#4 中野成樹(POOL-5+フランケンズ)

演劇の三つのドラマ

中野成樹さん中野 いまの段階でぼくは、演劇には三つのドラマがあると思っています。一つは、戯曲のドラマ。ストーリーと言っていいかもしれない。他人のお話、他人のドラマ、他人の物語。もう一つは、自分のドラマ。日本にいるオレ、いまを生きているオレ、そのドラマ。

柳沢 実人生そのものですか。

中野 そうですね。実人生そのもの。もう一つは演劇というドラマ。多分、その三つがある。

柳沢 演劇というドラマというのは、演劇史の展開を踏まえるといったことですか。

中野 いや、そうじゃなくて、さっき言ってた演劇の仕掛けというか。他人の前に出てせりふをしゃべる、でもそれは自分ではなくて、いわゆる芝居は大きなウソ、とか言われてることですね。演劇が成り立っているすごみと言っていいかもしれません。まだ答えがしっかり出ているわけではありませんが、その三つをどう位置づけていくのか。自分の物語があって他人の物語があって、それをつなぐために演劇という仕掛けがあるのかなあとか、あるいは三権分立のように、演劇は演劇として成り立っていて、自分の物語と他人の物語が三角形のように影響し合っているのかとか、その辺はまだ答えが出ていません。ただキーワードとしてまずはその三つを考えなきゃいけないなと思っています。大学にいたころは、演劇の仕掛け、演劇の形態、その成り立ちのようなものにはまってたんでしょうね。それで、それを考えるには翻訳劇が一番手っ取り早かったんだと思います。

柳沢 演劇の仕掛けを、演劇のドラマと言いたい気持ちの中には、演劇の仕掛けそのものが、何かを起こすものである、そこにドラマをみるということなんでしょうか。

中野 なんか信じがたいことをしているような気がするんです。なんで他人のふりして、他人の前に立って、ありもしないことを言っているのか。全部ウソじゃんという…。でも、それが世界の実際かもしれなくて。まんまシェークスピアですね。

柳沢 ふつう素朴にお芝居というと、戯曲のストーリーと舞台のドラマを分けて考えませんよね。日本の小劇場はそういうことに何の疑いもないから、劇作家が演出することが当たり前になっている。別に分業しなくてもいいし、劇作家が演出家であることがいけないわけではないでしょう。ただ劇作家=演出家というあり方に何の疑問もないとしたら、問題ありかなと思います。

「演劇がある」と「演劇の魅力」

中野 翻訳劇の上演と海外演出家による上演という問いかけを前もってメールでいただいていましたが、海外の演出家ってのはおのおの自分の演劇を持っているような気がします。自分が考えている演劇にブレがなくて、戯曲のテーマに興味が持てなくても、どの舞台をみても楽しめちゃう。もちろんテーマについても徹底した取材をしているに違いなくて、だからテーマや素材ってのと演劇っての二つが同時にあるなあと思える舞台が多い。一方、日本でやられてる新劇的な翻訳劇は、どうしてもテーマにしか興味がいってないような気がする。でも、テーマだけで作品を作ろうとしても、それは結局のところ他人事であって、そのことにどこまで本気になりきれてるのか。そういう気がしますね。

柳沢 テーマや内容とは別に、「演劇がある」という言い方をされましたが、戯曲のドラマやそれぞれの実人生のドラマとは別の、演劇が持っているドラマが海外の演出家の作品には如実に出ている、それを感じるということですか。

中野 そうですね。物語のテーマ、それは何百年も前の話だけどすごく現代性を持っている、なんていうレベルとは別に、演劇の持っているドラマを感じる。自分でもそれってなんだろうと考えあぐねるんですが、ぼくと同世代で、演劇を持っていると感じるのは岡田君(チェルフィッチュ)と関美能留さん(三条会)でしょうか。他にも何人か思い浮かびますけど。

