パラダイス一座「オールド・バンチ  男たちの挽歌」

◎真の主役は「演劇愛」 温かさに包まれた一座の船出
村井華代(西洋演劇理論研究)

「オールド・バンチ 男たちの挽歌」公演チラシ流山児★事務所の『狂人教育』を観に行ったら、にわかには信じられないようなチラシが挟まっている。キャスト・戌井市郎、瓜生正美、中村哮夫、肝付兼太、本多一夫、高橋悠治。映像出演に観世榮夫、岩淵達治。箔つきの大御所ばかりではないか。この人々が高齢者劇団「パラダイス一座」を旗揚げし、山元清多のホンで共に12月、演出・流山児祥でスズナリの舞台に共に立つのだという。しかもチラシ写真と題字がアラーキー。美術は妹尾河童と書いてある。

何という不気味で痛快なニュースであろうか。文学座で『女の一生』を演出していた戌井市郎(90)が、アングラ演劇人流山児(59)の演出の下で初舞台というだけでも既に信じられないが、『ラ・マンチャの男』等商業ミュージカル演出多数の中村哮夫(75)と新劇の元祖左翼精神を受け継ぐ秋田雨雀・土方与志記念青年劇場の創立メンバー瓜生正美(82)、加えて劇団21世紀FOX代表“スネ夫=999車掌=イヤミ” 肝付兼太(71)、“下北沢を作った男”本多一夫(72)、そして現代音楽奏者として輝かしい経歴を持ちつつ政治的アジア音楽集団「水牛楽団」を組織する高橋悠治(68)、それに観世榮夫(79)が一つの集団に属するというのも荒唐無稽この上ない。それに何より、我々若手(彼らに比べれば大概は若手である)演劇研究者にとっては殆ど神格ですらある岩淵達治先生(79)がここに加わるというのがすごい。尤も、岩淵先生はもともと研究・翻訳・演出だけでなく、田原総一郎・清水邦夫監督のATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1974)、近年では『リング』シリーズの高橋洋監督の『ソドムの市』(2004)にも出演している不思議な方なのだが。早速チケットをプレオーダーし、流山児のブログをまめにチェックしながら当日を待つ。

初日、客席の中は熱気というより温かさに満ちていた。スズナリの狭い観客席に、日本の劇場には珍しいほど老若男女有名無名、種々雑多な人々が集まっている。酒食こそないが凝縮されたパーティのようだ。

今はもう見かけない、鉄柵で区切られたノスタルジックなカウンターのあるダイコク信用金庫コトブキ町支店。上手隅に安っぽいクリスマス・ミニコンサートの掲示があり、謎のミュージシャン(高橋)が「赤鼻のトナカイ」を弾いている。閉店まで残っていた老人たちと掃除夫が、隙をついて一斉に武器を取り出し銀行職員(藤井びん、谷宗和、坂井香奈美、石井澄)に突きつける。
「みなさん、お静かに。わたしどもは、銀行強盗です」。

爆薬作りの勘平衛(戌井)、縄使いの七郎次(瓜生)、女装の五郎平衛(中村)、口達者の久蔵(肝付)、PCに強い平八(本多)と、『七人の侍』に倣ったコードネームを持つ老人強盗団は、その場に現金がないと知ると、職員を人質に立てこもったまま、本店の金を動かしてATMから少しずつ引き出す手に出る。やがて本店から呼び出されたヒトラーメイクの神崎部長(塩野谷正幸)が人質に加わるが、実はこの神崎に報復することが強盗の主目的でもある。彼は詐欺まがいの融資で彼らの旧友・菊千代(観世)を自殺に追い詰めた当の本人であった。旧悪を暴かれ、逆に強盗団を皆殺しにしようとする神崎。が、突然「ある人の依頼で」と、それまで黙っていたミュージシャンが神崎を撃つ。弾は外れるが神崎は気絶、そこにATMから金を引き出してまわっていた勝四郎(岩淵)から援助交際相手の女子高生ユカリ(町田マリー)に金を持ち逃げされたという動画メールが入る。勘平衛が呟く、「勝ったのは俺たちじゃねえ、ユカリちゃんだ」…。

