三条会「綾の鼓」

◎団塊ジュニア世代の「ニヤリズム演劇」  鳩羽風子(新聞記者、演劇評論)  三島由紀夫が割腹自決を遂げたのが1970年。その2年後に、今回取り上げる『綾の鼓』を演出した関美能留は生まれた。私も同い年だ。「三島」が既に歴史 … “三条会「綾の鼓」” の続きを読む

◎団塊ジュニア世代の「ニヤリズム演劇」
 鳩羽風子(新聞記者、演劇評論)

 三島由紀夫が割腹自決を遂げたのが1970年。その2年後に、今回取り上げる『綾の鼓』を演出した関美能留は生まれた。私も同い年だ。「三島」が既に歴史となっていた同世代が、彼の作品をどう受け止め、今の時代にどう映すのか興味があった。

 JR千葉駅から徒歩20分、雑居ビルの3階に三条会のアトリエがあった。マンションの一室のようなアトリエ。窓を背景に舞台が設えてあり、上手奥の壁には掛け時計が午後6時50分をさしていた。開演は午後7時。舞台では丸刈りで学ランを着た屈強な男がぞうきんで床をふいていた。最初は開演の支度をしているのかと思った。そのうち男は時計を拭きはじめた。じっと見つめながら輪郭をなで回す仕草は、愛撫しているかのようだ。7時を回り、せりふが聞こえ--すべて演出だったと気がついた。

 三条会の公演を見るのは初めて。美意識に満ちた妄想の世界と、ポップな笑いのアンバランスな共演に、正直びっくりした。当日の6日前、私は同じ三島作品の『サド公爵夫人(第2幕)』を、鈴木忠志演出で見たばかり。会場は静岡の舞台芸術劇場・屋内ホール「楕円堂」。静謐の空間で繰り広げられる言葉の力に圧倒されただけに、こういう手もありなのかと驚いたのだ。関が率いる三条会の役者の身体と言葉は強靱で、鈴木メソッドを彷彿させる。それだけに演出手法の違いがより一層くっきりと浮き上がった。

 『綾の鼓』は70歳の岩吉がビルの窓越しに金色の毛皮の外套を着た華子という女性を見初め、「ただ一度の接吻」を乞う恋文を送り続ける。華子の知人たちは男に鼓を渡す。打った音がこちらの窓まで届いたら思いをかなえようという文を添えて。岩吉は鼓を打つが、鳴らない。その鼓は皮の代わりに綾の布が張ってあり、元々鳴らないのだ。からかわれたと知った岩吉はビルから身を投げて死ぬ。そこまでが第一場。第二場はその一週間後。幽霊となった岩吉は華子をおびき寄せる。綾の鼓を聞かせてほしいと迫る華子に、岩吉は恋の力で鳴らせてみようと、百回打つ。鼓は鳴ったり鳴らなかったり。それでも「聞こえない」と言い続ける華子に絶望して消えていく--というあらすじである。

 関の演出は三島の戯曲にほぼ忠実だ。いくつかの脱線とト書きのいたずらを除いては。具体例を挙げると、岩吉の恋文を華子方へ届ける加代子という女事務員は、あの掛け時計。彼女の声だけが会場に響く。この「姿なき声のみの存在」は、老いらくの恋に走る岩吉の内面をより鮮明にする。文庫本(『近代能楽集』新潮文庫)では5ページに及ぶ加代子との対話が、そのまま岩吉の独白となって聞こえた。なで回す時計は、老いて失われた時間への妄執なのかもしれない。

 このようなシリアスな場面で、思わずほおが緩んだ。岩吉は、老醜のイメージだが、演じている役者(榊原毅)は男盛りの偉丈夫。時にお尻を振りながら恋心を切々と吐露する。このようなズレやいたずらによって、おかしみを生む演出は、このほかにもあった。出される「コーヒー」が、なぜか熊本焼酎の「しろ」だったり、席を外した役者が舞台上手手前にある本物のトイレに入って水を流したり。いずれもト書きを脱線している。そのくせ、アトリエの窓を開けて、リアルな夜の香りを、劇に取り入れる洗練さも見せるから心憎い。

 いたずらの極め付きは、前述した「しろ」(ト書きではコーヒー)を運ぶ女店員を、関自身が演じていることだ。ほかの7人の出演者が強い身体と言葉を持っているのに対し、関はぎこちなく、弱々しい。自作にちょこっと登場するヒチコックのような愛嬌はない。「出てきちゃってすみません…」。そんな雰囲気を醸し出していた。

 私はそこに、三島の世界に傾倒しながらも没頭できず、ポップな笑いに転化させてしまう含羞をみる。

 幕切れで岩吉が打つ鼓の効果音は、鳴ると「ポン」、鳴らないと「スカッ」。この擬音は漫画的だなと直感した。10代のころ、親しんだ漫画はシリアスな場面を描いていても、次のコマではヒロインの頭上へ10トンと書かれたハンマーが直撃。こんな「…なんちゃって」の演出であふれていた。

 私たち団塊ジュニアは、壮大な実験だった社会主義の終焉を見届けて大人になった。革命はもう無理だ。だから、厳しい現実にぶち当たっても、「まあ、世の中こんなもんさ」と苦笑いを浮かべながら、受け入れる癖を身につけた。それをニヒリズムではなく、むしろ「ニヤリズム」と私は呼びたい。

 今回の『綾の鼓』は、笑いの仕掛けで三島作品と一定の距離を保ち、批評的な態度を取らせる「ニヤリズム演劇」だったのではないか。ニヤリと笑って、「三島」伝説の呪縛を解き放ち、新しい地平を切り開く。そんな試みに満ちた舞台だった。
(初出:「マガジン・ワンダーランド」第102号、2008年8月27日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 鳩羽風子(はとば・ふうこ)
 横浜出身。日本女子大学人間社会学部文化学科卒。新聞記者の傍ら、劇評を「シアターアーツ」や「ワンダーランド」に発表している。AICT(国際演劇評論家協会)日本センター会員。

【上演記録】
三条会アトリエ公演『近代能楽集』全作品連続上演・1より「綾の鼓」
作:三島由紀夫
演出:関美能留
出演:岩吉 榊原毅
   加代子(声) 大川潤子
   藤間春之輔 中村岳人
   戸山 渡部友一郎
   金子 橋口久男
   マダム 大川潤子
   華子 立崎真紀子
上演:4月19日-25日、三条会アトリエ(千葉市中央区)
入場券:1回券 2,000円 2回券 3,800円(日時指定・自由席)

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