tpt「ウルリーケ メアリー スチュアート」

◎理想を追い求めたが故の破綻 英王権争闘に日独赤軍派を重ねて描く
水牛健太郎(評論家)

「ウルリーケ メアリー スチュアート」公演チラシ間もなく取り壊されるベニサンピット。ここを主な活動の場にしてきたTPTにとっては、ベニサンでの最後の公演である。空間の高さと奥行きを活かした印象的な舞台となった。

オーストリアの作家・劇作家であるエルフリーデ・イェリネクの戯曲は、シラーの戯曲「メアリー・スチュアート」に想を得て、16世紀のスコットランド女王メアリー・スチュアートとイングランド女王エリザベス一世の関係を、20世紀のドイツ赤軍派の2人の女性闘士ウルリーケ・マリー・マインホフとグードルン・エンスリンの関係に重ねて描いたものだという。

メアリー・スチュアートはフランス宮廷との関係が深く、それを背景にイングランド王位の継承権を主張していた。故国スコットランドの情勢が安定せず、自らがイングランドに亡命している身でありながら、しばしばエリザベスの廃位を画策するなどしたので、ついにエリザベスの命により処刑された。

一方、ウルリーケ・マインホフとグードルン・エンスリンは1970年代の西ドイツを揺るがせたドイツ赤軍派の創立メンバーである。ドイツ赤軍派は日本の赤軍派に倣った名前で、もともとは「バーダー・マインホフ・グルッペ」と呼ばれていた。バーダーとはアンドレアス・バーダーのことで、彼はエンスリンの恋人でもあった。バーダー、マインホフ、エンスリンの3人がドイツ赤軍派の最高幹部である。

30年という月日は回顧への意欲を誘うのか。日本では一昨年あたりから連合赤軍事件の回顧が流行し、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という映画が昨年公開された。ドイツでも全く同じように、ドイツ赤軍派の実録映画が公開された。「バーダー・マインホフ・コンプレックス」という映画で、昨年10月、たまたまドイツ旅行をしていた際に見かけ、映画館に飛び込んだ。ドイツ語は全くわからないが、退屈しなかった。それというのも、内容が暴力に継ぐ暴力であったために、言葉が分からなくてもほとんど問題はなかったのである。

銀行強盗、爆弾テロが繰り返し行われ、要人誘拐のためにはボディーガードを全員機関銃で蜂の巣にする荒っぽさ。一連の犯行による死者は30人に上るという。もちろんマインホフとエンスリンもたびたび犯行に加わる。連合赤軍事件の女性兵士たちを語るには、湿っぽい悲劇の色彩が避けられないのに対し、スクリーンで見たドイツ赤軍派の女性たち(もちろん俳優だが、メークアップや髪型で本物そっくりになっている)はどこか陽気なまでの凶暴さを感じさせた。それは、ドイツ女性特有の大きくて厚みのある身体からの印象でもあったように思う。

その映画でも描かれていたが、マインホフはもともと左派のジャーナリストとして高く評価される存在であった。赤軍派の元となるグループの取材をしているうちに共感し、徐々にシンパになる。そしてついに、警察に囚われたバーダーを奪還する作戦に加わって一線を超え、赤軍派の理論指導者となる。幾多の強盗・放火・爆弾テロなどに参加するが、1972年にバーダー、エンスリンらと逮捕される。彼らは獄中でもグループとして活動していたが、やがてマインホフが孤立し、精神不安定に陥って、1976年に首吊り自殺を遂げた。エンスリン、バーダーを含む残る獄中メンバーも、1977年に赤軍派が彼らの奪還を目指して起こしたハイジャックが警察の突入により失敗した翌朝、それぞれの独房で死んでいるのが見つかった。自殺と見られているが、謀殺説もある。

長い背景説明になったが、本来このくらいの説明は必要な話であろう。イェリネクの戯曲が上演されるドイツやオーストリアでは、マインホフという人物について、上記程度のことは広く知られているはずである。「ウルリーケ メアリー スチュアート」は、その知識を背景にして初めて意味の伝わる内容である。しかし、日本ではウルリーケ・マインホフは全く無名なのに、今回のTPTの公演はチラシに「ドイツ赤軍の女性闘士」としか説明がなかった。プログラム(1000円もする)には多少の解説があるが、それを買わなかった観客にとって、公演の内容はほとんど意味不明であったはずだ。作品の基本的な背景を知るのに、観客に1000円の追加出費を強いるのはフェアなやり方ではない。外国の珍しい作品を本邦初演する意義を損ねることになるのではないか。制作側の姿勢には大いに疑問を感じた。この点、指摘しておきたい。

今回の公演は、イェリネクの戯曲の翻訳を元に、川村毅が日本の連合赤軍に基づくエピソードを追加し、演出したものである。明確なストーリーはなく、マインホフの双子の娘、乞食、昭和天皇、連合赤軍メンバーなどが次々と舞台に登場し、抽象度の高い台詞を口にする。中核となる部分では、エリザベス一世の扮装をしたエンスリン(大沼百合子)とマインホフ(濱崎茜)が議論を戦わせる。その内容もかなり抽象的なのだが、エンスリンが民衆に頼らない党派の自立性を強調し、党派の中で孤立したマインホフを非難するのに対し、マインホフは民衆との連帯に希望をつないでいるところに、対立点があるように描かれている。

