#9 岡安伸治(岡安伸治ユニット)

若い人たちとともに

岡安伸治さん岡安 若い学生たちについて言えば、短期学園大学芸術専攻は二年間で、その期間に実技系の授業が前期後期に分けて、各期13ないし14コマあります。桐朋の授業は実技系がほとんどで、これは入り口です。若い人たちは入り口を学んで外に出て行く。その後の傾向としては、劇団に入るか、フリーになるか、プロダクションに所属するか、ですね。ただ、若い人たちの最近の傾向としては、劇団やら何やらにあまり縛られたくない。彼らの言い方を借りれば「色に染まりたくない」と。そういう状況を踏まえると、私自身の23年におよぶ長い劇団活動の経験からいっても、新しい活動に挑戦する際に、どういうグループを形成すればいいかというジレンマがあります。一方に、「色に染まりたくない」という若い人たちの思いがあり、もう一方に、歌、肉体訓練、ダンス、ヴォイストレーニングといった演技者としての技術をどう高めるかという課題があります。そこでひとついえるのは、やっぱり長期的な見通しがないと、工夫や努力って生まれないんですね。例えば、商品の陳列をどうするか、接客をどうするか、商品開発について自分なりにどんな努力を積み重ねるかなんてことは、短期のアルバイトではやる必要はないわけですよ、そんな向上心も起きませんし。

そこで、あれこれ考えあわせた結果、今回はユニット公演という枠組でいくんですが、ここに大きな課題があります。劇団制の問題点はどこにあるかと考えると、劇団では技術の蓄積や向上が保障される一方で、いつしか、劇団の為に上演回数をこなすということになるんですね。本末転倒になってしまう。全国の鑑賞団体は一年前、二年前に公演を買い取る約束をしますから、鑑賞団体からすれば、劇団が上演回数を重ねるのは当たり前のことです。だけど創造団体としては、目的と手段がひっくりかえるジレンマを背負ってしまう。だから、今回もどうしようかとずっと考えていましたが、うまい答えがなかなか出ませんでした。とにかく劇団を立ち上げるのは物凄いエネルギーがいるし、それは何の為の劇団なのかということも問題になりますから、スタートから困難を抱え込むのは目に見えている。そこで、劇団制ではなく、公演ごとに参加者が集まるユニットという形式でとりあえずやってみようと。私個人としては、別に定年後に夢を託すサラリーマンとは違うんで、これからはとにかく、何らかの形で若い人たちの役に立てればいいだろうという思いもありました。模索は数年前から続いていて、試みに1人芝居も声をかけてやってみましたが、それもやっぱり違う。そして今年の1月、4年勉強してきた専攻科生たちを担当して『蟠龍』を演出してみたところ、あ、これならいける、と。それまで演出を担当したのは2年生ばかりだったから、こちらの把握が上手くいかなかったんだけど、今回は直感的にいけるなと。そこで1月の時点で、修了生たちに、これを再演したいんだけれども、みなさんはそれぞれやりたいこともあるだろうから、再演したいかどうか、上演が終わったら1人1人の意志を聞かせてほしいということで話は始まりました。で、上演後に聞いたら、2人ほどはもう既にやりたいことが決まっているということで抜けて、最終的には新しいメンバーも入れて15名でスタートしたんです。ゼロからスタートさせたいという気持ちが私の中にありましたので、私も含めて6万円ずつ集めて90万円の予算でやろうと。そして、スタッフの方たちには頭を下げて無理をお願いして、実現するのが今回の企画なんです。

-つまり劇団が自己目的化してしまうのも良くないし、かといって、どこでもいいからプロダクションに所属して、次の仕事が決まればそれでいいという近視眼的な姿勢でも、なかなか俳優としての立場は築き難いということですよね。どちらにも傾かずに良いバランスを志向した結果出てきた発想がユニット公演だったと。確かに、今の若い人たちが集団を形成できる、ギリギリの形なのかな、という気はします。

若い俳優たちとこれからユニットでやっていくというお話をうかがいましたので、私も桐朋で非常勤講師として授業を担当していて、日々感じていることについて改めてお聞きしたいんですが。例えば桐朋の学生の場合でいえば、高校の部活で演劇に触れた子が多いと思いますけれども、演劇部の顧問の先生たちはいきなり養成所に入ったりするよりも、大学で実技を学ぶという進路を当然推薦しますよね。そこで、高校時代から演劇への意欲を持っている若い子たちが、東京でいえば、日芸、桐朋、玉川、桜美林といった大学に入学するわけです。ところが現実には、近年テレビに出られるくらい売れる俳優は、芸能事務所がルックス重視で売り出した人材を除外すると、往々にして小劇場演劇の世界から輩出されていて、そういう人たちは、大学で演劇を専門的に学んだ人ではなく、一般の大学におけるサークル活動の延長で、若さというエネルギーだけで劇団を結成し、無手勝流の芝居作りに挑戦してみたところ、若い観客の支持を受けた、というケースが多いのではないでしょうか。つまり、演劇に対してまっとうな志を持って大学に進学した若い子たちが、なぜか、ちゃらんぽらんにやっている連中に勝てない(笑)。こういう現象については、どう考えるべきでしょうか。

