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    <title>wonderland</title>
    <link>http://www.wonderlands.jp/</link>
    <description>小劇場演劇、ダンス、パフォーマンスのレビューマガジン</description>
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      <title>wonderland</title>
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    <item>
 <title><![CDATA[芸術選奨新人賞に前川知大さん（イキウメ）と中島諒人さん（鳥の劇場）]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1232</link>
<description><![CDATA[　その年に優れた業績を上げ、新生面を開いた人に贈られる第60回芸術選奨（平成21年度）の受賞者が12日、文化庁から発表されました。文部科学大臣賞に音楽家の坂本龍一さんや評論家の西部邁さんら19人、新人賞には作家の川上未映子さんら11人が選ばれたたことはすでに新聞やテレビで流れました。短い記事には名前が登場していませんでしたが、この中に小劇場関係者が含まれています。ここでピックアップしてみましょう。（編集部） <br />
　芸術選奨文部科学大臣新人賞の演劇部門で前川知大さん（<a href="http://www.ikiume.jp/index.html">イキウメ</a>）が選ばれました。5月の「関数ドミノ」、7月の「奇ッ怪－小泉八雲から聞いた話」で優れた成果を挙げたことが評価されました。<br />
<br />
　同新人賞の芸術振興部門では、鳥取の<a href="http://www.birdtheatre.org/">鳥の劇場</a>を拠点に活動している中島諒人さんが受賞しました。授賞理由として「演劇公演にとどまることなく、地域社会における劇場、演劇の役割を模索する果敢かつ戦略的な取り組みとして多大な成果をあげ、日本の芸術振興に新たな流れを生み出す期待を抱かせた」ことが挙げられています。<br />
<br />
　同じく文学部門で受賞した川上未映子さんはベストセラーになった「ヘヴン」が評価されての受賞ですが、小劇場の舞台に出演していた女優でもありました。<br />
<br />
　文部科学大臣賞の演劇部門受賞者にの中には<a href="http://www.nntt.jac.go.jp/about/foundation/profile/uyama.html">鵜山仁さん</a>がいます。新国立劇場芸術監督ですが、他の劇団の舞台演出も手がけてきた演出家。贈賞理由は「シェイクスピア作「ヘンリー六世」は「百年戦争」「敗北と混乱」「薔薇戦争」の三部作で（略）観客の視線を釘付けにし、時間の長さを感じさせなかった。演劇上演の難しい、新国立劇場・中劇場で成功した真の作品と云える」とされています。<br />
<br />
　芸術振興部門で文部科学大臣賞を受賞した播磨靖夫さんは「<a href="http://www.ableart.org/">エイブルアート</a>」を提唱。「それぞれの表現の違いを個性として捉え，障害者の表現こそが，芸術活動の全体を多様化し，芸術運動として既存の規範を超えるものとして「エイブル･アート」を提唱した。これにより福祉の分野と芸術分野の双方に大きな果実をもたらした」と評価されました。<br />
<br />
　そのほかの受賞者とその理由は文化庁のwebサイトに掲載されています。<br />
▽<a href="http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/souzoukatsudou/sensho/21_geijutsu_sensho.html">平成21年度芸術選奨　受賞者及び贈賞理由</a><br />
<br />
]]></description>
 <category><!--005-->ニュース＆報告</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1232</comments>
 <pubDate>Sun, 14 Mar 2010 23:10:16 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[突撃金魚「ビリビリ　ＨＡＰＰＹ」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1230</link>
<description><![CDATA[◎サリngROCK の優美な凶暴さ<br />
　  岡野宏文<br />
<br />
<div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100312-totsugeki_biri0a.jpg&amp;width=300&amp;height=422&amp;imagetext=%E3%80%8C%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%AA+%EF%BC%A8%EF%BC%A1%EF%BC%B0%EF%BC%B0%EF%BC%B9%E3%80%8D%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=300,height=422');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=142&amp;h=200&amp;p=pictures/20100312-totsugeki_biri0a.jpg" width="142" height="200" class="thumbnail" alt="「ビリビリ ＨＡＰＰＹ」公演チラシ" /></a></div>　今年も、年間の最低映画に贈られるゴールデン・ラズベリー賞が決まった。めでたく受賞してくれたのは「トランスフォーマー／リベンジ」であるが、なにより油断できない気にさせるのは、この映画が「当たった」という畏るべき事態である。巨大なレゴ・ブロックのごときロボットたちが、せわしくパーツを組み替えながらめまぐるしく変身してみせる、というか変身してみせるだけのこの映画は、映画を観ているというよりグラフィック・アプリケーションのデモ画面を見せられているような、侘びしくも場違いな気分を我々に味あわせる。にもかかわらず、その退屈を求めて映画館に人は詰めかけたのだ。世の中はまだからくりの手の内がすっかり透けた玩具がお気に入りらしい。2012年など飛んでもない。まだまだ人類は滅べまい。<br />
　久しぶりに、素晴らしくヘンテコなオモチャと出くわした悦びも持った。しなやかな筐体からいくつもの手足や頭が生えているくせに、どれを触るとどれが動くか想像のそとなのである。これにふれると……エッこっちが動くの！　だったらこれだと……エエッなんでそれよ！とすこぶる振りまわされる観劇体験。突撃金魚の「ビリビリ　ＨＡＰＰＹ」、サリngROCK 作・演出である。　<br />
　サリngROCK は、サリングロックと読む。大阪の劇作家。女性。東京初公演である。おととし大阪ガスが主催するＯＭＳ戯曲賞大賞を「愛情マニア」で受賞、昨年は愛知県主催のＡＡＦ戯曲賞優秀賞を「金色カノジョに桃の虫」で受賞した。いや、もちろん賞をいくら獲ったからっていい作家とは限らない。それはまあ十二分にも三分にも承知の上だ。手の内をあかせば、上記の二賞ともに少しだけお手伝いさせてもらっているため、すでに彼女が孕んでいる作家的力量とその世界に大きく魅せられてはいたわけ。<br />
<br />
　しかし、作品の門をたたく前に、いかなるいきさつがこのキテレツなペンネームを誕生せしめたのか、勘ぐりに勘ぐりたいと思わざるをえない。語感はサリン、あの毒ガスのあれね、あれを真っ先に連想させる。こともあろうにそのサリンがロックンロールすると抜かすのである。大丈夫なのか。大きな劇作家になったとき、はたしてＮＨＫが取り上げてくれるかどうか人ごとながら今から心配になる。それはそれとしても、ごく当たり前に推測するなら、身内の中の悪しきものを、創造する劇に込めてしこたまドライブさせてやる、そういった塩梅の矢印であろう、このペンネームは。<br />
<br />
　そう、この劇作家が我々に伝えるものは、確かにある種の毒に違いないのだが、今はちょっとそれは置いといて、「ビリビリ　ＨＡＰＰＹ」の大まかな内容説明のほうに先にとりかかりたい。<br />
<br />
　高校生スミ子は母と妹に出奔され、実家である町の小さな電気店で一人暮らし。けれど将来ホラー作家になり、映画スターと花開き歌手としてもブレイク、若くして引退するも渋い伯爵にお屋敷に招かれ、深い愛に抱かれつつ晩年を過ごすというあふれる夢に、未来はすっごくバラ色だ、と毎日を生きている。当然小説、歌、演技のトレーニングはかかさない、地味めに。派手にやると出る杭はうたれるから。<br />
　ある日強盗に入られる。強盗君にはしっかり者のミドリという彼女がいて、二目と見られぬダメ男の強盗君を養いながら、小説家デビューを夢見て毎日ホラー小説を書いている。<br />
　ほとんど唐突なまでに伯爵があらわれるや、電化製品を物色するかたわら、沈み込んで冷蔵庫の中に閉じこもっていたスミ子をやさしくいたわり、屋敷に連れ帰る。お屋敷には60歳をむかえるギン子なる伯爵夫人がおり、剥製づくりが趣味の伯爵の手により、誕生日にはどうも殺されて剥製にされるとおぼしい。<br />
　お屋敷に併設されている動物園の管理を任されたスミ子は、ピンクのモコモコした謎の生き物をとくに可愛がっていたところ、毛皮がパックリ割れヒト型をした六歳のモモゾー（メス）とアラタ（オス）が出現する。動物園の閉園を告げられたスミ子は、結局獣であるアラタを連れ去って円満な暮らしをと企むものの、そろそろ発情期だし帰らなくちゃとアラタに去られる。<br />
　時は一気に飛び去り、29歳になったスミ子は、今飛行機から母がいるという砂漠に降り立った。母の身に起きたことを無性に聞きたいし、またこの砂漠で自分になにが降りかかるか、楽しみ一杯の未来だわ、と歩いていく。<br />
<br />
　幕、といささかの後ろめたさで書かざるを得ないのは、あらすじというものがいつも宿命的に伴走するディティールの切り捨てという落とし穴に、まんまとはまっている以上に、サリngROCKの作品が細部こそ重要という逆遠近法的風景の描かれる世界だからだ。たとえば伯爵と夫人のあいだに流れる「男の都合に女が合わせ、しかも男はその関係にまるで無神経な」不合理な空気感や、スミ子とアラタのあいだに醸す「ささやかなことに幸せを見出す女に、外ばっかり見てる男」のドンヨリした傷つき感、これらは最後までいわゆるストーリーの中には回収されていかない。回収されないままに、物語の曲がり角曲がり角で観客を小さく刺し、また慰撫してゆく。<br />
<br />
　そう、私にとって、メカニズムの理解できないブラックボックスは、まず第一に、サリngROCK作品のこの部分にある。前述の二つのシーン、さらに加えるなら強盗君とミドリの短いシーンにおいても、ああだこうだいっても男はみんな出来そこないに書かれている。出来そこないでありながら、無言のうちに一歩ゆずることに、女性たちはなぜか幸せそうなのである。いや、古い任侠映画の耐える愛の話なんかしたくない。「夫婦善哉」の話なら山々したいが、止めどがなくなるから自粛しよう。要するにサリngROCKはそうでない男も書けるはずだといいたいのだ。それでもなおダメェな男を書き続けるのは、それを書くことが快楽だからなんじゃないか。それは一体どんな快楽か、うまく理解できないのである。<br />
<br />
　もう一つ分からないのは、場面のつなぎ方である。ストーリーの進め方といってもいいが、理屈を無視した跳躍力でシーンが繋がっていく。しかしその跳躍がきわめて鮮やかであるほどの筆力が見事でもあるのだ。<br />
<br />
　厄介なことに、上記二点をはじめとするサリngROCKの分からなさは、多くの女性の観客の心には深い共感と感動となって現象するらしいのである。「そう、そう、そうよ。なんでいままで誰もこのことをいわなかったの」というような感じ。ということは我々は今日までずいぶんたくさんのことを見落としてきているのだ。<br />
<br />
　実に面目ないことはなはだしいが、共感と感動のかわりに、私には「愕き」があった。たとえば女性登場人物の名前がすべて色にちなんでいるのはお気づきかと思われるが、六歳のモモゾーが赤子の頬のような桃色、60歳のギン子さんがシルバー世代の銀色、と年齢に連れて変わってきているのであって、冒頭でスミ子が夢見た未来の姿をいく人かピックアップしたのか、あるいはひとりの女性の一生のありかたをいくつかに切り出してみせたのか、もしかしたら全編が冷蔵庫の中に閉じこもってまどろむスミ子の幻という仕掛けを読みとることも可能なのだが、そのいまだ高校生のスミ子のイメージが真っ黒の墨色なのだと分かってきたとき、ちょっと待ってねという気になった。キャラクターが複雑すぎる気がしたのだ。<br />
<br />
　理屈でなく、女性の感性によって組み立てられためざましい舞台というものを、いままでに私は少しは目撃してきている。女性だけで構成された劇団「青い鳥」の公演である。それこそあらゆる場面は直感だけで接合され、物語のゆくえは誰にも分からない。楽しきながらも、それは畏怖すべきステージであるし、あった。彼女たちの作品が語りかけてくるのは、大切な何かを失ってしまい、あるいはあらかじめそれは失われており、欠落を埋めるべく賑やかな旅に出る、そのような状況であった。だがサリngROCKの事情はいちじるしく違う。彼女は何かを失ったわけではない。むしろ失えないのだ。外界から膨大な情報が絶えず流れ込んできて、あいてるはずの空隙を満杯にされてしまう。探索の旅に出る由もない。<br />
<br />
　そこで彼女は希望しつつ絶望する。限りない不幸を幸福とすり替える。今現在をやり過ごす方法で未来への視界を保とうとする。サリngROCKの芝居が、ぎょうぎょうしく訴える荒ぶるタッチでないのも、私にはとても好ましかった。心の深い深いあたりで、腐ってるというより、何かが醗酵しているに違いない。ひょっした、らそうした自分の複雑な心の動きを彼女自身があまり好いてないといったような葛藤が。ともあれ優美な凶暴さをますますふるわれんことを。<br />
（初出：マガジン・ワンダーランド第181号、2010年3月10日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100310110000000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4787975/">melma！</a>］。購読は登録ページから）<br />
http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　岡野宏文（おかの・ひろふみ）<br />
