ポかリン記憶舎「息・秘そめて」

◎方法論と内容が一致した幸福な舞台 おおらかな「笑い」に開放感
松井周(サンプル主宰)

「息・秘そめて」公演チラシポかリン記憶舎の「息・秘そめて」(作・演出:明神慈)を観た。
ポかリン記憶舎の作品は元々独自の世界を形成していて、「地上3cmに浮かぶ楽園」と名付けられたその世界は、日常と非日常の間のぼんやりした「あわい」の世界である。日常の喧噪がシャットアウトされた中で、着物美女がたゆたう様は、男性の視点で言えば(その視点は意識されているように思うので)、新しいリラクゼーションスポットのような「癒しの空間」を創り出していた。しかし、今回の作品にはそれだけでなく、おおらかな「笑い」が組み込まれていたように思う。このような変化がいつ頃から起こったのか、近作を観ていない私には判断できないのだが、少なくとも今作品においては、それが成功しているように思えた。

あるNPO法人が著名な写真家を招いて、市民向けのワークショップを開催する。参加者たちはペアを組み、自己紹介しながらお互いを撮り合ったり、自分の興味のあるものを撮って、後で発表する。つまり、淡々とワークショップが進行していく様子が描き出されることになる。

観客はまず、ワークショップの始まるまでの時間を体験し、参加者が揃わないまま、ゆるゆると始まるワークショップの様子を眺めることになる。この作品は物語がどんどん展開していくわけでもなく、大がかりな仕掛けがあるわけでもない。どこまでもワークショップの時間が進行する。しかし、この時間の心地よさ、豊穣さのみが観客の関心を引っ張り、決して飽きさせない。

写真のワークショップにおける「眺める」という行為は、最初の一歩であり、それがなければ始まらない。また、カメラという媒介を経ることで、参加者たちも初めは遠慮しながらも、徐々に視線の欲望をむき出しにしていき、また、その欲望にさらされることに慣れていく。女性のお尻に群がったり、その群がる者たちを撮ったり、接近して撮り合ったり、また、ある者はモノの接写に走ったりと好き放題である。シャッターの音とフラッシュの光が止まないその光景はパパラッチを彷彿とさせ、どこか下品であった。しかし、この下品さが「笑い」に、しかもなんらアイロニーを混ぜた「笑い」ではなく、人間の俗っぽさを肯定するような「笑い」として提示されていたことに、私は開放感を感じた。

その他にも、初対面の者同士がうち解ける前に交わす会話の齟齬や、撮り合った写真を鑑賞していくときに照れ笑いを伴う連帯感など、ワークショップならではの「笑い」に満ちていた。この「笑い」は実際のワークショップで起こり得る、人間関係を前提とした「現実」的「笑い」である。

「息・秘そめて」公演

「息・秘そめて」公演
【写真は「息・秘そめて」公演から。撮影=清水俊洋 提供=ポかリン記憶舎 禁無断転載

しかし、今まで「異世界」として独立していた世界に、このような「現実」を持ち込むのにはリスクが伴う。単純な例を引けば、劇世界というものは、今流行している固有名詞を一つでも使用することで変化しうるし、その変化をうまく操ることが出来れば構わないが、ただ鈍感に使用してその変化に気付かないこともあるからだ。

もちろん、明神慈はいくらワークショップを描こうとも、モノや空間には徹底した配慮を施し、特定不能な空間と時間を創りだしていた。また、それだけにとどまらず、演技の方法論を徹底することで「現実」を見事に変容させていた。

ポかリン記憶舎には独特のメソッドがあるらしい。その詳細については知らないが、重力を三分の二ほどに減らしたような、俳優の独特の動きは、どこかCGアニメのようななめらかさで、観る者に動きの残像を与える。そのトーンは以前から存在していたものであり、それがポかリン記憶舎の世界を支えていたように思う。今回の作品でもそのトーンは徹底されていて、身振り手振り、立つ、座る、歩く、声を殺す・荒げる、首を傾げる、水を飲むという動作一つ一つが、また、手・足・腰・口・喉などのパーツそれぞれが観客の視線を誘導し、とどまらせる。