パロディと遊び心に溢れた軽妙なコメディである。「湯島の白梅」他、若者にはわからないネタを連発し、わがまま放題に差し入れを要求し、徐々に宴会風に盛り上がってゆく強盗たち、その強盗に肩入れするようになる人質の女子行員、責任の擦りつけ合いを繰り返す男性行員。どこかで見たようなストーリーに、懐かしさ漂う紋切りエピソードが満載されているといった態で、決して目新しくはない。が、全体に上演すること自体が楽しいという気分が満ちていて、こちらも異様に昂揚する。

それに、のほほんとしてはいるが、各所に強盗侍たちを囲む人々の周到な配慮が各所でさりげなく効いている。例えば、戌井の新内節からカラオケ大会、一芸大会に発展してしまう余興の場面。ここは客席も大いに盛り上がり(本多がマイクを持つと客席から「社長!」の声)、トリの肝付の小噺「花咲かじじい」で爆笑になだれ込む楽しい場面だが、それが演壇に見立てた銀行カウンターの鉄柵越しに行われる辺りは実に面白い効果を醸す。檻の中で芸をしているようで、観客からは少々見づらいのだが、その見えづらさがこの場の珍奇を際立たせる。妹尾の舞台装置の妙である。また随所にわざとらしいBGMあるいは転換の曲として演奏される高橋の電子ピアノも実に小気味よい。神崎の登場に合わせた陳腐な「ワルキューレ」といい、怒涛の「月光」での転換といい、劇の要請にベタに応えながらもクラブバーで聴くような変幻自在の存在感で、これほどチープで引き締まった劇音楽が可能かと思われた。

加えて塩野谷らバイプレーヤーの配置が絶妙である。彼らのやや誇張したリアクションが侍たちと好対照をなし、舞台全体を躍動的な印象に仕上げている。もちろん、動きの制限が不自然にならない“立てこもり”という設定に始まり、侍たちの妙味を一層際立たせる環境を作った劇作家と演出の心尽くしの厚いことは言うまでもない。実際、そこまでする意義のある上演であっただろう。筋立てには首を傾げる部分もないではなかったが(例えばミュージシャンが誰の依頼で神崎を撃つのか不明のまま。第二作に続くのか?)、劇場は終始温かく、流山児のブログの言葉ではないが、終演後はこちらが「ありがとう」と言いたくなる公演だった。

端的に言えば、この上演の真の主役は「演劇愛」であって、かつては立場も違い、敵同士ですらあった人々が確執を超えてこの旗印の下に集ったという印象だ。従ってこのような場では手の込んだ内容や理念は蛇足で、「一緒に舞台をやる」、この基本的な一点こそが主眼になる。言葉を換えれば、保守的な劇であっても、舞台や演劇を一生の仕事として名も功も遂げながら、敢えて今コメディの舞台に立とうという人々は革新的であるし、そこに彼らを支える人々や環境の現実的な協力体制や配慮、観客の賛同が“同志的に”寄り添ったことは革命的なのだ。

演劇人の一生の仕事として、組織作りや上質な上演ももちろん重要だ。が、演劇には、上演を中心に多様な人々を結びつけ、影響を与えるという「社会的効能」がある。昨今その効能を現実的に役立てようと各地で市民参加演劇が行われているし、高齢者劇団としては埼玉ゴールドシアターが始動しているが、今回の場合はまた新たな、そして強力なモデルケースであると思われる。前二例が劇場の外で生きてきた人々の演劇への新たな挑戦であるとすれば、パラダイス一座は、演劇一徹に生きてきた人間が「センセイ」の鎧を脱ぎ捨てて挑む“人生への”新たな挑戦であり、自らの一生の仕事=演劇の積極的再肯定なのだ。こんな人生の大先輩のカッコいい姿が、人々の共感を呼ばないはずがない。

この道一筋の老雄の集合と彼らに敬意を抱く観客というのは、プロ野球のマスターズ・リーグと少々似た構図でもある。が、野球と違うのは演劇人に現役引退はなく、老いたからとて若者に劣るということはなく、90歳で初舞台も不可能ではないということだ。そういう意味では、パラダイス一座の活動は、マスターズ・リーグよりもはるかに過激な、演劇本来の生産的可能性を秘めている。3年限定の活動だが、今後どんな人々が登場するか楽しみである。

