グループ る・ばる 「片づけたい女たち」

8.忘却とは忘れ去ることなり、片づけとはカタをつけることなり(大泉尚子)

 てっきり『片づけられない女たち』というタイトルだと思いこんでいた。観劇後数日して、改めてチラシを見直すまで。ふだんから観劇前には、チラシや当日パンフの類は目の端で捕らえるくらいにしている。それに加えて、この勘違いには、あのオープニングシーンの印象が大きい。

 暗転の後照明がつくと、けっこうお洒落っぽいマンションの広ーいリビング。ところが、家具の隙間には物の詰まったビニール袋などがびっしりと置かれ、人の歩くスペースもあるかなきか。“片づけられない”と銘打った公演(と誤解していたわけだが)としては、当たり前と言えば当たり前な設えなのだが、それでもなおかつ観客が小さく息を呑むくらいのインパクトはあった。

 そこへ女たちが入ってくる。五十台の二人は、「おチョビ」「バツエ」と呼び合う学生時代の友人。ここはもう一人の仲間ツンコの部屋だが、連絡がとれなくなり心配してやってきた。以前、彼女が同棲していた若い恋人のシロウから鍵を借りて。最悪の事態の心配、お風呂の蓋も開けてみて…とあらぬ想像にかられた頃、隣の部屋に隠れていたご当人がのっそり現れる。

 10日も会社の休暇をとって片づけるつもりが、やり出したらなお散らかってしまったのだと言う。捨てられない言い訳はいろいろ。資源ゴミは分けようと、いらない服は被災地に送ろうと、雑誌は必要な記事を切り取ってファイルしようと思ってたと。そして今晩一晩かけても、一人で全部ちゃんと片づけられるからアンタたち帰って!と大見得を切る。

 まあまあ、そう言わずに…ととりなしながら、とにかく今夜は通路だけでも作ろうと現実路線を打ち出し、手早く取り掛かるおチョビ。そう、この小さな目標設定がいい! 適度なきれいさを保つためにはほどほどが大事で、完璧主義は禁物なのだ。

 すったもんだしながら、あれこれ話しているうち、おチョビは定食屋を営み息子夫婦と同居していることがわかる。主婦歴が長いせいもあって、物とゴミとの区別や分別をする際の決断力もあり、家事能力もコミュニケーション能力も持ち合わせて、かなり片づけられる人。だが嫁には言いたいことも言えずいいように使われて、そこにちょっと引っ掛かっている。

 バツエはかなり年上の、つまり高齢の夫と二人暮らし。突然脈絡もなく、プチ整形する!とか新しい恋に生きる!とか言い出したり、癌告知を受け余命は2、3か月…とたわいもない嘘をついたりするが、子供もいない彼女は、まだ人生の何かを諦めきれていない。

 ツンコは長年の会社勤めで、去年課長になった。だが、それを二人になかなか言おうとしないのは、手放しで喜べる昇進ではないから。煙ったい先輩だったミス・イナタケを追い落とすような形で後釜についたのが心の傷になっている。母親の介護をしながら仕事を続けていたイナタケが、遠方への転勤を断って首を切られたのを黙って見過ごしたと、ずっと気に病んでいるのだ。そのあたりが、仕事はそこそこやりこなしていそうな彼女の、やや病的な物の溜め込みと片づけられなさの原因らしい。

 途中、何度か電話が鳴るが、ツンコは出ることを頑なに拒否。実は、イナタケからの執拗な電話なのではないかと怯えている。ところが意を決して受話器をとると、バルコニーに干しっ放しだった布団を取り入れるようにというご近所さんからのご注意だった。晴れて蜜柑なんかを食べたりして…というところで幕―。

 こうやって辿っていくと、確かに“片づけられない女たち”というのは正確ではない。“片づけられない女と片づけられる女”だ。じゃあ、タイトルの「片づけたい」って何だろう? 何をどう片づけたいんだろう?

 ところで、ツンコが妙にこだわって苦にしていることはほかにもある。昔、三人と同じくバスケットボール部にいたチヨミのこと。コーチから、その頃はそういう言葉も通用していなかっただろうが「セクハラ」を受けた。当初は心を寄せていたツンコたちも、日がたつにつれてその気持ちは薄れていき、結果的に彼女を追い詰めることになったのではないだろうか?と。しかも、今は元気ならまだしも、チヨミはすでに病気で亡くなったのだという。
 また、ベトナム反戦を呼びかけ、みんなに応えてもらえず退学したアポロンのこと。
 見て見ぬ振りをした、いや見捨てたのはイナタケばかりではなく彼らもだ、「傍観者」なのだと自分を責めている。

 だがそのせいで、大事だったろう勝負服のシャネル(もどき?)スーツをそこいら辺に放置し、大枚はたいて手に入れたデザイナーズマンションをゴミ屋敷にしそうなほど悩んでいるこの人は、実は、傍観者になりきれていないのではないだろうか。

 そういえば、鍵を手に入れてまで部屋の中に入り込み、散々言いたいことを言われ毒づかれても、抗弁したり間を取り持ったりして結局帰ろうとしないチョビとバツミも、傍観できない女たち。若い世代の傾向として言われる、なるべく傷つけたくも傷つけられたくもないからあまり人にかかわらないなんてというのとは大違いの立ち入りっぷり。
 これは、諦めきれない女たち、傍観できない女たちの物語である。

 確か、高校三年のときにベトナム反戦決議云々…というセリフがあったので、どうやらこれは団塊の世代の話らしい。団塊の世代の定義は諸説あるが、1947~49年あたりのベビーブーム生まれを言うことが多いようだ。現在の60台半ばにあたる。

