『 サド侯爵夫人 』 (全3幕)

東京国立博物館の特別第5展示室は、今年7月にク・ナウカが『王女メディア』を上演し、残響のせいで、台詞が聞き取りにくかった、ということがあった。 今回もク・ナウカほどではないが、早口や高音になった時に、特に聞こえづらかった … “『 サド侯爵夫人 』 (全3幕)” の続きを読む

東京国立博物館の特別第5展示室は、今年7月にク・ナウカが『王女メディア』を上演し、残響のせいで、台詞が聞き取りにくかった、ということがあった。

今回もク・ナウカほどではないが、早口や高音になった時に、特に聞こえづらかった。私の経験では、座席が舞台の近くでは問題ないが(この点は強調しておきたい)、遠くになる(高くなる)ほど、その傾向は強くなるようだった。

今回は、演出家の意図として「言葉の音楽性に徹底的にこだわるという方法をとりたい」(パンフレットより)ということなので、意味より音響を重視したのかもしれない。

三島由紀夫が自刃してから今日で35年になる。ちょうどその月に、三島の全戯曲を上演するという遠大なプロジェクトが始まった。劇場となったのは西洋の雰囲気漂う東京国立博物館の特別展示室。足を踏み入れると、プロセニアムアーチに縁取りの布を施(ほどこ)した舞台が設置され、本物と見間違えるほど出来映えのよい書割が豪邸のサロンを想わせた。コシノジュンコの手による豪華絢爛な衣装を身につけた女優が出揃うと、まるで絵画を目にしているようだった。

いつ終わりが来るのか想像もできない全戯曲上演プロジェクト。その最初を飾るのは傑作として呼び声の高い『サド侯爵夫人』。悪行によって囚われの身となったサド侯爵(劇中で名前はアルフォンス)をめぐって、人間の内面に潜む悪徳へのあこがれ、美徳に対する偽善が、あますことなく描写される。時代背景をフランス革命の前後としたことで、当時、悪徳とされた性行が、その後一転して、もてはやされる行為になるなど、世間の価値観が逆転する情況が浮き彫りにされる。

舞台が磁場のように変貌したのは第2幕だった。サド侯爵夫人のルネ(新妻聖子)と、その母であるモントルイユ夫人(剣幸)との対話で、アルフォンス(サド侯爵)との離別をめぐり、ことばの応酬がくり返される。この応酬は、ことばの矢となって相手に突き刺さり、反撃に転じるとその反発力が強くなって、ふたりの感情的対立を露わにする。その場の空気は濃縮され、舞台に吸い寄せられていった。

幕が終わりに近づくにつれて、その対立は後戻りできない段階にまでになる。それが最高潮に達した時、ルネが「アルフォンスは、私だったのです」と告白する。言い終わった途端、ルネに焦点が当たっていた照明がふっと消える。その瞬間、貞淑のルネが悪徳のアルフォンスと表裏一体となり、人間の本質が浮かび上がる。その後も残像となって脳裏に焼き付いて離れなかった。

第2幕から12年後。フランス革命が起こって9カ月。第3幕ではサド侯爵が自由の身となる日がいよいよやって来る。ところが、ルネは態度を豹変させ、世を捨てて修道院に入ると言い出す。サド侯爵が獄中で書いた物語によって彼の内面の奥底を知ったからだった。

「ここへ今アルフォンスがかえって来ても? 18年のあいだお前が待ちこがれた自由の身になってかえって来ても?」と母は詰め寄る。

決心の変わらないルネは独白に向かう。

「アルフォンス。私がこの世で逢った一番ふしぎな人。悪の中から光りを紡(つむ)ぎ出し、汚濁を集めて神聖さを作り出し、あの人はもう一度、由緒正しい侯爵家の甲冑(かちゅう)を身につけて、敬虔(けいけん)な騎士になりました。……籠手(こて)を外してあらわれた女のような白い美しい手が、人々の頭(こうべ)に触れると、もっとも蔑(さげす)まれ、もっとも見捨てられた人も勇気を取り戻(もど)し、あの人のあとに従って、暁のほのめく戦場へと勇み立つ。あの人は飛ぶのです。天翔(あまが)けるのです。銀(しろがね)の鎧の胸に、血みどろの殺戮(さつりく)のあと、この世でもっとも静かな百万の屍(しかばね)の宴(うたげ)のさまをありありと宿して……」

三島の詩情あふれる美文の真骨頂である。ルネ役の新妻が語り続けるその台詞は、まるで音の連なりのように奏でられ、照明との相乗効果によって、その容姿は輝きを増していった。充実した美しい時を刻んだ。

《参考》次回公演は未定。問い合わせは綜合舞台(03-3706-1750)まで。

◇ 『 サド侯爵夫人 』 (全3幕)
 ・作:三島由紀夫/演出:岸田良二
 ・出演:新妻聖子、剣幸、佐古真弓、福井裕子、椿真由美
・衣装:コシノジュンコ
 ・照明:石井幹子
・劇場:東京国立博物館・特別第5展示室 (東京・台東区)
 ・上演時間:約3時間 (計25分の休憩含む)
 ・公演期間:2005年11月04日-13日
 ・企画/制作:三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト


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