　1955年、横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター＆エディター。「ダ・ヴィンチ」「せりふの時代」「サファリ」「ｅ２スカパーガイド」などの雑誌に書評・劇評を連載中。主な著書に「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/483560962X?ie=UTF8&tag=wonderland05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=483560962X">百年の誤読</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=wonderland05-22&l=as2&o=9&a=483560962X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757214561?ie=UTF8&tag=wonderland05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4757214561">百年の誤読 海外文学編</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=wonderland05-22&l=as2&o=9&a=4757214561" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /> 」（豊崎由美と共著）「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4560035555?ie=UTF8&tag=wonderland05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4560035555">ストレッチ・発声・劇評篇 (高校生のための実践演劇講座)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=wonderland05-22&l=as2&o=9&a=4560035555" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」（扇田昭彦らと共著）「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4560035717?ie=UTF8&tag=wonderland05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4560035717">高校生のための上演作品ガイド</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=wonderland05-22&l=as2&o=9&a=4560035717" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」など。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=44">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=44</a><br />
<br />
【上演記録】<br />
　<a href="http://www.kinnngyo.com/">突撃金魚</a>「<a href="http://www.kinnngyo.com/biri_biri_happy.html">ビリビリ　ＨＡＰＰＹ</a>」<br />
<a href="http://www.agora-summit.com/2009w/lineup_kingyo.html">こまばアゴラ劇場</a>（2010年2月23日-24日、【冬のサミット2009】参加）<br />
<br />
■作・演出　サリngROCK<br />
■出演<br />
　上田展壽<br />
　蔵本真見<br />
　サリngROCK<br />
　片岡百萬両（ミジンコターボ）<br />
　河口仁（シアターシンクタンク万化）<br />
　山田将之<br />
　一瀬尚代（baghdad cafe）<br />
　重田恵（コレクトエリット）<br />
　高島奈々（七色夢想）<br />
　七味まゆ味（柿喰う客）<br />
<br />
■スタッフ<br />
　舞台監督　今井康平（CQ）<br />
　舞台美術　高島奈々（七色夢想）<br />
　照明　　　大塚雅史（DASH COMPANY）<br />
　音響　　　中野千弘（悪い芝居）<br />
　衣装　　　植田昇明　<br />
　小道具　　石川智子<br />
　演出助手　伊藤由樹<br />
　宣伝美術　小泉しゅん<br />
　記録映像　森達行（もみあげフラメンコ）<br />
　制作　　　安部祥子<br />
　制作協力　安田小梨江<br />
　音楽　　　もけもけ<br />
<br />
■ポストパフォーマンストーク<br />
トークゲスト：<br />
　23日夜　杉原邦生（サミットディレクター）<br />
　24日昼　柴 幸男氏（劇作家・演出家・ままごと主宰）<br />
<br />
　※開場は開演の30分前、受付開始は開演の45分前<br />
　（※24日の開演時間、変更になりました。正しくは13時／18時です。）<br />
<br />
★大阪公演<br />
　シアトリカル應典院（2009年11月25日-29日）<br />
　アフタートーク:<br />
　26日ゲスト：もけもけ<br />
　28日ゲスト：城田邦生氏（劇創ト社）<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1230</comments>
 <pubDate>Fri, 12 Mar 2010 15:44:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[クロスレビューの締切り迫る　3月12日（金）]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1227</link>
<description><![CDATA[　クロスレビューの締切が迫ってきました。取り上げるのは<a href="http://chelfitsch.net/">チェルフィッチュ</a>公演「わたしたちは無傷な別人であるのか？」です。日本の小劇場演劇界の旗手の新作公演であり、現在最も注目される公演と言えます。既に公演を見た人の間では賛否両論が飛び交っているようです。<br />
　公演はSTスポット（2月14日-26日）公演が終わり、横浜美術館（3月1日-10日）は本日10日まで。締め切りは3月12日（金）です。送り先は&#32;&#105;&#110;f&#111;&#64;&#119;on&#100;er&#108;a&#110;d&#115;&#46;jp。採用分には薄謝を進呈します。<br />
　応募要領は、これまでと同じです。☆印による5段階評価。レビュー本文（コメント）400字。名前と肩書。それに郵便番号と住所を書き添えてください。もう一つ、観劇日を末尾に付けてください。<br />
　　3月17日発行予定の「マガジン・ワンダーランド」に掲載予定です。その後、webサイトに転載します。 マガジンの購読（無料）は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から手続きしてください。<br />
]]></description>
 <category><!--005-->ニュース＆報告</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1227</comments>
 <pubDate>Mon, 8 Mar 2010 15:50:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[OM-2 「作品No.7」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1226</link>
<description><![CDATA[◎身体に降り注ぐ言葉の雨<br />
　芦沢みどり<br />
<br />
<div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100305-OM-2_no70a.jpg&amp;width=450&amp;height=316&amp;imagetext=%E3%80%8C%E4%BD%9C%E5%93%81No.7%E3%80%8D%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=450,height=316');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=200&amp;h=140&amp;p=pictures/20100305-OM-2_no70a.jpg" width="200" height="140" class="thumbnail" alt="「作品No.7」公演チラシ" /></a></div>　日暮里シアターアーツ／フェスティバル（2.12－3.21）参加作品の『作品No.7』を観て、再び舞台表現における＜言葉と身体＞について考えさせられた。再び、というのは5年前にこの集団の作品として初めて観た『ハムレットマシーン』によって、舞台表現の根幹である（と思われる）＜言葉と身体＞の問題を考えるうえで大いに刺戟を受けたからだ。それはハイナー・ミュラーの「ハムレットマシーン」を上演することの意味と正面から向き合った作品だったが、その中で佐々木敦という若い肥満体の俳優が、金属バットを振り回してテレビやテープデッキ、机を次々に叩き壊すシーンがあった。そのナマの破壊力はすさまじく、客席にいて背筋が寒くなるような怖さを覚えたものだが、同時に、彼の身体から発する負のエネルギーが、経済弱者へと追いやられた現代日本の若者層の鬱屈や怒りとダブって見えた。そして破壊シーンは痛ましくも共感できるものに変わっていた。セリフがない分、それは直接的だった。 <br />
　だが言うまでもなく、セリフがないことは言葉がないことと同じではない。作品の背景にある構造は言葉であり、『ハムレットマシーン』という構造（＝言葉）の中に俳優の身体があったからこそ、破壊シーンが劇場の外の状況を想起させたと言える。この前提がなければ、ただの暴力シーンとしてしか見なかっただろう。<br />
<br />
　では今回の作品はどうだったか。<br />
　『作品No.7』は一見、二部構成のように見える。前半は俳優による身体表現で、後半はパーカッション・パフォーマンスだ。直線的にストーリーが展開するのではない方法論は前回と同じだし、たまに発語される言葉もすべてが聴き取れるわけではないから、セリフとしては機能しない。ではストーリーもなく、セリフから手がかりの得られない舞台作品を理解するための拠り所は何か。それは観客自身が目を凝らして見つめ、感じ、考えて舞台に積極的に参加する以外にない。セリフに依拠した舞台作品を観るのと違う点は、観客もまた何もない空間に放り込まれるということだ。ある種の不安はあるが、一方でとてつもない自由が与えられていることでもある。<br />
<br />
　舞台は客席前列と地続きの平土間で、十数枚の白い半透明・縦長パネルで半円形に囲われたスペースだ。その空間の下手奥にベッドがあり、上手前方に机と椅子一脚が置かれ、机の上にはテープレコーダーのような器機。舞台中央の床には紐で縛った雑誌や文庫本の束が２つ３つ。セットはこれだけだ。<br />
<br />
　客電落ちの前に、舞台中央の本と雑誌にスポットが当たる。書物に琥珀色の影が落ちて、読書にまつわる遠い記憶が呼び覚まされそうになった時、すぐに客電が消えて舞台の現実に引き戻される。ベッドの横のランプに明りが入り、そばに黒いスーツ姿の女が立っている。彼女は疲れた様子で上着を脱ぎ、そばにある雑誌を手にしてベッドに入るが、すぐに明りを消して眠りに就く（ように見える）。<br />
<!-- OM-2「作品No.7」--><br />
<div style="font-size:10px; text-align:center; "><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100313-om2_No7_01.jpg" alt="「作品No.7」" title="「作品No.7」" ><br />
【写真は「作品No.7」公演から。撮影＝田中英世　提供＝OM-2　禁無断転載】</div><br />
　すると上手から、紐で縛った文庫本の束と紙袋を提げた巨漢が入って来る。（佐々木敦だ！）男は持ってきた本と紙袋を舞台中央に置き、所在なげな、踊るようなしぐさをする。演じているような、いないような。＜自然な演技＞という慣用句が撞着語法であることを告発するかのような奇妙な存在感を漂わせながら、彼は雑誌と新聞を持って上手の机へ行き、明りを点けてテープレコーダーのスイッチをオンにする。人の声のようだが意味の取れない不快な雑音が聞こえてくる。机に向かって退屈そうに雑誌や新聞のページを繰っていた男は、突然ページを破り取り、不要になった雑誌を床に投げ捨て、破り取ったページを机の上に置いてまじまじと眺める。破ったのはグラビアページだということは客席からも分かるが、彼が見ているのは芸能紙とかポルノ雑誌だろうか。（彼はマスターベーションでも始めるのだろうか？　いや、違った！）<br />
<br />
　舞台中央へ戻った男は紙袋からコード付きの裸電球を取り出して点灯し、電球を振り回し始める。電球には網状のカバーが取り付けられているが、ベッドのそばで激しく振り回されると少し怖い。（だがベッドの女に注意を向けるのは観客の方で、男が女を気にしている様子はない。彼は女の夢の中の存在なのだろうか。さっき彼女は雑誌を持ってベッドに入った。でも、よく分からん）。<br />
<br />
　やがて男は舞台中央へ行き、文庫本を一冊手に取って空中へ投げ上げる。するとその本が、紙切れになってヒラヒラと舞い降りて来るではないか。本は綴じしろが予め切り取られていたのだ。残った本も次から次へと投げ上げられ、かつてページと呼ばれていたものが紙切れとなって落ちて来る。手首のスナップを利かせて投げ上げられた本は、意外なほど加速度がついて高く上がり、それから一枚一枚舞うように下降する。客席前列に座っていた筆者の頭上にも紙は降ってきた。手塚治虫の漫画、吉村昭の『破獄』、アメリカの推理小説。元は本だったものが、無残にも断片化され、知識の総体としての意味をはく奪され、ただの紙切れとなって舞台を覆う。捨てることの解放感と喪失感が同時にやって来る。（ここには電子媒体を暗示するものは何もないけれど、これは紙媒体の終焉を表象しているのだろうか）。<br />
<br />
　次のシークエンスで男は頭に紙袋をかぶって子供の遊びのようなことを始める。そして紙袋を脱ぐと、頭部が真っ赤な塗料で覆われている。佐々木敦の血まみれ（に見える）顔にぎょっとする。（その顔が客席を睨むように眺めまわした時、なぜか突然、ゴヤの「サトゥルヌス」を思い出した。わが子を食い殺したローマ神話の神だが、狂気と後ろめたさの表情が似ていたからだろうか。いや、むしろ食い殺された子供のおびえた表情を想像させたのかもしれない）。次に男は机へ行き、さっき破いたページを顔に貼り付ける。グラビアページの美女の顔写真。それから彼は舞台中央へ行き、新聞紙を顔に巻きつけ始める。一枚、二枚、三枚、四枚。これでは呼吸が苦しいのではと思っていると、口のあたりを破り取り、何ごとかを喚き始める。彼が舞台に現れて初めての発語だが、筆者に聞き取れたのは「お母さーん、お母さーん、お父さんにやさしくしてあげて。ボク、何でも食べるから」という部分だけだった。そう言い終わると彼は、床に落ちていた本のページや新聞を血染めの白いＴシャツの首元から詰め込み始める。これ以上は詰め込めないところまで詰め込むと、男は床に倒れ込む。ベッドで寝ていた女が起き上がり、出てゆく。<br />
