東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)

 「ストリッパー物語」を見ている間、頭の中に沢田研二が歌う「時の過ぎゆくままに」(阿久悠作詞、大野克夫作曲)の歌詞が浮かんだ。「時の過ぎゆくままに この身をまかせ 男と女がただよいながら 堕ちてゆくのもしあわせだよと」。家で調べてみたら、「ストリッパー物語」の初演と「時の過ぎゆくままに」の発表はいずれも1975年(昭和50年)だった。

 歌にも芝居にも時代の刻印というものがあり、つかこうへい、阿久悠とくれば、昭和の戦後という時代と切っても切り離せない。二人とも昭和が終わってもなお生き、亡くなったのはほんの数年前だが、平成に入ってからは精彩を欠いた。無理はない。熱帯魚が寒流の中を泳がされたようなものだったと思うのだ。

 「ストリッパー物語」はまさに、昭和そのもののような芝居だった。もともとの舞台はみていないから、三浦大輔が演出で変えた部分がどの程度あるのかは分からない。しかし、作品の核になるところはほとんど変えてないのだろう。冒頭の、薄汚い畳敷きの小上がりのある楽屋の場面から、まるっきり昭和の時代劇のように見えた。そういうものとして十分堪能したし、満足度は高い上演だった。しかし、それは歌舞伎を「江戸時代の芝居」と割り切ってみるようなもの。この作品をいま、2013年に復活上演する意味は見いだせなかった。

 主人公のシゲさん。とてもエリート意識の強い人だ。ストリッパーのヒモとして生きているが、「ヒモ道」とか言って後輩の教育に余念がない。底辺で生きることは裏返しのダンディズム。この人はそうした生き方に身も心も捧げ、ほとんど陶酔しているようだった。ラストの語りでは、「俺と明美以外に、誰がこんな生き方ができるか」というシゲさんの心の叫びを聞いた。

 そう、確かに昭和という時代にはこういう感じの人がよくいた。「真っ当な生き方」とか「家族」という形がくっきりしていた時代、それらに背を向けて、理解されないマイノリティとして生きることにもアンチとしての価値が伴った。世間の片隅でひっそり生きる人たちもそれぞれ言葉を持っていて、行きつけの酒場などで盛んに人生を語っていた。「馬鹿だって言われるだろうけど、こんな男が一人ぐらいいたっていいだろう」とか(実際にこういう言い方をする人が結構いたのだ)。シゲさんの語り口はまさにそれをほうふつとさせる。

 この芝居に出てくる人は、既婚者が多い。八人の「一条明美一座」の中で、座長、シゲ、照明の正輝、ストリッパーの咲子と実に四人が既婚者だ。妻に捨てられた座長を除く三人は、家庭があるのに、あえて背を向けている感じが強い。更に言えば、実家が裕福ないし上流と見られる人もちらほら。シゲは昭和の時代にアメリカで放蕩した過去があるなど、相当いい家のぼんぼんであることをうかがわせる。妻は同じ階級の人なのだろう、娘にシゲを「お父様」と呼ばせている。ヒモのうちのもう一人であるまことも松山の名家の出だ。

 既婚だったり、裕福だったりと、本来ならストリッパーのヒモなどになるはずもない人たちがヒモをやっているのは、一種の「やつし」でもある。歌舞伎や時代劇の設定で、遊び人が実は地位のあるお方だというのがよくあるが、「こんな俺だが実は…」というのがあってこそ遊び人も楽しい。もし本当に遊び人でしかなかったら、将来は不安だし、世間に引け目は感じるし、楽しいことなんてあまりないだろう。

 もともと片隅でしか生きられないのではなく、「真っ当な生き方」からあえてドロップアウトして生きる。そこに美学が生まれる。「時の過ぎゆくままに」の「堕ちてゆくのもしあわせだよと」という歌詞には何とも甘やかな陶酔がある。ちょっと昔なら永井荷風(戦後は浅草のストリップをひいきにしていたことでも有名)とか。荷風もシゲさんのように、留学経験ありの良家の子息だった。それなのに江戸時代から続く下町の遊びの世界に沈潜するから「荷風かっこいい」となるので、あの時代に下町で女郎買いをしていた男なら、言うまでもなく無数にいたわけである。

