振り返る 私の2013

齋藤理一郎(会社員 個人ブログ:RClub Annex

  • 悪い芝居「春よ行くな」
  • 子供鉅人「モータプール」
  • マームとジプシー「cocoon」

childgiant_motorpool0a 昨年に続いて観客として満たされた1年で、とても書き切れないほど沢山の秀逸な作品に出合うことが出来ましたが、中でも役者の身体とともに舞台でしか表現しえないであろう感覚が訪れた3作品を。マームとジプシーについては『モモノパノラマ』も記憶の切り出し方に更なる進化を感じる秀作でした。
 その他、風琴工房、シンクロ少女、てがみ座、青組、iakuなどの公演も観る側を凌駕する広がりやふくよかさがあり心に残りました。シンクロ少女が参加したMitaka Next Selectionは他の団体(水素74%、鳥公園)にも同じ劇場での全く異なる空間の使い方で織り上げる独自の世界があり、観る側に強いインパクトを残す企画へと育っていることを実感。
 小スペースでの公演にも良作がてんこ盛り、土間の家のオクムラ宅や、空洞でのアマヤドリ、東京芸術劇場ギャラリーでのカムヰヤッセンの公演等々、舞台の密度と完成度に圧倒されました。あと、今年のナカゴー、本当に面白かった。
(年間観劇数 300本強)

今井克佳(大学教員 サイト「ロンドン日和&帰国後の日々」)

  1. マームとジプシー「cocoon」
  2. ミナモザ「彼らの敵」
  3. 木ノ下歌舞伎「黒塚」

minamoza_enemiy0a 数年前のこの企画で「マームとジプシー」が多くの選者から挙げられ辟易としたが、今年の「cocoon」については、マンガ家今日マチ子と組んで、沖縄戦を題材にした点を評価したい。事実の捉え方に問題はあると思うが、藤田は私小説的主題よりも「あ、ストレンジャー」のような原作ものや、本作のようなコラボによって可能性が広がるのではないか。マーム公演にかかせなくなった青柳いづみの存在感もいい。
 ミナモザ「彼らの敵」、こまばアゴラ劇場の最前列から見た、マスコミ社員との交渉シーンは、思わず見ている自分が議論を遮って発言してしまうのではと思うほど引き込まれた。社会派ドキュメンタリー演劇として今後も期待したい。
 木ノ下歌舞伎はF/Tでの「東海道四谷怪談 —通し上演—」が記憶に新しいが、むしろ、小空間で魅せてくれた「黒塚」を挙げておく。「岩手」役の武谷公雄が素晴らしかった。
 葛河思潮社「冒した者」、チェルフィッチュ「地面と床」も美的完成度の高さとアップデートな問題意識が感じられた。東京芸術劇場「ストリッパー物語」(三浦大輔演出)は、つかこうへい作品の新たな可能性を示した。SPAC「黄金の馬車」は宮城聰の新たな達成。同じくクロードレジを招いて制作した「室内」も印象深い。
 ダンス公演では、ミクニヤナイハラプロジェクト「静かな一日」、山田うん「ディクテ」、小野寺修二が能楽堂公演に挑戦した「サイコ」が印象に残った。
(年間観劇数 108本程度)

楢原 拓(チャリT企画、アルバイト)

  • 劇団チョコレートケーキ「熱狂」
  • ラッパ屋「ダチョウ課長の幸福とサバイバル」
  • KAKUTA「ショッキングなほど煮えたぎれ美しく」

chocoratecake_netuano_201303_a ヒトラーの台頭を描いた『熱狂』は今の日本を考えると他人事とは思えず、そういう緊張感に溢れた傑作だと思いました。他2本は純粋に笑って泣けた作品です。今年は70本くらい観ましたが、うち20本くらいは寝てしまって、一体なんのために芝居を観ているんだか…反省。もっと緊張感をもって観劇したいと思いますが、皆さんは眠くなったりはしないんでしょうか。いい方法あったら教えてもらいたいです。それはさておき、東宝の『レ・ミゼラブル』新演出版は、写実的になった分、スケールが小さくなった感じがして、とても残念な感じでした。ガブローシュの死が見えん! とか、アンジョルラスの死体はリヤカーの上かよ!! とか…映画でせっかく裾野が広がったのだから、舞台ならではの広がりをもった回転盆の旧演出バージョンを観てもらいたかったと思いましたけど、ホント残念。旧版はロンドンでなら観られるらしいです。訳詞・岩谷時子さんのご冥福をお祈りするばかり。合掌。

山崎健太(演劇研究・批評)

  • 村川拓也「羅生門」
  • 地点「ファッツァー」
  • 範宙遊泳「さよなら日本」

murakawa_rashomon0a 今年は関東での新作公演はなかった村川拓也だが、名古屋京都で上演された『羅生門』『エヴェレットラインズ』は極めて知的な構成で「演劇」の仕組みをあぶり出す。両作品とも今後の再演あるいは展開が期待される。地点は拠点となるアトリエ・アンダースローが完成し、『CHITENの近未来語』『ファッツァー』の2本をアトリエ公演として上演。これまでも作品をレパートリー化、ブラッシュアップしてきた地点だが、これからの作品では完成度にますます磨きがかかるであろうことが予想される。空間現代を音楽に迎えた『ファッツァー』では「地点語」と空間現代の演奏の音圧に圧倒された。範宙遊泳のプロジェクションを駆使した手法は演劇に字義通り「新しい次元」を開いていた。他にダニエル・コック『Q&A』、岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』、わっしょいハウス『猫隠しまっすぐ』、サンプル『永い遠足』など。
(年間観劇数 約130本)

