グループ る・ばる 「片づけたい女たち」

11.罪人のススメ(中村 直樹)

 劇場で受け取る大量の公演チラシが整理されずに散らかっている。すでに終わった公演のチラシなんてゴミ同然。それなのに、劇場に行くたびにチラシは増えていく。

「ああ、片づけたい」
観劇という趣味は、なかなか難儀なものだなぁ。

 そこはデザイナーズマンションの一室。ゴミ袋に詰められたあらゆるものが部屋の中に埋め尽くされている。そこにやってきた50代の二人の女は、部屋の主人らしき人物の名前を読んでいる。
「ツンコ、どこにいるの?」
二人の女はゴミを掻き分けて、ツンコを探している。
「うわぁ」
「バツミどうしたの」
バツミと呼ばれた女(田岡美也子)は、足元の納豆のパックを取り上げる。
「うわぁ」
もう一人の女は顔をしかめる。そして二人の女はツンコを探し続ける。
「ねぇ、お風呂を見てきてよ」
「いやよ、おチョビ」
バツミは、おチョビと呼ばれる女(松金よね子)にやりたくないことを伝えるが、おチョビは頑固だ。バツコに風呂場に行くようお願いするのである。その時、ベッドルームに繋がる扉から一人の女が現れる。そしてエアロバイクに乗り、ペダルを漕ぎ始める。
「あ、ツンコ」
ツンコと呼ばれる女(岡本麗)の登場に、二人は拍子抜けしたように彼女を見やる。
「あなた達、何をしているの」

 バツミ、おチョビ、ツンコの三人の女たちは高校時代に同じバスケ部に所属していた同級生だ。腐れ縁は長々と続き、すでに50歳を越えている。しかし三人の掛け合いは大人のものではなく、高校生のようである。
「イタ」
「イタ」
「イタ」
首筋、腰、膝が痛みだす。老眼も進んで近くの字を読めない。そして「あれ」や「それ」と単語が出てこない。気持ちは高校生に戻っても、ガタのきた身体は高校生に戻らない。意図せず堆積した年月の重さが横たわっている。

 部屋の片付けをしているツンコは手当たり次第にものを詰め込み、ものをうず高く積み重ねている。本を片付けていれば、本を読み始めてしまう。おチョビはそのような部屋に見かねて、目標を定め道筋を立てて一心不乱に片付けを始める。バツミはおチョビの指示に従って片付けを手伝う。このように片付け方を見せるだけで、彼女たちを紹介しきってしまった。なかなか見事である。

 三人の女たちは、片付けをしながら話しを続ける。
「私たちの同級生では15人ぐらい死んだ」
50も過ぎると人生の終も見えてくる。同年代の死はそのことをさらに意識させる。
「アポロン、死んだの?」
成績優秀だったアポロンは高校でベトナム戦争反対の決起集会を画策する。しかし、自分たちの狭い世界だけで精一杯の幼い高校生たちは世の中のことなど気になどしていられない。決起集会には誰も集まらなかった。そんな同級生に嫌気がさした大人びたアポロンはこう捨て台詞を吐いて学校を去って行ってしまう。
「この傍観者どもめ」
その言葉はアポロンに憧れていたツンコを突き刺した。しかし、そんな彼は植木職人となり、高所から落ちて死んだという。ツンコに刺さった言葉はそのままにして。

 片付けを続けているおチョビはツンコの課長への昇進辞令を見つけた。それをツンコに突きつけ、問いただすと、ツンコはミス・イナタケのことを語り出した。

 課長のミス・イナタケは部長と折り合いが悪かった。そんなある時、席を立つ際はその理由を画面に表示せよと部長が言い出した。ミス・イナタケはプライバシーの侵害だと部長と対立する。部下は彼女を支持するが、彼女の旗色が悪くなると手のひらを返すようになる。最後の最後までミス・イナタケの味方をしていたツンコも最終的には部長からの命令でミス・イナタケと距離を取る約束をさせられてしまう。そしてとうとう彼女は会社を去る羽目に陥ってしまった。
「こんな手紙が扉に挟んであったの」
その手紙にはこのような文言が書かれている。

