ポタライブ 吉祥寺編「泡」ほか

 この秋はポタライブが盛り上がったようです。新旧10作品を次々に公演し、ネット上のレビューも目につくようになりました。散歩が演劇として成立する方法を具体化したことが魅力だったのでしょうか。観客を(ときには強引に)巻き込む … “ポタライブ 吉祥寺編「泡」ほか” の続きを読む

 この秋はポタライブが盛り上がったようです。新旧10作品を次々に公演し、ネット上のレビューも目につくようになりました。散歩が演劇として成立する方法を具体化したことが魅力だったのでしょうか。観客を(ときには強引に)巻き込む街頭演劇ではなく、借景として場所を利用するだけでもなく、散歩という生活(風景)の流れに演劇を引き込む手法が興味を引いたのかもしれません。
 「オム来襲」サイトに、吉祥寺を舞台にした「泡」公演(10月3日-4日)の印象と考察が載っています。ライブの特徴が確かに切り取られていると思いました。


 井の頭公園へ行くのに吉祥寺駅ではなく、まず井の頭線の井の頭公園駅から歩くのに意表を突かれます。江戸時代はこちら側が表玄関だったとか、将軍揮毫の石碑があるなどの説明を聞きながらとぼとぼ池まで歩いていくのですが、おなじみのパフォーマーも姿を現します。その様子を「オム来襲」の筆者matterhorn さんはこんなふうに描写しています。

井の頭公園駅に着くと、「これはどう考えても頭がおかしいだろう」と思うような格好をした人が三人、公園の川の岸辺で遊んでいる。「わーキチガイがいる」、と思って喜んで駅を出て川の近くに寄るとすでに三人の姿は消えていて、気づいたら参加者の背後からすーっと僕らの横を追い抜いていったりする。単純に見慣れた町がいきなりシュールな虚構の舞台になる、というのはけっこう頭で想像するだけでも面白そうな光景だが、実際パフォーマーの力を借りてそれを体験すると、やっぱりというか案の定、なかなか面白い。一瞬自分が押井守の映画や、『ジョジョの奇妙な冒険』の世界に入り込んだかのような錯覚を起こす。

 アブナイ表現を使いながら、「ジョジョ」的世界と思えるような一瞬の錯覚を巧みに定着しています。おかしな格好の3人が要所要所に連れ立って表れたりするので、自転車に乗った近所のおばさんまでがその怪しい世界の住人のように見えてくると言い、「『ポタライブ』は町という開かれた空間にたった三人のキチガイを放すだけで、そうでないはずの四人目のキチガイを町の至る所に生み出している」と述べています。

 同じポタライブでも、「源」や「断」公演のパフォーマンスは沿道の風景や街の雑踏に紛れたりしながら、参加者とつかず離れずの関係を保っていました。しかし「泡」の舞台は閑静な住宅街です。いやでもパフォーマンスが目立ちます。ですから3人の動きは参加者の視覚を挑発すると感じたのかもしれません。
 逆に言うと、ぼくらは住宅街という舞台に包み込まれているのですから、近所の人たちの目には、十数人のヘンな一団が奇抜な服装をした奇人変人たちと戯れながらぞろぞろ歩いている、と映ったに違いありません。フツーにみえる住宅街の歴史や由来を聞いて驚きながらも、頭の片隅でそんな事実を意識せざるを得ませんでした。ぼくは少し距離を置いて、最後尾から若干尻込みしながら着いて行ったのでした。
 「オム来襲」とはちょうど逆の視線と言っていいでしょう。ゆったりした歩調が生み出す時間の流れのなかでは、どちらの感覚も成立するような気がします。参加者を縛らないゆるめの幅こそ、ポタライブの持ち味なのかもしれません。

 ぼくはその辺をうろうろして先に進めませんでしたが、「オム来襲」はもう一歩、踏み込んで考察しています。

「ポタライブ」の面白いところはそれだけではない。例えばそうやって虚構化された町を歩きながらも、それが最終的には現実の町の有りさまと接続してると思えるような地点にパフォーマンスを着地させようとしてることだ。(中略)僕らはただ闇雲に虚構化された町ではなく、その土地の持つそれぞれの個性に沿って虚構化された町を歩くことになる。
 そして、これは空間だけでなく、「散歩」という、ダラダラしつつも生活と接続された時間が演劇化されることによって、その人の生活が演劇の中に溶け込んだり、あるいは演劇が生活の中に溶け出してゆく感覚を味わうことだって可能になるはずだと思う。「ポタライブに行った一日」ではなくて「ポタライブのような一日」。演劇を見ることと、演劇を見た時間を過ごすことが、同じ「経験」という述語の中で一緒くたになってしまう感覚。おそらくこんな一日は、なかなか素敵な一日なのではないか。

 ここではポタライブで実際にそういう演劇感覚を味わったかどうかは書かれていません。可能性を指摘しているにとどまっているように思えます。
 ぼくはポタライブに引きつけて「オム来襲」のテキストを断片的に引用してきました。しかし原文は「小説のような一日」という項目で始まっています。もともとは小説と日常が相互に浸透するような不思議な感覚をつづっているのです。興味のある方は、原文をご覧ください。最後に引用したポタライブ(演劇)の不思議感覚にうまく接合、着地していることが分かると思います。

 ぼくはその後、船橋編「ルーチンワーク」にも参加しました(11月5日)。船橋駅前から拠点になるroom to land に集い、簡単なブリーフィングの後 4コースに分かれて「散歩」します。希望を募ったら「かわあそび」コースだけ参加者が皆無でした。天の邪気なぼくはすぐにそのコースに鞍替えしました。一般参加者はぼく1人。ほかに他のライブに出演している女優さんとカメラマン、それに案内役の4人旅でした。歩きも歩いたり約1時間15分。心地よい長旅でした。いわゆるパフォーマンスが行程に配置されていた従来タイプとはまた異なり、幅の広い、ひと味違う趣がありました。詳しい話はまた機会があったらしたいと思います。
 小金井編「かわあそび」には、「デジログからアナログ」の吉俊さんが参加したようです。こちらは2時間歩いたそうですから、ぼくの倍近く。お疲れ様でした。若さは力ですね。次のページで写真入りの報告を読むことができます。
http://www.sf.cs.tuat.ac.jp/~yositosi/analog/archives/000575.html

 Pota live のwebサイトは次の通りです。ときどき接続できなくなるようですが、そのときは時間をおいてまたアクセスしてみましょう。
 http://kurumin.dyndns.org/potalive/
 見えない場合は主宰者の一人岸井大輔さんの日記サイトをご覧ください。
(北嶋孝@ノースアイランド舎 11月 27日pota liveサイトのURLなど追加)


投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「ポタライブ 吉祥寺編「泡」ほか」への1件のフィードバック

  1. いつもお世話になっております。ポタライブの岸井です。
    さて、ポタライブのwebサイト、サーバー落ちが多く、ご迷惑をおかけしております。
    http://kurumin.dyndns.org/p
    船橋編 ルーチンワークの写真をアップいたしましたので、お楽しみいただけますと幸いです。
    来春公演の演目リクエストも受け付けておりますので、よろしくおねがいいたします。

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