濱崎は日本人離れした大きくて厚みのある身体の女優で、「バーダー・マインホフ・コンプレックス」で見たマインホフの姿と重なるとともに、身体一つで世界と向き合うりりしさを感じさせて印象的だった。マインホフの言葉遣いは現代詩を思わせるもので、象徴的なイメージの中に、身体性と世界のつながりが強調されている。自分の身を革命に供すると宣言し「どうぞ召し上がれ」と叫ぶところは、まるで椎名林檎の歌詞のようだ。その言葉遣いが表すものは、優れたジャーナリストとしても知られたマインホフの巫女=預言者的な資質だが、同時にそれは、現実を生き抜いていくことに必ずしも適さない性質でもあった。民衆が自分の死によって立ち上がるのではないかという夢想に一瞬身をゆだねるが、それすらも「わからない、どうだっていい」と絶望するマインホフ。あまりにもナイーブに理想を追い求めたが故の破綻。彼女の周りを真っ黒な虚無が取り巻いている。

一方、ところどころ挿入される連合赤軍のエピソードで垂れ流される「銃による殲滅戦」「主体の共産主義化」などの理論は、見事なまでに中身がない。もっともらしく辻褄が合っているが、いかようにでも操作できる空理空論の塊だ。ある場面では、実際に行われた赤軍派関係者の座談会がそのまま再現されている。前述の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の公式本に収録されているもので、赤軍派の理論指導者で早い段階に逮捕された塩見孝也と山岳リンチ事件に加わった植垣康博が激しく議論を戦わせる。座談会に参加したほかの2人を含む4人を若い俳優が演じている。特に戯画化した演技・演出ではないが、それだけに彼らの言葉が浮き上がったものであることが強烈に感じられる。今の時代からはもちろん浮き上がっているが、1970年代初めにおいて既に、党派外の人間には無縁の言葉であった。彼らはそのようにしか生きられなかったのだから、今もその言葉で生きているのは彼らなりの誠実さではある。

だが、その言葉が人を殺した。暗い舞台上に、連合赤軍のメンバーたちが、仲間の一人・遠山美枝子(Masami)を追い詰めていく様子が描かれる。先に死んだ小島の遺体を埋める仕事を遠山に課し、次いで「自分の顔を自分で殴って総括しろ」と迫る。そして小屋の入り口に縛って放置する。

一瞬後、遠山が立ち上がるやマインホフに入れ替わる。上から滴る血に赤く染まっていくマインホフ。「赤軍派、すなわち死、ほかには何もない」「むき出しの虚無」などとつぶやくマインホフの言葉に合わせ、死の天使がダンスを踊る。やがて彼女の上方にあさま山荘を占拠しようとする連合赤軍のメンバーが現れると、客席側から天井に吊り下げられた大きな鉄球が舞台上にやってきて、それを、昭和天皇を演じた同じ俳優(小林勝也)の演じる乞食が、振り子のようにぶらぶらと揺らす。そして、マインホフの背後の扉が開いて、催涙ガスを思わせるスモークの中にこれまでの登場人物たちが姿を現すが、舞台奥の扉が開くとともに、その中に飲み込まれていってしまう。マインホフと乞食が虚無の中に残される。幕。

また激動の時代がやってきた。闘えという声がする。しかし、どうやって? 1970年代のように、では決してない。知れば知るほど、余りにもひどいことが多かった。闘いのモデルなどどこにもないのだ。

あの時代から何か残るものがあるとするならば、理論などではもちろんなく、教訓ですらなく、たたずまいというか、影のようなものではないか。小屋の入り口に縛り付けられた遠山美枝子の影でもいい、首をくくったウルリーケ・マインホフの影でもいい。

あの時代、そうまでして人は闘ったということ。虚無と隣り合わせの場所で、何かを変えようとしたということ。かなわなかった夢。実らなかった善意。そのことが、かえって静かな勇気を与えてくれるように思うのだ。

成功物語にはない、ウソのない陰鬱さで。
(初出:マガジン・ワンダーランド第122号、2009年1月14日発行。購読(無料)は登録ページから)

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
tpt「ウルリーケ メアリー スチュアート」
ベニサン・ピット(隅田川左岸劇場)(2008年12月28日-2009年01月10日)

作 エルフリーデ・イェリネク
訳 山本裕子
台本・演出 川村毅
出演 手塚とおる・小林勝也(ダブルキャスト)、濱崎茜、大沼百合子、夏川永聖、河合杏奈、植野葉子、柊アリス、石村みか、武田優子、Masami、飛谷映里、須山剛、伊澤勉、坂本篤、小寺悠介、熊本昭博、越智正雄、高橋宙無、倉本朋幸、晃映ヒロ、土居陽佑、狩野淳、神野明人

装置 石原敬
照明 笠原俊幸
衣装 萩野緑
音響 藤平美保子
舞台監督 松下清水

料金 全席指定6000円、学生3000円

「tpt「ウルリーケ メアリー スチュアート」」への1件のフィードバック

  1. 初めまして。
    こちらでは場違いなのかもしれませんが、植野葉子さんの今後の出演予定とか決定している舞台はあるのでしょうか?
    以前、友人とベニサン・ピットで観劇して、その後、だいぶご無沙汰してしまっているので、大変気になっています。
    体調を崩したりしないようお身体には充分に気をつけて。植野さんの益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

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