劇団オルケーニ「ショックヘッド・ピーター」

6.まだちょっぴりお母さん側~ショックヘッド・ピーター
  小泉うめ

 お父さんとお母さんと一緒に、新しく綺麗になった東京芸術劇場にお芝居を観に行ってきました。もじゃもじゃ頭のぺーターのお話です。

 お芝居が始まる前から舞台の前には4人の楽団のおじさん達が待っていて、私に笑いながら何か話しかけてくれていました。でも、何を言っているのかは、分かりませんでした。ハンガリーという外国から来たそうで、言葉の意味はそれだけでは何を言っているのか理解できません。

 けれど、物語の方は観ていると、そちらはとても分かりやすいものでした。だって、いつもお父さんやお母さんに言われているようなことばかりだから。子どもが言われることは、世界中どこでも同じようなことばかりなのかな。

 お話は、ロボズ博士という、怖い顔をしたお医者さんが説明しながら進められて行きました。最初に「ママとパパと一緒に来た子は、もう二度と一緒に帰れないかもしれない」って驚かされて、一気に怖くなりました。すぐに「冗談だよ」って笑って言ってくれたけど。そして、その台詞を合図のように、物語の中にスルスルと引き込まれて行きました。

 役者さんは、男の人を女の人が演じていたり、女の人が男の人を演じていたりしていて、それがヘンテコリンなお話を、ますますヘンテコリンにしている感じもあって、とても楽しいものでした。それから、その仕掛けのおかげで、テレビや映画でやってるドラマとは違う「劇場に来て観るお芝居」っていう感じが、とっても膨らみました。

 主人公のペーターは、コウノトリに運ばれてママとパパの所にやって来ます。ママがいて、パパがいて、そこにペーターが生まれます。それはとても素敵な家族の物語の始まりのはずでした。

 ところが、ママとパパは、ペーターがママとパパのどちらに似ているかで、ケンカを始めちゃう。あげくの果てには、それぞれ相手が似ているおでこと鼻をお互いにペーターから引きちぎっちゃう。

 もちろん、私の家では、そんな大変なことは起こらないけれど、でも似たようなやり取りは時々あります。愛されて育ててもらうのは嬉しいけれど、ちょっと迷惑な時もたまにあります。「よい子にしなさい、という前に、お父さんとお母さんが、ちゃんとしてよね」って思うようなことが、子どもの側にもあるのです。

 パパは繰り返し言っていました。「マイホームよりスイートなホームはない」「愛あるからこそ争うのです」。その気持ちは、よく分かるし、私も感謝しているけれど、このバランスがお家の中で良い具合に保たれるかどうかは、とても難しいものだと思います。同じように愛情を注いでいるようでも、ちょっとした注ぎ方や受け取り方の違いで、結果は全然違うことがあるってことなのだろう。

 お芝居が終わったら、案の定お母さんは言って来ました。「良い子にしていないと、ペーター達みたいになっちゃうよ」って。観ている時から予想はしていたけれど、このお芝居をそういう風に親からまとめられてしまうと、そういうお話なんだと分かったとしても、なんとなく詰まらないというか、反抗したくなるような気持ちになりました。だから軽く生返事だけして聞いていました。

 そうすると、そんな空気を感じたのか、今度はお父さんが、「最後に嵐の中に飛び出して、つむじ風で雨傘ごと飛んで行ったロバートは、本当に死んじゃったのかな」って言い出した。「飛んでいったロバートは、その後どうなったんだろう。ひょっとしたら、自由に楽しく暮らしたんじゃないかな」って。

 その意見には、私も顔を上げた。 お母さんは、そんなことを私に教えないで、って怒っていたけれど。

 確かに、ロバートが嵐の中でお家を飛び出して、つむじ風にさらわれて空を飛ばされて行く場面は、人形を使ったり、鏡を使ったりしながら演じられていて、怖い場面なのに、なんだか少し楽しそうだったりもしました。パパやママの言い付けや、面倒くさい色々な決まり事から、ロバートは自由になれたのかな、と想像しました。そうならば、その後ロバートは、お父さんが言うみたいに幸福になれたのだろうか。そういう冒険は、ちょっと憧れるけど、やっぱり、まだちょっと怖かったりもします。

 ジョニーは、いつもボンヤリ空想ばかりしていて、最後には川に落ちて海に流されてしまいました。ロボズ博士は「夢に溺れるのもまた人生」って言ってたな。でも、やっぱり溺れて死んじゃうのは嫌だな。

 物語には、他にも、スープを好き嫌いして栄養失調になるアウグスタ、意地悪ばかりしていたら犬に噛み付かれるフレデリック、火遊びばかりしていて火事を起こしてしまうハリエット、指をいつもしゃぶっていたら指を全部チョッキンされちゃうコンラッド、お行儀よく食事ができなくてフォークとナイフで刺されちゃうフィリップ。意地悪三人組はサンタクロースに懲らしめられちゃう。みんな決まりを守って良い子にできないから酷い目に遭っちゃうんだけど、良い子にできなかった理由については少しずつ意味が違っていたようにも感じました。守らなければいけないことを教えてくれながら、新しいことに挑戦したり、自分らしく進んでいくことの大切さも少し教えてもらったような気がします。

 そして一つだけ、不思議だったのは、ウサギ狩りのお話です。パパはウサギ狩りに出かけるんだけど、逆に母ウサギに鉄砲を奪われて、子ウサギ諸共撃たれて皆殺しにされてしまいました。パパが本当に狩りに出かけるかどうかについても、ママは出かける前から疑っていたけれど、どういうことだったのだろう。あの母ウサギは何を表現していたのだろう。

 なんだか大人にしか分からないような事情を感じたけれど、お父さんとお母さんに聞いてみたら、目を合わせて、「お父さんとお母さんにも良く分からなかった」って、言っていました。

 けれども、大人になると、守らなければならないルールがもっと増えるようなことも予感しました。きっと今日はまだ出て来なかったルールも、これからまた増えて来るのだろう。そのためにも、「簡単に守れることは、子どものうちにきちんと守れるようにしなさい」ということなのかな、とも思いました。きっと、大人はもっと難しいんだ。違うかな。

 お父さんとお母さんが、このお芝居の私への説明の仕方についてしていたケンカは、どちらが正しいのかは、私にはまだよく分かりません。なんとなく、どちらも正しいような気がしています。お芝居を観て、そして、お父さんとお母さんの話を聞いて考えると、ある程度は良い子にしていないといけないんだろうけど、いつか時が来れば自分なりの冒険はしてみても良いのかな。と言うか、しなければいけないようになるのかな、なんて考えるようにもなりました。

 でも、正直なところ、今はまだ「やっぱり良い子にしないといけないんだろうな」という気持ちの方が、少し強い感じです。
 だって、この後この文章を漢字で直してくれるのは、お母さんだから。

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