岡安 私の感じていることを簡単にいうと、私も現場で生きてきたから分かるんですけど、現場が欲しているのは、百点か零点の俳優なんです。百点というのは、例えば容姿も良くて、華があって、歌えて、踊れて、というような俳優。零点というのは、鈍で、不器用で、動かしても、なにやらしてもダメで、隅で小さくなって、ところが、思いっきり何かやるとインパクトがあって、観客を唸らせるというようなね。普通の基準でいうと零点で、歌ってもダメ、踊ってもダメ、台詞言っても何言ってるんだか分からない。現場で欲しいのはそういう俳優。平均点は、かえってダメなんです。

だけど、教育の現場も経営を成り立たせるためには、ある程度の学生数を確保しなければならない。しかも、入学試験で色々な先生方が集まって、点数制で採点すると、どうしても上位と下位より、中間点が増えてしまい、結果的に、中間点の多い層が入学してしまう。だから本当のことをいうと、大学であれ養成所であれ何であれ、中国の演劇のように、数年間の養成機関のうち、半年ごとにチェックして、出来が悪い学生はどんどん落としていくというシステムが正解なのかもしれない。個人でやっている演劇塾がありますね。例えば仲代達也さんの無名塾なら、仲代さんの基準でやっていくわけでしょう。これはある意味で正解なんです。ただ公的な教育機関では、そういうわけにはいきませんね。そこで良い成績をとったとしても、現場でものになるかどうかはわからない。ただ、役者として通用するかどうかに関して、ある程度のことは、舞台に立たせると分かるんですけどね。例えば若い役者に、女中役で同じ衣装を着せたりすると、みんな同じに見えちゃうんですが、しかし舞台の上では、良い意味でも悪い意味でも、華がある人にはある。だから、桐朋も含めて、大学における俳優教育というのは色々な工夫が為されていると思います。四大か短大かということでいえば、ある程度長い時間をかけて徹底的にしごこうと思えば、2年間ではちょっと短い。3年以上は必要です。桐朋でも専攻科に上がって、合計3年くらい経過すると、講師の言っていることが、頭で理解するだけでなく、体で分かるようになってくる。

先ほど指摘のあった、高校の先生のお立場からすると、基本的に生徒に失敗はさせたくないですよね。万が一失敗したとしても、その後の進路を保障してやりたいという思いがあります。以前高校の先生方とざっくばらんなお話をしたときにも、2年制か4年制かと聞かれればそれは4年制を薦める、と仰っていた先生がいました。それは無理のないことです。全国から集まった学生たちが、1年なり2年なりやっていくうちに、自分の限界が見えてくる。その段階で進路を変えるとなると、学んだことがあまり専門的すぎると進路に支障をきたすわけで、大学選びは慎重にならざるを得ない。だから、よほどのことがなければ、桐朋のような短大を薦めるのは二の足を踏んじゃいます、できることなら四大に行きなさいと薦めます、と仰る先生がいらっしゃいましたね。

-まあでも、その論法でいけば、専門学校を薦めるくらいなら短大の方がマシだ、ということにもなりますよね。

岡安 それはそうなんですが、専門学校における教育もなかなか大変だと思います。専門学校の先生方とお話したときには「数をとるから教育の質が薄くなってしまう」と仰っていた。たくさんの学生がお芝居に出るわけで、とすると、発表の場であってもなくても、学生を小分けにして練習させなくちゃならない。桐朋でも試演会や卒業公演がありますが、例えば1学年70人の学生を小分けにして3チーム作るとしますね。そうすると、学生みんなに役が振れる。これはある意味で正解なんですね。ところが実際にやってみると、これは講師の側からすれば、見てやらなくちゃならない稽古が3倍に増えることを意味するんです。他の学生が稽古しているのをただ見せているだけではやっぱりダメなんです。動いてやってみて、先生に指導されて、ようやく納得できるわけでね。頭で考えるだけだとこの点を錯覚してしまうんですよね、1チームがやっている間、他の2チームはちゃんと見ていればそれでいいんだな、とね。現実にはそうはいかないんです。そういう意味で、学生数を多く確保すると、そのぶん俳優教育は難しくなるところがあります。

以前鈴木忠志さんが、俳優教育はマンツーマンが原則だと提言されていたでしょう。それは、まさにその通りなんです。そういう難題を、2年制の大学、あるいは4年制の大学は、大学なりにどこまでクリア出来るか。悪い意味での徒弟制度を復活させるのは困っちゃうけど、でも、創造の世界では技術的なことに関して、ただ「分かれ」とかしか言えないことってあるんですよ。それから、私自身が経験上難しいと感じているのは、一つ矛盾がありましてね。アートの世界は論理で割り切れる世界ではなく、となると分かる人と分からない人が当然いるわけですが、にもかかわらず、それを論理で説明せざる得ないんです。言葉にならない世界のことを言葉で説明する。だから、言葉で理解してもダメなんですよね。それが、演劇に関わらず、表現にまつわるネックですね。そう考えると、日本で昔からある内弟子制度というのも、師匠がどういう考えで、どういう感覚で、どういう方法でテクニックを駆使するかを、丸ごと弟子に受け渡していくわけですから、ある意味で正解なんです。