でんない いっこう

  1. シスカンパニー「かもめ」
  2. さいたまネクスト・シアター 「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章ー詩・評論・小説・戯曲よりー」
  3. はえぎわ「ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~」
    次点「祈りと怪物」「マシーン日記」「象」「ルル」「cocoon」「父よ」

kamome0a 1.大人の芝居を観た! という感じ。脚本を知っている、物語の流れも台詞も。そうかここをこう表現したのか、なるほど! この役者のどこを生かしたのかとか、出入りの変化も作ったとか、芝居を観る時にこういう要素があるとなんて充実感を持って観られるのかと思う。人間の存在そのものの笑ってしまえる゛生゛と、人と人とが引き起こすどうにもならない哀しみとを知らしめる。2.早世の作家の生きる事の切なさを感じる。若者よ。戦争は昔も今も人間を殺す。3.年老いた者と若者の共存をさぐる。そして歌と共に人々の生活=日常に戻っていく。何もない空間にチョークで文字・絵を描き、場や物を設定する。そして意味が現れ、そこから伝達道具の《ことば》を結びつけてゆく。舞台装置としての《ことば》の面白さ。
(年間観劇数 29本)

桜井圭介(音楽家・ダンス批評)

  1. 宮沢章夫×いとうせいこう×Dub Master X「光のない。(プロローグ?)」リーディング(F/Tオープニング・イベント)
  2. わっしょいハウス「猫隠しまっすぐ」
  3. 飴屋法水「教室」

washoi_kekokakushi0a1.は「サウンドデモ」の音楽、MCのコール、アジテーションと同じ高揚感に鼓舞されて、次々と引きも切らず登壇する、名もなき民そして自然=人間以外たちからなる原告団の告発、糾弾、祈り、決意表明、などの複数の声=スピーチの響き合う集会/法廷と化した。イエリネクのテキストが遂に処を得たと感じた。と同時に自分が必要としている表現かつアクションがそこにあった。
2.デタラメな話をいかに走らせるか、曖昧な空間をいかに立ち上がらせるかが、しれーっと試みられていた。演劇という虚構の自律したリアル。
3.劇作家・飴屋法水登場! 生物としての/人間としてのヒトの家族、その両義性・矛盾・固有性を問いつつ、実の家族が演じることで、演劇における再現(前)/現前をも問う。
他に、
東京ヘテロトピア、光のないby遊園地、永い遠足、前向きタイモン、いのちのちQ、ミーツ、コンタクト・ゴンゾ&スガダイロー、ガネーシャVS.第三帝国、鉄ト全、四谷怪談by木ノ下歌舞伎、悪魔としるし、ゼロコストハウス、駆け込ミ訴ヘ、(飲めない人のための)ブラックコーヒー、雲に乗って、LAND→SCACE/海を眺望→街を展望、 cocoonなどが心に残った。
(年間観劇数 約90本)

朝田くに子(自営業)

  1. 宝塚歌劇団「月雲の皇子」(上田久美子作・演出)
  2. こまつ座「頭痛肩こり樋口一葉」(栗山民也演出)
  3. 東京芸術劇場Roots Vol.1「ストリッパー物語」(つかこうへい作、三浦大輔構成・演出)

樋口一葉公演チラシ 2と3は再演もので、いずれも20世紀の日本を代表する劇作家によるものだが、色あせる部分と今も輝く部分が鮮明に浮かび上がった。「ストリッパー物語」(7月  東京芸術劇場)は、リアルさを追求した演出にかなり違和感。が、時代が違うからこそ、リアルが必要だったのだろう。「頭痛肩こり樋口一葉」(7月  紀伊国屋サザンシアター)は、20年以上前に井上ひさしが女性へのエールをこめて作ったという作品。女性の立ち位置が変わったと痛感。
 「月雲の皇子」(5月バウホール、12月銀河劇場)は、来年100周年を迎える宝塚歌劇団月組によるもので、古事記と日本書紀に出てくる衣通姫伝説に題材を得た作品。黎明期の日本が渡来人より漢字をもたらされ、歴史を記録し、国を形作っていく過程で、埋もれていく人々の生きざまを丹念に描いた秀作。大和に対して、異なる神を信じ、異なる主に仕える民との融和の難しさ、政治の非情さをテーマにした骨太な舞台。「愛と夢」だけで終わらない宝塚もある。だからこそ100年間なのか。
 このほかにも「レミング」「滝の白糸」「藪の中」「イーハトーボの劇列車」などの再演ものや、シェイクスピアの戯曲を数本観たが、久しぶりの芝居の世界への復帰だったためか、いずれも脚本や劇団の寿命と普遍性について考えさせられる年となった。
 小劇場の定義がイマイチよくわからず、500人前後の規模の劇場での公演と限ってみました。バウホールは、宝塚大劇場に併設されている500人キャパの小劇場です。若手の登竜門として、実験的な作品が上演されています。
(年間観劇数 40本)

