
1は唐十郎往年の衝撃的問題作。スケールも大きく圧倒的な喚起力を持つその言葉とがっぷり四つに組んだ役者・演出に脱帽。
2は超絶技巧。言葉少なに身振りと演出で場面をつなげ、爽快かつ印象的な演劇を作り出している。ロブ=グリエの小説を読むような知的興奮(手法も酷似)。
3は高度な技術とエンターテインメント性が見事に融合した、生命の色も鮮やかなシェイクスピア。小劇場ではなくてすみません。
まず、演劇とは何かを問うならば、『春柳社を探して』を見ればよい。真摯に愉快に楽屋裏を描くこの傑作は、芝居に携わる者なら誰しも覚えのある場面の連続の果てに、芝居作りが、答えの出ない問いを発し続ける行為であることを教えてくれる。次に、演劇によって何が描けるかを確認したければ、『7』を見ればよい。もはや新劇が創造できなくなった現在形のリアリズムが、横浜を拠点としたこの劇団には息づいており、今日なお「人間模様」に触れることの感動をじわりと伝えてくれる。そして、演劇の可能性を知りたければ、『戦争 -Guerra』を見ればよい。マイノリティが舞台上で己の存在をさらす詩的パフォーマンスは、〈代行=表象〉の暴力性を超えた次元を指し示してくれる。
サシャ・ヴァルツはタイトル通り、肉体というモチーフで可能な限りのイメージを奔放に追及し、特に肉と皮を引っ張り持ち上げる場面が鮮烈に瞼に残る。舞踏出身の鈴木孝子が創立メンバーという影響もあるだろう。鈴木ユキオは体の酷使や動きの制限を積み重ねて、身体とは何か、表現とは何かを問い続ける。発表するたびに、作品がストイックに研ぎ澄まされていき、恐ろしいほどだ。神村恵は、体を動かすと踊りが生まれるか生まれないか、それを静かに探り続け、そのいとなみがようやく理解され始めた。このカンパニー作品でも日常的な動き、ミニマルな動作の繰り返しから、表現が立ち上がる瞬間を探り続け、観客として体感すると歓びを感じる。
心に残った舞台は以上の作品です(上演順)。どうしてこの3本になったのか考えてみました。おもしろかった、感動したというより、みることによって自分の中の何かが変化したことが自覚できた作品であったということでしょう。『7』には「この舞台が自分を受け止めてくれた」という得難い実感を、『神様の夜』には4つのプログラムに足を運ぶたびに作品に魅入られる夢のような体験を、『野鴨』には演劇という森で「道がわかった」と思う間もなく、ますます深く迷い込んでしまった困惑でした。大晦日には因幡屋ぶろぐにて「2007年因幡屋演劇賞」を発表の予定ですが(笑)、上記3本のほかに俳優さん個人等、もう少し加わることになると思います。*年間観劇本数 12月31日までに113本を予定。
維新派「nostalgia」の第1位は動かしがたい。「<彼>と旅する20世紀三部作#1」という副題がつけられ三部作の始まりとなる。主題(モチーフ)的にもこのところ続いた絵画的ビジュアル重視から物語(ナラティブ)の要素が強まり次の段階(フェーズ)に入った。もっとも注目される劇作家・演出家を挙げるとすると五反田団の前田司郎、ニブロールの矢内原美邦の2人になりそう。前田は京都芸術センターとの共同製作となった「生きてるものはいないのか」で昨年に引き続きその才気を見せ付けた。アウトサイダーながら90年代にもっともラジカルな方法論的実験を行った山の手事情社の安田雅弘を思わせる矢内原の「演劇」はきわめて刺激的だ。

