マームとジプシー「cocoon」

12.いま私たちは繭を破れるか (小泉うめ)

 そこに戦争を望んでいた者は誰もいなかった。舞台に登場した際の女学生たちは、それぞれに自分の考えを持っており夢を持っていた。それはとても活々とした学園生活の光景だった。しかし、戦争はいとも簡単にそして残虐に、それを破壊していったのである。

 2013年8月5日から8月18日、マームとジプシー8月公演「cocoon」が東京芸術劇場シアターイーストで上演された。彼らは若き岸田國士戯曲賞作家・藤田貴大を作・演出に擁する、いまや押しも押されぬ人気団体である。彼らの演技の大きなの特徴は、象徴的なシーンをリフレインやループといった方法で繰り返し見せることで、演劇を映像作品のように表現することである。また近作では、スクリーンを用いて実際の映像も上演に取り入れて、人間の視覚認識を重視した表現により、印象深い舞台を作り続けている。公演の度に次々と新しい手法を取り入れて進化を続けており、日本の現代演劇を牽引している団体の1つであると言ってよいであろう。

 開演前、舞台後方のスクリーンには戦車の絵が映されていた。舞台上には砂が敷き詰められており、海辺ののどかな風景を想った。そこに戦車のおもちゃが置かれている。開演直前にはヘリコプターのラジコンも置かれる。
 それらからは、とても現実性の乏しい印象を受けていた。ゲームやアニメなどのフィクションの世界のようであり、男の子ならカッコいいと感じるようなものであっても、恐怖感を伴うようなものではなかった。だが、そんな島にも戦火は押し寄せて来た。

 太平洋戦争最終局面の沖縄戦において、日本軍および沖縄県当局は、米軍の上陸を前に、沖縄県立第一高等女学校・沖縄県師範学校女子部の生徒による「ひめゆり学徒隊」という看護隊を組織している。看護隊は各部隊に配属され、戦局悪化に伴う戦場で死線をさまよいながらも傷病兵の看護にあたった。それは、これまでも沖縄戦の過酷さを象徴するものとして小説や映画などで紹介されている。

 やがて敗色が濃厚となると、部隊に突然の解散命令が出る。しかし、これによって彼女達が得たものは、決して自由などではない。もはや島内は米軍による占拠寸前であり、逃げ隠れする場所などほとんど残っていない。むしろ足手まといになって見捨てられたと理解する方が適切であろう。

 砲撃の中を彼女達は、ただひたすらに走って逃げ回る。「走っていた。走ることになっていた。正しくは、走らなくてはいけなくなっていた。」という台詞がリフレインされる。
 主人公サンを演じた青柳いづみの言語と身体による表現は卓越したものであり、その情景を見事にこの舞台上に呼び戻した。マームとジプシーにおいて、彼女は藤田の言葉を客席に伝える媒体として、極めて重要な存在である。

 そして逃げ遅れたサトコ(吉田聡子)が撃たれる。何度も後転を繰り返すことで、そのシーンを印象付けるとともに、助けることも出来ずに逃げた者の気持ちも浮かび上がらせた。

 沖縄戦の史実を確認すると、解散の前に集結した壕にガス弾が撃ち込まれ大勢の女学生達が亡くなっている。脱出できた女学生達も荒崎海岸で追い詰められて、辱めを受けるよりも集団自決をすることを選択した者達もいた。
 ひめゆり学徒隊は半数以上が戦死しているが、そのほとんどはこの解散後であると言われている。

 本作においても、これまでの「ひめゆり学徒隊」を扱った作品同様に、戦争の残酷さや悲惨さが伝えられた。もちろんその伝承は大切なことであるが、この作品が現代上演されることにおいて、もっと重要なことは「その時、人々がどのような社会的態度を示したか」ということである。

 戦時において、人間は自らの考えというものを維持することが極めて困難になる。女学生たちはそれぞれに個性的であったのに、次第にその華やかさは薄くなりモノトーンに見えた。同胞が戦地に赴き命をかけて闘っている。その期に及んでは、誰も戦争反対とは言えなくなる。自ら闘うことはなくても、国のために闘っている兵士達のために、適不適を問わず、女学生達も救護活動に当たるようになっていった。

 この舞台の製作に携わったのは、ほとんどが戦争を知らない世代である。また客席もほとんどが戦争を知らない世代であった。
 現在社会に生きる私たちが、戦争を表現して、感じ取り、考えることの重要性は何なのだろうか。

 年々時代とともに戦争体験者から戦争の話を聞く機会も少なくなっている。ベトナム戦争の最中「戦争を知らない子供たち」が流行してからも既に40年以上が経っている。世界から戦争がなくなったのであれば状況は異なるが、残念ながら未だそのような時代は到来していない。これからの日本社会は、戦争を知らない者によって、その残酷や恐怖を考えて語り継ぎ、それを否定していかなければならないのである。そして、今劇場にいる自分が、その主体の1人であるということを強く感じさせる舞台だった。

 この物語のオリジナルは、今日マチ子による漫画である。今日の描く絵は、現代の漫画でしばしば見られるような緻密でリアルさにあふれるようなものではない。コマによってはかなりラフな感じで描いているものもある。しかし、大切なシーン、大切な部分はしっかり描いており、結果的にそれが、見せたいもの、伝えたいことを、しっかりと提示している。
 コマ割りも等分ではなく、大小の変則的な割り方で描きながら、インパクトをつけたいシーンでは全ページや2ページ見開きで描いたりもする。それは元々が映像作品や舞台作品の絵コンテのようでもあり、実際に舞台を観ていても漫画をそのまま実演して見せるようなシーンがたくさんあった。
 ただし、この「cocoon」に描かれている物語は、絵は可愛らしいものでありながら、極めて悲惨な内容のものであり、なかなか映像や舞台にしようとは思えないものである。そして同時に、そうすることのとても困難な内容を含んでいる。

