TAGTAS「百年の<大逆>-TAGTAS第一宣言より-」(前・後篇二部作)

◎それが露わにされるとき
大泉尚子

TAGTASプロジェクト公演チラシ前衛=アバンギャルドという言葉をとんと聞かなくなって久しい。こないだ若い人に暗黒舞踏の説明をしようとして、「前衛的な踊り…」と言いかけて思わず赤面してしまい、あわてて「当時は前衛的と言われた踊り…」と言い直した。何か、口にするだけでもちょっと気恥ずかしい感じがするんだけど、それって私だけでしょうか?

ともあれ、TAGTAS(トランス・アバンギャルド・シアター・アソシエーション)は「2008年、シアターという形式を共有しようとする諸個人が、互いの領域を横断しながら協働していく関係をつくる場として」発足したとのこと。パンフを見ると、俳優・ダンサー・演出家・パフォーマーから批評家まで、さまざまな人が参加している。今回の「TAGTAS結成プロジェクト」では、舞台上演、ドラマ・リーディング、映画の上映会、円卓会議、レクチャーとさまざまな形態をとりつつ、幸徳秋水の大逆事件をモチーフに、舞台芸術をとらえ直すという。

というわけで「百年の〈大逆〉前・後篇」の上演を見た(以下の内容は、記憶とメモが頼りなので、間違っているところがあるかもしれない)。

まずは前篇。少し開演時間に遅れて行ったのだが、黒い服の男が、無音でダンスをしている。上手天井から金属性のロープで、かなり大きい輪が水平に吊られており、正面奥には黒っぽい男もののジャケット、下手にはダンスのバーが置かれて、装置はシンプルでモダンな印象。
白いスーツの男が現れ、何かを読み上げている。だが、声にひどくエコーがかかっているし、とぎれとぎれなので、内容はほとんど聞きとれない。上方のスクリーンに「天照大神」など短い文字が次々と出る。もしかしたら「古事記」かもと思う。

客席から女が立ちあがり「私は臣民、私は…」と繰り返す。映像には「神祇官」「人民」などの文字の入った、系統図のようなものが映し出される。「テロリズム」「テロリスト」という言葉の入ったセリフが続くが、滑舌が悪い。女と男が、日本国憲法と大日本帝国憲法を交互に述べる。こちらは明瞭な朗読調。

ここまできて、舞台上で発せられる言葉は、観客に伝えようとしているものとそうでないものに、はっきり二分されている感じがある。だが、その意図は最後までわからない。

女が登場し語り始める。「明治42年…24名が死刑…無政府主義だから…」と、これはどうやら大逆事件のことらしい。上手では、レオタードを着た女が、ダンスをしている。「俺、菅野スガ、俺、虫、俺、天皇制のダンス、俺、侵入してくる…」と、羅列的なセリフ。
ギターを持った男が死刑囚という若い男を紹介する。白い服の死刑囚は、スポーツの話を始めるが、ついには「死刑にしてくれ!」と叫ぶ。暗転。

浴衣を着た男が、ピンク色の長短の棒を小道具にし、邦楽をバックに、当て振りのような感じで踊る。そのうち、大音量のアメリカンポップスのような曲が流れ、ブレイクダンスが始まる。棒を、拍子木のように床で打ち鳴らしたりしながら。

客電がつく。「戦死者を、まず誰から追悼するか、まずアジアの死者たち、そして日本人の死者たち。それとも日本人の死者たち、そしてアジアの死者たちなのか…」という声が聞こえてくる。

舞台上で赤いシャツの男が言う。「私は山田という者です。名前は零…」。「…だから私は身も心も裸になります」と言いながら服を脱ぎ、パンツ1丁になり、ぎりぎりのところまで下げる。長い語りの中には「家康は穢多非人を弾圧したが、一族だけ免れたのが皇族」というくだりも。

上手で、男が食パンを積んでいる。「…東アジア反日武装戦線『狼』の一員でした…お召列車爆破事件…1974年、真夜中、荒川鉄橋に爆弾を仕掛けた…三菱重工本社前で爆破、8人死亡…死刑判決」といったセリフ。

「我々は呼びかける。何を呼びかけるのか。そして『我々』とは誰なのか…」から始まる長い文章(これは後で「TAGTAS宣言」とわかった)が、映像で流されてジ・エンド。

フゥーッ。読んでる人も辛いでしょうけど、書いてる方もシンドイのよね。こう連ねただけでも、実に散漫なとりとめのない舞台空間を思い出して、溜め息が出る。ストーリーのないパフォーマンスであることは予想通りだが、何かを感じるとっかかりがない。セリフや映像に、大逆事件、天皇制にかかわるモチーフをちりばめたコラージュ? 時折、ダンスが入るのは、身体性も兼ね備えてるというアピール? 各テキストがどこかに提示されているならまだしも、そうではないので、拡散的なイメージが浮かんでは消えるに過ぎない。