<br />
　ベッドで寝ていた女は男の母親だったのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。母親であるにしても、それは母なるものの寓意だろう。雑誌という手がかりがあるだけで、あとは謎のまま、つまりあらゆる解釈に開かれて前半が終わる。<br />
<!-- OM-2「作品No.7」--><br />
<div style="font-size:10px; text-align:center; "><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100313-om2_No7_02.jpg" alt="「作品No.7」" title="「作品No.7」" ><br />
【写真は「作品No.7」公演から。撮影＝田中英世　提供＝OM-2　禁無断転載】</div><br />
　後半は雰囲気ががらりと変わり、シンバルとドラムの競演となる。固定されたシンバルが後列に並び、その前に大、中の太鼓が舞台横一列に並べられて、劇団員総出といった感じのパーカッション演奏が始まる。前半のゆっくりしたテンポから、舞台は一気に早い速度に変わるので、最初のうち身体が拒否反応を起こす。拒否反応は身体だけでなく、心理面でも起きた。前半は舞台に積極的に関わっているという意識でいたので、いきなり鑑賞者という傍観的立場に置いてきぼりを食らった感じだ。玄人はだしのパーカッション演奏は見事だが、ただ聴いているほかはない。聴いているというよりは、会場を揺るがす振動に身をゆだねていると言った方が実際の体験に近いかもしれない。（頭の中から言葉が消えている！）やがて舞台の高い所から細長い紙片が雨のように降り始める。さっき投げ上げられた文庫本がさらに細かくなり、文字の列になって降ってきた錯覚を覚える。やがてドラムを叩きながら女性が叫び声を上げる。聞き覚えのある叫び声。地球のどこかで女が死者を悼む時に上げるあの根源的な叫び声に似ている。そうしている間も文字の雨は降り続き、ドラムの上に降り積もった紙片が振動ではね上がり、まるで雨脚のように見える。文字の雨。そうか！二部構成に見えていたものは、じつは一つなのだ。<br />
<br />
　最初に舞台に現れた女の着ていた黒服は、喪服だったのだ。本、読書、文庫本、雑誌、紙媒体、活字、文字・・・これまで当たり前のようにしてわたしたちの身の回りにあったものが今、滅びつつある。少なくともこの舞台を創った人たちはそう認識しているのではないだろうか。長い年月をかけて構築されてきた書籍文化は、あっという間に電子媒体という物質性を欠いたメディアにとって代わられようとしている。そもそもこの劇評自体、インターネットで配信されるわけだから皮肉な話だが、この趨勢はしばらく続くだろう。舞台は前半も後半も紙媒体への鎮魂歌だった。でも何かの終焉は始まりでもある。何の始まりかはまだ分からないが、文字の雨は照明の中で白く光って、身体を包む慈雨のようにも見えていた。<br />
（初出：マガジン・ワンダーランド第180号、2010年3月3日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100303120000000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4780988/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　芦沢みどり（あしざわ・みどり）<br />
　1945年、天津（中国）生まれ。演劇集団円所属。戯曲翻訳。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=20">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=20</a><br />
<br />
【上演記録】<br />
<a href="http://www.ask.ne.jp/~pratze/om-2/no7.html">OM-2 </a>『作品No.7』（日暮里シアターアーツ/フェスティバル参加公演）<br />
日暮里サニーホール（2010年2月12日-13日）<br />
<br />
■ 構成・演出　真壁茂夫<br />
Composition & Direction : SHIGEO MAKABE<br />
<br />
■ 出演｜Performers<br />
佐々木敦｜ATSUSHI SASAKI<br />
中井尋央｜HIROO NAKAI<br />
柴崎直子｜NAOKO SHIBASAKI<br />
丹生谷真由子｜MAYUKO NYUNOYA <br />
平澤晴花｜HARUKA HIRASAWA<br />
金原知輝｜TOMOKI KIMPARA<br />
吉澤啓太｜KEITA YOSHIZAWA<br />
村岡尚子｜SHOKO MURAOKA<br />
舞橋明夜｜SAYA MAIHASHI<br />
TAKESHI｜TAKESHI<br />
ほか<br />
<br />
■ STAFF<br />
音楽監修・作曲/奥原匡光<br />
作曲、編曲/吉川潤、佐々木敦<br />
舞台美術/速水まりや、寺澤勇樹、五木田唯衣<br />
舞台監督/長堀博士<br />
舞台監督助手/田中新一<br />
映像/藤野禎崇<br />
照明/三枝淳<br />
音響/佐久間修一、佐々木孝憲<br />
大道具/大根田真人、佐藤一茂<br />
小道具/池田包子<br />
宣伝美術/小田善久<br />
写真/田中英世、大久保由利子<br />
記録映像/船橋貞信、高橋弥生、四方隆夫<br />
制作/村岡尚子<br />
■ 協力<br />
AKETA MINO、林慶一、齋藤瑠美子、笠松環、内田久美子、<br />
坂口奈々、J・佐藤、田口博史、RAKUENOH+<br />
JAPAN NOW実行委員会<br />
■料金<br />
前売り Advance/￥2,800<br />
当 日 Box office/￥3,300<br />
学生割引 student discount（要学生証）/各￥500引き<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1226</comments>
 <pubDate>Fri, 5 Mar 2010 23:58:15 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[女魂女力「しじみちゃん」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1224</link>
<description><![CDATA[◎告発し続ける「想像力の欠落」<br />
  高木登<br />
<br />
<div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100305-jokonjoriki_shijimi0a.jpg&amp;width=320&amp;height=462&amp;imagetext=%E5%A5%B3%E9%AD%82%E5%A5%B3%E5%8A%9B%E3%80%8C%E3%81%97%E3%81%98%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%8D%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=320,height=462');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=138&amp;h=200&amp;p=pictures/20100305-jokonjoriki_shijimi0a.jpg" width="138" height="200" class="thumbnail" alt="女魂女力「しじみちゃん」公演チラシ" /></a></div>　ＡＶにさしたる興味もなく、したがって持田茜の存在も知らず、作・演出のニシオカ・ト・ニールがどのような才能かもわからず、ただ自分のところの次回公演に出演してくれる女優が出ているからという理由だけで観に行った女魂女力 其の壱『しじみちゃん』は本年最初の佳作だった。これを拾い物という。 <br />
　事情に疎い人間であっても、及川奈央や蒼井そらなど、近年の突出したＡＶ女優の多くが、かつてにくらべてルックスも格段に向上し、一般映画に出演しても遜色のない演技力を示しているのは知っている。持田茜もまたその潮流のなかにあり、過日見た亀井亨監督の『ヘクトパスカル』という作品では、出番は少ないながらも鮮烈な印象を残す演技を披露していた。本作はその持田茜がいかにしてＡＶ女優となり、ＡＶ女優をやめ、「しじみ」と改名して一般女優になったかまでを持田本人の主演によって描く評伝劇である。多少の脚色は交えつつも、大方は作者のニシオカが持田に取材した事実に基づいているという。<br />
<br />
　冒頭、ひさびさに実家に帰省した持田が、ただならぬ様子でなにかを告白しようとする場面から本作は始まる。ここで舞台は暗転し、時をさかのぼって持田の地元での過去が描かれていくのだが、のちにこれは自身がＡＶ女優である事を家族にカミングアウトしようとしているところであることがあきらかになる。このあたりのフックの掛け方、構成の妙は基本的とはいえ巧みである。小劇場演劇には常に素人臭さがつきまとうが、この作者にはその種の破綻が少ない。手腕が既にして成熟している感がある。<br />
<br />
　厳格な父親、優しい母と祖母、しっかり者の妹、このあたりのドラマは平凡である。だが平板ではない。あまりにも厳しく、ささいなバイトさえ許さない父に反発して持田は出奔、上京してＡＶ女優となる。恋人の部屋で姉の出演ビデオを発見した妹は、家族にすべてが露見する前に姉に仕事をやめさせようとひとり東京に出る。ここで出会うのが橋本恵一郎演じるＡＶ監督で、この男の複雑なキャラクターが本作に陰影と奥行きを与えている。通り一遍の倫理で姉の職業を難じる妹に監督は言う。<br />
　「君は一本のビデオ出すのにどれくらいの人が関わって、どれくらいのお金が動いてるかわかる？　企画練って、キャスト決めて流通決めてロケ場所決めて、どれくらいの時間費やしてるかわかる？　一年にどれくらいのビデオやＤＶＤが出てるかわかる？　その中で売れる作品なんて一握りで、人気出る女優だって一握りなの。確かにテキトーなやつもいるし金のためにやってる女もいるしクズな男優もいる。でも名作を作ろうとしてる人だっているんだよ、わかる？」<br />
　これに対して妹は返す言葉がない。<br />
<!-- 女魂女力「しじみちゃん」--><br />
<div style="font-size:10px; text-align:center; "><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100306-jokon_shijimi01.jpg" alt="「しじみちゃん」" title="「しじみちゃん」" ><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100306-jokon_shijimi02.jpg" alt="「しじみちゃん」" title="「しじみちゃん」" ><br />
【写真は「しじみちゃん」公演から。撮影＝ぶん　提供＝女魂女力　禁無断転載】</div><br />
　本作でひたすら作者が告発しつづけるのは「想像力の欠落」である。父は娘の心情を理解しようとしない。妹は姉の職業の在り方に偏見以上のものを持つことができない。そして持田もまた家族の心情をすべて斟酌できているわけではない。持田は久しぶりに実家に帰る。ここで物語は冒頭にもどるのだが、かなりの覚悟で自身がＡＶ女優であることを打ち明けたものの、家族はあっさりそれを「知っていた」という。父は言う。<br />
　「父さんから言わせてもらえばな、そんなもんは仕事とは認めたくない。最初聞いたときは、今すぐにでも東京に行って、島根に連れ戻そうと思った。でもな千秋（筆者注・作中の持田の本名）は一度決めたら絶対曲げない子だから、無理やり連れて帰ったらそれこそ二度と、この家には帰ってこなくなるだろう、だったら、遠くから、お前のことを、見守ろうって、母さんと、ばあちゃんで話し合って決めた。だから、肯定もしないけど、否定もしない」<br />
<br />
　ここで終わっていればただの良い話なのだが、作者の矛先は容赦を知らない。<br />
<br />
　持田はある日突然ＡＶを引退する。島根県の名産だから、じめじめした山陰の女って感じのイメージでエロいから、という理由で「しじみ」と改名し、一般女優になるという。明るく語る持田に、良い事務所を紹介するかわりにプライベートビデオでハメ撮りさせろと監督は詰め寄り、持田は「そんなことして紹介してもらわなくても結構です」と拒否する。監督はさらに食い下がる。「逃げるなよ。逃げたって無駄だよ。芸名変えたって、結局君は持田茜なんだよ。持田茜という背景が無いと、何の価値も無いんだよ」<br />
<br />
　ここでのやりとりは、「しじみ」と改名後も「持田茜」の名前でキャバクラでバイトしていることを知った作者のニシオカが「なんだ、ぜんぜん良い話じゃねえじゃん」と怒りに駆られたことに端を発しているという。「セックスしてお金稼いでたくせに、辞めたとたんにＡＶ否定？」「誰とやっても同じだって言ってたよね。あれは嘘だったの？」「アナタはさ、『しじみちゃん』として女優になるために居心地の良い『持田茜』を捨てたんでしょ？　何かちょっとおかしくない？」「いつまでも持田茜使うなよ。言ってることめちゃくちゃだぞ！」。これらはすべて監督に託された作者のニシオカの言葉であり、橋本恵一郎の熱演もあって本作の圧巻である。しかもこの言葉を投げかけられるのは、ほかならぬ持田茜本人なのだ。いま現在の、自分自身を取り巻く現実に想像力が追いついていない持田茜本人を、許すことなく作者は糾弾してみせる。<br />
<!-- 女魂女力「しじみちゃん」--><br />
<div style="font-size:10px; text-align:center; "><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100306-jokon_shijimi04.jpg" alt=" 「しじみちゃん」"  title="「しじみちゃん」" ><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100306-jokon_shijimi03.jpg"  alt="「しじみちゃん」"  title="「しじみちゃん」" ><br />
【写真は「しじみちゃん」公演から。撮影＝ぶん　提供＝女魂女力　禁無断転載】</div><br />
　ラスト、監督の言葉に追い立てられて、満員のゴールデン街劇場の客席をすり抜けながら、持田は劇場の外へ出る。キャメラをかまえた監督とＡＤもその後を追う。舞台にしつらえられたスクリーンには、路上をどこかへ向かって歩いていく持田の後ろ姿が映し出される。そのさまは何かから逃げているようで、何かに立ち向かっていくようで、頼りなさげで力強く、滑稽でどこか哀しい。持田茜改めしじみの現在の姿そのままである。現実と表現がひとつになった、実に感動的な瞬間の顕現だった。（文中敬称略）<br />
