◎アメーバ化したぞ「吾妻橋」
木村覚(ダンス批評)
3月の上旬に行われた「The Very Best of AZUMABASHI」の話をする前に、ひとつ寄り道をしておきたい。
もし吾妻橋ダンスクロッシングが存在していなかったら、日本のダンスシーンはどうなっていただろうか。
ちょっと現在と過去を振り返り、そんなこと考えてみたらどうだろう。「吾妻橋」以前すでにその兆候が如実にあらわれていたように、きっと、曖昧模糊とした「コンテンポラリー・ダンス」という言葉を曖昧なままに利用する有象無象の手によって、リアリティを欠いたまま何だか立派そうでアーティーな(芸術気取りの)存在として今日のダンスシーンは社会に位置づけられ(棚上げされ)、それによってわずかな例外を除いてどんどん時代から無視され取り残されていったことだろう。
大げさに聞こえる?けれども、試しにいま活動しているダンサーやカンパニー、各種イベントやアワードを洗いざらいマッピングしてみて、その見取り図から「吾妻橋」イベントやそこで披露された作品をくりぬいてみたらどうだろう。古色蒼然とした多くの公演とそれを支えるやはり前時代的な価値観が相も変わらず跋扈し、その一方でインディペンデントな活動をする野心的な者たちがそこに隠れてしまいそうになりながらなんとかサヴァイヴァルする方途を求めあがいている、求心力のない(またそれに対する反発もない)、味気なく、論争のない、何とももどかしい、目を覆いたくなる光景がただただそこに広がっているはずだ。
あるいは、例えば「吾妻橋」がなかったら、「chocolate」(ニブロール)も「ズレスポンス」(ほうほう堂×チェルフィッチュ)も「茶番ですよ」(康本雅子)も「Dead」(Ko & Edge Co.)も存在していなかったかもしれないのだ。そうした10分ほどの小作品を発表する機会は、「踊りに行くぜ!!」など(ただしより長い20分程度の作品を発表する場である)、たしかになかったわけではない。けれども、小作品をポップ系のコンピレーション・アルバムを聴くように見るという設定がなければ、そうした作品を作ろうと思い至ることはなかっただろうし、仮に作られたとしてもそれらの作品がもっているインパクトは「ダンスを見る=立派なアートを見る」という既存の堅苦しい思いこみにかき消されて観客に十分に伝わらなかったに違いない。
「吾妻橋」以前になかったもの、そして今でも希有というべきもの、それはダンスをポップなものとして楽しむ空間である。
若手のダンサー、振付家が原石のまま抱えていたポップであることの可能性をつぶさに感じ取り、それをひとつのうねりへと転化しようとした桜井圭介は、2004年の7月に(六本木クロッシングでの不幸なダンス・イベント中止をきっかけに)、最初の吾妻橋ダンスクロッシングを開催した。思えば、その前年の2003年というのはKATHY、身体表現サークル、山賀ざくろが注目された年で、彼らが呈示した新しい感覚(とくにダメ・キャラの魅力が彼らによって開かれた)と、同時期に桜井が模索し始めていた「コドモ身体」論が大きな基盤となって、ダンスがポップである可能性は現実のものになっていったのだった。
いまぼくはいささか大ざっぱなまま「ダンスがポップである可能性」と口にしたが、そういったときの「ポップ」の内実が、実のところ、かなり特殊な桜井的バイアスに色づけされているものであることは、無視してはならないポイントである(さらにそれ以上に、既存のダンスという「持ち駒」で出来ることをしなければならないという限界もここで考えておかなければならない点だが、いまは言及しない)。つまり、「吾妻橋」的「ポップ」のセッティングは、「桜井の解釈するポップ」の範疇内にあるものであって、ぼくが考えるに、それには80年代的な「多幸症」を理念型にしていると捉えるべきところが大いにある。極簡単にイメージをしてもらうには、「ヘタうま」の教祖・湯村輝彦などを例に挙げるといいだろうか。「くーだらない」ものを肯定し自らの「マチョ」性を脱力させるといった「コドモ身体」的な価値観。そこには、その特殊な言葉遣いにもあらわれているような独特のユルさをよしとする80年代的なセンスが、色濃くしみこんでいるのである(そこには「ニート」や「ひきこもり」や「ヤンキー」の「ユルさ」は想定されていない。さらに、非常に誤解が多い点だが、単なる幼児性や単なる「無垢」で「純真」で「元気」といったステレオタイプの子供らしさと「コドモ」といって桜井の念頭に置いているものとも、決して一つに重なる類のものではない。忘れてはならないのは、大人=男性の専制的な力に対抗する概念装置として「コドモ」という言葉が発案されている点であり、その手段となるのが「ユルさ」であり、そのユートピアが80年代的色彩を帯びた「多幸症」的な空間である)。
