振り返る 私の2004

■第5回 演劇への視線を問う   山関英人 (演劇ジャーナリスト、「舞台芸術の小窓」サイト主宰)

舞台芸術をどの視点で切り取るか、試行錯誤が続いている。

昨年から、舞台芸術を取材する記者として本格的に始動した。公演案内や劇評、インタビュー記事など、無我夢中で取材し、書き続けた。その一方で、時を経るにつれ、疑問が膨らんでいった。自分が関わっている取材や記事は、一過性ではないのか―。

ワーク・イン・プログレスの行方

ところが、情況は一変した。

2004年5月から、3種類の〈集団〉による「ワーク・イン・プログレス」が始まった(集団は、劇団やユニット、プロデュース公演の主催などを指す)。ワーク・イン・プログレスとは、舞台における制作過程の公開、途中経過の「報告」を意味する。具体的には、リーディング公演を経て、本公演に臨むという形態が多い。戯曲の精度を高め、時間をかけて舞台の質を向上させる、というのが主旨のようだ。

初陣を飾ったのは、川村毅さんの新作『クリオネ 第一幕・第一稿』で、サイスタジオとティーファクトリーの主催のもと、5月1日から、リーディング公演を行なった。続いて、遊園地再生事業団の『トーキョー/不在/ハムレット』も、6日からリーディング公演を始める。その後、ク・ナウカが『アンティゴネ』で、5月中旬から創作過程そのものを公開し、6月にプレビュー公演に臨んだ。

私自身、積極的に関わったのが、ク・ナウカだった。時間が許すかぎり、稽古場に通った。プレビュー公演を経ていたので、通し稽古を観る機会が多かった。観ては考え、考えては観てをくり返し、変貌していく舞台に、認識を新たにさせられた。そして、昨年10月の東京国立博物館での公演の後、ワーク・イン・プログレスは舞台の完成度を高める、との自信を持った。時間をかけて作品に関わる意味が大きい、というだけでなく、それ以上の根拠を見出し、これまでの創作過程も含めて、伝えたいという想いが強くなった(ク・ナウカが、今年のワーク・イン・プログレスに入る前に、記事化する予定)。

ただ、付言しておきたいのは、ワーク・イン・プログレスという用語でひとくくりするにも問題があるということだ。3種類の〈集団〉は、それぞれ創作過程が大きく異なっており、例えば、遊園地再生事業団の場合は、公演の回数が多いことに加え、映像公演という試みまで実践した。

また、同じような手法を、他の〈集団〉も取り組めるかどうかとなると、疑問がある。特に、長期にわたる試みであるだけに、とりわけ、予算的な面で躊躇せざるを得ないだろう。

ク・ナウカが今後、毎年、取り組んでいくので、メリット・デメリットを含めて、3年を目途に、まとめるつもりだ。

劇場の役割とは何か

一過性でない取材は時間とともに、広がりを持つ。

劇場の役割について、とりわけ、「貸し小屋」業について、異和感があった。「劇場は不動産業ではない」というのは、平田オリザさんの言葉であるが、彼が支配人を務める、こまばアゴラ劇場(東京)では、2003年から「貸し小屋」を一切やめて、劇場使用費を無料にした。その代わりに、助成と、支援会員という制度で、減収分を補う仕組みにした。詳細は、同劇場のホームページにあるので、これ以上の言及は避けるが、資金の調達と人材の供給が困難な〈集団〉が多い中で、同劇場の試みは、評価に値する。今後は、上演環境の整備という状況を超えて、水準の高い舞台が生まれるような仕組みづくりを期待したい。

実際に、質の高い舞台が創られる可能性を秘め、実現している劇場がある。精華小劇場(大阪)とアトリエ劇研(京都)、そして、アートコンプレックス1928(京都)である。精華小劇場についてだけ触れておくと、劇場費を無料にしているという点では、こまばアゴラと同じであるが、最大2週間の使用期間を保証し、公演の準備(仕込み)と、実際の公演と同じ環境で長く稽古ができるよう配慮している(ただし、使用するには審査を通らなければならない)。東京では、にしすがも創造舎が昨年8月に誕生し、稽古場が最大2カ月間、利用できる(ただし、公募制)など、創作環境が充実している。
いずれにも共通しているのは、劇場から作品を発信していく点だ。