前篇で懲りたのでもう詳細は書かないが、後篇で面白かったことが2つ。

まず始まる前に、階下のお手洗いに行った時のこと。下の階の会場では、地元のお子たちのピアノの発表会が開かれるとこだった。幼稚園や小学生のお嬢ちゃんたちが、パステルカラーのドレスを着てはしゃいでいる。それも、ほとんど全員が同じようなフワフワのフリフリで、デパートで定価で買えば2、3万円はしそうなやつ。で、〈アバンギャルド集団〉とピアノの発表会という取り合わせがすごくいい。5月のオープニング公演以来通ってきたが、座・高円寺って素敵な劇場だなあ!とはじめて思う。

舞台では開口一番、前篇は通常の上演形式に閉じてしまい失敗だった、後篇では、上演と議論が作品を織りなすような形で行いたいという前振り(じゃあ、前篇だけ見た観客はどうなるのよ???)。そして、6つのパフォーマンスがあるのだが、相互の摺り合わせをするためには数年はかかりそうなので、それぞれを順に行うということが述べられる(エーッ、そんならここも、順番こでやる発表会だったの? 毎晩のように朝まで議論しながら飲んでるって話だけど、取っ組み合いをしてでも、複数のチームがひとつのものを作ることで生み出されるダイナミズムっちゅーもんは、見るべくもないのか?!)。

2つ目は、オジイチャンの大声のヤジ。不明瞭なセリフには「一言も聞こえないぞ! 聞きとれなきゃ討論できないじゃあないか!」。また、前篇で登場した「山田零」が、ほとんど同じパフォーマンスをやったのだが、そのパンツギリギリ状態に「脱いでいいよ、どうぞ!」「もっとやれよ!!」と。個人的にはあそこで脱がれてもシラケただけだろうが、この方の、王様は裸だ!的ヤジには大共感。舞台上では、〈内なる天皇制〉ということが盛んに言われていたのだが、作品に違和感を感じても、異議申し立てもせず、諦めてすごすご帰ってしまうのは、観客としての内なる天皇制に屈服することなのかもと思った次第だ。ま、後で聞いたところによると、くだんの男性は、ドイツ演劇の偉い先生だったそうだけれども。

ところで男のヌードについては、苦ーい思い出がある。ある劇場に、公演当日の手伝いに行った時のこと。上演前のホールに入ると、大画面に男性器のクローズアップの映像。まわりでは見知らぬスタッフたちが、黙々と仕込みに専念している。担当者とその場で待ち合わせていたので、引くに引けず、目のやり場もなく立ち尽くすのみ。その時のいたたまれなさ、やるせなさといったら…。

でも結果的には、その日はとても面白いものを見た。出演したのは「Chim↑Pom」(気付かなかったのがバカだが、まんまのネーミングじゃん!)という、映像中心のパフォーマンス集団で、記憶に鮮明なのが「ERIGERO」という作品。当時、紅一点だったエリイというギャル風のメンバーが、ピンクの液体を飲んで、洗面器にピンクのゲロを吐くというのを延々とやる。ミニのワンピースを着たエリイちゃんは、体を張ってるわけだが、さほど苦しそうな顔も見せない。ゲロもなぜだか、ピンクだとポップな感じがする。

当たり前のことだけど、ペニスもゲロも、普通に存在してたり、体験してたりするのね。ただ服を着て隠してる、人前ではやらないというだけのことで。これらのパフォーマンスが、その隠されていたものを、浮力を得たかのようにフッと露わにしたということは言える。最近は、表現における、この「フッと」感にけっこうこだわっていて、「ERIGERO」はその点で好き。

それから、女のヌードはそれほどではないのに、男のヌードを見ていたたまれないのは、それを見るコードがこちらにないからじゃないかなあと思う。女のは、ヘアヌードを含めて見慣れている。電車で隣の人が読んでる雑誌とか、なにげに開けてしまった息子のスポーバッグの底の方とか。日常に溢れてるから、体の中に受け入れる装置というか仕組みがあって、見た瞬間に消化できてしまう。村上龍の『半島を出でよ』で、北朝鮮の軍人工作員が日本に潜入してきて、雑誌などに氾濫する女性ヌードに戸惑う場面があったが、さもありなん。私たちの中にも、男のヌードの受信装置はないのだ。

存在するのに目に触れることなく隠されているもの、言い換えれば、見て見ぬ振りとか、あるものをないことにしとくっていうものは、ほかにもたくさんある。たとえば、さんざん肉を食べているのに、その動物が解体されるとこもそうだし、人が死ぬということに関してもそういう傾向が強い。最近では、エンバーミングとか言って、遺体を、まるで生前さながらに生き生きとさせる技術が進んでいて、親が亡くなった時やってもらったという話も聞く。

