振り返る 私の2009

片山幹生(早稲田大学非常勤講師、主宰ブログ「楽観的に絶望する」)

  1. 「Four Seasons」公演リミニ・プロトコル「カーゴ 東京-横浜
  2. ゴキブリ・コンビーナート「にぎやか動物横丁」
  3. シアター・トライアングル「Four Seasons

リミニ・プロトコルの公演では、綿密な取材によって得られた素材が巧みに構成されることで、散文的な日常が発見の喜びに満ちた奥行きの深い劇的世界へと変貌する。ゴキコンは強烈な独創性と過激な娯楽性で常に楽しませてくれる。「にぎやか」ではタイニイ・アリスに本物の動物が何匹も投入されて、劇場は狂騒の坩堝と化した。シアター・トライアングルは、パントマイム演者、ピアノ奏者、人形劇操者の三名のユニット。大小様々な三角形を使って日本の四季が象徴的に再現された。三者の異なる属性がたぐいまれな調和を生み出した美しい舞台だった。ファミリー向け公演だったが、一般の演劇ファンにもこういう世界の存在を知って欲しい。
年間観劇本数 約100本。

桜井圭介(ダンス批評、「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー)

  • 「わが星」公演チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」(※ベルリン公演へ向けての日本での最終通しリハを観ました)
  • ままごとわが星
  • 篠田千明「アントン、猫、クリ

innovativeな果実。ホントは飴屋法水「顔に味噌」、Line京急「吉行和子ダブver.」、いとうせいこうfeat. 康本雅子 with Dub Master X「Voices」、捩子ぴじん「syzygy」、矢内原美邦「青ノ鳥」なども挙げたいが手前味噌になるので。さらにホントのホントを言えば今年は□□□「Everyday is a Symphony」がマイ・ベスト。CDアルバムだけどw
年間観劇本数 約120本(記録を取ってないのでよくわかりません)。

山田ちよ(演劇ライター)

  1. 「太陽と下着の見える町」公演庭劇団ペニノ「太陽と下着の見える町
  2. 桜美林大学プルヌスホールプロデュース 群読音楽劇「銀河鉄道の夜2009」
  3. ミズノオト・シアターカンパニーPLUS「枝わかれの青い庭で

「太陽と下着の見える町」に出演した笹野鈴々音の舞台は、10年ぐらい前から見ている。今回は天使とか妖精のような、人ではない存在を演じた。笹野の声質のもつ透明感のようなものを大切にしながら語ったせいか、タニノのせりふで笹野の声の魅力が生かされた、と感じた。群読音楽劇「銀河鉄道の夜」は3回目となる今年、初めて見た。オーディションで選ばれた学生や一般市民など20数名が出演、その渦の中から、脚本・演出の能祖将夫の描きたいものがくっきりと浮かび上がった。「枝わかれの青い庭で」は、美術館のレクチャーホールという演劇には不向きな空間が、リアルなシンポジウムの場面に使われた結果、逆に舞台効果を高めたことに感激した。
年間観劇本数 150本。

飯塚数人(人形劇研究家、「聖なるブログ 闘いうどんを啜れ」)

国内劇

  1. 「社会派すけべい」公演毛皮族「社会派すけべい
  2. 悪い芝居「嘘ツキ、号泣
  3. 売込隊ビーム「星が降り、夜が来て」

海外劇

  1. ロメオ・カステルッチ演出「Hey Girl!
  2. ブロードウェイミュージカル「CHICAGO」
  3. ゲイル・ラジョーイ無言劇「スノーフレーク」

個個の感想は聖なるブログをご参照下さい。
年間観劇本数 40本ぐらい。

杵渕里果(テレアポ)

<放課後、私は階段に腰掛けていた。階段の窓からは、雁が帰ってゆくのが見えた…私は、たぶん二度死ぬのである>、「誰が故郷を想はざる」読むそばより舞台二重写し。<私は一生かくれんぼの鬼になって、彼らとの時間の差をちぢめようと追いかけつづける>、幽鬼寺山をジャックしたか天野天街。死ぬのかしら、どうかいな、わからへんがなん~なこと。南河内万歳一座、期せずして平田オリザ換骨奪胎、アゴラに夏日のうだる黄泉。ほか何みた今年も暮れる。木の根張る地底の穴ぐら、土まみれ跳ね繰る白人の男か、二匹、シデ虫。ベルギーのダンス『Le Sous Sol/土の下』は、遥か二月。薔薇の花束、喪服の老嬢。記憶から音は消え。
年間観劇本数 22本。

鈴木アツト劇団印象-indian elephant- 劇作家・演出家、個人ブログ「ゾウの猿芝居」)

  1. 「sisters」公演世田谷パブリックシアター 「春琴」(再演)
  2. シス・カンパニー「楽屋
  3. 快楽のまばたき「星の王子さま

1には、昨年の初演にも衝撃を受けたが、今年のほうがさらにおもしろかった。2時間の上演時間の間、出演者全員休むことなく、小道具大道具を動かし、何役も演じるのに見慣れてくると、他の芝居の役者が何かをさぼってるように見える。役を演じる者ではなく、人で非ず優れているもの(つまり、ある時は物にさえなれる者?)。俳優の仕事とは何かを改めて考えませんか?
2は、キャスティング、特に蒼井優が素晴らしかったです。
3は、終幕のこだわりのなさが残念。しかし、その不完全さが僕に虚構とは何か? 幻想とは何か? 大人が見る夢とは何か? を考えさせるきっかけをくれました。
次点に、イ・ユンテク演出の「授業」(作・イヨネスコ)。
年間観劇本数 80本程度。