これからが楽しみな団体を選びました。空間ゼリーは、第1回公演から拝見している劇団です。注目すべきは「穢れ知らず」主演を務めた劇団員・岡田あがささん。女の心情を描き切る作風にはピッタリの女優さんだと思います。箱庭円舞曲は、とにかく役者さんがお上手。シュールだけれどリアルな作風を、皆さん見事に体現されています。「大人なのにバカ」は、予備校時代のやるせなさを思い出させてくれました。企画意図に惹かれるのがMrs.fictions「15minutes made」。15分ずつですが、1度に複数の団体の公演を観ることができます。「観客と様々な表現との出会い」「表現者同士の出会いと交流」を促進する試み。意義あることだと思いますし、応援していきたいです。

海外招聘公演
・「ケルパー」(サッシャ・ヴァルツ振付・演出)
・「コーランに倣いて」(マルク・ヴァイル演出)
・「これが全部エイプリールフールだったなら、とナンシーは」(ラビア・ムルエ演出)
国内カンパニー公演
・「サド侯爵夫人(第二幕)」(三島由紀夫作、鈴木忠志演出)
・「nostalgia」(松本雄吉作・演出)
・「ニュータウン入口」(宮沢章夫作・演出)
・「クリプトグラフ」(松田正隆作・演出)
(いずれも順不同)
今年は印象に残った作品が多かったので、2つのカテゴリーに分けてそれぞれのベスト3とした。私にとって上記7本は文句なく刺激的な作品で、特にウズベキスタンとレバノンの作品は、見終わってから随分経った今でも時々思い出す。「サド侯爵夫人」のインパクトは、一言ではなかなかいえない。宮沢、松田の両作品は、遊園地再生事業団とマレビトの会のここ数年の活動にとっての「収穫」と呼ぶにふさわしいものだったと思う。

1を観て、演劇における作家の「腕力」がいかに支配的かを再認識させられた。舞台が成立する理由、物語を提示するとは何かなど、示唆に富んだ志の高い実験が展開されており、極めて興味深い、スリリングなステージであった。
2のリアリティある感覚に裏打ちされた、身体による「現実の切りとりかた」は他の追随を許さない。3のナメ腐ったおふざけに内包される「悲しさ」こそが、今の切実なリアルなのではないだろうか。
言葉にせよ、身体にせよ、演劇構造にせよ、その在り方が微妙ではあるが明確に変化しているように感じた一年であった。

私にとっては、「THE BEE」に始まり、「THE BEE」に終わった1年だった。昨年の夏休み、通りすがりのように野田秀樹の芝居をロンドンで観た。それまでは観る専門だったのに、劇評を書き始めるきっかけを与えてくれた。半径1メートル以内を見つめた引きこもりのような作品が目立つなかで、「今、ここ」を撃ち抜く演劇の原点を示す作品だと思う。
日本バージョンを観て、言葉のない身体表現が今後の潮流になりつつあると感じた。ブルーマンのブームもそんなところにあるのかもしれない。
3は再演だが、私は初見。鏡面の舞台の壁は本当に息をのむほど美しかった。最近、伝統芸能を取り入れた現代劇をよく観るが、この舞台のように見事に融合しているケースはまだ少ない。豊かな日本の遺産を生かした舞台をもっと観たい。」

小説よりも奇なる事件が続いた今年、劇場空間でみるドラマに求める刺激の水準が高くなったのか、インパクトのある作品に出会う機会が少なかった。
『オッペケペ』は、故観世榮夫氏の企画を流山児祥氏が引き継いだ福田善之氏の戯曲。ベニサンピットの演劇臭と、自由民権運動の時代感が見事にマッチ。演出・美術・役者の素晴らしさも含めて申し分のない傑作。ラズカルズは二作目の若い劇団。美術も俳優も映画並みに丁寧に具象で描く。大阪の劇団みひろざくらはストイックな役者二人のユニット。東京での動員は極小だが、戯曲の構成力、役者の演技力ともに必見の価値あり。指輪ホテル『EXCHANGE』の芸術的吸引力にも降伏。
* 初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」年末回顧特集2007臨時増刊号(2007年12月20日発行)
劇団webサイトへのリンクが基本ですが、見出しの筆者名をクリックすると、wonderland 掲載劇評一覧が表示されます。