つまり、観客は、舞台上で行われているワークショップの「眺める」という行為とリンクするように、俳優やその空間やモノを眺めざるを得ない。そして、眺めれば眺めるほど、ポかリン記憶舎の方法論の徹底ぶりを目の当たりにし、視線は絡め取られてしまう。言ってみれば観客は、舞台上の視線の乱交パーティーを眺めるギャラリーになってしまう。その状態で、いくら舞台上に「現実」が持ち込まれようと、観客はそれを喜んで視線の餌食にしてしまう。

では、そこに「物語」が持ち込まれたらどうか? これは難しい。「物語」は登場人物の背景を観客に想像させなくてはならず、観客は舞台に対する集中度を下げてしまうからだ。その部分においても今回の舞台は抜かりがない。例えば、雨でずぶ濡れの女がワークショップに遅れてやってくるのだが、その直前に交通事故にあっていたらしく、右足を引きずっている。そこまでしてやって来たのは、その写真家に会いたかったからで、更に、そのワークショップに参加していたある男とも何かしら関係があるらしいことがわかる。しかし、写真家に説得されて病院に連れて行かれる。その女と男、あるいは写真家との関係は、最後まで明らかにならない。他の参加者の関係も同じである。つまり、関係性の線のみは提示されるのだが、それ以上は明かされない。そうすることで、観客の想像力を刺激しながらも、決して「物語」に牽引力を明け渡さない。

明神慈が実際のワークショップの経験から、この作品を起ち上げたのかどうかはわからないが、少なくともその経験が作品に大きな余裕、遊びを与えているように感じた。

ここまで書いてきてなんであるが、私はそれを観ている間、全く方法論を意識することなく過ごしたし、もっと言えば、ほとんど窃視することに明け暮れていた。そんなことからも、この舞台が方法論と内容の一致を見せた幸福な例であると言えないだろうか。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第49号 2007年7月4日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
松井周(まつい・しゅう)
1972年東京生まれ。明治学院大学社会学部卒。1996年俳優として劇団青年団に入団。その後、劇作と演出も手がける。「通過」、「ワールドプレミア」が日本劇作家協会新人戯曲賞入賞。青年団所属。「サンプル」主宰。新作「カロリーの消費」(2007年9月14日-24日予定、三鷹市芸術文化センター)
・wonderland掲載の劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/matsui-shu/

【上演記録】
ポかリン記憶舎#14『息・秘そめて』
こまばアゴラ劇場(2007年06月19日-24日)

作・演出 明神慈
出演 中島美紀 日下部そう 浦壁詔一 古屋隆太(青年団) 福士史麻(青年団) 境宏子(リュカ.) カネダ淳 井上幸太郎 桜井昭子 綾田將一(reset-N)
※並木大輔から綾田將一(reset-N)にキャスト変更しました。

音楽 木並和彦
舞台美術 杉山至+鴉屋
舞台監督 寅川英司+鴉屋
照明 木藤歩
音響 尾林真理
写真 松本典子
AD 松本賭至
衣裳 フラボン
演出助手 並木大輔

★ポストパフォーマンストーク
6/19 田中流(写真家)
6/20 中野愛子(写真家)
6/21 山本尚明(フォトグラファー)

◆チケット 日時指定・全自由席
<前売・予約> 一般:3000円 平日マチネ割引:2500円 学生・和服割引:2500円(予約のみ・こまばアゴラ劇場で取り扱い)
<当日> 3500円 平日マチネ割引:3000円
※ 芸術地域通貨 ARTS(アーツ)利用可(1ARTS=1円 桜美林大学演劇施設内で施行中の地域通貨)

【関連情報】
旅模様*(旅のあしあと&稽古場日記)-「息・秘そめて」公演のゲネプロ&本番中の画像がたくさん掲載されています(マガジン・ワンダーランド編集部)

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