*       *       *

ところで一つ付言しておくと、この劇は喜劇と言いながら、戦争に対する世代ギャップという困難な問題を扱ってもいる。劇中、支店長と神崎が女子行員との肉体関係を金で「なかったことに」しようとするのを、七郎次が「あったことをなかったことにはできねえんだ。あの戦争は、あったんだ!」と戦後日本の無責任と強引に結びつける。これに対して戦後生まれの支店長が「戦争をしたのはあんたたちじゃないか。…戦争なんてやってもいないのに、やったみたいな言われ方されたら、それこそやってらんないよ!」と言い出す。この後、七郎次の従軍体験を全員が車座になって聞くという場面が続く。

七郎次は何かというと戦争を持ち出す人物なので、彼の態度は軽い諧謔をもって描かれている。が、何かと言ってはすぐ戦争を持ち出す戦前の父親世代、それを激しく罵倒する団塊の息子世代という対立は、1970年前後の熟年と若者、さらに言えば新劇対アングラのそれではないか。それから35年余を経過して、その対立が息子世代の手で戯画的に描き換えられているのは何とも皮肉だ。劇中の団塊世代である神崎と支店長は、体制維持と保身のため不正も辞さず働いてきたが、今では新たな金融再編の波に押され、汚名しか残さない惨めな人物として描かれている。彼らの小市民ぶりに対し、父親世代の強盗は、自由で誇り高いサムライなのだ。

結局、演劇愛と、1945年に終わった戦争への批判という巨大な二つの旗印の下に、父と子は融和して共に新たな劇を描こうとするのであろうか。その船出を祝福しながら、ヤマトやガンダムのバーチャル戦争で育った我々孫世代は、ひどく宙ぶらりんでいるような気分に襲われる。いずれにせよ、日本演劇の戦後は、また別の議論である。
(観劇日:12月6日 ザ・スズナリ)
(編注)文中の年齢は、公演開始時の数字です。初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第21号。購読は、登録ページから手続きをお願いします。

【筆者紹介】
村井華代(むらい・はなよ)
1969年生まれ。西洋演劇理論研究。国別によらず「演劇とは何か」の思想を縦横無尽に扱う。共立女子大学他非常勤講師。『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(共著、三元社、2006)。

【公演記録】
パラダイス一座 旗揚げ公演「オールド・バンチ ~男たちの挽歌~」
http://www.ryuzanji.com/r-bunch.html
下北沢ザ・スズナリ(2006年12月6日-13日)

作:山元清多
演出:流山児祥

出演:
戌井市郎
瓜生正美
肝付兼太
高橋悠治
中村哮夫
本多一夫
岩淵達治(映像出演)
観世榮夫(映像出演)
町田マリー(映像出演・毛皮族)

藤井びん
塩野谷正幸
谷 宗和
坂井香奈美 (新人)
石井澄(新人)

STAFF:
【照明】沖野隆一
【音響】松本昭
【舞台監督】森下紀彦 中村真理
【演出助手】畝部七歩
【協力】文学座 青年劇場 劇団21世紀FOX 本多劇場 ワンダー・プロ フレ
ンドスリー RYU CONNECTION 音スタ AaT Room  毛皮族
【制作協力】ネルケプランニング
【制作】岡島哲也 米山恭子
【主催】流山児★事務所

★アフタートーク「ライフ・イズ・ミラクル」開催
7日(木)19:00 岩淵達治 本多一夫 流山児祥
8日(金)15:00 瓜生正美 中村哮夫 流山児祥
9日(土)15:00 岩淵達治 肝付兼太 流山児祥
10日(日)15:00 妹尾河童 岩淵達治 流山児祥
11日(月)15:00 妹尾河童 戌井市郎 高橋悠治 流山児祥 ほか
司会進行:岡島哲也(ネルケプランニング)

【関連情報】
・祥 MUST GO ON!(流山児祥日記)http://blog.eplus.co.jp/ryuzanji/

「パラダイス一座「オールド・バンチ  男たちの挽歌」」への1件のフィードバック

  1. 見られなかったのが残念です
    先日、アラーキーの展覧会で流山児さんにバッタリ。「終っちゃいました?」「終ったよ」「すみません。見たかったのですが」
    正直な気持ちです
    村井さんのおかげで、片鱗に触れられました
    ありがとうございます
    次はどうなるのか、楽しみです

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