柳沢 多分、それがないと、小説や映画でもいいんですよね。演劇が物語を伝える媒体にすぎなかったら、わざわざ舞台で上演するまでもない。

中野 そうなんですよ。あっ、だんだん近いことが浮かんできた。学生時代、演劇の魅力は何だろうという問いに対して、ほとんどの同級生は「生」と答えた。みんな「ライブがいちばんの魅力じゃん」と言い切っていた。でも、ぼくは「演劇の一番の魅力は「ウソ」だ」と言いました。全部ウソ。ウソだからある瞬間にその世界はポーンと消えちゃう。なんちゃってと言って消えてしまう、その「なんちゃって」がいつ来るのかが魅力なの。そんなことを言った記憶があります。でも、みんなは「生」「迫力」とか言ってましたね。その「生」の先なのか手前なのかは分かりませんが、やっぱりそこに「ウソ」というものがあって、そのウソが最後にばらされる。海外の演出家は(演劇の魅力とは何かという問いに対して)きっと「生」という以外の答えを持っているんじゃないかな。さっきのシェークスピアじゃないけれど「ぼくの作る演劇は鏡です」というような、あるいはブロードウェーのミュージカルだったら「ディズニーランドを遥かに凌駕する最高の娯楽!」というような、明確な答えを持っているんじゃないかなあ。そんなふうにみえる。

柳沢 なるほど、そうですね。いいお話が聞けました。

中野 なんでぼくは演劇の魅力を「ウソ」だと感じてたのかなあ。むかし俳優座でみるよりもっと前、子供のころって人形劇をみに行ったことがあって。お話もおもしろくて好きだったけど、カーテンコールで幕が閉まって、閉まったと思ったらまた開いて、着ぐるみの人形たちが再び姿を現す。ワーッ、また出てきたあ、と思ったらストンと幕がまた閉まって、ああ、みんなカーテンの向こうに行っちゃったとか思って。その感覚がとても好きだったんですね。あと劇団四季が日生劇場で抽選に選ばれた小学校の子供たちを呼んでミュージカルをみせる催しがあって、うちの小学校が運良くそれに当たってみに行ったこともあって。鑑賞教室ですから本編の前後に前説と後説がある。担当しているお兄さんが前説では「用意はいいかな?」みたいな歌をみんなにも歌わせる。すごい笑顔で「手を叩いて、幕を開けよう!」みたいな。で、その笑顔のお兄さんは、お芝居ではいかつい顔でいかつい役を演じてて。でも、本編が終わったらいきなりまた笑顔になって「さあ、みんな、笑ったかい、楽しかったかい?」「手を叩いて、幕を下ろそう!」というようなことをやってて。そのとき、こりゃあいったい何じゃと思った。さっきのいかつい顔はどこにいった? あれはウソだったのか? でも、きっとウソじゃない。さっきまでのスリルにあふれていた世界がフッと終わってしまった。やっぱり、そうところに引かれたんですね。

柳沢 それが演劇の原点として自分の中にあったということですか。

中野 そうですね。だから、自分の芝居でも人の芝居でもいちばん好きなのはいまだにカーテンコール(笑)。

アメリカと似ている

中野 大学院まで行っといて言うのも気が引けますが、いま本気で勉強しなおしたいと思ってます。翻訳劇が日本の中でどう根付いてきたのか、本当に丁寧に勉強したい。おそらくそれは演劇史にとどまらなくて、日本人の精神史とも関わる問題ではないかと思います。修士論文で、そのことについて軽くふれたんだけど、いま読むとちゃちだなあと(笑)。でも、例えばシェークスピアとイプセンとチェーホフを並列にして輸入し始めちゃったけど、それぞれ考え方も違うしまったくの別物だったのではないか。時代も地域もまったく違う。でも、それを海外の戯曲だからと言って同時に受け入れた。そもそも翻訳劇ってことば自体がすごくおおざっぱですしね。その辺をみていくと、少なくともぼくが日々感じている、居場所のなさとか毎日の暮らしのあやふやさの根拠が見えてくるんじゃないかという気がします。ぼくは、明治以降の日本人は日本人じゃないんじゃないかというような感覚を持っていて、戦後の日本人はさらにそうなんじゃないかと。そういう意味で、いまのぼくには根っこがない。けれども大切にしたいものはある。翻訳劇が日本に入ってきた経緯なんかを追っていくと、おそらくその辺が見えてくるんじゃないか。それがいまの日本の全体像に結びついてくるかもしれないという気がする。何か大風呂敷広げてますが(笑)でも、だからもう一度ちゃんと勉強したい。すでにいろんな人がそのことについてはいろいろ言ってるんでしょうし。