（初出：マガジン・ワンダーランド第180号、2010年3月3日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100303120000000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4780988/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　高木登（たかぎ・のぼる）<br />
　1968年7月、東京生まれ。放送大学卒。脚本家。テレビアニメ「TEXHNOLYZE」「地獄少女」「バッカーノ！」「デュラララ!!」などを手掛ける。2009年8月より演劇ユニット「鵺的（ぬえてき）」主宰。旗揚げ公演「暗黒地帯」を作・演出する。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=18">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=18</a><br />
<br />
【上演記録】<br />
　<a href="http://kaminari-fb.main.jp/jokon">女魂女力</a>　其の壱「しじみちゃん」<br />
　新宿ゴールデン街劇場（2010年1月7日-10日）<br />
<br />
CAST：しじみ　松永恵　菊地未来　野田孝之輔　のもとあき　野村直生（欲棒仙人）　橋本恵一郎（欲棒仙人）　爆裂Ｑ高見司　西岡知美<br />
<br />
作演出：ニシオカ・ト・ニール<br />
演出補佐：穂科エミ（はぶ談義）<br />
舞台監督：喜久田吉蔵<br />
舞台美術：野村久美子<br />
照明：たなか一絵（あかりやん）<br />
音響：源田和樹（KG project）<br />
宣伝美術：ぶん<br />
映像：橋爪知博 <br />
音楽：ソフテロ<br />
制作：池田智哉（feblabo）<br />
企画・製作：カミナリフラッシュバックス事務局<br />
<br />
前売り2600円、当日3000円<br />
<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1224</comments>
 <pubDate>Fri, 5 Mar 2010 00:03:14 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[3人が語る「2010年3月はコレがお薦め！」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1222</link>
<description><![CDATA[<div class="sp_intro"><div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100303-ableart2010_0a.jpg&amp;width=320&amp;height=450&amp;imagetext=%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8+%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB2010%E3%80%8D%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=320,height=450');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=142&amp;h=200&amp;p=pictures/20100303-ableart2010_0a.jpg" width="142" height="200" class="thumbnail" alt="「エーブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル2010」チラシ" /></a></div>★カトリヒデトシさんのお薦め<br />
　・<a href="http://rorie.jp/top.htm">ろりえ「恋2」</a>(王子小劇場、3月3日-7日、一心寺シアター倶楽、3月13日-14日）<br />
　・<a href="http://www.qui-co.net/">qui-co.キコ</a>「はなよめのまち」（王子小劇場、3月25日-29日）<br />
　・<a href="http://watasitati.blog110.fc2.com/">三匹の犬</a>「現実はきびしく私たちは若いけれど要求は唐突で思い切るという手もあるかもしれない」(pit北/区域、3月25日-29日）<br />
★鈴木励滋さんのお薦め<br />
　・「<a href="http://www.ableart.org/">エーブルアート・オンステージ　コラボ・シアター・フェスティバル2010</a>」Bプロ「≒-にあいこーるのじじょう」(アサヒ・アートスクエア、3月18日・19日)<br />
　・「<a href="http://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/03/vacuum_zone.html">東野祥子solo dance VACUM ZONE</a>」（シアタートラム、3月5日～7日）<br />
　・<a href="http://www.jikando.com/">時間堂</a>「月並みなはなし」（座・高円寺、3月11日～14日）<br />
★徳永京子さんのお薦め<br />
　・「<a href="http://sakuraen.blogspot.com/">老人ホームREMIX#1</a>　野村誠のポストワークショップ」（BankArt Studio NYK、3月14日）<br />
　・「<a href="http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2010/d0328.html">FABIEN PRIOVILLE</a>」（彩の国さいたま芸術劇場3月18日）<br />
　・<a href="http://www.act726.com/top/index.html">726</a>「太宰治　走れメロス」（下北沢OFF・OFFシアター、3月18日～23日）<br />
</div> <br />
<b>徳永京子</b>　3月はとても迷ってしまいます。<br />
<b>鈴木励滋</b>　そうですね。全然決められないんです、候補が多すぎて。<br />
<b>徳永</b>　柴幸男さんのままごと「スイングバイ」も入れようかと悩んだんですけど、岸田國士戯曲賞受賞後第1作だから、皆さん見に行きそうでしょ。サンプル「ハコブネ」も絶対行くでしょう。中野成樹＋フランケンズ「スピードの中身」も…。「踊りに行くぜ！」はシリーズだから、言わなくても大丈夫かなと。<br />
<b>鈴木</b>　東京芸術見本市2010は誰か入れないんですか？<br />
<b>カトリヒデトシ・徳永</b>　TPAM！（絶句…） <br />
<b>徳永</b>　それも考えたんですが、注目度がかなり高いということで割愛しました。<br />
<b>鈴木</b>　柴幸男・杉原邦生（ダンス・ワークショップ「青春60デモ」）・篠田千明（快快「Ｙ時のはなし」）のキレなかった14才リターンズに出た3人は、敢えて言わないけど見るし、みんなも見るだろうと。それから僕は、伊藤キムさんは人間として好きなんですよね。彼は、オヤジとか高校生と一緒に創作し、自分がもらってきたものを伝えていこうという想いがある方ですが、今度の公演（輝く未来「ブチ込ミ、ヤミ鍋、舌ツヅミ」）は入れられなくて辛い…。<br />
<br />
<div class="leftbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100303-katori01.jpg&amp;width=300&amp;height=285&amp;imagetext=%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%87%E3%83%88%E3%82%B7%E3%81%95%E3%82%93" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=300,height=285');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=200&amp;h=190&amp;p=pictures/20100303-katori01.jpg" width="200" height="190" class="thumbnail" alt="カトリヒデトシさん" /></a></div><b>カトリ</b>　では私から。まず、ろりえ「恋2」。ここは早稲田出身のカンパニーで伸び盛り、そろそろ学生臭が消えてきたあたり。去年のNHK「渋谷JK」にも出ました。梅舟惟永という女優がすごく好きです。体が細くショートヘアで眉がくっきり、声は太くて、キリッとしてて意志が強そう。かわいげのあるツンデレなのかと思うが意外に芯がもろいとこもあるじゃんといったような、バランスの悪さがいいなあと思って、かなり期待してる。そこに尾倉ケント（アイサツ）、坂口辰平(ハイバイ)、深谷由梨香（柿食う客）などクセのある役者がからむから、面白そう。ただ作品の質はまだまだ粗いですね。下手ですよー、踊りなんか特に（笑）。<br />
<b>徳永</b>　もう何年くらいやってるんですか？　チラシもいいですね。<br />
カトリ　3年、6公演目くらいかな。チラシは、よく見ると下品な絵なんだけど、ぱっと見はきれい。わざわざ変形にしてるから目立つんです。雑だけど、やみくもなエネルギーが乱反射している。どこに向かっているかまだわかっていない状態でいろんなものが出てくるところがいいなと思ってます。<br />
　次は、立ち上げ劇団qui-co.キコ「はなよめのまち」。作・演出は小栗剛。顔合わせを見に行ったら、吉田小夏（青☆組）がすごくいい。女優としては5年ぶりだそうです。もらった台本をその場で読むだけなんだけど、セリフのつかみ方、いきなりテンションの張り方がすごくてびっくりした。<br />
<b>徳永</b>　シーンが立ち上がってくるんですか？<br />
<b>カトリ</b>　そうですね。その時の相手が千葉淳（東京タンバリン）で。彼その日、はじめは顔色が悪くて、いつもの二枚目じゃないと心配だったんだけど、やり始めると、ものすごい二の線がぐーんと出てきた。お、やるなーと思って。ほかにも、なかなか楽しみな役者が多い。三枝貴志（バジリコ・F・バジオ）は変な雰囲気出すけどいい味もってる。酒井和哉は神里雄大と一緒にやってて「ヘアカットさん」にも出てました。これまた怪優です。<br />
<b>徳永</b>　旗揚げから王子小劇場の審査に通ったってことですね。<br />
<b>カトリ</b>　そうですね。小栗は、チェリーブロッサムハイスクールの時から、すごくいい本を書いていた。最初の顔合わせで、その世界設定・キャラクター設定について説明した紙が８枚くらい配られて。こんな設定でやったら「砂の惑星」か「スターウォーズ」になっちゃうんじゃないか、全6作って感じのとあきれましたね（笑）。<br />
<b>徳永</b>　SF的なディテールの話なんですか？<br />
<b>カトリ</b>　いや土俗的なものにこだわってて、民俗学的な話ですね。日本のどこか地図にないところで、権力者に花嫁を差し出すために、女の子を大事に育てている村があるという設定。チェリーブロッサムでもそうでしたが、基本的に人間のドロドロした嫌な部分、ダークサイドを突き抜けて向こう側に何かが現れてくるというのが小栗の世界。すごく好きですね。<br />
　最後は、三匹の犬「現実はきびしく私たちは若いけれど要求は唐突で思い切るという手もあるかもしれない」。鈴江俊郎作・演出、金子岳憲（ハイバイ）出演というのにひかれて。ただ、会場のpit北/区域は、あまり真面目な固い芝居をやられると、ちょっときついなあとも思うんだけど。<br />
<b>鈴木</b>　鈴江さんはドタバタな持ち味もありますよね<br />
<b>カトリ</b>　コメディタッチならいいんだけど。金子のキレ芸は最高。口から唾とばしながらイッちゃった時の目はとにかくいい！　もともとニナガワカンパニーダッシュにいたことが信じられない（笑）。ということで、この3本です。<br />
<br />
<div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100303-tokunaga01.jpg&amp;width=300&amp;height=284&amp;imagetext=%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E4%BA%AC%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=300,height=284');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=200&amp;h=189&amp;p=pictures/20100303-tokunaga01.jpg" width="200" height="189" class="thumbnail" alt="徳永京子さん" /></a></div><b>徳永</b>　私の1本目は「老人ホームREMIX#1　野村誠のポストワークショップ」。チラシによると、野村さんは音楽の専門家で、老人ホームの人たちとワークショップを重ねてこられたそうです。「ぼくが10年間続けている『お年寄りとの共同作曲』。特別養護老人ホーム『さくら苑』で、駄洒落、インプロ、唱歌、トランスが交差し、古典ともコンテンポラリーとも形容しがたい独自の芸能のような場が形成されています」という言葉に一発でヤラレタ！という感じ。私は、老人介護の経験もないし、介護施設の現状も知らない。甘いかもしれないんですが、さいたまゴールド・シアターが好きで、お年寄りが体を使って表現すること、演劇という表現にのっかるっていうのかな、それがすごく面白いなと思います。<br />
<b>鈴木</b>　Direction担当の吉野さつきさんは、僕が推すエイブルアートにもかかわっておられます。越谷の公共ホールの職員時代に仕掛けた、山の手事情社を招いたワークショップが、60代の女性たちが山の手事情社に所属するきっかけとなりました。野村さんも、障害がある人たちだけでなく、高齢の女性たちもそうですが、舞台表現におけるさまざまなマイノリティに表現の機会を創出してきた。当たり前のように10年間続けてこられたのは、すごいことですよね。<br />
<b>徳永</b>　世の中では、お年寄りはニコニコ穏やかにとか、体の自由が利かなくなってくると生命体としてだんだん静かになる、感動領域も可動領域も小さくなっていくとか思いがちですが、そうじゃないんじゃないかと。歳をとってるからこそ吹っ切れて、若いときにはなかった凶暴さやユーモアを出せたりするんじゃあないでしょうか。<br />
<b>カトリ</b>　ゴールド・シアターの第3回公演、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作「アンドゥ家の一夜」では、80代のおじいちゃんが70代のおばあちゃんを押し倒して…というのには涙が出ちゃった（笑）。みんな枯れてかわいくちっちゃくなっていくわけじゃない、最後まで「生」にこだわるっていう人間の妄執が感動的でした。<br />