 この上演を支えたもう1つの要素に音楽があり、それを担ったのが原田郁子だ。彼女はクラムボンというバンドのキーボード・ボーカルとして活動している。「気配と余韻」「ケモノと魔法」「銀河」というソロ活動をスタートした際の三部作では、絵本のようなソングブックを付けて作品を発表しており、音楽というフィールドに限定しない才能の持ち主である。
 原田の詩の特徴は、ほとんど外来語を使うことなく、いつも柔らかく美しい日本語で綴られている。歌声もささやくように穏やかで、優しく包み込むようである。
 この作品の中でも、戦時の人々の心を切なく歌い上げ、またその痛みを緩和してくれる作用も担っていた。

 彼らの才能が出会い、語り合った言葉は、蚕が白い糸を吐くように伸びて、やがて繭を作った。羽化する前に、繭の中は一旦ゲル状になるという言葉が象徴的で、まだ明確な答えになっていない何かが舞台上に存ったという印象もある。彼らが紡いだこの作品こそが「cocoon(繭)」であるとも言えるだろう。

 「cocoon」、それは人や芸術を実らせるために必要な前段階であろう。だから、いずれは皆それを破って外に出ていかなければならない。
 現代社会においては、まるで羽があっても空を飛べない蚕のように、それが出来ない子どもも増えている。また戦時には、その途中であっても否応なしに繭が破られたこともあった。
 社会の機能の根底にある「育む」ことの重要性と、個人がそこから独り立ちしていく責任を感じ共有したいと思う時間だった。演じた側にとっても、観た側にとっても、それは同じことであり、その現実が目の前にあることをしっかり受け止めたい。
 だから、それは決して悲しいことではなく、まっすぐに前を向いて生きていくために必要な準備なのである。

 最後に、2つ苦言を呈す。

 1つは、壕の中で充分な治療を受けられない者たちの傷口にウジ虫がはびこるシーンについてである。そのシーンの表現を強化するものとして、ウジ虫をピンセットでつまみ上げてハサミで切り刻む映像が使われた。
 果たして、そこまでの表現がこの作品で必要だっただろうか。確かにその映像は、傷ついた兵士や少女の身体が充分な治療を受けることができずに蝕まれていく様子をイメージさせたし、戦争そのものの惨忍さも考えさせた。しかし舞台上の役者の動きと台詞はそれを充分に伝えていたし、演劇表現としてはそれだけで充分だったのではないだろうか。

 同様の映像はデヴィッド・リンチの映像作品などでも使われていたこともあり、この舞台で使用すると別のことを想起させてミスリードされた観客もいるのではないだろうか。
 「ただただ不快だった」という観客もいるだろう。また単純に、この作品の舞台化において、対象が何であっても本当の殺生は避けた方が望ましい。
 既に海外での公演も行っている彼らであるからこそ、異なる文化が言葉を伴わない映像をどのようにとらえるかについては、もう少し検討して使用した方が良いだろう。

 演劇における映像の効用については、以前に吹越満の「ポリグラフ」を評した際にも述べたが、あくまでも効果の範囲で使って欲しい。このシーンでは、役者の動きを見落としてしまった観客もいたのではないだろうか。映像効果はマームとジプシーの持ち味の一つでもありいつも期待はしているが、こういう所は慎重であって欲しい。

 もう1つ、この公演は、当初8月5日から8月15日の15回の上演が予定されていた。しかし、あっという間にチケットが売り切れたこともあって、3日間上演が延長され上演回数も6回追加された。この素晴らしい舞台がそれによって、更に多くの観客に届けられたことはとても喜ばしい。
 しかし、本当にそれで全て良かったのであろうか。

 マームとジプシーの表現はいつも日々高みへと上演ごとに積み重ねていく、とりわけ厳しいものである。追加公演中に製作サイドは、青柳いづみの足の裏や吉田聡子の背中を日々確認していただろうか。そのような配慮も必ず必要である。そして確認していたのならば、それを踏まえて、若いアーティストを紹介し支援することを目的として行っている東京芸術劇場の「eyes」および「eyes plus」といった企画の主旨に則って、この追加上演が正しかったと胸を張れるだろうか。

 また、千秋楽が8月15日に設定されていたことには、何の意味もなかったのだろうか。この作品を考える時、その日は日本人にとっては間違いなく大きな意味を持つ日であり、そこに向かって演じられていく舞台であったのであろう。たとえ違うと言っても、多くの観客はこの日程をみれば、そのように想像する。作品を無理やり宗教や思想に導いていくつもりもないが、チケットが売れているから席や公演回数を追加するというのも、時と場合を選ばなければならない。
 そのような作品に込めた思いは、どんなことがあっても最後まで大切にして欲しい。

 更に、本公演は自由席での上演であり、早くからチケットを手にしていても、開場時間に間に合わなければ、サイドの追加席から観劇することになる観客もいただろう。2回以上観た方から、サイド席から見えるものについての興味深さを聞くこともあったが、たとえ商業演劇だと割り切るとしても、この作品においてサイドの追加席を出すのならば、最初から指定席でチケットを販売するべきであったであろう。

 本当に望まれるのであれば、改めて再演を検討する方が適切であったと考えているのが結論である。団体が力をつけるということは、製作や運営も含めてのことだ。「作品が良ければそれで良し」ではないはずである。
(2013年8月10日15:00の回観劇)

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