永岡幸子(社会人学生)
上演順。作品と俳優たちのパワーに圧倒されて、終演後すぐに立ち上がれなかった3本。「千年女優」は、女優5人で時空を駆け抜ける爽快感がただ ただ心地よい。「悩殺ハムレット」は、現代口語(しかも、かなりチャラい)でシェイクスピア劇特有の堅苦しさを吹っ飛ばしてくれた。「90ミニッ ツ」は相反する倫理観と葛藤に揺さぶられ、呼吸するのも忘れそうなぐらい濃密な90分間だった。
他には「現代能楽集Ⅵ 「奇ッ怪 其ノ弐」」、遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」など、東日本大震災の影響を感じられる作品が記憶に残った。震災直後、余震に怯えるわたしを再び劇場へ誘ってくれた「国民の映画」も忘れがたい。
(年間観劇数 42本)
西尾孔志(映画監督・京都造形芸大講師、ダムダム通信)
- BABY-Q「私たちは眠らない」
- ハイバイ「投げられやすい石」
- M☆3「こいのいたみ~come on! ITAMI~」(杉原邦生演出)
今まであまり演劇に関心が無かったが、去年くらいから急に演劇が面白く思え、月2・3回は劇場に通うようになった。理由は演劇にあるのか僕にあるのかわからない。BABY-Qは、自然災害や戦争の描写のダイナミズムが観客に「体験」を強いるレベルだった。ラストの空爆には死の恐怖すら感じた。ハイバイは等身大の日常を描いたものでは圧倒的迫力。目を背けたくなる現実をこれでもかと突きつけてくる。M☆3は、関西演劇の今年のキーマンの一人・杉原邦生が演出。演劇との、過激で無意味な戯れ方に気迫を感じた。文学コンプレックスや過剰な自意識や同族内の甘えが無く、赤塚不二夫や大島渚のアイドル映画のような清々しいバカさ加減が頼もしい。
(年間観劇数 30本)
鹿島将介(重力/Note代表・演出)
- 青年団若手公演「バルカン動物園」(計画停電対策による節電バージョン、駒場アゴラ劇場)
- 地点「かもめ」(KEX2011参加作品)
- ロメオ・カステルッチ/飴屋法水「わたくしという現象」「じ め ん」(F/T11)
「バルカン動物園」は再演だが、計画停電のあおりを受けて節電を考慮した照明(伊藤泰行)を通じて、観客が現実に直面していることを「なかったこと」にするまいとした態度があった。それを直に題材にするのではなしに、演出において非常時に応答した希有な一作。「かもめ」は、作・演出を兼ねたユニットによるトップダウン型の奇抜な形式に焦点があてられやすい日本の演劇状況において、演出言語と俳優たちの技芸が双方ともに拮抗した形で提出、《劇団》という場を問う作品になっていた。古典のアプローチとしても、前衛性と大衆性の二点を踏まえた構成。アングラと新劇を貫く可能性に、関東圏での再演が望まれる。F/T11が制作した宮沢賢治の両作品は、野外劇という形式を通じて被災後の日本の《土》を思考させた。夜露を気にして尻に敷いたあのビニールの表裏に、私たちが遠ざかってきた《土》への感触と、束の間の《安全》があった。
(年間観劇数 70本)
桜井圭介(「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー、ツイッター @sakuraikeisuke)
- マームとジプシー「帰りの合図、」
- マームとジプシー「塩ふる世界。」
- Produce lab 89「官能教育 藤田貴大×中勘助『犬』」
2011年は圧倒的に「マームとジプシー=藤田貴大イヤー」ということで。10年に1人の才能の驚異的な進化(絶賛継続中)を目撃することが出来た、な~。
そのほか、ロロ「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」、飴屋法水「じ め ん」、サンプル「ゲヘナにて」、チェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ」「三月の5日間」などが素晴らしかった。
(年間観劇数 約90本)
平林正男(都立飛鳥高校演劇部顧問)
1は作品世界の新鮮さと役者の魅力とが重なり、今しか見られない高校生の上演とし
て強く印象に残りました。俳優としても素敵な高校生作家、原くくるのこれからの活躍がとても楽しみです。王子小劇場の中高生向け企画は2年目。中屋敷法仁さんの手にかかり中高生がみるみる変わっていく姿を目の当たりにしました。マーム、初見は今年の2月でしたが、はまりました。藤田貴大さんの演出をかつて高校演劇全国大会で見ていたことも最近知ってびっくり。若い才能に魅せられた今年でした。他「母アンナの子連れ従軍記」「焼肉ドラゴン」「モリー・スウィーニー」「エクソシストたち」「Final Fantasy for XI.III.MMXI」。
(年間観劇数 181本)
柾木博行(演劇評論家、ステージウェブ/シアターアーツ)
- SPAC「グリム童話~少女と悪魔と風車小屋~」
- 民藝「帰還」