その桜井的バイアスを放っておいたままで、「吾妻橋」公演の是非を論じることはまったく出来ないとさえ思う。その「多幸症」を桜井が2007年のいまにどう転がそうと考えているのか、それこそ「吾妻橋」公演を評する勘所であり、そこにこそ「吾妻橋」的なものがリアリティを今日もちうるか否かの賭けがあるわけである。
少なくとも、ぼくにとって「吾妻橋」とは、桜井圭介という一個人が日本社会に向けた、実存を賭けた自らのセンスの提案なのであり、それ以外の何ものでもない。そして、ぼくは近年の「吾妻橋」公演に関して、その「多幸症」のベクトルが、結局のところ、当時の小泉自民党内閣が推し進めていたような実質をともなわない幸福感と大差ないのではないかと感じ、批判したこともあった。また、当wonderland誌にかつて寄稿したように、前回の「吾妻橋」については、出演した演劇系団体に対してダンスの側が相当程度後退しているように感じ、他方、観客に対するアプローチの巧みな演劇系団体の長所ととくにそのラディカルな面を利用した桜井のアイディアに「吾妻橋」が危険な暗礁をブレイクスルーするための方途を見たのだった。
さて(ようやく本題です)。ぼくは今回の「The Very Best of AZUMABASHI」で桜井がもちだしたアイディアを、「いたずら」と呼んでみようと思う。まず、夕闇の会場にあわて気味で到着したぼくの前にいたのは、かっぱ次郎(ボクデス)で、というか、入り口を探して右往左往していたぼくの足が、何かをけっ飛ばしてしまい、けったものを拾うとそれは和辛子のチューブで、振り返ったら紙皿を頭に乗せたかっぱ次郎がそこにいた、という次第。きゅうりを使っていろいろなだじゃれ作品(広げたTシャツの上にきゅうりを置いて「ナイきゅ」、、、とか)をあたふたしながら作る例のパフォーマンスの真っ最中、それを公演前の会場の外で行っていた、というわけ。会場(アサヒ・アートスクエア)に入るためエレベーターを待つ人たちはその姿を失笑しながら見るともなしに見る、それがすでに公演の演目の一つとも知らずに。さらに痛快だったのは、会場に入って、トイレに行くとテレビが置いてあり、そこに、自分の性器にマジックで顔を描いてそれと会話をする(?)男の映像が映っていたこと。苦笑しながら出ると今度は、狭い通路になにやら展示がしてある。ピカチューの剥製?シッポがギザギザのカミナリ型をしている!Chim↑Pomという若い美術集団が、渋谷のセンター街にうろちょろしているネズミをドンキ・ホーテで買った捕虫網を使って捕獲し、それで作ったものだという。確か、桜井氏がこの「ピカチュー」に絶大なる興味をかき立てられていることは以前本人から聞いていた。が、まさか「吾妻橋」にそれが登場するとは!剥製の脇では、ネズミを捕獲する模様が流れていた。わーきゃー言い、ビビリって体を痙攣させながらネズミと格闘するいかにもイマドキな若い男の子や女の子がそこに映る。そしてその隣で、当人たちが笑いながら(ひとりの女の子はビカチューの着ぐるみを被った格好で)そのときの模様を観客に楽しそうに説明しているのだった。
いわゆる公演前の時間に観客は、こうしたあっけらかんとして痛快な悪ふざけ=「いたずら」のスピリットに襲われることとなった。ぼくにとって、今回の「吾妻橋」は、これだった。それまでの「吾妻橋」が、どちらかと言えばこれまでの桜井の人脈や既存の持ち札のなかから多くの演目をチョイスしていた面があり、そしてそれがしばしば懐かしさもあいまった80年代的意匠から自由でないという印象を与えていた。とすれば、このChim↑Pomを差し込む今回の桜井の戦略は、これまでの「吾妻橋」が停泊していた領野を離れ、そこから自由に、未知の領野に「吾妻橋」を航行させようとする気概にあふれた身振りに思えた。
その点で、宇治野宗輝のパフォーマンスを振り返っても良いだろう。自作のレコード盤による装置(小さなピンをレコード盤の各所に貼ってそれがバーを叩く音を音源にする装置)や楽器彫刻(「Love Arm」)など数々用意した動く彫刻によるパフォーマンスのなかで、とくに印象的だったのは、ジューサーミキサーのオブジェに、宇治野が牛乳とバナナを数本入れ、気まぐれに動いては止まるモーターによって、次第にバナナを粉々にしていくという場面だった。モニターされスクリーンに映されたバナナは勃起したペニスのように見え、モーターがそれをくるくると動かし解体していくさまは、きわめてユーモラス。途中でミキサーに宇治野がフタする瞬間、ピピピューッと白い液体が飛びはねた。てことは、これはペニスの単なる否定ではない(し、もちろん単なる肯定でもない)ってわけ?最後に、これまたきわめてペニス的な楽器彫刻を操作しながら、宇治野は「You are the only one, you are the number one 」と飄々と歌い上げた。