で、そういう隠されてるもの(物や行為に限らず、観念とか事件の深層とかいった抽象的なものも含めて)が、表現の中で、スコーンと的をついて露わにされたとき、ものすごく衝撃を感じる。そして、返す刀で見ている自分自身が露わにされる。もしかしたら〈前衛〉って、そういうものなんじゃないのかなあ。その意味では、この「百年の〈大逆〉」の上演は、私にとっては前衛的ではなかった。なぜ今、大逆事件なのか、どう大逆事件なのかも、見出せなかったし。

作品中、唯一惹かれるところがあったのは、後篇でのダンスの1シーン。女性が黒い透け感のあるレオタードで、舞踏っぽく踊る。右手が何かに強く引っ張られていて、自分の意思ではない、何らかの力の影響であるかのような動き。同時に、上方のスクリーンには、激しい痙攣によって、自由な動きが妨げられている男の映像が流される。舞台上の発言では、これはどうやら、兵役に従事したトラウマによる〈戦争神経症〉の患者であるらしい。

暗黒舞踏の身振りが、障害を持つ人の動きに通じることがあるのは、すでに指摘済みだろうし、ダンスが特に新鮮だったわけではないが、ドキュメンタリー映像の迫力が支えとなって、そこに緊張感が生まれていた。

さらに、それにもまして強い印象を残したのは、その時、舞台の前の方に立っていた男性。手足を軽く曲げた中途半端な姿勢、しごくダンス的でなくカッコ悪い体勢のままで、かなりの長時間静止していたのだ。そのハンパな立ち方が凄く、踊らないで踊るとはこういうことかと思った。暗黒舞踏の始祖・土方巽は、舞踏とは命がけで突っ立つ死体であると言ったんだっけ。終演時の私の拍手の大部分は、突っ立ちっぱなしだった彼へのものである。
(初出:マガジン・ワンダーランド第152号[まぐまぐ! melma!]、2009年8月12日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
大泉尚子(おおいずみ・なおこ)
京都府生まれ。芝居やダンス、アート系イベントが好きな主婦兼ライター。「アサヒ・アートスクエア」インターン。時には舞台のスタッフボランティアも。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/oizumi-naoko/

【上演記録】
トランス・アバンギャルド・シアター・アソシエーション(TAGTAS)結成プロジェクト
座・高円寺(2009年07月03日-12日)
全プロジェクト構成・演出 | TAGTAS
※円卓会議総合司会:鴻英良 通貫報告:TAGTAS

◎=上演『百年の<大逆>-TAGTAS第一宣言より-』前篇(7/03-04)
◇=ドラマ・リーディング『魔女傳説』(7/04)
(作:福田善之 構成・演出:福田善之+TAGTAS 出演:渡辺美佐子+TAGTAS)
☆=上演『百年の<大逆>-TAGTAS第一宣言より-』後篇(7/10-11)
○=ドラマ・ワークショップ『明治の柩』 作:宮本研(7/08)
●=ドラマ・ワークショップ『冬の時代』 作:木下順二(7/09)

A=円卓会議「<大逆>と日本近代演劇の起源」(報告者:TAGTAS)(7/04)
B=ドキュメンタリー映画『ルワンダ』上映とレクチャー「虐殺と演劇をめぐって」(講師:鴻英良)(7/05)
C=円卓会議「『魔女傳説』とその時代」(7/07)
(報告者:菅孝行、佐伯隆幸、佐藤信、福田善之)
D=円卓会議「革命の身振りと言語Ⅰ:演劇の自由と倫理」(7/11)
(報告者:井上摂、遠藤不比人、鈴木英明)
E=円卓会議「革命の身振りと言語Ⅱ:ビオス・ポリティコスの実践と方法(報告者:内野儀)(7/12)
F=レクチャー「前衛の系譜」大貫隆史+河野真太郎、マニフェスト・アクション「TAGTAS第二宣言」(7/12)

<会場>
◎◇☆…座・高円寺1
○●…カフェアンリ・ファーブル
ABCDEF…座・高円寺稽古場

スタッフ:
TAGTASプロジェクト2009参画者
青田玲子、石井康二、伊藤大輔、遠藤寿彦、大貫隆史、落合敏行、柿崎桃子、熊本賢治郎、久保田寛子、河野真太郎、佐々木治己、清水信臣、竹重伸一、寺内亜矢子、豊島重之、羽島嘉郎、羊屋白玉、日野昼子、笛田宇一郎、山田零、脇川海里ほか(50音順)

照明 河合直樹(有)アンビル
音響 曽我傑
舞台監督 佐藤一茂、高橋和之
宣伝美術 Studio Terry“OVERGROUND”
映像 藤野禎祟
記録 村岡秀弥
写真 宮内勝

主催:TAGTAS
後援:杉並区
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク


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