FUKAIPRODUCE羽衣「サロメvsヨカナーン」

2.「サロメVSヨカナーン」(山本愛弓)

私は、ほとんど舞台を知りません。「サロメ」が何かもよく知りません。
ですが、この舞台を見たら、とても温かい、幸せな気持ちに包まれました。
文字を書くことも慣れていません。
でも、何か、声に出し、言葉にしたくなるような、熱い気持ちが湧きました。
性描写、性の話は、とっても苦手です。
それなのに、拒んでいる尖った私の気持ちが、こつこつと砕かれるように、優しい気持ちになりました。

気持ちのよい舞台です。

ボーリングのシーンがあります。
「わて、セミプロだからね。」
「トイレは一人で行くものです!」
(口笛)
初心なヨカナーンのおじさんの、はじめてナンパをして、一緒に遊んでくれると言った地平線のような前髪の女の子と、ここでボーリングをするまでの、彼の人生を想ってしまうのです。
恋した女性に話しかけることも、触れることもできずに、年を重ねてきたのでしょうか。ただじっと、恋する女性を見つめて、幸せを願うことだけで胸をいっぱいにしてきたような人。
優しさのかたまりのような人。
でも、彼は、知らないでしょう。自分が、誰かの心を傷つけたことがあるなんて。
「あなたが好きです」
「あなたともっと一緒にいたい」
彼の言葉を待った女性がいたことでしょう。
でも、彼は言わなかった。言えなかった。自分はそれに値しないと思った。
その一言が言えぬために、大事な人を逃していった。
そして、ひとりで過ごしてきた。

そんな奥手なおじさんが、口笛のあと、地平線の前髪の女の子に求める。
その勇気。半世紀ばかりか温めてきた、勇気。
「お願いします。トイレに行こう。」
用を足すわずかの時間に、彼に沸き起こった、正直な欲求とそれを声に出す勇気。
その瞬間、彼の世界が開かれた。

ゆりかごから墓場までを歌い上げる、劇中歌。
恥ずかしい人間の、恥ずかしい生き様。開けっぴろげの股と、開けっぴろげの心。
後先を考えず、気がついたらそうしていた、悲しくもない、うれしくもない、気がついたらそうしていた、無邪気でもろくて強くて切ないサロメとヨカナーン。
この歌を聞きながら、踊る人を追いながら、舞台にはいない、いろんな世代の、いろんな男女、いろんな笑顔を見ていました。

そうか、そうだったのか。
「感動」という言葉が正しいのかわかりませんが、いままで「感動」と思ってきたことの中に、感動はないんだ、と気がついたのです。
感動は、例えば、結婚式でのご両家誕生の拍手、苦労を乗り越えて何かを成し遂げた成功話、不遇の生活に差し伸べられる助け、などにはなくて、例えば、付き合っている彼の靴下に空いた穴、散々な目にあった次の朝のコーンスープの湯気、お金のない預金通帳の記録、などにあるのだと。
この舞台で言えば、「やべーかな。」「わかんね。」と言いながら見た漫画、お酒と吐瀉物まじりの苦いキス、ドラえもんの映画、潮風の匂いとスカートのひだ、夜の仕事へ向かう傘、ボーリングボールの重み、などの中に残るのだと。

「あなたにキスをしてほしい」
「あなたの体に触りたい」
当たり前に言っていい、当たり前に思って、感じて良いこと。
開けっぴろげの股と、開けっぴろげの心。
恥ずかしくない、人間の生き様。
声高く、叫べばいいじゃないか。どうせいつか死ぬんだから。

そんなエネルギーを、3000個のチュッパチャップスの雨と、奇妙な幾人の役者に異質な一人の役者が入り交じって歌い踊る、あの時間に浴びました。

舞台の幕が閉じ、それでも言えなかった。
「あなたにキスをしてほしい」

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