スロウライダー「手オノをもってあつまれ!」

◎さまよいつつ知る演劇世界の再構築 リアルでない、リアルな世界で
小林重幸(放送エンジニア)

冒頭、舞台はどうやら近未来らしいことがわかる程度。情景は、団地らしき建物の外。どこか僅かに違和感が漂う会話から、この場所は、現在われわれがいる実世界とは何か違う常識が存在する別世界であることが窺える。

と、そこへ上から「手オノ」が落ちてきて。舞台中央にいた人物はとてもびっくりし、舞台下手奥の人物と大声で会話を始める。が、これもどこかしっくりこない。しばらく会話を聞いているうちに、これは地上と建物上階のベランダ間で会話をしているのだ、という事情が判ってくる。この段階で、今まで同じ平面上で会話をしていると思い込んでいた観客は、そのイメージの大幅な修正を迫られることとなる。つまり、新たに判明した「この演劇上のお約束」に従って、観客は自分で心の中に想い描いたこの演劇世界の構造図を修正せざるを得なくなるのだ。

ここからしばらくの間、「何か違和感のある登場人物の言動」と「この演劇上のお約束」が次々と提示され続ける。当日配られたパンフレットに書かれている10数行の説明しか情報を持ち合わせていない観客は、この演劇の舞台となっている世界がどういう構造のものなのか、その構図をひたすらイメージし、そして、そのイメージを新たな情報で修正していく、という心の中の大作業を強いられる仕組みとなっているのである。

これは苦痛な作業だろうか。いや、私はそうは思わない。この作業は例えば、地図も無く、言葉もあまり通じない外国の町をさまようようなものだ。それは労苦そのものだろうか。むしろ、探検心と好奇心がむくむくと湧き上がりはしないだろうか。この芝居の前半は、子供のころ見知らぬ土地へ始めて行った時に大はしゃぎした、あの、なんとも不思議な、わくわくとした気持ちを、再び目覚めさせてくれたのだ。

この芝居は冒頭からしばらくの間、いわば、この演劇でしか通じない約束を用いながら、見知らぬ土地を延々と描写し続けるような構造を採用している。これにより観客は、この演劇の「世界」を俯瞰的な視点ではなく、実際にその世界に入り込んでいるかのような視点で解析し理解していくこととなる。グーグル・アースの「衛星写真」を見て把握するのではなく、往来を彷徨う一人の人物としてしか、この演劇の世界について知ることはできない。これをローテクと侮る無かれ。世界の構造を知るには、結局、そこに存在するルールを一つ一つ解き明かすしかないのだ、という根本的な思いに突き当たってしまうほど、この描写法は有効に働いているのだ。

実在の世界を描写するひとつの方法である『科学』は、目の前で起きたことを「なぜ」起きたかではなく「どう」起きたかだけで記述しよう、というルールで成立していたのであった。その逆の方法として、「どんなルールが存在するかを積み重ねて演劇世界を描き切ろう」というのがこの芝居の前半であるといえよう。その様子に、私は、本当にわくわくさせられたのである。

ところが、それだけでこの芝居は終わらない。事態が急変するのは中盤。唐突に、この演劇世界が、ネットワーク内に存在する「バーチャルなもの」であることがさらりと明かされる。登場人物は全て「アバター(化身)」。仮想世界の中での人物の言動には、全て、実世界に実在する人間の意思が反映されていることが明らかとなるのだ。今まで見てきた世界は近未来などではなく、仮想とはいえ「今」の実世界とつながっていたこととなるのである。

「手オノをもってあつまれ!」

「手オノをもってあつまれ!」
【写真は「手オノをもってあつまれ!」公演から。撮影=西田航 提供=スロウライダー 禁無断転載】

この「演劇世界構造の再構築」によって、はじめて、この演劇世界に「現実感」が持ち込まれたといっても良いであろう。「ここではないどこか」という、自分とは切り離された世界の話かと思っていたら、突然、自分のいる世界が反映された「目の前の鏡」の中の話だったというわけである。それまで「未来にも色恋沙汰ってあるのね」と思っていたら、それは未来の話ではなく、自分の鏡に映った姿だった、ということである。そりゃ、恋愛もあれば、イヤなやつもいるだろう。

それまで、ある意味「冷静」にその世界の有様だけを客観視していただけに、それがリアルの反映とわかると、その意味の重さは額面以上である。実世界の人間が、仮想世界のアパターに、なぜそんな「だめ~な感じ」なことをわざわざやらせているのか、ということを考えると、実世界の人間の「ダメさ加減」にも考えを巡らさざるを得ない。この仕組みが、この演劇世界に「説得力」を与える大きな要因として作用していると考えられる。

とはいえ、この芝居で描かれる世界のほとんどは、あくまで「ネット内の仮想」(『セカンドライフ』や「ネットゲーム」のようなもの)である。現実ではない。にもかかわらず、この芝居の登場人物は、「仮想世界もまた現実」として行動している。例えば、仮想世界内でであった女性をネット内で追い回すだけでなく、実世界でもストーキングしている。これは「リアル」だろうか。

この点は、観客個々の感覚によって相当ばらつきがあるだろう。「仮想世界と現実の区別がつかないなんて違和感がある」と思う人も少なからずいるはずだ。

むしろ特筆すべきは、この芝居は、仮想世界と現実はある程度シームレスなもの、すなわち、「仮想世界もまた、現実の一部分」ということを前提に描かれていることだ。でなければ、「仮想世界内で、さらに『ネットゲーム』という仮想世界にハマる」なんていうフラクタル構造なシーンが用意されるはずがない。「仮想世界もまた現実の一部」という前提が、疑いも無いかのごとく採用されていることが、この芝居は「今」の実世界の感覚を描いている、ということになるのかもしれない。

演劇世界で何を描くかもさることながら、その世界の構造を「明示せずにどう判らせていくか」ということと、「どう現実世界と関係付けるか」がこの芝居で私がもっとも興味を持った点である。その点においてこの芝居は抽象度が高く、あるいは難解視されるかもしれないが、しかし、この周到な世界構築の手法からは、これからも、この作家が「得体の知れない世界」を紡ぎ出すのではないかという期待が、もうもうと漂いまくってくる気がするのである。(2008年1月5日 ソワレ 於 THEATER/TOPS)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第78号、2008年1月23日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
小林重幸(こばやし・しげゆき)
1966年埼玉県生まれ。早稲田大学理工学部電気工学科卒。東京メトロポリタンテレビジョン技術部勤務。デジタル放送設備開発の傍ら、年間200ステージ近い舞台へ足を運ぶ観劇人。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kobayashi-shigeyuki/

【上演記録】
スロウライダー第10回公演「手オノをもってあつまれ!」
新宿・THEATER/TOPS(1月4日-7日)

作・演出 山中隆次郎
出演
山中隆次郎 數間優一 日下部そう 金子岳憲 町田水城 山口奈緒子 松浦和香子 石川ユリコ 山田伊久磨 多門勝 ほか
スタッフ
舞台美術:福田暢秀(F.A.T STUDIO)
照明:伊藤孝(ART CORE design)
音響:中村嘉宏(atSound)
舞台監督:西廣奏
宣伝美術:土谷朋子(citron works)、仲麻香
記録写真:西田航
記録映像:トリックスターフィルム
Web運営:栗栖義臣
当日運営:安元千恵
制作補佐:坂本明、三好映子
制作:三好佐智子
企画・制作:有限会社quinada
助成:芸術文化振興基金

チケット料金
前売 2800円 当日 3000円 [全席指定・税込]

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