 「告発されない罪を告発する」

 ツンコはアポロンの言葉が未だに突き刺さっている。そのため彼女はその言葉から逃れようと必死にもがいている。彼女が被災地や恵まれない子供達に支援するために物資を用意していたり、ゴミの分別に厳しかったり、店長に殴られた年下の男に対して戦えと電話で説得している。これは当事者意識を持つことで「傍観者」を回避する行動である。しかし、当事者意識を持った者は当事者ではないのだ。同じ部活に所属していたチヨミはコーチからセクハラをされていた。ツンコ達は彼女たちなりにチヨミを守ってきた。しかし、最終的には戦わなかった。そして部長と戦っていたミス・イナタケはパワハラを受けていた。ツンコはミス・イナタケの話を聴くなどして彼女の力になっていた。しかし、最終的には戦わなかった。当事者になることを回避しているのである。それは傍観者と何ら変わらないのだ。

 ツンコは手紙をミス・イナタケからのものと判断した。そのため「傍観者」という言葉に追い込まれる。だから一緒に暮らしていた男を追い出した。戦えと批判することない、そして傍観者と批判されることもない、そんな一人きりの世界に逃げ込んでしまったのだ。そして何もする気が起きず汚れるままとなってしまった。それは罪の意識からである。罪による罰から逃れるため、逃げに逃げているのである。おチョビとバツミへの告白は懺悔なのである。懺悔をすることで恐怖から出ることの出来なかった電話に出ることが出来た。そして救われるのである。

 ラストでツンコは出ていった男のタートルネックのセーターを愛おしそうにたたむのだ。ようやく「傍観者」という罪を認めたことにより男自身を受け入れる心構えが出来たのだ。

 しかし、「告発されない罪」とは「傍観者」であることなのか? それは作中では明確に語られていない。果たしてツンコに対するものだけなのだろうか

 「家の嫁は気が利かないのよ」
おチョビは夫と共に定食屋を営んでいる。息子は店を継ぐ気はない。しかし嫁は気まぐれで店に出るようになった。将を射んと欲すれば、まず馬から射よ、息子に店を継がせるために嫁を籠絡しようと厳しくも当たれない。それによりストレスが溜まっている。感情が高ぶって爆発しそうになると唱え出す般若心経。ひたすら中に、中に溜め込んでしまう。

 「うちのおジジ、鬼のような顔をしているの。どうやら会社が危ないのよ」
バツミは金がある年上の男と結婚した。何も考えずに安楽に暮らす。何事も人任せ。決断も一切しない。一見恵まれているようだけれど、実感のない人生は空虚なだけ。それは受け入れることの怠惰なのか。実感を求め、新たな恋に焦がれている。

 おチョビもバツミも長い人生をシワの数だけ刻み込んでいる。それを積み上げたくないのに積み上がったものと称している。積み上げたくなくて積み上げたものとは「妥協」である。そして「打算」である。つまり「告発されない罪」とは妥協や打算を選ぶ「己の弱さ」なのではないだろうか。そうであればおチョビもバツミも罪人なのである。そしてその「告白されない罪」を受け入れるためにパンツを脱いで「懺悔」する必要があるのではないだろうか。罪人であるからこそ罪を雪ぐことが出来るのである。ラストの方でバツミとおチョビは「自分史を書きたい」という。彼女たちは今まで積み上げてきた罪を雪ぐために自分史を書くのである。
「大学に行きたい」
とおチョビはいう。彼女は罪を雪いで新たな人生を歩もうとしている。
「日曜日にまた掃除しに集まりましょう」
とバツミはいう。バツミも己の弱さを乗り越えて人生を新たにしようと言うものが見えたのだ。私は背中をそっと押されたような印象を受ける。ツンコ、おチョビ、バツミの三人のように何かやってやろうという気になってくる。

 そうだ、まずは部屋の片付けからまず始めよう。そう思いつつ自分の部屋に入った。しかし東京芸術劇場で受け取ったチラシがチラシの山をさらに大きくする。そのうえチラシの山は私を劇場へと誘惑するのだ。私はその誘惑にどうしても抗えない。だから片付けをする暇なんてありゃしない。さて、どうしたものかと途方に暮れる。
「ああ、片づけたい」
観劇という趣味は、なかなか難儀なものだなぁ。

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