根っこがないけど大切にしたいものはあるという感覚は、ぼく個人の感覚ですけどアメリカに似ていると思う。いわゆるアメリカには歴史がないと言われますよね。じゃあ何があるかというと、やりかた、やり口、進め方、保ち方とかなどという方法だけがあって。根っこがない。でも大切にしたいものはある。いろんな方法をつかって守りたいものがある。家族がいちばんとか、フロンティア・スピリッツとか。でも、そういった大切にしたいものってのも、実はウソなんじゃないかと。偽りなんじゃないかと。アメリカの劇作家は何かその辺を暴いていくわけじゃないですか。オニールとかアーサー・ミラーとか。そういう感覚がぼくの中では演劇そのものとつながっていて、幕が下りてしまうとフッと消えてしまう演劇があって、ちょっとした出来事で大切にしたい何かがなくなってしまう世界があって。

柳沢 アメリカが登場したのでお尋ねしますが、一時期アメリカの作家を取り上げていましたね。

中野 すごく限られてましたけど。おもにワイルダーとサローヤンです。

柳沢 それほど日本で上演されていない作品を発掘しているようにみえましたが…。

中野 発掘しようと思っているわけではなくて、たまたま引っかかったんです。ワイルダーは好きなので、ずっと読んでいて、同じ世代の作家も読みたいなと思っててといった感じで。この2人は、どう言えばいいのかなあ、さっき言った大切にしたいものに対する視線がすごくやさしいんだけど、一方ではかなく見ている感じがして、これがぼくの感じている演劇とリンクしてきた。

柳沢 そういう接点を感じたときに上演したいと思うのですか。

中野 それが自分で上演しようと思う一個目の経路ですね。自分の持っている演劇、つまり自分の価値観に触れてきたものを、もう少し丁寧に取り上げてみようということです。もちろんそれと違う経路もあります。自分の持っている演劇に触れなくても、単純に会話としておもしろい、お話がばかばかしくて楽しい、と感じるものもやってみたいと思います。例えばモリエールなんかはそうですね。でも、結局はどうしてそれをおもしろく思えるんだろうってことにいきついちゃいますけど。

柳沢 『ホーム・アンド・アウェー』(注9)公演のときは、新しい人生が始まる、子供が生まれる、育つとか、いわゆる家族を描くとともに、アメリカというテーマもあったような気がします。フランケンズの舞台では、字幕というか文字がどう使われるかもポイントですが、あのときはテープで英語の歌が流されて、その訳詞を紙芝居のようにパネルで見せていって、最後に「翻訳 戸田奈津子」と出しましたね。

中野 一部の人だけ盛り上がりました(笑)。

柳沢 ちょっとしたギャグかくすぐりのようにも見えますが、日本とアメリカの関係を考えたとき、ハリウッド映画の字幕の果たす役割は大きいなと思いました。多分そのあたりの引っかかりがなければ、ああいう場面は思いつかないと思いますが。

中野 うん、字幕ね。いつか映画の字幕やってみたいですね。ちょっと前の映画って、必ずと言っていいほど、途中で歌が流れたじゃないですか。挿入歌とか言って。主人公が車に乗って高速道路走ってる場面とか。たいしたシーンではないけれど、映画の中盤でちょっと一息入れてあげるという映画のテクニックなんですかね? そういうイメージから、だったら歌を流して字幕を入れようか、と。

『ホーム・アンド・アウェー』は自分の中で、いろんなことが始められると思った作品です。いろんな要素が絡まってきていた。アメリカの感覚とぼくの感覚の同じところと違うところを探しつつ。個人として興味のあった家族とか出産とか子供というテーマをみんなで考えつつ。しかもあのときはSTスポットの契約アーティストとして取り組む最初の作品でもあった。STスポットがホームになったわけで、でこんなタイトル付けて。

柳沢 2本の作品を併せて公演するというコンセプトはいつの時点で固まったんですか。

中野 最初は1本目だけをやろうとしていたんですが、なにせ上演時間が35分ぐらいしかなくて、当時STスポット館長だった田中さんと、さすがにそれじゃヤバくねえかというような話をして、それで2本立てていこうと思った。家族の話がホームで、もう1本は生まれる前の控え室という設定の作品だったんですが、世の中に生まれ出て行くってのは実は敵地に乗り込むようなものか? みたいな発想をして。で、『ホーム・アンド・アウェー』。サッカーにみたてて、休憩はさんで舞台と客席の位置を入れ替えて。いろんなものがカチーンと合わさった。>>

注9)ホーム・アンド・アウェー
『ホーム・アンド・アウェー』公演(2004年7月16日~29)STスポットで上演。
アメリカの短編戯曲の二本立て。原作はワイルダー『楽しき旅路』、サローヤン『夕空晴れて』。誤意訳&演出=中野成樹、出演=フランケンズ。