<b>徳永</b>　そうなんですよね。けっこうフルエナジーなところがあるんじゃないでしょうか。だからこれは、ほんわかしたものではなくてもウエルカムです。<br />
　2本目は「FABIEN PRIOVILLE」。2008年「紙ひこうき」を演出・振り付けされたファビアン・プリオヴィユさんが、日本で公募のワークショップをやります。そのリサーチワーク公開ということで、本公演ではないんですけど、成果を発表するという形ですね。「紙ひこうき」は、超感動の1本だったので、これもぜひ見たいんです。<br />
　最後の1本は726で、大塩哲史さん（北京蝶々）脚本の「太宰治　走れメロス」。<br />
<b>カトリ</b>　726は去年、漱石の「こころ」を吉田小夏が脚色した作品が評判良かった。日本の近代文学をていねいに舞台にかけていこうとしているようで、今回が2本目。<br />
<b>徳永</b>　キャッチコピーが「メロスは、まだですか？」とあって、チラシには男性2人が立っている。ってことは、明らかにゴドー待ちを意識しているのでは、と。また「走れメロス」は太宰がシラーの詩「人質」に着想を得て書いた作品で、さらにシラーはギリシアの伝承に因んで「人質」を執筆したとあります。で、大塩さんはルーツに立ち返って書くということなので、私たちがイメージするメロスとは相当違ってくるんでしょうけど、どんどん物語のルーツをさかのぼっていくわけで、その先に何が見えるのかを確かめたいです。<br />
<br />
<div class="leftbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100303-suzuki01.jpg&amp;width=300&amp;height=285&amp;imagetext=%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%8A%B1%E6%BB%8B%E3%81%95%E3%82%93" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=300,height=285');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=200&amp;h=190&amp;p=pictures/20100303-suzuki01.jpg" width="200" height="190" class="thumbnail" alt="鈴木励滋さん" /></a></div><b>鈴木</b>　僕の１本目は「エーブルアート・オンステージ　コラボ・シアター・フェスティバル2010」の中から、Bプロ「≒-にあいこーるのじじょう」。これは、以前ワンダーランドにダンス評を書いた作品です。循環プロジェクトといって、新大阪、東京、世田谷美術館、桜美林大学、松山、兵庫などで公演を３年間に渡って公演を積み重ねてきて、これがひとまず最後の公演です。いろんな障害がある人が出てくるんですけど、障害者ががんばっていいものを見せているというのではなくて、障害、アートといった既存の枠を揺さぶっていくというのが、エイブル（＝可能性の）アートたるゆえんだと思います。出演者の福住宣弘さんは、車椅子でものすごいスピードで走り回るなど、びっくりさせるような動きも技術的にできる人なんですが、彼の表現で僕がもっともシビれたのは、世田谷美術館で見た時に、車椅子から降りてゴロンと寝るシーン。彼は体に湾曲があるのでピッタリ横にはなれないんですけど、周りの人々が動き回る中、彼がただ横になるという一瞬があったんですね。過剰に一生懸命やるというパフォーマンスが多い中で、無力さ、存在そのものをさらす瞬間が作品の中にあったというのが、表現として何かを超えたという感じがしたんです。そういうふうに、いろいろに作り直しをしているので、前見た人も違う印象の作品になっているんじゃないかと思います。<br />
　次に、これとは真逆といえば真逆、異様な身体といえば通じているのですが、「東野祥子東野祥子solo dance VACUM ZONE」。トラムの初演時は、けがをされて、日程の途中で公演中止になりました。彼女も３０歳代後半で、年齢的には存分に踊れる身体からそろそろ…という時期。でも黒田育世さんも、そういうところを超えて深みが増したので、この人もきっとそうなるはずです。とはいえやはり、存分に踊れる彼女をまだ見ておいてほしいとも思うんです。理屈抜きに踊りだけで揺さぶれる踊り手はそうはいませんから。<br />
　最後は、黒澤世莉脚本・演出の時間堂「月並みなはなし」。黒澤さんは演出家にしては演劇をすごく見る人なので、今受けるものはどういう形かなんてことはよくわかっているのに、そうではないことをやっているのが潔い。彼がやってるスタニフラフスキーシステムって、詳しくはよくわからないのですが、俳優がちゃんと舞台で生きてるってことが興味深い。役というのを、戯曲の中のものというよりも、ちゃんと人間としてとらえています。そこでは、憑依するとか成りきるというのではなく、どういうふうにその人物が立ち居振る舞うだろうということが考えられている。「三人姉妹」を見た時もそう思ったんです。岡田利規さんなどは、俳優が流れのイメージをもっていればブレない、そこでちゃんといられる、ということを言いますよね。全然方法は違うんだけど、二人の考えていることは似ているのかなあと思うんです。俳優をロボット的に、駒的に動かすんじゃなくてね。だから時間堂は異常によく稽古をやっています。<br />
<b>徳永</b>　私も稽古を見せていただいて驚いたんですが、演出家が役者に「言いたいことを言ってくれ」と促すレベルではなく、役者が作品に対して、本当に積極的に意見を言うんですよ。それぞれが戯曲や稽古・演出に対して、自分の言葉をもっている。今、演劇教育を使ってのコミュニケーションなんてよく言われてますけど、こういう関係性がないと意味がないでしょう。時間堂は、ニュートラルな空気作りというか、集中して冷静になるということをちゃんとやっていて、すごく頼もしい。作・演出家が集団のトップにいるピラミッド型の劇団が減り、みんなが横並びの友達劇団が増えたとはいえ、役者が言葉を持っていたり、作・演出家が客観性を持っていたり、というのは、あまりない風景なんですよね。それが、集団として、システムとして成立している数少ない例が、<br />
時間堂という感じがします。<br />
<b>鈴木</b>　トップダウンということで言えば、岡田さんは、自身がそういうふうに誤解されているっていう意識がすごく強いんだと思うんだけど、彼は自分の頭の中にあるものを再現しようとしてるのではないと言う。そこにも黒澤さんと通じるものがあると思うんです。黒澤さんも、みんなオレの正解に近づいてくれという演出ではない。彼は正解があると信じてないのかもしれない。彼の中に美意識とか方向性はあるんだけども、それを守らない人を排除するという頑ななものではなくて、よりいいものが出てくれば、それを受け入れる。こういうやり方は、足場がものすごく不安定なはずで、彼は本当に宙ぶらりんな場所にいるのかもしれない。そういう表現者って意外と少ないので、もっとエバってもいいと思う（笑）。<br />
<b>カトリ</b>　ビデオで2005年版の「月並みな話」を見たんだけど、そこに出た役者たちが自分の声や演技を手に入れて、その後の活動でその声や演技を伸長していってることがよくわかった。役者は一度、黒澤世莉を経るのが、大事じゃないかって気がするんですよね。<br />
<b>徳永</b>　黒澤さんが究極に目指しているところを想像すると、誰でも演劇を作れるという状況で、もしかしたらそれは、彼が自分の職業をなくすことにもなっちゃうんだけども、演劇ってそれぐらい自由なんだよってことを、繰り返しやってる感じがします。<br />
<b>鈴木</b>　ただ、表に出てくる芝居の形が斬新かどうかというところだけが評価されるという風潮は残念なんですよ。時間堂は、その意味で充分に評価されていないような気がします。そういう流れ一辺倒なのは、批評が機能していないってことなのかもしれませんが。 <br />
<b>徳永</b>　パッと見ると、ちょっとスノッブな感じがしたりもするじゃないですか。演劇をお洒落な感じにしてるみたいな。私もはじめそういう印象が非常に強かったですね。それから、作品を推薦するときに、稽古場の雰囲気をどれだけ根拠にしていいかは難しい。でもここのていねいさは、確実に見る人に伝わっていく感じがしますね。（2月14日　東京都目黒区鷹番住区センターにて）<br />
（初出：マガジン・ワンダーランド第180号、2010年3月3日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100303120000000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4780988/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
【出席者略歴】（五十音順）<br />
<b>カトリヒデトシ</b>（香取英敏）<br />
　1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校勤務の後、家業を継ぐため独立。現在は、企画制作（株）エムマッティーナを設立し、代表取締役。ウェブログ「地下鉄道に乗って－エムマッティーナ雑録」を主宰。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=63">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=63</a><br />
<b>鈴木励滋</b>（すずき・れいじ）<br />
　1973年3月群馬県高崎市生まれ。栗原彬に政治社会学を師事。地域作業所<a href="http://kapukapu.org/hikarigaoka/">カプカプ</a>の所長を務めつつ、<a href="http://d.hatena.ne.jp/tel-po/">テルテルポーズ</a>や<a href="http://www.danceseed.com/">ダンスシード</a>などで、演劇やダンスの批評を書いている。『生きるための試行 エイブル・アートの実験』（フィルムアート社）に寄稿。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=48">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=48</a><br />
<b>徳永京子</b>（とくなが・きょうこ）<br />
　1962年、東京都生まれ。演劇ジャーナリスト。小劇場から大劇場まで幅広く<br />
足を運び、朝日新聞劇評のほか、『シアターガイド』『FIGARO』『花椿』など<br />
の雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。東京芸術劇場運営委員および<br />
企画選考委員。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=42">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=42</a><br />
<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1222</comments>
 <pubDate>Wed, 3 Mar 2010 23:22:21 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[日本劇作家協会東海支部「劇王VII　決勝巴戦」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1220</link>
<description><![CDATA[◎劇王から“劇王”誕生<br />
　鳩羽風子<br />
<br />
　売り出し中の劇作家が実力を競い合うバトルイベントの「劇王」。日本劇作家協会東海支部が送る恒例イベントは今年７回目を迎えた。結論からいうと、第５代、第６代劇王の鹿目由紀が大会初の３連覇を達成した。しかし、今回は劇王から“劇王”が誕生した年として記憶されるだろう。というのも、第４代劇王（２００７年）の柴幸男が「わが星」という作品で、演劇界の芥川賞と目される岸田國士戯曲賞を受賞したからである。柴は連覇を狙った「劇王Ｖ」で鹿目に僅差で敗れて王座を奪われた。前年大会で敗れた劇王が、小牧・長久手の戦いが行われた開催地の由来にちなみ、甲冑をまとった落ち武者姿をした「合戦くん」として司会進行を務めるという掟があるため、柴は２００９年と今回の２年連続で「合戦くん」となった。今年の開催日は２月７日で、岸田賞の発表は２月８日。結果としては、岸田賞受賞者が司会だけを務める贅沢なイベントとなった。ちなみに鹿目の３連覇によって、柴は来年も「合戦くん」になることが決定した。 <br />
　柴は愛知県出身の２７歳。青年団演出部所属の傍ら、劇団「ままごと」を主宰している。柴の創作活動と劇王イベントのかかわりは深い。岸田賞を主催する白水社のサイトに掲載されている柴のプロフィルには、「主な作品　『反復かつ連続』『あゆみ』」とある。この２作品はいずれも劇王のイベントで上映されたものだ。「反復かつ連続」は実験的な一人芝居、「あゆみ」は１人のヒロインを複数が演じるという画期的な作品だった。<br />
<br />
　劇王とは、「上演時間２０分・役者３人以内・数分で舞台転換可能」という条件の中で作品を上演するイベント。厳しい制約が逆に劇作家の持つ本質を先鋭的にあぶりだす。普段は自分の劇団のために書き下ろしている長編戯曲では見えてこなかった個性が新たに発見されることもある。柴の岸田賞受賞は、愛知発のイベントが生んだ豊かな実りとして高く評価したい。<br />
<br />
　私自身は柴が鹿目に敗れた２００８年大会から３年連続で「劇王」の決勝巴戦を「観戦」している。毎年楽しみに足を運び続けるのはやはりその時の記憶が刺激的だったからだ。<br />
<br />
　さて、今年はどうだったのか。４人ずつ、２組に分かれて繰り広げられた前日の予選を勝ち抜いた挑戦者の渡山博崇と平塚直隆の２人と、劇王の鹿目の計３人で決勝巴戦が行われた。<br />
<br />
　まず、渡山の作・演出品「ラプンツェルの髪」。ベンチでコンビニ弁当を食べているサラリーマン。そこへ乳母車を押す若い女性が登場、舞台を大きく回って「アベさんですか？」と声を掛ける。見知らぬ者の同士のぎこちない会話が、「空揚げ弁当対のり弁」の言い合いをきっかけに形而上の領域へと次第に踏み込んでいく。男の頭上に天上から蜘蛛の糸が垂れていることを女が発見。蜘蛛の糸は舞台上には実在しない。観客には見えないものをあるものとして展開するのかと思いきや、中盤では女の髪で編んだという綱が吊された形で登場する。その綱を上って、団地の自室を訪ねてほしいと頼む女。男は、蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様からすれば救済だが、上る側からすれば試練だといって躊躇しながらも、綱に上ろうとするところで芝居が終わる。<br />
<br />
　芥川龍之介の「蜘蛛の糸」とグリム童話の「ラプンツェル」を下敷きにしている。暗示するだけで核心を語らない劇作術は演劇ならではの不思議な余韻を空間に残した。しかし、男と女の人物設定も、芝居のテーマもいささか不明瞭。「蜘蛛の糸」などの題材も固形のままに鍋に残ったカレールウのようで、生煮えのような印象を持った。積み重ねた会話や展開の上に、作者オリジナルの味わいがもっと出ても良かったのではないか。<br />