 今、真っ当な生き方のモデルなんかないし、既婚率だって下がっている。結婚していてなおもそれに背を向けるなんてぜいたくで、経済的事情等で最初から結婚できない人も多い。2013年にヒモをしている人は就職ができなかったのかもしれず、美学どころの騒ぎではない。今この芝居を見て「シゲさん、エリートじゃん」と感じるゆえんだ。

 性のモラルだって変わった。この芝居の座長は「ストリッパーに本番はさせない、本格的な踊りで勝負」などと言っているが、あらゆるタイプの女性の本番画像がインターネットでいくらでも手に入る現在、このセリフがいかに浮世離れして聞こえたか。そういうところが紛れもなく「時代劇」であった。何よりも三浦大輔自身、自分の芝居ではモラルなど蹴飛ばして「動物化」した性の姿を大胆に描いているのに、こんな古臭いセリフをどう思ったのだろうか。それが見えなかった。

 そして、もう一つ、この芝居のいかにも昭和なところは、著しい男女の非対称性をドラマの原動力としている点だ。男性は遊び人をいつでも卒業することができるが、女性はストリッパーをすることで一生消えないスティグマを負ってしまう。まことは松山の良家の跡取りとして地元の名士になっていくが、まことの子を身ごもったみどりは堀之内のソープ嬢になる。明美はシゲの娘・美智子を援助するために身を売り、梅毒で廃人になっていく。シゲは明美に最後まで寄り添うことで愛の物語を成立させているが、明美が死ねば、いつでも家庭に戻れるのだ。そこには辛抱強く待っている妻と、明美の献身によって世界的バレリーナとなった美智子がいる。

 男女の社会的地位の決定的な違いを背景に、女性の献身を甘んじて受け入れる男性。まさに昭和な感じである。男性が精神年齢の高い女性に甘えきり虐待すらあえてすることで、逆説的に女性に対する無限の信頼と愛情を表現するというマザーコンプレックスな愛の物語は、昭和の時代に繰り返し描かれてきたし、実際によくある話でもあった。当時のテレビ番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」(フジテレビ系、1969年~85年)は長年連れ添った夫婦の苦労話を夫婦漫才コンビの京唄子・鳳啓助が聞くという、熟年版「新婚さんいらっしゃい」のような番組だったが、その内容のほとんどは妻の愚痴。夫の「飲む・打つ・買う」、さらには殴る蹴るまで、涙ながらに苦労を語る妻に唄子がもらい泣きをするのが定番の展開であった。

 阿佐田哲也の名作『麻雀放浪記1 青春篇』(文春文庫、初出は1969年)は、戦後の上野のドヤ街を舞台にしているが、登場する麻雀打ちドサ健は勝負のかたに情人のまゆみの身柄を預けてしまう。二人を知る呑み屋の亭主が哀れんでまゆみを保護するが、ドサ健は突っ張って「(前略)あン畜生(=まゆみ)は―(中略)俺のために生きなくちゃならねえんだ。何故って、この世でたった一人の、俺の女だからさ。俺ァ手前っち(=呑み屋の亭主)には、死んだって甘ったれやしねえが、あいつにだけはちがうんだ。あいつと、死んだお袋と、この二人には迷惑をかけたってかまわねえのさ。わかるかい」と言う。マザーコンプレックスな愛の論理をこれほどよく示している言葉はない。ここでは女性に迷惑をかけることは、その女性を自分を生み育てた母親と同じ位置に置くことであり、それが女性を最も深く愛することになるのである。