- てがみ座「空のハモニカ」
震災を含めて日本が今、抱える問題に向き合った3作品を選んだ。
SPAC「グリム童話」は震災の翌日3月12日に観劇した。なんとか到着した劇場で福島原発が爆発したニュースを聞いてから観劇しただけに、「これからは全ての奇跡に驚き続けよう」と語る終幕は深く印象に残った。てがみ座の「空のハモニカ」は震災直後に公共広告機構のCMで話題となった金子みすゞを文学者ではなく、金子テルというひとりの女性として丁寧に描いていた。
民藝「帰還」は、ベテラン大滝秀治に坂手洋二が書き下ろした作品。八ツ場ダムの建設再開が決まった今、坂手が描いた問題は積み残されたままになっている。
(年間観劇数 約200本)
藤原央登(劇評ブログ「現在形の批評」主宰、[第三次]「シアターアーツ」編集部)
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故により、大きく世界の様相が変わった2011年。同時代感覚を取り込まざるを得ない芸術も、当然影響を受けた。
創り手・観客共にあの出来事をどのように捉えれば良いのか、その戸惑いの感覚が多くの舞台空間で共有されていた。しかし、東北と首都圏の作品を比べると、当事者性の濃淡によって、かなり手触りに違いがあったように思う。来年以降は、当惑という感情的レベルではなく、震災と原発以後の世界を思考する想像力をもった作品が要請される。
被災の有無で善し悪しが判断されることのない、演劇という表現を巡る実験作業が行われなければ、虚構化する現実に演劇が抗することができない。秘匿し、ないものとしていた/させられていたものが顕現化したとき、どのように捉えるべきか。原発事故は、そのひとつの顕れだったように感じる。
(年間観劇数 220本)
酒井一途(ミームの心臓主宰、慶應義塾大学文学部2年、個人ブログ「震源地。」)
これら三作品、どれも思わず涙が零れ落ちた。僕は演劇にしても映画にしても、肌で作品を感じることで揺さぶられることが多い。一般的な見方のように物語に沿い人物に共感して泣くことは稀である。
では何に涙したか。あえて言うなれば、「チェーホフ?!」は視覚的な美意識に触れ、「浮標」は生の希求の信念を感じ、「散歩する侵略者」は価値観が共鳴した思いによる。そこに共通点は見当たらない。ただ一点、僕の感性を響かせたという以外には。
作品の鑑賞は論理では片付かない。時代から検証した傾向などに興味はない。一時の流行に終わらず、いつの時代にも観客を深く捉えて離さない強度を持つ作品をこそ求めたい。そして僕もまたそのような作品を書きたいと思うのだ。
(年間観劇数 85本 選出した三作品の並びは上演時期順)
中西理(演劇批評誌「act」編集長、ブログ「大阪日記」主宰)
- マームとジプシー「Kと真夜中のほとりで」
- ままごと「わが星」(アイホール)
- TAKE IT EASY! 舞台版「千年女優」(梅田芸術劇場)
「わが星」「千年女優」はいずれも再演だが、壮大なモチーフを身体表現を駆使して展開する舞台は3・11以降の世界像を感じさせた。東日本大震災という未曽有の出来事の後、2011年の演劇がどうなるかに注目したが、ポストゼロ年代の劇団の快進撃は続いた。ままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)らに加えて、バナナ学園純情乙女組(二階堂瞳子)、ロロ(三浦直之)らそれに続く世代も台頭した。なかでもこの世代のスタイルを集大成しかつ洗練させた舞台で今後動きの中心になっていくことを確信させたのがマームとジプシー(藤田貴大)だった。
(年間観劇数 140本)
大泉尚子(ワンダーランド)
- 劇団どくんご「A Vital Signただちに犬」
- ニッポンの河川「大きなものを破壊命令」
- 少年王者舘「超コンデンス」
今年後半はちりちりと後頭部を炙られるような焦燥感にかられ、劇場にあっても心ここにあらず、いい観客になりきれなかったが、糸の切れた風船になりそうな気持ちを辛うじてつなぎとめてくれた舞台が数本。劇団どくんごの膨張係数の高い空気感、ニッポンの河川の縦横無尽な演技と言語センス、少年王者舘の錯綜した時間感覚。これらに浸る快楽にまさるものはそうはない。このほかにも、常に物語の蜜を湛えつつ一作ごとに変貌を遂げたマームとジプシーの全作品や、松井周・岩井秀人が絶妙な演技をみせたハイバイ「投げられやすい石」、ザ・スズナリ30周年公演「うお傳説」関美能留演出の鮮やかな迷走ぶりなどが強い印象を残した。
(年間観劇数 約170本)
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【注】
* 劇場名や上演月日は、各地で公演している場合などに付けた。
* 作者、訳者、演出家名も、3本の選択に関係する場合などに付した。
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