ヒンドゥー五千回「ハメツノニワ」

 連休が明けてもまだボーっとしています。あまりにも怠惰に過ごしすぎた報いかもしれません。連休中にみたステージで最も印象に残ったのは、ヒンドゥー五千回「ハメツノニワ」公演でした。彼らのステージは初めて。以下、妄想をまとめて … “ヒンドゥー五千回「ハメツノニワ」” の続きを読む

 連休が明けてもまだボーっとしています。あまりにも怠惰に過ごしすぎた報いかもしれません。連休中にみたステージで最も印象に残ったのは、ヒンドゥー五千回「ハメツノニワ」公演でした。彼らのステージは初めて。以下、妄想をまとめてみました。いつものことながら、遅くなってすみません。


◎モノクロ・ステージの不思議感覚

 ヒンドゥー五千回第13回本公演「ハメツノニワ」を世田谷・シアタートラムでみてきました(5月2日-3日、第9回くりっくフリーステージ演劇部門参加)。ほとんどモノクロの舞台、言葉数の少ないテキスト、1人か2人の男たちが次々に登場、振幅の大きな声や動作を繰り返すパフォーマンス構成など、不思議な感覚に浸されたステージでした。
 2003年初演の作品の再演。このユニットの舞台は初めてなので、どこがどう変わったのか分かりませんが、選ばれての参加作品ですので、おそらくこのユニットの基本形が提示されているような気がします。
 ステージは、白い砂が支配していたと言ってもいいと思います。ほとんどモノクロに染められた空間を、ヒンドゥー五千回のWebサイトはこう描写しています。

白い砂がしきつめられた空間。
二脚の椅子と、天井に向かって伸びる一本の梯子がある。
そこはどうやら地下にあるらしく、
梯子の先からの差し込む光が、薄ぼんやりと砂地を照らしている。
誰かがそこに砂を運び入れたのか、また何かが長い年月をかけて風化し、
そうなったのか、その辺りのことは定かではないが、
そこが美しい場所であることは、どうやら間違いないようだ。

背景はほぼ黒一色。白砂とのコントラストがくっきりした舞台です。いすはハシゴを挟んで左右対称に、向き合って置かれています。「ますだいっこうのこと」サイトはこの舞台を「皮膚から空間を感じるようなヒンヤリした感覚」と表現していました。巧みな比喩だと思います。

最初、上手のいすに男が腰掛けています。反対側のいすには古びた消火器の箱がおかれています。この赤さび色の塗料が剥げかけた箱に、男が話しかけるところから始まります。次に殴り殺してしまった死体の処理にうろたえる男2人。手に持った訳書を交互に読み上げる男2人。かつて会ったことがあると主張する男と記憶がないと言い張る男のまたまた2人組。本を読み上げる声がだんだん大きくなったり、記憶のない男を声高になじったり、追い駆け回したり。こういう独立した数個のエピソードの組み合わせが登場し、確か最後はまた、男と消火器箱の組み合わせになったと記憶しています。

こういう舞台構成は、音楽の楽曲形式を強く意識しているような気がしました。モチーフの提示、変奏、さらに変奏または繰り返し、モチーフへの回帰。しかし元のままの回帰ではなく、少しずつ崩れたり壊れたり、時間という関数に挟まれて不可避の変形を被っているのです。時の経過による物体や関係の崩れを定着させようというのが、この作品(演出)のねらい所だったのでしょうか。

その意味で、殴り殺された死体の男(扇田 森也)がステージを軽やかに駆け回る姿が最も印象に残りました。裸の上半身はやや薄白く化粧され、白っぽいショートパンツと併せて身体の生臭さを消しています。まず目につくのは長い手でした。手首や腕の関節を折り曲げる動作が身体全体と調和しています。円弧を描くときのしなやかな動きも可動範囲が広く、遅からず早からずとてもスムーズでした。陳腐な表現ですが、鶴のように舞うイメージを想像していただけばいいかもしれません。そぎ落とされたというより、若さ特有の無駄のない身体が音もなく駆け回り、跳躍するのです。生者のどたばたした動きと対照的に、軽々と動く死者。ほれぼれするシーンでした。

舞台で飛び交ったテキストは残念ながらうまく取り出すことができません。辛うじて記憶に残っているのは「いのちは一つ、うまく出会ったかどうかが問題」「どうして僕らが会ったことを忘れてしまうのか」「死んだら身体は骨になり、やがて砂に変わる」「自分を埋めてくれる誰かに出会いたい」などの断片だけです。記憶があやふやで、引用したことばも正確ではないと思います。またことばにどれほどの重さを持たせたのかも測りかねるのですが、ぼくがことばの群れから想起したのは「ゴドー待ち」のぼんやりした影でした。

この作品では、「待つ」対象は第3者に仮託されることなく、2人の男の間に直接的関係として固着されます。登場人物が1人だけの設定でも誰かや何かを強烈に求め、しかし関係はいずれも崩れてしまいます。というより、あらかじめ壊れていることを前提に構成されたシーンで一貫しているような気がしました。それだけ切なさが、見終わった後にもじんわり感じられるのではないでしょうか。

このステージをみた「しのぶの演劇レビュー」サイトの高野さんは、音楽の音量、せりふや動作のダイナミックな変化を採用する演出に触れ、「それをヒンドゥー五千回の個性だと言うのも可能ですが、私にはまだまだ発展途上の実験段階で、これからもっと洗練させられる余地があるように感じられました」と指摘しています。

彼らが洗練に向かうのか、ハメツに向かうのか(!)は分かりません。どちらにしろ、しばらくは「実験」に付き合ってみようかと思せる魅力を感じました。

[上演記録]
ヒンドゥー五千回第13回本公演「ハメツノニワ」
第9回くりっくフリーステージ演劇部門参加
世田谷・シアタートラム(5月2日-3日)


構成・演出
扇田 拓也


出演
谷村 聡一
久我 真希人
結縄 久俊
向後 信成
藤原 大輔

宮沢 大地
鈴木 燦
谷本 理
扇田 森也

●スタッフ
演出助手 藤原 大輔
舞台監督 松下 清永
美術   袴田 長武(ハカマ団)
照明   吉倉 栄一
音響   井上 直裕(atSound)
宣伝写真 降幡 岳
宣伝美術 米山 菜津子
制作   関根 雅治 山崎 智子

●企画・製作
ヒンドゥー五千回
●主催
財団法人せたがや文化財団、フリーステージ実行委員会

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「ヒンドゥー五千回「ハメツノニワ」」への2件のフィードバック

  1. いつもありがとうございます。私も死者が踊るシーンがとても楽しかったです。

  2. ぼんやり過ごすと、あっという間に置き去りにされそうなこのごろ。書くべきレビューもどんどんたまります。それに引き替え、しのぶさんはすいすい書き進み、軽やかな足取りがまぶしくみえます。そのうち秘訣?の伝授をぜひ…。

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