 マザーコンプレックスな愛の物語を歌い上げた歌謡曲としては、疲れ切った企業戦士を母となって自らの胸で癒すことを誓う岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」(山川啓介作詞、大森敏行、John Scott作曲、1982年)や、伝説的な落語家・桂春団治と妻の関係をモチーフに「芸のためなら 女房も泣かす」と歌う男(岡千秋)を女(都はるみ)が「そばに私がついてなければ 何も出来ないこの人やから 泣きはしません つらくとも」と甘やかす「浪花恋しぐれ」(たかたかし作詞、岡千秋作曲、1983年)が代表的である。作詞は共に男性である。

 このようにして見ると、昭和後期とも言うべき1969年~1985年の間に、男性の作り手によるマザーコンプレックスな愛の物語が日本社会に盛んに流通していたことが分かる。「ストリッパー物語」も、それらの一つとして位置づけられる。

 この時期、都市化の進行とともに伝統的な家制度が崩壊し核家族化が進む一方で、男性は仕事に拘束され、家庭を顧みないケースが多かった。妻は家庭における事実上ただ一人の成人として、家事・育児を全面的に担った。1979年にダグラス・グラマン事件の捜査を受けて自殺した日商岩井の島田三敬常務は「会社の生命は永遠です。その永遠のために私たちは奉仕すべきです」との遺書を残し、会社イデオロギーの極北を示したが、こうした、すべてを犠牲にして仕事に打ち込む男性たちは、妻たちの献身に支えられていたのである。昭和後期に流通したマザーコンプレックスな愛の物語は、それらを送り出した作り手の意図はともかく、実態としては、日本の企業社会を根底で支えていた、非対称な男女関係を正当化する装置として働いていたのではないか。

 ひるがえって平成25年の現在。女性に一方的な献身を期待するマザーコンプレックスな男性は今でもたくさんいる。いすぎると言ってもいいだろう。しかし今では彼らは「マザコン」と呼ばれ、女性を虐待すれば「DV」と言われ、一方的な女性の献身が美しい愛の物語としてうたい上げられることはない。そこが昭和と今との違いだ。今はよくも悪くも、もっと乾いた時代である。

 つかこうへいは昭和に活躍した人であり、自分の思う美しい人間のあり方を描いた。作家のすべきことをしただけで、そこに非はない。「ストリッパー物語」は昭和の物語であり、その時代における、ありうる男女の姿を定着している。それを切ない、痛ましい、しかし心打つ美しい物語として見ることも、たぶん間違っていない。でもそれは、歌舞伎で主君のために実の息子を犠牲にする武士の姿を見て感動するのと、一つも変わらない。それは「文化の保存」であって、現代に生きる自分たちに関係ある何かとして見るのではない。

 Rootsという企画の狙いは何なのだろう。「ストリッパー物語」を現代の物語として復活させるのが狙いならば、そこでこそ演出家の役割は大きかったはずだ。つかこうへいは一流の作家だったから、男性たちの身勝手さも座長の古臭さも、女性たちを襲う運命の過酷さも全部書いた。書かずにいられなかった。しかし、つかはそれをあくまでも、シゲと明美の「愛の物語」の一要素として描いたのである。

 それでも、いったん書かれた戯曲は、演出家次第で様々な解釈ができる。一流の作家が書いた一流の戯曲であるほど、その余地が大きい。必要なことは全部書いてあるからだ。それが戯曲の豊かさということだ。「ストリッパー物語」は間違いなく、そんな作品の一つだ。三浦大輔という、現代の愛と性を描く作家・演出家を起用したのも本来は、時代の風をはらんだ新しい解釈により、作品を現代に生まれ変わらせることが狙いだったのではないか。しかし、三浦が実際にしたのは別のことだった。作品の時代性とつかの思いを尊重し、現代人と関係のない昭和の時代劇として磨き上げたのである。

 その意味でならば、三浦はいい仕事をしたと思う。
(2013年7月12日19:00観劇)


6.1975年でも、2013年でもない、むかしむかし。(米川青馬)

「東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)」への2件のフィードバック

    1. 早い話が、
      チケットを
      Getするには‼️
      どうしたら
      良い、
      ので、しょうか?
      ちなみにポストを、
      足蹴にした
      ポスターでした。
      が、
      間違いないですか?
      以上。

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