田中伸子(演劇ライター・海外プロモーター)

  1. 東京芸術劇場Roots Vol.1「ストリッパー物語」(つかこうへい作、三浦大輔構成・演出)
  2. イキウメ「片鱗」
  3. ピーター・ブルック「ザ・スーツ」

stripper0a ドキュメンタリー演劇、参加型、ロボット演劇、実験的な試みを続け演劇の可能性を模索していくことの意義は大いに認める。反面、他のアートフォームには無い「演劇」が持ちうる強みとは何なのかを考えた時、88歳のピーター・ブルックの言葉に行き当たる―人間の良い所と悪い所、その双方が描かれた優れたテキストを最良の方法(ブルックの場合は何もない空間で)で目の前の観客へ提供し、最終的には彼らの心に何らかの希望を灯すに至る―それこそが演劇の醍醐味なのだと思う。
 そんな演劇の原点に立ち返らせてくれた「ザ・スーツ」、ブルックが言うところの素晴らしいテキスト(つかこうへい)をリリー・フランキーという稀代の表現者を介して見事に今の舞台として上演した三浦大輔演出「ストリッパー物語」、現代の社会的なテーマを独創的な劇作で普遍性を持ったSF芝居として上演しつづける作家・演出家、前川知大の最新作「片鱗」、この三本を挙げる。
(年間観劇数 290本)
The Japan Times : Stage

藤原央登(劇評ブログ「現在形の批評」主宰/演劇批評誌『シアターアーツ』編集部)

  • カタルシツ「地下室の手記」
  • ブルーノプロデュース「My Favorite Phantom」
  • 劇団山の手事情社「ひかりごけ」

katarushitsuL0a 「日本の右傾化」はゼロ年代以降たびたび指摘されている。だが、昨年の衆院選を経て誕生した第二次安倍政権の国家運営は、その感を強く抱かせる。12月4日に発足した日本版NSC(国家安全保障会議)。この運営に欠かせないという特定秘密保護法案の可決。来年の通常国会では、集団的自衛権の行使容認が議論される見通しだ。国家によって言論統制、表現の自由が脅かされるのか。疑念の集約地点は、日本が再び戦争する国になってしまうのではないかという危機感である。
 具体的に政策を作り国民生活を変化させる政治権力に対し、表現者はいかなる言葉や行動を返せるのか。危機的状況が突きつけた芸術の有効性は、震災後も問われ続けるだろう。だからこそ、例えば先の戦争の惨状を描き、観客 を涙させる舞台は果たして有効なのかと考えてしまう。今に明確な問題を投げかけずカタルシスを与えるだけでは、政府与党を補完する逆ナショナリズムとしか機能しないからだ。
 そんな中にあって、イキウメ主宰・前川知大は、現実原則に胎胚する問題をまっとうな「物語」の形式で剔抉する。ポストドラマともてはやされる集団の作品よりもよほど「前衛的」だ。前衛で言えば、ブルーノプロデュースの活動が停止したことを残念に思う。ドキュメンタリーシリーズの活動の到達点である『My Favorite Phantom』で、新たな実験劇集団の可能性を予感させただけに。公演の中止は、今、創るべきことは何か。何を言わねばならないのか。その疑問に真摯に向き合っている結果なのだろう。

矢作勝義(穂の国とよはし芸術劇場PLAT 事業制作チーフ)

  • 風琴工房「国語の時間」(作:小里清 演出:詩森ろば 座・高円寺1)
  • ミナモザ「彼らの敵」(作・演出:瀬戸山美咲 こまばアゴラ劇場)
  • 演劇ユニットてがみ座「地を渡る舟-1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-」(脚本:長田育恵 演出:扇田拓也(ヒンドゥー五千回)  東京芸術劇場シアターウェスト)

furinkobo_kokugo0a 今年の観劇本数は約100本。豊橋に移住、劇場の新規開館業務が忙しかったため観劇本数は減ったはずでしたが。
 さて、記憶に残る三本は上演順。偶然か必然か女性率いるカンパニーの三作品になりました。「国語の時間」は詩森さんの作ではありませんが、三人に共通しているのは、膨大な資料や丁寧な取材に基づいて作品を立ちあげるなどドキュメンタリー要素が強いこと。真摯に社会と人間とに向き合った作品を描いていること。その彼らの姿勢が溢れ出た3作品でした。決して今の日本を舞台に描かれた作品ではないのにも関わらず、今の日本の状況を浮き彫りにする鋭い作品だったというのは偶然の一致か、演劇的なマジックか。三人の作品は今後も見続けていくことになると思います。
 次点としては、アマヤドリ「うれしい悲鳴」(作・演出:広田淳一)とマームとジプシー「cocoon」(作・演出:藤田貴大)の二作品をあげておきます。こちらは男性二人でしたね。