろんな団体と共催を組みながらものを作っているので、総予算は1億円から2億円の間、2億円を超えたときもあります。香港やシンガポール、アデレード(オーストラリア)の演劇祭は予算が8億円もある。それに比べると、東京国際芸術祭は小さな規模ですよ。8億円と言いませんが、われわれにせめて3億円ぐらいあれば、と思います。そうなればプログラムの作り方が全然違ってきます。

-2002年から03年にかけて、それまでの9月開催を2-3月開催に時期を変えています。香港やシンガポールなどアジアの演劇祭と連携を取って、次々に公演できるような態勢づくりのためとの考え方もあったようですが、実際はどうなんでしょうか。そういう企画を検討されているのでしょうか。

市村 開催期間を年度末に延期したのには理由が二つあります。一つは、国関係の補助金や助成金が決まるのは4月なんです。下手すると6月までずれ込むことがある。そうすると秋に公演を予定するのは難しくなってくる。4月以降でないと、お金が出るかどうか分からないわけですから。実際上9月は無理で、早くても11月か12月が限界だから、できれば年度末に設定した方がやりやすいという事情です。

開催時期を変えたときは香港やアデレードもほぼ同時期なので、ヨーロッパのフェスティバルシーズンが夏なら、アジアは春でいこうという考えがなかったわけではありません。しかしいまはその考えはなくなりました。東京、香港、アデレードなどツアーを組めばいいといいますが、マイナス面もあるのです。まず経済的にあまりメリットがない。舞台装置は船で運びたいのですが、そういう予定を組んでしまうとスケジュール上、船で運べなくなる。移動は飛行機になるのでかえって割高になります。

もっと根本的なことは、プログラムが合わなくなってきたことです。特に香港、シンガポールなどと方針が違ってきてしまったような感じがします。香港などは割に英国人が来ていて、遠く離れたアジアに来ていても本国の芝居を見たいという要望が強い。それを満足させようということで成立している面があるようです。シンガポールも似たことが言える。ヨーロッパのかなり有名なものがみられる、というコンセプトに近い。日本でも10数年ぐらい前は、フォーサイスを呼びたい、ピナ・バウシュを呼びたい、ピーター・ブルックを呼びたい、なんだかんだとやってきた。確かに水準の高い公演ですからわれわれも呼びたいのですが、わずか1億円規模のフェスティバルではとうてい適わない。こういう経済的なこともありますが、内容的にほかのフェスティバルとわれわれとはだいぶ性格が違ってきている。アジア舞台芸術フェスティバル連盟という団体があって、われわれも含めて各国のフェスティバルの関係者が理事になって活動しています。報告を聞いてもあまりおもしろく感じなかった。また変わるかもしれませんが。ですから、フェスティバルの連合を作っていこうとはいまは考えていません。

プログラムはどのように決まるのか

-そこでお尋ねしますが、フェスティバルのプログラムはどのように企画されるのでしょうか。関係団体との折衝や交渉など、実際のラインナップが決まるプロセスを教えていただけませんか。外側からはまったく見えない部分ですので。

市村 それがわれわれの最大のノーハウですからね。

-まず内部で話し合いますよね。

市村 そうです。ほとんど事務局でまず固めます。役所の決め方は、偉い先生方を呼んだ委員会を作る方式すが、われわれの場合はスタッフが知恵を出し合って作っています。

-NPOの理事会メンバーはフェスティバルの企画選考にタッチしたりしませんか。

市村 理事会は全体的な方向に関してサジェスチョンをいただいて頼りにしているんですが、この演目をやれとかいうことはありません。ただこういうことがありました。日本の演目で英語字幕を付けたことがありました。海外の公演を日本に紹介するだけでなく、日本側の公演を外国人にも見てもらいたいと考えたからです。しかしやってみると、費用対効果がものすごくよくない。1人の外国人観客のために何十万円も使っているというときもあったりして、理事会にもう止めたいと話したら、これは続けるようにと言われました。続けたおかげで弘前劇場がドイツ公演をするきっかけになったりさまざまなことがありました。よかったと思います。こちらが心配だと思うことを理事会が励ましてくれたりして、われわれは助かっています。

演目は最終的にはぼくが決定していますが、20歳代、30歳代の若いスタッフが海外に出かけたりして個別の企画を進めています。中東シリーズを始めようとかアメリカ現代戯曲シリーズはどうかとか、全体的な枠組みはぼくが中心になって進めますが、それぞれが経験を積んできたので個別のプロジェクトはだんだん任せるようになってきました。

-常勤スタッフは何人ですか。

市村 いま8人。ほかに産休に入っているスタッフが1人。来年4月から10人体制になります。にしすがも創造舎の仕事が増えて、9人ではちょっと苦しい。効率的な経営を心がけていますが、それでも足りないですね。これだけ幅広い仕事をしていて、スタッフは9人しかいないのかと言われますよ。よくこれで回っていると思います。

仕事は専門的なノーハウ

-組織活動の評価方法をどうお考えですか。海外公演を手がけて、評判がよかったよくなかったという反響はありますよね。それも一つの評価の軸になるでしょうが、内部的にはそれ以外にどういう基準で自分たちの活動を評価して次につなげていくのでしょうか。

市村 いま評価ブームですから活動評価をしようという考えもありますが、ぼくは大嫌いでやらない。やっている本人がいちばん分かっていることで、それが分からない人は雇いたくない(笑)。外部評価をしてもいいのかもしれませんけど、本人が気づいて分からないんじゃどうしようもない。外から言われるようじゃあねえ。いい案があればいいですけど、われわれの仕事はきわめて特殊なノーハウなんです。プログラムを作るとか海外公演を実現するとか、この演目がいいかどうか評価してくれと言っても簡単に評価できないでしょう。お客さんの反応も、どうですかね、何とも言えません。ユーロスペース社長の堀越謙三さんがあるとき、極端な例ですが、「自分で上映しながら、客が入ると腹が立つ映画もある」と言ったことがありましたが、彼の言いたいことは分かるんです。いまの日本の演劇状況の中で、客が入っている芝居はある程度想定できてしまう。経験のあるプロデューサーなら、お客さんの入れ方は分かっている。1万人入れる芝居を作れと言われれば、それは作るし1万人を入れるでしょう。でも、それがやりたい芝居なのかというと、そういうことでもない。お客さんが入らなければ寂しいし、お客さんがいっぱい入ってくれればそれはそれはうれしいですけど。でももしお客さんがいっぱい入ったら、ぼくの選択はかなり甘くなったと思うかもしれません(笑)。

-客さんがいっぱい入る芝居が、その先どれほどの可能性を持つかというと、よほど芝居の中身に自覚的でないと厄介な問題を抱えることになると思いますね。

市村 でも本当に入らない(笑)。ここしばらく、海外からきた芝居でソールドアウトした公演はないんじゃないかなあ。太陽劇団の公演もソールドアウトしなかったし、ピーター・ブルックやベルリナー・アンサンブル公演も空席がありましたから。他の国では長蛇の列ができるものでも、日本に持ってくると空席ができる。クウェートのスレイマン・アルバッサーム・シアターカンパニーなんかは、海外で彼らの公演を見ようとしたらチケットを取れなかったけれど、日本公演はガラガラですね、なんて言われます。そういう状況になっています。 >>