座・高円寺「旅とあいつとお姫さま」

◎贅沢で豊か 驚愕の「子ども向け」劇
都留由子

「旅とあいつとお姫さま」公演プログラム「子ども向け」と銘打ったお芝居をあなどってはいけない。「子ども向け」と「子どもだまし」は違うのだ。杉並区の小学四年生が全員招待されたという「旅とあいつとお姫さま」。ごく気楽に観に行った筆者は、思わぬ展開に圧倒されてしまった。
小学校の体操服みたいな短いショートパンツに長い髪、赤いほっぺの女の子が元気に登場して、ふむふむと観ていると、でっかい死体はごろりと投げ出される、生首はいくつも天井から下がってくる、そしてちょうちんスカートの可愛いお姫さまは、サロメのように生首にいとおしそうに頬ずりし、その大事な生首の耳をかみちぎった猫の耳を、仕返しにかみちぎっちゃったりするのである。そればかりか、そのお姫さまの愛人は恐ろしい魔物で、お姫さまは角の生えた魔物の膝に乗って、うっとりと、あなたの腕の中で眠る、なんて言うのだ。

座・高円寺で上演された、イタリアの演出家テレーサ・ルドヴィコの作・演出「あしたの劇場~旅とあいつとお姫さま」は、アンデルセンの「旅の道づれ」とノルウェーの民話「旅の仲間」をもとに作られた上演時間一時間、出演者五人のお芝居である。

父を失い天涯孤独になった若者が、夢に現われた美しい女性を探して、わずかな財産を懐に旅に出る。途中、手荒に扱われている死体(生きている人ではない)を助けるために、その全財産を使い果たしてしまう。旅を続ける若者の前に道連れになろうという若者が現われ(どちらも「若者」で区別できないので、この若者をタイトル通り「あいつ」と呼ぼう)、意気投合したふたりは旅を続ける。途中、三人の魔女が現われ、「あいつ」は三人をうまく騙して、魔法の糸だまと帽子と剣を取り上げてしまう。やがてふたりはあの夢で見た女性とそっくりの美しいお姫さまに出会い、若者は結婚を申し込む。しかし、綺麗な花には刺がある。この可愛いお姫さまは、実は極悪非道。求婚者に三つの問題を出し、解けない者の首をはねて、まるで花のように、楽しそうにその首を庭に植えたりしているのである。
もちろん、誰でも予想する通り、若者は「あいつ」の助けでこの三つの問題を無事にクリア、めでたく結婚の運びとなる。

「旅とあいつとお姫さま」公演
【写真は「旅とあいつとお姫さま」公演から 撮影=神崎千尋 提供=座・高円寺 禁無断転載】

三つの問題のうち最初の二問は、品物を預けるから、なくさないように、あすのお昼に持って来ること、というのである。お姫さまは、品物を渡した直後に、恋する若者の心を惑わせ、若者のポケットから預けたばかりの品物を奪い、愛人である魔物に渡してしまう。なぜか最初からこういう仕組みに気づいていたらしい「あいつ」は、三人の魔女から奪った魔法の道具を使ってお姫さまについて行き、品物を盗み出す。こんなにも「あいつ」が活躍しているあいだ、若者は、何も知らずにぐうぐう眠っているのである。
そして最後の問題は、お姫さまが頭に思い浮かべたものを持ってくること。お姫さまは、魔物の助言で、なんと「魔物の頭」を思い浮かべる。言い当てたとしても、まさか魔物の頭を持ってくることはできまい。三つの問題のうち二問までを解かれてしまった姫・魔物連合としては、絶対に解かれる心配のない万全の策である。しかし、「あいつ」は、魔法の剣で魔物の首を切り落とし、持ち帰って若者に渡すのだ。「あいつ」の存在に全く気づかない魔物が哀れにさえ感じられる展開である。