<br />
　次は平塚作・演出の「とろろ」。これはもう徹頭徹尾、飼い犬の死にショックを受けて独りでたたずみたい「とろろ」君と、姉のつくった夕食を食べに来てほしい友人の掛け合いである。会話は徹底的にかみ合わない。それがたまらずおかしい。やがて友人の姉がすり鉢を抱えて、とろろを作りながら登場。人は死んだらどうなるのかと問う「とろろ」君に、死んだら無になるんじゃなくて一つになる、私たちはみんな魂の集合体と、死生観を語る友人の姉。深刻な会話の背後で、友の家に火災が発生。全焼した家から夕食だけを持ち出して、「とろろ」君と姉弟の３人は食卓を囲む。<br />
<br />
　ナンセンスな会話を、わざと淡々とした口調で早口に言う友（平塚自身が演じた）と、思わせぶりにゆっくりと話す「とろろ」君など、演出がうまい。とろろと、魂が混ざり合うイメージを重ね合わせたのもいい。コントだけでは終わらない深淵なテーマをのぞかせて、奥行きと深みがあった。しかし、死の問題を物語の展開の中に織り交ぜることなく、ストレートに言わせるのは少し安直すぎるのではないか。役者の身体からは、例えば愛犬の死を悼む悲しみが浮かび上がってこなかった。そうはいっても会場は大うけ。終始笑いが絶えなかった。<br />
<br />
　平塚は１回目の劇王から参加。今回は２００５年の「劇王III」に続いての決勝進出だった。戯曲賞でも毎回いいところまで行くのだが、後一歩で逃していて「セカンドマン」と言われ続けてきたという。だが、ついに第４回仙台劇のまち戯曲賞を受賞。その勢いが十分、感じられた舞台だった。<br />
<br />
　平塚悲願の劇王奪取なるか－。会場に残ったざわめきを、蹴散らすように鹿目作・演出の「借り物と協奏」が始まった。柱のような木材を組んで作られた、プロレスのリングのような骨組み。内部には、引っ越し前のように段ボールや衣類、縫いぐるみなどが散らばっている。「ヨーイ！スタート」を合図に、何かを探し出す女。そして骨組みの周囲を、粘着テープでぐるぐる巻き付けながら駆け回るもう一人の女。幕開けのインパクトだけで見る者の目を奪う。この抜群の瞬発力は今回も健在だ。<br />
<br />
　代々の元カレがＴシャツや指輪、縫いぐるみ、下着に携帯ストラップを「借した物だから返して」と登場する。借り物競走のスタートとゴールを繰り返しながら、少しずつ角度をずらして、多面体の女の姿をテンポよく活写していく。未練など微塵もなくサバサバしている半面、センチメンタルな部分もある女。そんな過去の感情が染み込んだ物たちが次々と段ボールに片付けられていく。その間にも、粘着テープはどんどん巻き付けられていき、最後は壁のように視界を遮るようになる。結局は借り物競走自体も借り物だったと明かされて終わる。<br />
<br />
　物を介した男と女の競争と協奏。これを鹿目は狂想曲のような味付けで奏でてみせた。「片付けられない女」という言葉がメディアではやったことがあった。物をどんどん捨てなさいという掃除術の本もベストセラーになっている。裏返せば、捨てられずに物があふれかえっている人が多い。物には思い出があるからで、そういう過去に縛られている人たちに、「所詮、すべて借り物なんだよ」と皮肉るような痛快な作品だった。<br />
<br />
　「劇王」出場も３回目。鹿目の中には短編戯曲の定石というものが既に確立されているように思う。彼女のこれまでの３作品を比べてみれば、やはり１回目の「不惑と窓枠の行方」が一番衝撃を受けた。意表を突く大道具を使って、多彩な女性心理を描く手法が、もっとも鮮やかだったからだ。<br />
<br />
　ちなみに今年の審査は、観客（１人１点）とゲスト審査員（青井陽治、マキノノゾミ、西山水木、安住恭子、１人５０点）の合計得点で争われた。渡山の「ラプンツェルの髪」には、観客票１７、青井９、マキノ０、西山１６、安住１０の計５２。平塚の「とろろ」は、観客票９９、青井２１、マキノ０、西山１６、安住１８の計１５４。鹿目の「借り物と協奏」が、観客票８６、青井２０、マキノ５０、西山１８、安住２２の計１９６だった。つまり観客票では、鹿目は平塚に負けていたのである。ダントツだった昨年と比べれば、客を引き込む作品のパワーは少し低下していたのかもしれない。<br />
<br />
　２０分以内という短時間では、「起承転結」のようないくつもの展開を語れるだけの余裕がない。「起→結」の直線的な展開のインパクトが必要だ。それが鹿目の作品が３連覇した理由の一つではないだろうか。長編小説と短編小説では手法が違うのと同様、短編戯曲には長編戯曲とは異なる手法が必要なのだ。偶然、目にして同感に思ったのが、２月１６日付の朝日新聞の朝刊の文化欄で、大江健三郎氏がコラムの「定義集」で書いている一文。「短編には、むしろその短さゆえに、書き手も読み手も驚くような成果を生むことがあります」。氏がいうように、短編戯曲でさまざまなテーマや手法を試みて、自らの劇作の可能性を切り開く－「劇王」はその貴重な舞台になりうる。冒頭に述べた柴の岸田賞受賞をきっかけとして、全国から志ある演劇人が意欲作を戦わせるイベントとして飛躍してほしい。<br />
（初出：週刊マガジン・ワンダーランド第179号、2010年2月24日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100225002225000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4774473/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　鳩羽風子（はとば・ふうこ）<br />
　横浜出身。日本女子大学人間社会学部文化学科卒。。ＡＩＣＴ（国際演劇評論家協会）日本センター会員。<br />
<br />
【上演記録】<br />
<a href="http://www.town.nagakute.aichi.jp/bunka/bunka/bunka/jisyu-schedule/2009jisyu/gekiou.html">劇王VII　決勝巴戦</a><br />
（1）Ａプログラム勝者　「ラプンツェルの髪」<br />
作・演出：渡山博崇<br />
出演：空沢しんか（フリー）、小山広明（劇団ジャブジャブサーキット）<br />
（2）Ｂ プログラム勝者　「とろろ」<br />
作・演出：平塚直隆<br />
出演：中尾達也、山田マキオ、平塚直隆（いずれもオイスターズ）<br />
（3）第５、６代劇王　「借り物と協奏」<br />
作・演出：鹿目由紀<br />
出演：手嶋仁美、山中崇敬、大屋愉快（いずれも劇団あおきりみかん）<br />
<br />
長久手町文化の家　風のホール（２０１０年２月６日－７日）<br />
<br />
プロデュース：日本劇作家協会東海支部<br />
入場券：１公演券　一般１，５００円　フレンズ１，２００円　３公演通し券３,０００円<br />
主催：愛知県長久手町教育委員会<br />
<br />
【「劇王」メモ】<br />
挑戦者（決勝巴戦進出者以外）：サリｎｇＲＯＣＫ、赤井俊哉、塚田泰一郎（刈馬カオス改め）、ナカヤマカズコ、鏡味富美子、徳留久佳<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1220</comments>
 <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 23:56:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[テレビで見る演劇（～3月末）]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1218</link>
<description><![CDATA[　今月の注目番組は、3月12日（金）NHK教育テレビの芸術劇場。イタリアのロメオ・カステルッチの「神曲－地獄篇・煉獄篇・天国篇」を紹介します。カステルッチは、美術・音楽・身体表現を駆使した斬新な表現で、ヨーロッパのみならず世界から注目を集める舞台演出家です。この作品は、ダンテの長編叙事詩「神曲」を、現代的な視点と鮮烈なイメージで描き出した彼の代表作であり、フェススティバル/トーキョー09秋でも上演されました。今回放映されるのは、2008年のアヴィニョン演劇祭で収録されたものです。昨年末に来日した際のインタビューでは、自作を巡るさまざまなテーマなどについて語ります。（場合により、番組内容、放送日時などが変更になることがあります。また、地上デジタル放送の番組表は関東地区のもので、地域により一部番組が異なります）。 <br />
2月26日　22：30～深夜0：45　NHK 教育<br />
劇場への招待「<a href="http://gas.toho-stageblog.com/2009/10/1.html">ガス人間第1号</a>」<br />
【作・演出】後藤ひろひと<br />
【出演】高橋一生、中村中、中山エミリ、伊原剛志、三谷昇、水野久美<br />
<br />
　　　　　深夜0：45～2：55　NHK BS2<br />
<a href="http://www.nhk.or.jp/bs/mdstage/">ミッドナイトステージ館</a>「<a href="http://www.gring.info/gringHP-next.html">jam</a>」<br />
【作・演出】青木豪<br />
【出演】中野英樹、萩原利映、小松和重、佐藤直子、澁谷佳世、永滝元太郎、<br />
廣川三憲、松本紀保<br />
<br />
3月5日（金）　深夜　0:45～3:35　 NHK BS2<br />
ミッドナイトステージ館「<a href="http://www.saf.or.jp/press/2007/pdf/vol10/satp10_02-03.pdf">船上のピクニック</a>」<br />
【作】岩松了　【演出】蜷川幸雄<br />
【出演】<a href="http://www.saf.or.jp/gold_theater/index.html">さいたまゴールド・シアター</a><br />
<br />
3月6日（土）　9:00～10:35　 NHK BShi<br />
ハイビジョンステージ「<a href="http://www.umegei.com/s2009/tetsujin28.html">鉄人28号</a>」<br />
【原作】横山光輝　【脚本・演出】押井守<br />
【出演】南果歩、池田成志<br />
<br />
3月12日（金）　22:30～深夜01:00　NHK 教育<br />
芸術劇場「<a href="http://www.nhk.or.jp/art/current/drama.html">イタリア現代演劇・カステルッチの世界</a>」<br />
劇場中継「ソチエタス・ラファエロ・サンツィオ『神曲－地獄篇・煉獄篇・天国篇』」<br />
【演出】ロメオ・カステルッチ　<br />
インタビュー「カステルッチが語る『神曲・三部作』の世界」<br />
　聞き手/藤井慎太郎（早稲田大学文学学術院准教授）<br />
<br />
                 深夜0:45～3:30　NHK BS2<br />
ミッドナイトステージ館「ショウ・マスト・ゴー・オン・幕を降ろすな」<br />
【作・演出】三谷幸喜<br />
【出演】相島一之、阿南健治、伊藤俊人、小原雅人、佐藤 B 作<br />
<br />
3月13日（土）　9：00～11：33　NHK BShi<br />
ハイビジョンステージ「D－BOYS STAGE vol.3『<a href="http://www.d-boys.com/d-boysstage3/10/attention.html">鴉・KARASU・04</a>』」（仮題）<br />
【出演】鈴木裕樹、五十嵐隼士、加治将樹、柳浩太郎、柳下大<br />
<br />
3月26日　22：30～深夜1：00　NHK 教育<br />
劇場への招待　文学座公演「<a href="http://www.bungakuza.com/teinen/index.html">定年ゴジラ</a>」<br />
【作】重松清　【脚色】杉浦久幸　【演出】西川信廣<br />
【出演】川辺久造、加藤武、坂口芳貞、林秀樹、坂部文昭、関輝雄。加納朋之、<br />
佐川和正、吉野由志子<br />
<br />
　　　　　深夜0：45～3：10　NHK BS2<br />
ミッドナイトステージ館「<a href="http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090803020030097/">ミュージカル・地震カミナリ火事オヤジ</a>」<br />
【作・演出】石塚克彦<br />
【出演】谷内孝志、美咲歩、齋藤勝洋、市村啓二、牧野友香、小島茂夫、瀬戸<br />
雅美<br />
<br />
（初出：週刊マガジン・ワンダーランド第179号、2010年2月24日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100225002225000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4774473/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
* 「テレビを見る演劇　カレンダー版」は次のページをご覧ください。<br />
　　<a href="http://www.wonderlands.jp/info/tv.programe.html">http://www.wonderlands.jp/info/tv.programe.html</a>]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1218</comments>
 <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 22:50:30 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[二騎の会「F」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1216</link>
<description><![CDATA[◎閉ざされた世界の底にわずかに残る演劇の希望<br />
　 柳沢望<br />
<br />
<div class="rightbox"><a href="xml-rss2.php?imagepopup=pictures/20100225-nikinokai_f0a.jpg&amp;width=300&amp;height=457&amp;imagetext=%E4%BA%8C%E9%A8%8E%E3%81%AE%E4%BC%9A%E3%80%8CF%E3%80%8D%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7" onclick="window.open(this.href,'imagepopup','status=no,toolbar=no,scrollbars=no,resizable=yes,width=300,height=457');return false;" ><img src="http://www.wonderlands.jp/action.php?action=plugin&amp;name=Thumbnail&amp;w=131&amp;h=200&amp;p=pictures/20100225-nikinokai_f0a.jpg" width="131" height="200" class="thumbnail" alt="二騎の会「F」公演チラシ" /></a></div>　宮森さつきの脚本による『F』は未来社会を舞台にしたSF仕立ての二人芝居で、設定上、ある少女とその世話をするアンドロイドがホテルの一室のような場所にほとんど閉じこもって過ごす一年に満たない日々を、四季をたどる四つのシーンで描いていく。設定の突飛さを除くと、アンドロイドと少女二人の会話によって描かれていくシーンは、ごく日常的な情景と言っていい。今回の初演では、端田新菜が少女を演じ、多田淳之介がアンドロイドを演じた。演出は木崎友紀子。 <br />