もっとも、自分なりの考えで教育を試みたとして、こちらがこの子いいなと思っても、自分の考えに従ってドロップアウトする子もいますから、現実は一筋縄ではいきませんけどね。

プロとアマの違い

-学生たちの進んでいく道に関連してお聞きしたいのですが、岡安さんの目から見て、俳優にとってプロとアマを画する一線とは何でしょうか。どのような条件をクリアすれば、人は「プロの俳優」を名乗ることができるのか、と学生から聞かれたとしたら、何とお答えになりますか?

岡安 プロとは何かを考えるときによく言うことは、誰でも、資格をとれば数学の教師にはなれるけれども、数学者になれるとは限らない、つまり誰でもがなれるものではない、と。こういう例を挙げると、学生も何となくわかるみたいで、具体的な例を挙げて話さないとダメですね。例えば物理学者のハイゼンベルクは「プロとは、自分の仕事の結果を予測出来る人間のことだ」と言ったけれども、そういうことを言ってもわかりませんよね。あるいはもっと簡単に、本物のプロとは他のプロが驚くようなことをやれる奴だ、といった単純なことなら言えるのかもしれませんけどね。

私だって、食えるようになったのは30台半ば過ぎです。それまでは日雇いのような仕事で生活を支えていましたが、ある時期からそちらの仕事が減ってきて、演劇関係でお金が入るようになったわけで。そこで観点を変えて、インスピレーションの問題として考えると、研究者もそうだと思うんですけど、生活を含めたプレッシャーの中で脳内麻薬が無意識から出てくるということが生理学的にはあるので、だから実際、アーティストは作ろうとして作れるものではなくて、生まれるべくして生まれるんだとは言えるかもしれませんね。興行界では「うまい役者は作れるけれど、客の呼べる役者は作れない」という言い方があるそうです。だから、プロの定義というのは、私はそれぞれが持っていてよろしいと思いますけど、ともかくアマとプロの間に線はありますね、見えない線がね。

-ご自身はもともと、芝居だけで食えるようになれればいいとお考えでしたか? 若い頃に京浜共同劇団に関わった時期もあるそうですが……。

岡安 東京理科大で「劇団泣断」に所属していたんですが、学内だけで活動するのは限界があり、昼間働いて夜学に通っているメンバーが集まって作っている芝居を外に出そうと考えていたところ、たまたま飯田橋に「東京働くものの演劇祭」の事務所があって、この演劇祭の舞台に一二度参加してみました。「僕は仕事しないと食えない、でも芝居もやりたい」と思っていたところ、そういう活動をやっているリアリズムの集団、京浜共同劇団があると知って夜間、週3回の養成所に通ってみたんですが、すぐに「これは違うな」と思って、修了と同時にさっさと辞めちゃったんです。違和感を抱いたのは、理屈が先行しているというところですね。で、そのとき知り合った3人で「世仁下乃一座」を結成したんです。暗中模索する中で集団を作ったものの、書く人がいない。男3人でやろうって言ったって台本も何もなくて、「お前がやろうって言い出したんだからお前が書けよ」と言われて、やりだした(笑)。でも書き方がわからないから、パクるしかないですよね。色々なものをつぎはぎしてやってみたら面白くなって、そのうち資料を調べて時代物やったりね。そしたら批評家の方が「岡安さん、現代物なんか書けないんでしょう」なんて言うものだから、コノヤローって思って現代物を書いたりなんかしてね。そんなアホみたいなことですよ。そういうふうにして段々と、劇団が形作られていったということです。

-今でも、自立演劇の流れを汲んでやっているような人たちは、アマチュアであることにプライドを持っていると思うんですが。芸能人的なプロは敢えて目指さず、生活の場を大事にしながら、できる範囲で舞台もやる、という活動を選択している人たちがいますよね。労働現場に題材を求めるという点だけを取り出せば、アマチュア演劇の人たちも、岡安さんも共通している。しかし「生まれるべくして生まれる」プロとしての演劇人に着眼されているということは、いわゆるアマチュア演劇の人たちとも立場が異なる、ということですかね。

岡安 色々な表現の形態があって良いし、それを支える方法も色々あって良いと思います。そうやりたいと思う人たちは、そのやりかたで頑張ればいいだろうと思うんですけど、僕の場合はそうではない、というだけのことなんですけどね。別に、理論的な前提があってそうしているというわけではないです。寺山修司のところにいたときも、どこか「違うな」と思いましたし。だから、色々な演劇があっていいということを大前提とした上で、同じことをやっても仕方がない、ということです。>>