#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)

方法論が苦手なところ

-平田さんがちょっと仮眠していて、いびきをかいてるシーンを撮ってますね。あ、これは使えると思ったでしょう(笑)。

想田 思いました、思いました(笑)。いや、ほんとにどこでも寝ちゃう人なんですよ。ああやって「15分したら起こして」って言って寝て。で、寝始めたら5秒くらいで、もういびきが聞こえてくるんです。

-ああいう重要な場面をどうやって使うか、最初にしようか、おしまいに回そうかって、想田さんは考えただろうなあと思いました。

想田 はい。あと、寝てるときの平田さんは演じてるのか、とかね(笑)。

映画「演劇2」から
【写真は、稽古場で眠る平田オリザ-映画「演劇2」から。© 2012 Laboratory X, Inc. 禁無断転載】

-ずっと観察映画を撮ってきて、こういうことは非常にうまくつかめる、ああいうところはきちんとつかめないかもしれないと考えたことはありますか。

想田 もちろんです。

-観察映画の方法論としては、どういうことが苦手だなと思われますか。

想田 苦手なのは過去。過去は描きにくいですね。今、目の前にあることしか描けないんです。

-観察映画が非常に強く今にこだわるので、なかなか過去は描きにくいってことですか。

想田 そうですね。間接的にはもちろん描けるんですけど、今を通じてしか描けないんですよね。その人の記憶とかそういう形でしかね。記憶なんだけど、それが今、蘇ってきてるってことでしか描けない。

-映画の場合、記憶を描こうというものは割に多いですよね。

想田 そうですね。

-芝居でも過去と現在と、欲張って未来まで入れてしまうような舞台も、ずいぶん出てきてますけどね。それ以外に何かありますか。

想田 目の前で何かが起きてないと撮りようがないっていうのがひとつありますね。

-撮影した中で省いたところ、これはどうしようか迷ったところはありましたか。

想田 もういっぱいありました。すごくいっぱいありましたね。

-僕が映画を見て、あ、出てないなって思ったのは、平田さんがよく語るコミュニケーション論なんですよ。コミュニケーションはコンテクストのすり合わせだっていう、彼がいつでも話すせりふがないなあと見てたんです。意識して省いたかなと思ったんですけど。

想田 いや、意識っていうよりも文脈を作れるかどうかなんですよね、それを出すための。映画の流れの中で語っていくので、その流れがどうしても阻害される場合には、いくらそのシーンがおもしろくても削っちゃう。ただ、このシーンは核になるからどうしても使うぞっていうのは、最初からあるわけなんですけど。
 例えば「演劇1」の最後の場面、ハッピーバースディの場面は、絶対使おうと思いました。稽古しながら、それがそのまんま誕生日のお祝いに移行する話ですね。あの仕掛けはちょっとすごいと思いました。今回はずっと「演じる」ってことについて考えながら映画を作ってたんですけど、あの仕掛けのせいで、演じるレイヤーみたいなのが複雑に、誰が何のために演じてるのかよく分かんない、ごちゃごちゃになる感じがおもしろかった。平田さんは、明らかにあの場面では演出家を演じてる。俳優は「演技する俳優」を演じている。で、僕も実は映画の撮影者の役を演じてるわけですよね。いつもと同じですよっていうモード出さないと、サプライズがばれちゃうので。そこで僕は、ばれないように、ばれないように撮ってる。そういう意味では非常に象徴的なシーンっていうか。しかも、大の大人がみんなすっごく輝いてる。なんかもう、はしゃいでるって感じ。
 人間がなんで演劇っていう営みを、少なくとも古代ギリシャ時代からやってきたのかっていうことの、ファンダメンタルな構造があのシーンにあるんじゃないかっていうふうに、僕は感じたんですよね。

-なるほど、そうですか。僕はあのシーンを見て、通常の稽古よりももっと、みんなの集中力が高まって濃密な空間ができたことに少なからずショックを受けました。虚実が私空間で一体化している極致というか-。現代口語演劇は公的空間を対象に芝居を作っていたはずなのに、ああいう私的な関係と関心でつくられる極私的場の方がおもしろくて熱くなるっていうのは、なんか芝居が負けたような悔しいような気がするんですよね。

想田 なるほど。へぇ、おもしろいですね。

-大勢の人に見せるためじゃなくて、ただその人のためにやる。たった1人のために演技の時間と空間を作る。みんなが演じつつ、みんなはそれを見守る観客でもありますよね。まあ、本当はそれが演劇の原点なのかもしれないなとは思いますけどね。
 話を平田さんの演劇論に戻しますと、平田さんの現代口語演劇の、彼が進めてる方法の中で、これはなかなか芝居化するのは難しいのではないかと思うことってありますか。つまり、あの方法論だとものすごくうまく描けるものがある。逆に言うと、そういう方法だからちょっと描き難い、はみ出るようなものは想像できますか。

想田 ものすごくぶっ飛んだ想像の世界っていうのは、描きにくいんじゃないですか。それはドキュメンタリーも一緒ですけど。そういう意味ではたぶん、平田演劇はドキュメンタリーと似てるんでしょうね。作家の頭の中をそのまんま絵にしちゃうみたいなものは、ドキュメンタリーではすごくやりにくいわけですけど。平田さんの演劇もそういうところがあるんじゃないですかね。平田さんは妄想を演劇にするのが劇作家の仕事だみたいなことをおっしゃってますけど、劇作家の中では妄想タイプではないですよね。妄想タイプの演劇って、ほかにもっといっぱいありますよね。

-話がひとつの流れになって、だいたい時系列通り進みますし、場面が多くても論理的な関連が確実に作られている。だから、野田さんのような時間や論理が飛んでしまうような芝居ではない。

想田 だからたぶん、逆に言うと、平田さんの現代口語演劇っていうのはそこを縛りにしてるところがあると思うんですね。時間は飛ばさないっていう縛りの中で、現代口語演劇ってものが形作られてる。こういうことはやらない、ああいうことはやらないって消去法にすることで、そのスタイルが際立つわけじゃないですか。

-なるほど。さらに言うと、青年団リンクっていう形で、いろんな自主的な活動をむしろ意識的、組織的に行ってるのは、青年団とはまた違った方面の活動がそれなりに分かっていて、そちらにも触手を伸ばしてるところがありますよね。

想田 なるほど。青年団やアゴラで育った後進の劇作家も、平田さんと同じようなことをやっていてもしょうがないっていうのがあるんじゃないですかね。平田さんの演劇に影響を受けながらも、作家それぞれのテイストっていうか、そこからどっちの方向にいくかというところで、初めてその人の偏りなり、個性というものが出てくる。僕もそんなに見てはいないですけど、若手の方々の作品を拝見した限りだと、平田さんから何かを受け取って、そこからどこかにいくっていうようなイメージはあると思いますけどね。
 それは、僕がダイレクトシネマというドキュメンタリー運動、フレデリック・ワイズマンとか、そういう人の作品から何かを受け取って、観察映画という形で自分の映画を展開していくってことと、結構、パラレルではあると思うんですよね。>>

「#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 休むに似たり。

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