 松金よね子・田岡美也子・岡本麗らの女優陣は、当パンによると60台というから団塊の世代にあたるのかもしれない。丁々発止とやり合う間合い・テンポ感は、ベテランの手馴れた技とともに年齢を思わせない筋力(口の!?)を感じさせる。作・演出の永井愛は1951年生まれで、いわば“ポスト団塊”の世代。

 筆者は永井愛より少し下の年代に属するのだが、この頃では、十把ひとからげで団塊の世代に入れられてしまいそうで、実に複雑な心境。というのも、数がやたら多いばかりではなく、激烈な競争を生き延びてきて自己主張の滅法強いこの種族、もといこの世代、兄姉や先輩として大いに世話にもなりつつ、率直に言って、まぎれもなく目の上のでっかいタンコブ的な存在だったからだ。

 この芝居を見て、そんな“タンコブ”に向かって、言いたいけど言えずに胸に詰まっていたことがふっと浮かび上がった。60~70年代当時、全共闘運動なんぞをあれだけ派手に繰り広げておいて、熟年になった今それをどう片づけるのか、まさに、いまや死語ともなった「総括」「落とし前をつける」ということである。不況やそれにまつわる雇用、原発、領土の諸問題、自民党の返り咲きや維新の会の台頭で右傾化が言われる状況についてetc.…。

 さて10年数年前に、フランスのTVで放映されたというドキュメンタリー映像を見たことがある。全共闘で活躍していたメンバーの多くが、その後なぜ政治の表舞台に立たないかという素朴な疑問を持ち、30台のフランス人ジャーナリストが来日して撮ったインタビューものだった。

 取材を受けたのは、日大全共闘議長だった秋田明大、東大助手共闘の最首悟、東大医学部で中心的活動家だった今井澄や同じく医学部の阿部知子など。その時点で、秋田は呉市の実家の自動車修理工場を継ぎ、最首は駿河台予備校の講師。今井(2002年没)は安田講堂事件での服役前に医師になり、社会党や民主党の議員ともなった。後には介護法案の基礎を作ったと聞く。阿部は医師で社民党の議員。そういえば、未来の党代表として名前を聞いたのが耳に新しい。今井と阿部は、活動家から政治家になった数少ない人物として登場する。

 ちなみに、東大全共闘議長として名を馳せた山本義隆は、この場を含め、全共闘に関する取材には一切応じず沈黙を貫いた。大学に戻ることなく予備校講師を勤め、物理学の研究者として論文を発表、毎日出版文化賞や大佛次郎賞などの賞も得ている。2011年8月と比較的早い段階で『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』という本を出し、これは専門分野からの社会的発言ともいえるのだろう。

 だが、いずれにしてもこの三人は少数派で、かつての圧倒的なパワーからすれば、10年前も今も、彼らの世代の社会的な言動や存在感が希薄なことは否めないと思う(なお、全共闘世代とは、団塊の世代を下限とする1940年代生まれの人たちを言い、今井と山本は団塊より上の年代だ)。

 そのドキュメンタリーのテーマについて、政治や社会問題に全く疎い私には、到底、答の出しようもない。だが学生運動における内ゲバ、そして、その象徴のような1972年の連合赤軍事件という、後年のオウム真理教レベルで世間を震撼させた一大事件の影響は少なからずあるのだろうという、漠然とした実感はある。

 映像を一緒に見たのは、取材に少しかかわった団塊の世代の知人だった。その時も当然のごとく連赤の話が出たのだが、ドイツ赤軍や赤い旅団事件など極左過激派の凄惨な事件が、日本・ドイツ・イタリアと第二次世界大戦の戦敗国ばかりに起こったのはなぜなんだろう…と彼がポツンと呟いたのも、妙に記憶に残っている。

 観劇後、そんなことが、するするーっと芋づる式に思い出された。舞台では、癌告知とか子供のいない老後(孤独死)とか介護退職とか、暗い言葉が折々に飛び出す。どれもこれも、このリビングにとっちらかって繁殖せんばかりの物≒ゴミのような厄介な問題ばかり。やっきになって解決しようとすると、返って収拾がつかなくなったりして。

 物語に入り込んで言えば、ミス・イナタケのお母さんは、今井澄らの尽力で生み出された介護保険制度の恩恵を、はたして受けられただろうか。在宅介護を支えるという目的で生まれたこの制度がスタートしたのは2000年。初演時の2004年でも、介護認定など一定条件をクリアできていれば、イナタケの負担は多少なりとも軽減されていたはずなのだが…。

 もちろん、それらの厄介な何だかんだを片づけていないと、団塊の世代や全共闘世代だけにおっつけることはできなくて、今や大きく括ってそこに組み入れられてしまいそうになる自分たちにも、ブーメランのようにその言葉は返ってくる。

 といっても、この舞台を見て、決して落ち込む気持ちになったわけではない。登場人物たちはけっこうしぶとくて、転んでもただ起きない。学生時代の思い出話も織り交ぜつつ、後ろ向きだけではない。あっちゃこっちゃに飛び交うおしゃべりは賑やかな限りだし、最後に食べるシーンもちらりと出てくるこの芝居は、実験的とか先鋭的といった要素は皆無でも、まだまだ尽きそうもないエネルギーを発している。

 表舞台には登場しなくても、そこここの街や村の片隅で、熟年世代が、残されたもろもろの片づけに日々悪戦苦闘を重ねているのも確かだ。だからこそ、“片づけられない”でも“片づけられる”でもなく「片づけたい」なのかもしれない。そこに“ポスト団塊”という隙間っぽい世代の永井愛の、温かすぎもクールすぎもしない眼差しが注がれているのが確かに感じられる。
(2013年1月12日17:00の回観劇)

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