#5 前田司郎(五反田団)

青年団との合併

前田司郎さん――わずか1年ほどでこまばアゴラ劇場に進出しますね。

前田 大学内でわりと評価が固まってきたっていうか、外でもちょっとやってみたいなっていうのがあって。そのときちょうどバイトしてたんですよ。高校までは父と母とおばあちゃんから小遣いを三重取りしてたんで(笑)けっこう潤ってたんですけど、大学入ったらそれが打ち切られたんで。でも実家通いだし、とくにお金を使うような趣味もなかったんで、バイト代が貯まっていく一方で。20万ぐらいだったかな、あぶく銭感覚だったんですね。あ、これで外でやれるんじゃないかと思って。調べてみたらアゴラが当時、平日6万円だったんです。だったら平日3日間借りられるじゃんって。

――アゴラのオーナーが平田オリザさんだっていうのは意識したんですか。

前田 いやそのころはオリザさんは名前を知ってる程度で、青年団もみたことがなくて。でもまあ、オーナーだからみにくるんじゃねえか、平田オリザくるかも、みたいな。他にも劇場のプロデューサー的な人たちもみにくるかもって、そういう期待がちょっとあったんですね。そしたら誰もこなかった(笑)。ただアゴラの職員の方が何人かみてくれて、青年団の人たちの間でも、なんかちょっと変な人たちがいるよって話にはなったらしいんですけど。

――青年団といえば、アゴラ進出からしばらくして端田新菜さんが五反田団に参加するようになりますね。

前田 新菜ちゃんは同じ大学で、直接の知り合いではなかったんですけど、五反田団を何度かみにきてくれてたんです。で、そうそう、ちょうどアゴラを借りにいったときにたまたま新菜ちゃんがいたんですよ。そのときは事務のバイトかなんかだと思ったんですけど、あとで青年団の役者だって知って。けっこう興味があったんですね。当時は大学の演劇部なんて「ケッ」みたいなそういう若気のアレがあったんで(笑)、大学の演劇部に入らず、外のプロの集団に入ってやってるっていうのに。それで新菜ちゃんも出るっていうんで青年団の若手企画――『S高原から』か『カガクするココロ』だったと思うんですけど、みにいったらすごくおもしろかったんです。で、そのうちに新菜ちゃんが五反田団に出たいって言ってくれて。

――実現したのがアゴラ劇場の大世紀末演劇展(注2)に出品した『びんぼう君 21世紀バージョン』ですね。

前田 そうです。今度は新菜ちゃんが出るっていうんでオリザさんもみにきてくれて。そっから青年団との交流がはじまって。

――平田さんの五反田団に対する評価って、はじめからかなり高かったですよね。アシストされた部分も相当あったと思うんですが。

前田 そうですね。でもオリザさんのそういう、なんつうんだろ、青年団だけのことを考えてないで若手にも水をまいて、もし枯れてしまえばそれまで、茂ることができたなら演劇を変えていくのもいいっていうのは厳しさでもあって。すごくプロデューサー的な感覚の鋭い人なんで。ただ、初期にオリザさんにすごく助けられたっていうのは事実です。

――演出家として平田さんから学んだことってありますか。

前田 そういうのはあまりないですね。作品に口を出したりとか絶対にしない人なんで。だから信頼できるってのもあって、すごく感謝してます。もちろん劇団の主宰としての態度とか、経営者としてのあり方とか、作品に対する考え方とか、そういうのはすごく勉強させてもらったんですけど。

――平田さんってかなりの理論家で、演出に関しても体系だったものを持ってる方だと思うんですが、そのへんで新鮮だったこととかは?

前田 新鮮とかもなかったですね。たとえばワークショップにしても、オリザさんのと松本修さんのしか受けたことがないので、オリザさんのワークショップが他の人のとどう違うかとか、演劇に対して考えてることが他の人に比べて論理的であるとか、そういうことがわからないんです。オリザさんのワークショップを見学したときも最初からしっくりきたっていうか、まあそうだろうなっていう感じで。

――とても自然だったと。

前田 はい。まあそうなるよねって。だからそれだけ合理的だったんでしょうね、オリザさんのワークショップが。

――03年に五反田団と青年団は合併します(05年に解消)。合併っていうのがおもしろかったですね。

前田 あの頃、オリザさんの中で合併がはやってたんです(笑)。なんか話題になるんじゃねえかって。オリザさんって風貌や著書の感じから誤解されやすいんですけど、じつはガキ大将みたいな子どもっぽいところのある人で、バカなことが大好きなんですね。だからこそああいう作品がつくれるわけなんですけど。

――いわゆるネタ的に合併してみようかって感じですか。

前田 もちろん合併することのメリットっていうのもあって。アゴラ劇場に下りた助成金を五反田団でも使えてキャストにちゃんとしたギャラが払えるようになるとか、アゴラ劇場の方もレパートリーが増えることで助成金の申請がしやすくなるとか。まあどう考えてもうちらのメリットの方が大きいんですけど。そういうパトロン的っていうか、プロデューサー的な観点からの合併ですね。いま青年団リンクって枠でアゴラのフランチャイズ劇団が増えてますけど、その先駆けみたいなところもあって。

――ちょうど助成金の話が出たんで、劇団運営に関わる経済的なことも聞かせてください。ずいぶん前、雑誌に公演の見積もりを掲載してたのを拝見しましたが、五反田団ってじつに低コスト運営ですよね。チケット代もあいかわらずの低価格設定ですし。このえらく地に足のついた感じはどこからきてるんでしょう?

前田 なんなんですかね(笑)。

――お金に困ってなかった。

前田 それもあるかもしれないですね。あと借金とかぜったいイヤだし。とにかくお金のトラブルは……ノルマかけるのとかもすごくイヤで。舞芸時代の友達なんか紀伊國屋ホールの5000円の芝居に出てチケットノルマが100枚らしいんですよ。5000円×100枚で50万ですよ。それで1本、芝居打てるじゃんって。で、どんなやつかとみにいったら、主人公に手紙を渡す役ですよ(笑)。それであいつ50万払ってんだ、いくらなんでもヒドイなと思って。そういうのが横行してるんですね。じつにわからないところなんですけど、かなりの数そういう劇団がある。

――劇団員って貧乏なイメージがありますもんね。

前田 だからそれはやり方がバカなだけで、ちゃんと考えれば普通のアルバイトの人ぐらいの生活はできるんだっていうのを実際に証明したいんです。積極的にではないですけど、なんとなく波及効果でというか。「貧乏はエライ」みたいな思想はバカバカしいってことに気づいてもらいたい。たしかに貧しい中でがんばるっていうのはすごく気持ちがいいんですよ。ま、僕はやったことないからわからないですけど(笑)。でもそういうのはすごくよくない。それはお客さんにはどうでもいいことだし、金持ってようが持ってまいが、おもしろいものはおもしろいし、つまんないものはつまんない、そういう世界だと思っているので。

――私はすべてを犠牲にしてやってるのよみたいなのは……(笑)。

前田 もう意味がわからない(笑)。だからそういうのがちょっとキライだぞっていうことを宣言する意味でも、僕らはわりと裕福な生活をしよう、それを隠したりせず普通に話していこうってのはあります。>>

(注2)大世紀末演劇展
1988年から毎年平田オリザがフェスティバル・ディレクターを務めて開催された。全国各地の劇団や海外からも参加。2001年からは、若い世代の演出家たちの共同運営による「summit」が始まり、地域の劇団の発表の場を確保すると同時に、若手の才能発見の場としての役割を強く意識した運営を目指しているという。