　設定をかいつまんで説明すると、舞台は現在よりも極端に階層分化が進んだ未来の日本らしい社会であり、裕福な階層の人々が、かつての自然や文化の名残を模造した世界で過ごすのに対して、貧しい人々はまるで人間として扱われていない。<br />
　そんな社会の貧困層で育ったひとりの少女が、ある病の特効薬の治験者になるため、あえて自ら病に感染することに同意し大金を得ることで、富裕層にだけゆるされた生活を送って、その日々から得られるささやかな喜びを、その少女に執事のように仕えるアンドロイドと共に味わっていくというのが、あらすじだ。<br />
<br />
　舞台は、春、お花見に行っていた二人がホテルの一室のような部屋に戻ってきた場面から始まる。貧困層が暮らす外の世界に桜など残っておらず、富裕層が暮らすエリアにある公園には人工的に管理された桜が植えられているという設定だ。自然と見えるものも、フェイクとして提供された高価でぜいたくな消費の対象でしかない、そんな未来社会というわけだ。<br />
<br />
　冒頭では機械的な口調で応対していたアンドロイドだが、途中で「そんな堅苦しい言い方やめてよ」と少女が言うのを聞くと「俺、なんでもお前のしてほしいようにするからさ。学習能力あるから」といった風に、少女の居心地の良いように親しげな語り口に切り替えてみせるといった展開もあって、コミカルさも交えてアンドロイドのスペックを説明する構成は巧妙だ。<br />
<br />
　この口調が変わる場面は、単にアンドロイドがプログラムされた心のない存在であることを強調してみせているだけにとどまらず、俳優が演じてみせる言葉はすべて、プログラムされただけのフェイクなのかもしれないという印象を残す。アンドロイドの作られた自然さは、そもそも人間の自然さも模造的なものかもしれないと印象付ける。そこから暗示される「すべての言葉はそもそもうわべだけの嘘なのかもしれない」といった疑念は、作品のテーマに密接に関わってくる。<br />
<br />
　未来社会を舞台にしたSF的な背景は非現実的なようだけれど、そうした設定はある意味、現代日本の社会状況を誇張して描くための仕掛けにも思える。二極化の進行も含め、この舞台で描かれているのは、少しばかり大げさに誇張されているだけで、まさに私たちの生き方そのものであるかのようだ。<br />
<br />
　夏の場面では、レンタル品の浴衣の着方がわからず、アンドロイドに着付けをしてもらう様子が描かれるのだけど、そこでは、無線で直接頭脳がネットに接続されているという設定のアンドロイドが、情報をネットから引き出しつつ浴衣の着方を教えるという展開になっている。設定上、アンドロイドは外的デバイス無しでネットにアクセスするので、検索といっても「ネットには着方の情報はあるけど着せ方の情報が無かったんだ、だから真似してみて」と語る演技が示されるだけで、舞台にはPCの画面は出てこない。そこが現実とは違うだけで、伝統的な風習をネットで調べてその通りに振舞ってみるといったことは、現代の日常にありふれたことだろう。未来社会に残されたフェイクとしての日本の四季、それは未来に仮設された視点に浮かび上がる現代の日常に他ならない。<br />
<!-- 二騎の会「F」--><br />
<div style="font-size:10px; text-align:center; "><img src="http://www.wonderlands.jp/media/pictures/20100227-nikinokai_f01.jpg" alt="「F」" title="「F」" ><br />
【写真は二騎の会「F」公演から。提供＝二騎の会　禁無断転載】</div><br />
　アンドロイドは契約者の利益を最大限実現するように行動するようプログラムされているらしい。アンドロイドは、少女の機嫌をそこねないように「何がしてほしい？」「言い方が良くなかった？」「学習するからどうしてほしいか言って」「お前の利益になることをするのがオレの役目だから」と繰り返すのもその設定を強調している。これは、ペット風のロボットが感情を癒す機械として現実に商品化されているのを思い起こさせる以上に、そもそも現代のプライベートなパートナー関係自体が、互いに利益を与え合う関係として、まるで一種の感情労働のように、実にこの舞台でアンドロイドが契約した主人の利益を学習するのと同じようなものになってしまっているのではないかと思わせるものがある。<br />
　その意味では、心のない機械であるアンドロイドとは、多かれ少なかれ生涯を損得の計算で設計せざるをえない現代人を少し誇張した姿であるようにも見える。<br />
<br />
　多田淳之介は、そうした自然さを装う不自然さの質感を演技において達成していた。とりわけ、少女がアンドロイドにおずおずと口付けしてみても、意味ある反応が帰ってこないという展開において、揺れ動く少女の心理がセリフ抜きに描かれる繊細な場面で、アンドロイドが無表情に口付けされるがまま凍りついている様子は不自然な自然さを印象深くあらわしていた。<br />
<br />
　命の取引によって貧困層の現実から逃れ、ささやかなぜいたくを味わっていく少女は、不治の病でどんどん衰弱しているらしいことが舞台の進行につれてわかってくる。そんな状況の中で「熱があるからもう休もう」とアンドロイドが少女を諭す場面も描かれる。アンドロイドは少女の健康維持も図るようプログラムされているという設定だ。<br />
<br />
　そうした状況で、少女はアンドロイドに「本当のことなんてもう知っているし、もうこれ以上知りたくない」と言い放つ。貧困層の現実を忘れてフェイクの幸福を味わうのを邪魔しないでほしい、むしろ、都合の良い嘘をついてほしい、とアンドロイドに求めていく。<br />
<br />
　初めは、少女を死から遠ざけようとして健康を維持するために正しい情報を提供することに専念していたアンドロイドだが、やがて都合の良い嘘を望む少女の意図を学習し、少女の死が避けられなくなったことがはっきりした場面では「また春が来たら桜がみられるね」と嘘をつくようになる。<br />
<br />
　舞台の設定では、富裕層と貧困層は別のエリアに住んでいることになっていて、だれも人間扱いなどされていない環境で育った少女は、「基本的人権などという理想は、現実離れしたたわごとにすぎない」と鼻で笑うように描かれる。劇中では、貧困層が暴動を起こし都市が混乱して外出できなくなるが、その暴動もすぐ鎮圧されてしまうと状況が語られたりもする。観客には、少なくともこの架空の世界においては富裕層のフェイクの豊かさが、貧困層の犠牲なしにはありえないらしいこと、そして、少女が命とひきかえにつかのまの豊かさを味わっていること自体、その犠牲のひとつに他ならないことが知らされる。<br />
<br />
　そうした状況がすべて明らかになった段階で、すでに嘘を語ることで少女の気持ちを宥めることが少女の利益であると学習したアンドロイドは「君の幸せは誰かの犠牲の上に成り立っているわけではないんだよ」と語りかける。まさに、少女自身のささやかな幸せは、自らの命を犠牲にして得られたものだったのだから、このアンドロイドの嘘は極めて皮肉に響くものだ。<br />
<br />
　そして、契約者が死んでしまった場合は廃棄処分になるのだとアンドロイドから聞いた少女は、廃棄される前に逃げてほしい、とアンドロイドに最後に訴え、やがて息を引き取る。<br />
<br />
　この二人芝居のラストシーンは、死んでしまった少女を抱きかかえてアンドロイドがアゴラ劇場のエレベータに消えていく場面で終わる。上演台本の指示がどうなっていたか知らないが、上演された場面を見る限り、この最後の場面は二重の解釈を許容する。<br />
<br />
　この幕切れは、アンドロイドが最後に少女の死を人間らしいものとして扱ったという、いささかロマンチックで空想的な解釈の余地を残す。かわいそうな少女に涙することで慰撫されたい観客はその解釈を選ぶだろう。　その裏側で、実は少女が死んだらその遺体を回収するようアンドロイドは最初からプログラムされていた、という解釈も可能だ。嘘を仕掛けにしている時点で、あらかじめのプログラムは背後にいくらでも隠されているという風な、出口の無い罠のような構造をこの戯曲に読み取って、ある種のそら恐ろしさを感じることもできるかもしれない。しかし、そんな合わせ鏡に魅入られるようなうがった反省もまた、舞台に溺れて慰撫を得ようとする態度に過ぎないだろう。<br />
<br />
　アンドロイドの嘘は、どれだけ優しげに演じられていようと、設定から言って、フェイクとして演じられている。そうしたフェイクに慰撫されることが偽りに他ならないことを意識する観客は、四季のフェイクをいつくしむ過程を丁寧に描くこの二人芝居もまた、私たちの現実を誇張して描くことで観客を慰撫しようとする偽りなのではないか、という反省に誘われるかもしれない。<br />
<br />
　模造品のクリスマスツリーが象徴するように、すでに私たちもフェイクの四季がもたらすささやかな幸せに避けがたく絡めとられている。そうしたフェイクを味わってしまうと私たちはもはや身動きもとれず、それ以外の現実には手が届かない。<br />
　そんな風通しの悪い感覚こそが現代社会の正確な把握だろう。その皮肉さをわが事として認識しはじめた観客は、世界の中では比較的裕福な日本で生活に多少の余裕ある恵まれた立場にいるからこそ芝居と言うフェイクを享受できるのであって、芝居に涙ぐむことができる幸せが「誰の犠牲の上になりたっているわけでもない」とささやく言葉があったとしても、それは私たちを慰撫してくれる嘘でしかない。<br />
　そういう反省へと観客を誘うものとして、この芝居を受け取ることもできるだろう。<br />
　しかし、そのような反省をしてみたところで、それはあらかじめ安全圏に身を置きながら反省を口実に自分の責任を棚上げにする身振りでしかないだろう。<br />
　この戯曲は、そんな風に抜け道のない閉ざされた領域をあらかじめ構築してしまっているようで、作品の枠の中に留まる限り、そこから出ることはできない。<br />
<br />
　貧困層と富裕層が別のエリアに住んでいて、貧困層でいる限りは路上で死を迎えるしかない。そうした現実はすでに変えることはできない。革命はあらかじめ失敗を運命付けられている。それが、この二人芝居の前提である。<br />
　この上演の作り手たちは、そういう条件をゆるぎないものとみなして、緻密な説明や心理描写をその枠の中におさまるように編みこんでいったように思える。しかし、この舞台の精緻な作りこみは、何であれ与えられた条件から虚構の世界をくまなく構築し創造しようという姿勢から生まれたものではなかったのではないか。<br />
　たとえ架空の世界の話であれ、貧困からフェイクの四季へ逃げ込み、半年以上アンドロイドと二人だけで暮らしたら、その少女はどのように変容するだろうか。その問いを、この舞台の作り手たちは徹底して隅々まで想像してみようとはしていなかったように思える。あらかじめほどよく制限された範囲で都合よく四季を並べ、起承転結にあわせてみただけのことではないか。<br />
　たとえば、少女の感情を表現する演技が派手なほど巧みで、起伏を伴って大げさに示される様子は、ある種の技術の成果ではあっても、作品世界に一貫しているはずの少女の存在にどこまでも身を寄せていくような想像力の働きの結果ではないように思えた。<br />
　あらかじめ決められた結論とプロットの中に、プロットの都合に合った説明や心理のあやをはめ込んで行くだけの作業は、世界に対する判断停止を前提にして初めて遂行できるものではないかと思う。<br />
<br />
　架空であれ、現実においてであれ、世界が世界としてありそこに具体的に生きているならば、世界はこのような仕方で閉ざされたものではありえない。そう認めさえすれば、この上演の、見かけ上幾重にも閉ざされた世界の外に、想像力と判断力をどこまでも働かせる余地は、いくらでも広がっているだろう。<br />
<br />
　そうだとして、閉ざされた世界で少女が自らを犠牲にしたという解釈を唆す戯曲の言葉もまたフェイクであるとするならば、逆に、「その幸福は誰かを犠牲にして成り立ったのではない」という言葉を、嘘の中にまぎれた真実として捉える返すこともできる。<br />
　そこから、作中世界で少女が選んだ生き方を、それ自体として肯定する道もあるかもしれない。<br />
　ほとんどメロドラマ的なこの劇の構造において、ただ単にかわいそうなものと見なされかねない宿命的な死を、それ自体として肯定するように再解釈することで、この作品に萌芽的にある悲劇的な構造を浮かび上がらせる道もあったのかもしれない。そのためにはしかし、観客もまた、作品自体が自らを縛っている枠組みの外に出るしかないと思われる。<br />
<br />
　たとえば、ホテルの閉ざされた部屋で交わされる男女の対話によって展開するSarah Kane の戯曲 Blasted では、終盤、兵士が乱暴に部屋に入り込んでくる。ここでは、『F』と極めて似通ったテーマ系が展開されているとも言えるだろうが、『F』とは違ってBlasted では、描かれている世界の閉塞を開くものもまた、暴力的な表象を介してであれ、作品の中に着実に据えられているといえる。<br />
<br />
　『F』では、そのように閉塞を開くものは、すべて舞台の外にあらかじめ排除されている。舞台には終始二人しか登場せず、クリスマスツリーや、浴衣や、花火など、舞台にもたらされる品々もあらかじめ閉ざされた領域のなかにある。作品の中に居るかぎり、内向きに慰撫されることしか許されないような構造になっている。<br />
<br />
　いずれにせよ、何がこの二つの舞台作品の相違をもたらしているのか、その点を考えるためには、更に息の長い考察が求められるだろう。<br />
<br />
　ただ、この点で、火をつけるものが無いので花火ができないという『F』の夏の場面の展開は、戯曲の閉塞が消防法に制約された「劇場」の社会的あり方とすっかり重なり合うことを示しており、作り手はこの虚構を仕掛けることで劇場の閉塞を十分自覚していたと言えるのかもしれない。<br />
<br />
　だとしたら、その場面で線香花火に火をつける代わりに行われる「花火ごっこ」こそ、この作品の根底に残されている、わずかながらも演劇的な希望のひとつなのかもしれない。それは、舞台の上でなくても想像力さえあれば誰でもできる遊びとして開かれている。<br />
<br />
　その希望を舞台の中に閉じ込めてしまって良いのか、ということこそが問い返すべき問題なのかもしれない。<br />
（初出：週刊マガジン・ワンダーランド第179号、2010年2月24日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100225002225000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4774473/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　柳沢望（やなぎさわ・のぞみ）<br />