「公共」劇場の実情

劇場の中でも、「公共」劇場の役割には注視している。税金で運営されている以上、芸術を通して社会にどう還元されるのか、関心がある。これまでの劇場運営を一変してしまう可能性を孕んだ、指定管理者制度が逆風となって、公共劇場の関係者も、自らの役割について、考えざるを得ない状況が生まれている。さらに、昨今の経済情勢の窮状により、芸術的側面よりは、稼働率や集客などの採算面が重視され、劇場関係者は目先の利益を意識せざるを得ないという。

そもそも、公共劇場でどういう公演や企画が日常的に行われていているのか覚束ない。今年は、彩の国さいたま芸術劇場を対象に、企画を模索している。実情の報告と、芸術的観点から同劇場をどう評価できるかの視点が、その狙いとなる。行政の採算面を重視した評価軸に対し、新たな軸が創れるかどうかを焦点としている。

つながる試み

そして、ワーク・イン・プログレスと、劇場の役割がつながった―。

世田谷パブリックシアターでは、今月の29日と30日に、鐘下辰男さんの試作『死の棘』のリーディング公演を実施する(アフタートークがあって、客席との意見交換も行うという)。その後、6月に本公演をシアタートラムで実施することが決まっている。公共劇場がこういった試みをするのは、予算と社会への影響という面で、意義深い。この形での上演方式は、同劇場にとって初めてであるだけに、今後、どう展開していくのか、注目したい。

「値踏み」の普遍化

取材には、苦労が絶えない。最も困るのは、値踏みされることである。具体的には、問い合わせをしても黙殺される、非協力的な態度を取られる、といったことだ。私が『朝日新聞』の記者なら、そういったことは起こらないだろう。

最近の例では、ホリプロと遊園地再生事業団で、「被害」を受けた。ホリプロの場合は、蜷川幸雄さんの力添えがあり、対応が手のひらを返したように変わった。ここで、蜷川さんの名前を出したのは、彼は、値踏みとは最も対極にある方だからだ。私のブログには、蜷川さんへのインタビュー記事を載せており、それが、値踏みへの対抗策ともなっている。遊園地再生事業団は、現在も取材中なので、ここで書くと、非協力的な姿勢がさらに硬化してしまうおそれがある。妥協させられるばかりなので、その一端だけでも伝えたかった。

メディアでの展開

現在、『埼玉新聞』で、毎月1回、「感劇」と称して、公演案内を掲載している。この企画の特徴は、メディアであまり取り上げられない〈集団〉を俎上に載せることだ。加えて、紹介した公演は観劇して、翌月の欄で、検証(寸評)している。紹介だけの「無責任」を避けているという意味で、私なりの姿勢を示している。

また、取材とブログを連動させ、新聞や雑誌ではできない取り組みを展開している。稽古場日記や、公演初日の前日を取材して、その様子をまとめたりするのは、その一例である。

演劇の裏面史と書くと、いかがわしくなるが、上記で触れた値踏みを普遍化する―取材の過程での実情をブログで伝える―ことも実践している(昨年、連続上演された『赤鬼』ですでに試みている)。メディア・リテラシー(メディアを読み解く方法の実践)にも、ひと役買っているのではないか。当初の目的は、舞台の周辺を含めて公演を伝えること―舞台ができるまでの過程と、関係者の様子などの報告―だったので、その点は忘れず、肝に銘じなければならない。

冒頭では、「舞台芸術」をどの視点で切り取るか、と記したけれども、これは、演劇を広い観点から眺めたいという思惑があったからだ(今年は伝統芸能からの視点を意識したいと考えている)。

取材を進めれば進めるほど、課題は増えてくるが、「読者」の批判に耐えうるような「紙面展開」を試行錯誤している。

(2005.1.23)