劇団掘出者「誰」

◎覚悟と楽しみをもって、思い悩もう
因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人)

「誰」公演チラシ劇団掘出者の舞台をみるのは、昨年春の『チカクニイテトオク』に始まって秋の『ハート』と続き、今回の『誰』で3本めになった。およそ半年ごとに次々と新作を発表しており、作・演出の田川啓介が劇作家として伸び盛りであること、劇団としてのフットワークの強さを感じる。しかし初日に観劇した直後は「困ったな」というのが正直な気持ちであった。それは「これはフィクションなのか、それとも同じようなことが現実の大学生にも起こっているのか」という極めて初歩的な困惑だった。舞台をみるとき、その世界が現実に則したものとして受け止めるのか虚構を楽しむものか、自然に感じ取れれば楽なのだが、『誰』は判断できなかった。千秋楽近くに足を運んだ知人も似たような感想を漏らしており、舞台に描かれている世界を受け止めるのがむずかしかったことがわかる。だんだん心配になってきた。こういう舞台を作る田川啓介さん、あなたの心は大丈夫なのでしょうかと。

舞台空間が劇場の隅にあり、客席はそれをL字形に挟むような作りになっている。いつものサンモールスタジオより随分狭く見える舞台には中途半端な大きさの長机がふたつに椅子が6脚。最初に入ってきた箕輪(板橋駿谷)と木田(澤田慎司)の会話から、この部屋が大学のサークルの部室であること、木田は大学生でサークルの会員だが、箕輪は派遣労働者であることがわかる。続いて他の会員やその恋人、友人たちが次々に出入りし、ここは「まなざしの会」というサークルで、会長の田中(篠崎大悟)によれば、所属メンバーはお互いに毎日最低電話1回とメール5通送りあうのがルールだという。そのようにして「僕は君のことを見ている、見守っているよ」という気持ちを確認するらしい。何なのだ、これは。大学のサークルを騙った新興宗教か。箕輪は充分奇妙なキャラクターなのだが、負けず劣らず変った大学生たちがどんどん登場して、唯一の大人である守衛のおじさん(工藤洋崇)も妙な人であったし、学生、社会人、派遣労働者、大人、若者といった分け方ができなくなる。まともな人はいないのか。というより何がまともで何がそうでないのだろうか。どの人物にも視点を合わせられず、上演時間中ずっと落ち着かなかった。

今回の『誰』で最初に耳につく台詞は、箕輪の「殺すぞ」である。ちょっとふざけているようでもあり、実際彼は誰も殺さないのだが、登場した人物が「派遣労働者」であるというだけで秋葉原無差別殺傷事件を連想し、これからただならぬ話が始まるのでは?と身構えると同時に、その気持ちと矛盾するが、おおかた予想のつきそうな話かもしれないとも思った。会話が進むうちに、箕輪は木田の姉(実は母親)に横恋慕しており、彼女恋しさに木田を刃物で脅したこともあるらしく、「殺すぞ」の一言は、少なくとも木田にとっては脅しに近いことがわかる。しかし箕輪が「殺すぞ」と言うタイミングや言い方は、どこか間抜けで迫力に欠ける。「殺すぞ」の言葉じたいが持つ緊迫感と、台詞が出てくる状況にギャップがあって、むしろおかしくなるのである。箕輪は「どうだったか聞けよ殺すぞ」「まだ聞け殺すぞ」「親父の話していい姉ちゃん殺すぞ」と一息で発する。聞く側は「殺すぞ」に一瞬ざらついた感覚を持つが、箕輪は「どうだったか俺の話をもっとちゃんと聞けよ。聞かないとおまえを殺すぞ」という前後の文脈や意味がきっちり伝わるように言わないので、どう捉えてよいかわからないのである。決め台詞には程遠く、何度か繰り返し出てくるが決してルーティンに陥らない「殺すぞ」は、劇作家の緻密な計算が隠されているのか、それとも箕輪の口癖に過ぎないのか。