　1972年生まれ長野県出身。法政大学大学院博士課程（哲学）単位取得退学。個人ブログ「白鳥のめがね」。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=9">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=9</a><br />
<br />
【上演記録】<br />
青年団リンク 二騎の会『<a href="http://www.komaba-agora.com/line_up/2010_01/nikinokai.html">F</a>』<br />
こまばアゴラ劇場（2010年1月29-2月7日）<br />
<br />
作：宮森さつき<br />
演出：木崎友紀子<br />
出演；端田新菜、多田淳之介<br />
照明：岩城 保<br />
宣伝美術：京<br />
制作：服部悦子　木元太郎<br />
芸術監督：平田オリザ <br />
<br />
日時指定・全席自由・整理番号付<br />
一般＝3,000円、学生・シニア(65歳以上)＝2,000円、ペアチケット＝5,000円(予約のみ)<br />
1月割引＝2,500円(1月29日(金)―31日(日))<br />
『F』Girl's ver.リーディング＝1,000円 <br />
<br />
企画制作：青年団／（有）アゴラ企画・こまばアゴラ劇場<br />
主催：（有）アゴラ企画・こまばアゴラ劇場<br />
<br />
]]></description>
 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1216</comments>
 <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 13:42:15 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[ピチェ・クランチェン「I am a Demon」]]></title>
 <link>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1215</link>
<description><![CDATA[◎「古き良きもの」の脱構築<br />
　武藤大祐<br />
<br />
　おそらく「古典」などという概念は、日本で現代的なダンスを見ている／作っている限り、縁遠いものといっていいように思える。クラシック・バレエであれ、能や歌舞伎であれ、知識としてはそこそこに、しかし実質的には何か「古き良きもの」として敬しつつ遠ざけておく、というのがごく一般的ではないだろうか。他方、古典の側でもかたくなに高尚な古典であり続けようとするから、溝は広がるばかりではあるが、そもそもこれが何か重要な問題なのかどうか、と考えてみることにすら大多数の日本人は興味をもてないのではないか。しかし、「問題」であるかどうかはさておき、少なくともこれがどういう事態なのかを客観的に認識しておくことは、どうでも良いことではない。過去を参照するという身振りをわれわれはなぜ軽視するのか、を知ることは、われわれの「現在」の定義に直接関わってくるからだ。われわれの「現在」は何を否定することによって成り立っているのか。大阪から神戸・新長田に移転したばかりの Dance Box で上演されたピチェ・クランチェンのソロ作品 『 I am a Demon 』（2005年初演）は、日本の観客の前に例えばこういう大きな問いを差し出したように思える。<div style="text-align: center;">＊</div><br />
　稽古着風のラフなジャージ姿で舞台に現れたピチェは、まずフロア中央に座り、入念に顔面をマッサージしてから、パンツ一丁になって、ウォームアップから、徐々に数種類の動きのヴォキャブラリーへと展開していく。下半身のダイナミックな動きが特に目立つ。脚を左右交互に大きく持ち上げてゆっくり降ろす動きの反復。あるいは脚をターンアウトすることで平面性を強調した体を、ヒョコッ、ヒョコッと運んで横歩きする。踊っているというよりはリハーサルのような淡々とした調子でありながら、一つ一つの動きの集中度は非常に高い。あまりに張り詰めているので、こちらも無意識に息を詰めて凝視してしまうほどだ。<br />
<br />
　こうしたピチェの動きが何らかの古典を踏まえていることを認識するのに、知識は必要ないだろう。たとえピチェが習熟しているタイの古典仮面舞踊劇「コーン」のことなど知らなくても、古典に基づく動きであることは誰にも一目瞭然のはずだ。高度に様式化されていて、フォルムにもペーシングにも曖昧な部分が一切なく、細部まで厳密で、動きと動きの関係が常に安定しており、結果として独特の重厚さを醸し出している。この「重厚さ」の感触こそ、バレエだろうが能だろうがバラタナティヤムだろうが、あらゆる古典に共通する一種の質感だ。逆にいうなら、この重厚さの感触さえあれば、人はそれが何であるかはわからなくても、何らかの古典に違いないと想像できる。しかし、では古典なるものの一般的特質ともいうべきこの「重厚さ」の正体は何なのだろう。<br />
<br />
　作品全体の、最初の三分の一くらいに差しかかったあたりだろうか。ピチェが舞台後方を上手から下手への直線で横移動しながら、腰を落としたまま大きく開いた右脚を振り上げ、軽く、しかし鋭く、「トンッ」と音を立てて床に降ろしたその瞬間、絶妙なタイミングで、背景に一枚の写真が投影された。ピチェが師匠に稽古を付けてもらっている様子を写したもののようだ。股を割って両脚を左右に大きく広げ、腰を落として背筋を伸ばしているピチェの体に、手を当てている老人がいる。つまりこの写真は、ピチェの動きが彼自身の作ったものではないことの証に他ならない。いま舞台上でピチェが見せている動きは、彼が師から渡されたもの、いわば外から与えられたものなのである。もちろん師もまた別の師から学び、その師も同様だろう。古典舞踊とは個人のアイディアで作るものではなく、先達から授かるものだということ、それ自体は当然のことかも知れない。しかしこうして個人的な師弟関係を具体的に示されると、威厳に満ちた「古典」も、無用なアウラと神秘性を剥ぎ取られ、即物的な現実として理解できるようになる。古典とは、古典として抽象的に崇め奉られているがゆえに古典なのではない。いくつもの世代に渡って特定の具体的な人々が作り出す共同作品のことなのであり、その背景にはもちろん、世代間の連続性（伝統）を支えるそれなりの動機が作動している。こうしたことは、単に古典を古典として自明視し、いたずらに聖化して遠ざけてしまっている限りは、なかなかリアリティとしては意識されないだろう。<br />
<div style="text-align: center;">＊</div><br />
　一昨年、沖縄でピチェのワークショップに少し混ざってみたことがある。ピチェは「テーパノン」とよばれる最も基礎的な姿勢と、その姿勢からの足の運び方（歩き方、走り方）を参加者に教えたのだが、特にこの「テーパノン」の指導の部分は印象的だった。股を割って、180度近いターンアウトの状態で両脚を肩幅よりも外まで開き、そこから腰を真っ直ぐ落として、膝を120度くらいまで曲げた状態をキープする。背筋は垂直。やってみればわかるが、これは想像以上に辛い姿勢で、すぐに体のあちこちが悲鳴を上げ始める。そこでピチェはいう。「痛みをこらえて、その形をキープして。どうしても無理なら、その形を崩さないままで、少しでも楽な体勢を自分で探し、何とか乗り越えてください」。つまり外形を保ったままでも、微妙に重心の位置を変えたり、関節のひねりの向きをズラしたり、負荷を受けとめる支点を変えたりすることで、痛みを一時的にかわすことができるから、それを繰り返して時間を稼げというのだ。実際には誰よりも早く脱落してしまったのだが、外形と体の内部を分けてとらえるピチェのこの指導法はとても明解で面白いと思った。痛みを緩和しようと体の内部を自分で探索していくことが、自分の体に対する「知」につながる、とピチェは説明していた。<br />
<br />
　古典は個人が一人で作り出したものではないから、自然さを欠いている。だから痛い。しかしその「不自然さ」「痛み」を受け入れようとすれば、必然的に自分の体に対する認識の肌理が細かくなるだろう。こうしてピチェは、「古典」なるものに新しい、しかもかなりラディカルな定義を与えたことになる。つまり何か凡人の窺い知れぬ叡智の結晶であるとか、一見不可解でも何か深遠な意味があるのだとかいった、過剰な神秘化を排し、むしろ新しい知を刺激する強力なブースターとして古典を捉え直すのである。このように考えれば、古典舞踊のあの極度の繊細さ、精緻さ、そして「重厚さ」は、一個人の意志やアイディアだけではおよそ到達できないところまで深く体を知り、コントロールできるようになった結果ということになるだろう。確かに厳格な古典の身体運動は、ある種の知性を感じさせるところがある。しかしその知性は、個人の枠組を超えた、複数の世代の人々の積み重ねであると同時に、非常に個人的なものでもあるのだ。<br />
<div style="text-align: center;">＊</div><br />
　こうした一連のロジックが、『I am a Demon』の中で説明されるわけではない。けれども、淡々と、しかし多彩に展開されるピチェの動き、そしてそれを可能にするべく鍛錬された身体が、ピチェとその師との共作であることが示されると同時に、舞台上のピチェのダンスは単なる個人ではなく、複数の人々の営為の重なりとして見えてくることは間違いない。もはや弟子の身体と師の身体、個と（文化的、政治的）共同体、あるいは「今ここ」と歴史、といった様々な関係を意識せずにピチェを見ることはできない。低い位置からの照明で、ホリゾントに影が大きく映し出されるシーンなども、ピチェ自身の身体がすでに他の身体の「影」でもあることを思わせる巧みな隠喩だった。またタイ語や英語の音声とともに、ピチェや、ピチェの師のインタヴュー映像などが流れる場面もある。英語では、伝統文化の復興に対するピチェの思いが語られていた。しかしおそらく多くの日本人にとって、ここにこそ最も大きな違和感の源があるに違いない。なぜそこまで伝統に忠誠を捧げられるのか、と。<br />
<br />
　その答えをピチェに求めてみても仕方がない。ただピチェのダンスが、伝統や、共同体、あるいはその根拠として絶えず呼び出される文化的アイデンティティ、さらにそれを背後で支えているであろうナショナル・プライドなどといった多様な「力」の複合体として、一つのディシプリン＝知へと結晶しているのだろうということはできる。また他方では、一個人がそうした力の複合体へと参与しつつ、身に引き受ける（embody）ことによって古典に血が通い、具現化されるのだ。少なくとも現時点では、日本でピチェのようなアプローチを試みる作家が現れることはなかなか想像しづらい。しかしなぜだろう。なぜ日本人は伝統や、古典や、共同体などといったテーマに、漠然とした「胡散臭さ」ばかりを感じてしまったり、さもなければ感情的に美化したりするのみで、いずれにしても客観的に向き合うことができないのだろうか。あるいは、われわれが過去からの連続性／非連続性（歴史）について思考することをどこまでも避けてしまうのはなぜか。ピチェのダンスがそうした問いを触発する限り、日本はピチェ・クランチェンを必要としているというべきではないだろうか。<br />
（初出：週刊マガジン・ワンダーランド第178号、2010年2月17日発行［<a href="http://archive.mag2.com/0000201899/20100217130000000.html">まぐまぐ！</a>,　<a href="http://www.melma.com/backnumber_161360_4766784/">melma！</a>］。購読は<a href="http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html">登録ページ</a>から）<br />
<br />
【筆者略歴】<br />
　武藤大祐（むとう・だいすけ）<br />
　1975年生まれ。ダンス批評家。群馬県立女子大学専任講師（美学、ダンス史・理論）。共著『Theater in Japan』（ドイツ、Theater der Zeit）、論考「差異の空間としてのアジア」（『舞台芸術』12号）、「反スペクタクルと無意味の狭間」（『シアターアーツ』30号）、「ポストモダンダンスについてのノート」（『plan B 通信』連載）など。『シアターアーツ』、『ＭＯＭＭ』（韓国）にて時評を連載中。2008年より Indonesian Dance Festival 共同キュレーター。個人サイト「<a href="http://members.jcom.home.ne.jp/d-muto">dm_on_web</a>」。<br />
・ワンダーランド寄稿一覧：<a href="http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&amp;subcatid=36">http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=36</a><br />
<br />
【上演記録】<br />
　ピチェ・クランチェン『<a href="http://www.db-dancebox.org/sp/09_kacdf01/02_pr/01_pt.html">I am a Demon</a>』 （神戸-アジア・コンテンポラリーダンス・フェスティバル#1 オープニングプログラム)<br />
　Art Theater dB 神戸（2009年12月23日）<br />
<br />
出演：ピチェ・クランチェン<br />
<br />
主催：NPO法人 DANCE BOX、文化庁<br />
助成：神戸市、アサヒビール芸術文化財団、セゾン文化財団<br />
<br />
スタッフ<br />
エグゼクティブ・ディレクター：大谷燠<br />
フェスティバル・マネージャー：横堀ふみ<br />
運営スタッフ：文、竹ち代毬也<br />
通訳：塚原悠也<br />
広報・制作アシスタント：栗原伸行<br />
<br />
テクニカルスタッフ<br />
舞台：大田和司<br />
照明：三浦あさ子<br />
音響：秘魔神<br />
<br />
宣伝美術・記録<br />
宣伝美術：升田学<br />
宣伝・記録写真：阿部綾子<br />
WEB製作：内山大<br />
記録映像：井上大志<br />
フライヤー写真<br />
アーティスト：イム・ジョンミ<br />
写真：阿部綾子<br />
ロケーション：林崎松江海岸<br />
<br />
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 <category><!--010-->特別寄稿</category>
<comments>http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1215</comments>
 <pubDate>Fri, 19 Feb 2010 21:01:23 +0900</pubDate>
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