三橋曉(ミステリ・コラムニスト、ブログ「a piece of cake!」)

  1. 「drill」公演山の手事情社「drill
  2. サスペンデッズ「夜と森のミュンヒハウゼン」
  3. DULL-COLORED POP「プルーフ/証明(Reprise)

順位ではなく、観た順です。山の手といえば古典だが、こんなに面白いんだったら、「もっと現代ものも見せろ」と言いたくなる1。劇場に一歩足を踏み入れた途端、まんまと作者の劇世界へと連れ去られてしまった2。そして、やっとアンコール上演をキャッチし、神がかり的な舞台と接することができた3。もちろん、心を揺さぶられたり、底抜けに楽しかった舞台は、まだまだ沢山あって、ここに書ききれないのが実にもどかしい。若手では、ナカゴーやカムヰヤッセンを見つけたのが収穫。関西からやってきた悪い芝居も面白い存在で、舞台は荒削りだが、吉川莉早の存在感に目を奪われた。中堅どころのハイバイや五反田団の大きな飛躍も印象に残った一年でした。
年間観劇本数 150本前後。

高木龍尋

  1. MONO「床下のほら吹き男
  2. 空晴「いってきますの、あと」
  3. 売込隊ビーム「徹底的に手足」

どうやら今年の私は「家」というものに意識が向いているようである。「家族」と言ってもいいのであろうが、縁ある者がひとつ屋根の下に暮らすその場。MONOと空晴の作品はともに「家」が舞台であった。MONOの公演では家に発見された秘密の空間が暴かれるとともに家族の秘密が次々と暴かれ、空晴の公演では家という場から離れていった家族の存在=不在が家にいる家族に強い繋がりを確認させていた。どの「家」にもありそうだが、舞台の上に十分なリアリティと技術によって展開されると、いい意味でも悪い意味でもゾッとする。最後に挙げた売込隊ビームの公演は全く空想的な作品なのだが、そこに提示された「国家」の意思のリアリティにゾッとした。と、「家」に意識が向かった今年の私に素直に従ってこの3本としたい。
年間観劇本数 約60本ほど。

堤広志(舞台評論家)

  1. 「クリシュナ」公演ロメオ・カステルッチ演出「Hey Girl!」および「神曲3部作(地獄篇煉獄篇天国篇)」
  2. Shizuoka春の芸術祭2009/ナンギャール・クートゥーの至芸(ゴーパル・ヴェヌ演出/カピラ・ヴェヌ主演)「半人半獅子ヴィシュヌ神
  3. カンパニー マリー・シュイナール 「オルフェウス&エウリディケ

以下は、4.「オーストリアダンス、パフォーマンス」2本立公演(松根みちかず&デーヴィットすばる『ワンアワー スタンディングフォー』、リキッドロフト『ランニング・スシ/回転寿司』)、5.toi『四色の色鉛筆があれば』、6.梅田宏明新作横浜公演、7.ピエール・リガル『プ・レ・ス』、8.平田オリザ作・飴屋法水演出『転校生』、9.ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』、10.世紀當代舞團&矢内原美邦『Chocolate,APAF2009 version』。昨年のベジャールに続き、今年はピナ・バウシュ、カニングハム、マイケル・ジャクソンや森繁久彌の死で一つの時代の終焉を感じた年でした。世界同時不況の中、朝日舞台芸術賞やトヨタアワードも打ち切りが決まり、政権交代で事業仕分けと、企業・行政・芸術文化のすべてが刷新を迫られていると思います。舞台ではダイナミズムを奪還するようにボーダレスなコラボや無茶ぶり的な製作がなされていますが、小劇場のヒットほど中・大劇場には決定打がない。そこが問題だと思います。
年間観劇本数 329本(年内予定338本)。

竹重伸一(舞踊批評)

  1. OM-2「作品No.6-LIVINGⅡ-
  2. 上杉満代「ベイビーメランコリア夢六夜―夢三夜―」
  3. 大駱駝艦壺中天公演 村松卓也「」(観劇順)

結局今年も去年と同じようにダンスのグループ作品、ソロ作品、演劇作品という妙にバランスの良い組み合わせになってしまった。OM-2の作品ではテキストを書いた佐々木治巳の抽象的で乾いた感性がこの劇団の情念への過剰な傾斜を上手くコントロールして、ロメオ・カステルッチが描いた以上の現代の地獄を舞台上に出現させた。上杉満代はテルプシコールでの6回連続公演の試み自体がダンス史に残る壮挙だが、中でもテキストと舞踏の新たなコラボレーションの実験を試みた3回目の公演が強く印象に残る。「穴」のラスト、自分の個人史に関わる雑多なモノを全身にぶら下げてふらふらと踊り続ける村松卓也の肉体は、現代を生きる我々一人一人の生に潜む欲望と悲惨を滑稽な美しさを伴って見事に浮かび上がらせていた。
年間観劇本数 150本程度。

* 初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第170号(2009年12月30日発行)の「年末回顧特集2009」から。
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