トイレの映像もそうだったのだけれど、今回の「吾妻橋」、やたらとオチンチンの登場が多かった(Chim↑Pomの展示紹介をするアナウンスや販売していたDVDを売り込むピカチュー着ぐるみ姿の女の子(メンバー)も何度も「チンポム」って言ってるし)。それらが醸し出していたのは、単なる「マチョ」批判とも言えない、故に単に自分の身体の暴力性を否定してよしとするのではなく、むしろそこから逃げることなく、むしろ肯定も否定も込みでそこへと自省しつつ向かっていく、そんな振る舞いだったと言えるのではないか。現実にちょっかいを出しつつ、盛り上がろうとする悪ふざけ、というか。
と、ここまでのところ、今回の「吾妻橋」でのダンスのことを全然話してないのではあるが、それはそれでよいのではないか。いや、悪かったのではない。Off Nibrollにせよ、康本にせよ、ほうほう堂×チェルフィッチュにせよ、ボクデスにせよ、身体表現サークルにせよ、KATHYにせよダンスはざっくりいってすべて良かった。「Best」版ゆえ、過去作品ばかりではあったけれど、それぞれが新鮮にそれを披露していた、そうぼくは思った。そして、それらが新鮮に見えたのも、彼ら個々の努力とともに、上記したような「いたずら」心のベクトルが公演の空間に十分機能していたからに違いないとも思った。それは、新しい形を「吾妻橋」が模索していることの証左だった。すでに前回の鉄割アルバトロスケットによる長ネギバトルに萌芽のあった悪ふざけの方位が、今回、明確な針路となった(終幕後のおまけは、今回の場合、長ネギではなく、ボクデス「蟹ダンサー多喜二」のカニ汁だった)。観客との「多幸感」の共有をゴールとする「吾妻橋」が一体どんなアメーバ的変転をさらに推し進めていくのか、今年話題の「マイクロポップ」(松井みどり)のキーワードと今作とを比較したりしながら(この点については、詳細な検討が必要だろう)、「吾妻橋」の次をぼくはすごく楽しみにしている。
(注)木村覚「規範をすり抜ける遊戯の内にダンス的な何か(「面白い」瞬間)がある」(wonderland)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第34号、2007年3月21日発行。購読は登録ページから。本ページに掲載した写真の著作権は撮影者または提供先にあります。転載など使用の際は必ず許諾を得てください)
【筆者紹介】
木村覚(きむら・さとる)
1971年5月千葉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻(美学藝術学専門分野)単位取得満期退学。現在は国士舘大学文学部等の非常勤講師。美学研究者、ダンスを中心とした批評。
・wonderland寄稿の劇評一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimura-satoru/
【上演記録】
吾妻橋ダンスクロッシング『The Very Best of AZUMABASHI』
アサヒ・アートスクエア(2007年03月09日-10日)
▼企画・構成 桜井圭介
http://azumabashi-dx.net/
▼出演:http://azumabashi-dx.net/performer/200703/
off Nibroll
KATHY
身体表現サークル
ボクデス&チーム眼鏡
ほうほう堂×チェルフィッチュ
康本雅子
▼スペシャルゲスト
宇治野宗輝&ザ・ローテーターズ、kiiiiiii
* 出演を予定していたKiiiiiiiは、Vo.のU.Tの体調不良により出演キャンセル。
▼同時開催
Chim↑ Pom(チン↑ポム)「スーパー☆ラット」展
▼DJ/VJ
RYU KONNO(Super Deluxe/Come on people)/稲葉まり
▼日程
2007/03/09 (金) Open 18:30 Start 19:00
03/10(土) Open 12:30 Start 13:00/Open 17:00 Start 17:30
▼料金
当日3500円
前売3200円
学生前売2800円(ホームページ予約のみ)
▼スタッフ
企画・構成:桜井圭介
企画協力:紫牟田伸子
イラスト:kiiiiiii
デザイン:岡本健+
ウェブ:ALLIANCE PORT
映像記録:須藤崇規
舞台監督:原口佳子(officeモリブデン)
照明:森規幸(balance,Inc.DESIGN)
音響:木下真紀、牛川紀政
制作:中村茜、奥野将徳
制作協力:precog
主催:吾妻橋ダンスクロッシング実行委員会
助成:アサヒビール文化財団、芸術文化振興基金、セゾン文化財団
協賛:アサヒビール株式会社、トヨタ自動車株式会社
協力:ドリル
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