観客は台詞を耳だけで聞いているのではない。発する俳優の表情や仕草はもちろん、それを受けている相手役、同じ時間と空間をともにする客席ぜんたいの空気まで、五感すべてを総動員して受け止めているのだ。その回路を箕輪の「殺すぞ」は閉ざしてしまう。この台詞にこだわってよいのか、もともと大した意味や意図がないのか。箕輪が自分の父親について話す場面があって、それは実に痛ましい体験なのだが、演じる板橋の口調がずっと半端に怒っているような平板な調子なので、どんどん流れてしまうのである。箕輪のことをどう捉えればいいのか、終始迷う。

箕輪の入会が直接の要因と断定はできないが、小さな誤解や自意識過剰な諍いが積み重なり、「まなざしの会」は次第に変容し、崩壊していく。お互いに理解しあい、歩み寄って共に生きていくことはできないのか?『チカクニイテトオク』や『ハート』にも増して人々の心のうちは一層痛々しく、ディスコミュニケーションの歯止めがかからぬまま、あっけない終幕を迎える。

タイトルの『誰』は、あなたは誰、わたしと必要としている人は誰、そしてわたしが必要なのは誰?と探し求める人々の心ではないかと思う。『誰』は派遣労働者が主人公の社会派作品ではなく、小ぢんまりした自分探しの話でもなかった。舞台で描かれていることを分析したり登場人物の気持ちを理解しようとしたりするのではない、もう少し違う味わい方、つきあい方があるように思える。
たとえば終盤、箕輪がまさかの女装をしてしまう場面など、作りようによっては客席を大いに沸かせる爆笑ものに造形することはいくらでもできるのに、田川はそれをしなかった。正直なところ、そろそろこのあたりで自分は笑いたかった。笑えば少し楽になれるだろう。しかしここは笑う箇所ではない。堪えなければ、という気持ちにさせられた。それはなぜかと考えている。いつもは日常の悩みや迷いに対する答を無意識に求めながら舞台をみつめていることが多い。しかし田川の作品からは、逆に悩みや迷いが与えられるのだ。田川の意図するものを掴み取るのはむずかしい。もっと時間をかけてみつめていきたい。その道筋はまだみえないが、もしかすると答や結論を出すことよりも豊かな演劇体験につながっていくのではないか。

いつのまにか田川啓介を心配する気持ちは消えていた。悩みを解決するのは明解な回答だけではなく、さらに悩みが与えられ、深く迷うことから思いもよらない何かがみえてくるのではないか。少なくとも劇団堀出者の舞台からは、その予感がする。
もっと思い悩もう。人生はできれば明るく朗らかに過ごしたいが、ここはひとつ、覚悟と楽しみをもって。
(初出:マガジン・ワンダーランド第131号、2009年3月18日発行。購読無料。手続きは登録ページから)

【著者略歴】1964年山口県生まれ 明治大学文学部演劇学専攻卒 1998年晩秋、劇評かわら版「因幡屋通信」を創刊、2005年初夏、「因幡屋ぶろぐ」を開設。

【上演記録】
劇団掘出者第6回公演「誰」
新宿・サンモールスタジオ(2009年2月14日-22日)

作・演出 田川啓介
出演
箕輪明(板橋駿谷) …派遣労働者
木田透(澤田慎司) …大学3年、まなざしの会の会員
井上邦夫(村松健) …大学3年、まなざしの会の会員
田中雅彦(篠崎大悟)…大学4年、まなざしの会の会長
鶴川武(渡邊圭介) …大学3年、まなざしの会の会員
谷本有希(寺本綾乃)…大学2年、まなざしの会の会員
長谷部京子(亀田梨紗)…大学1年、井上の恋人
石川ひかり(大澤夏美)…大学1年、京子の知人で田中の元恋人
藤井誠一(工藤洋崇)…大学の守衛

舞台監督:鳥養友美
舞台監督補佐:吉田元海
舞台美術:秋友久実
舞台美術補佐:野村久美子
照明:中能良
音響:池田野歩(umlaut)
宣伝美術:斉藤さやか
フォトグラファー:田口徹
映像撮影:石川浩司・小口理菜・高橋修平
制作:高縁貴彦
新宿サンモールスタジオ 2月14?22日
前売2000円 当日2500円


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