若者の持ってきた袋の中からごろりと魔物の首が転がり出て、宮廷は大騒ぎ。約束通り、若者はお姫さまと結婚することになる。しかし、まだお話は終わらない。魔物の魔法がかかったままのお姫さまは、若者を愛することはない。もちろん、ここでも「あいつ」はそのことを知っていて、ちゃんと魔法の解き方を教え、感謝する若者に、自分の素性をあのときの死体だと明かして去っていくのだ。

お姫さまと「あいつ」はダンサーが演じている。すっきりとチャーミングな衣裳(デザイン:ラウラ・コロンボ、ルカ・ルッツア)ともあいまって、美しい身体の動きを見るのは、ただそれだけで快楽だということに気づかせてくれる。とてもシンプルな舞台は、床に鏡のようなシートが敷かれ、巨大な縄のれんが背景になっている。縄のれんは手前と奥の二重になっていて、その間に照明が入ると二枚の縄のれんの間が別の空間になる。手前の縄のれんの中央部分が大きな木の枝で持ち上げられるとそこは魔物の住まい。山羊の背中に乗ったお姫さまはここにいそいそと通う。天井から、朱の緞子みたいな布がするすると下りて、長くてちょっと歪んだ漆塗りみたいな赤のテーブルが出てくると、そこは宮殿となり、お姫さまの非道に悩む王様と、いつもお姫さまの味方の乳母がいる。乳母が古楽器のような弦楽器をすばらしく上手に演奏するのでクレジットを見たら、ミュージシャンのKONTAとある。なるほど上手なのは当然だった。生演奏は本当に贅沢なものだと思う。装置も衣裳もシンプルですっきりしているし、色彩もとても美しい。生演奏の音楽も申し分ない。これだけの登場人物をたった五人で演じているとは思えないほど豊かなステージで、若い役者の身体の動きも眼福だったし、台詞もよく通り、水準の高い作品だった。

王様は、古代中国の皇帝めいた衣裳。「あいつ」も唐子人形みたいな頭で、ふたりとも秦の兵馬傭みたいだ。お姫さまは、フープの入った提灯型の白いスカート(フープのせいで、文字通り提灯みたいな動きをする。腰のあたりまでスカートが持ち上がったりもして、白いショートパンツのお尻と太腿が見える)、若者は首の詰まった白いスーツ。乳母だけは黒いスカートに白いエプロンと西洋風なのだが、それ以外の登場人物の衣裳は、どことなく中国風に感じられる。お姫さまのお化粧も、マットな白っぽいファンデーションに赤いチーク、黒いストレートヘアと懐かしい70年代山口小夜子風。ランタン売りのランタンは竹細工風でやっぱりどこかオリエンタル。
この作品の元となったアンデルセンの童話「旅の道連れ」では特に中国の記述はなく、オリジナルの挿絵も西洋風なので、「旅とあいつとお姫さま」に漂う東洋趣味は、この作品独自なのであろう。

「旅とあいつとお姫さま」公演
【写真は「旅とあいつとお姫さま」公演から 撮影=神崎千尋 提供=座・高円寺 禁無断転載】

この可愛いお姫さまの非道の理由が、おそろしい魔物に魔法をかけられ、魔物の愛人になっているから、というのがこの作品の目玉であろう。愛人、なのだ。お姫さまがその外見からは想像できないくらい十分に成熟していることは、あれこれの場面で暗示される。猫と戯れる様子、愛人の魔物に甘える様子。小学四年生なら、刺激の多い都会のおませな女の子には、そのことを感じ取れる子もいるだろう。

杉並区の全小学四年生がこの作品を観た? すごい。なんてしあわせなんだろう。日本の多くの子どもたちは、こんな作品を観られないどころか、こんなのを観たら二度と生の舞台を観ようとは思わないんじゃないか? みたいな残念な作品にしか出会わないまま、もっと悲しい場合は、ひとつも生の舞台を観ないままおとなになってしまうのかもしれないのに。

すばらしい。何の文句もないのだ。ただ、筆者はなんだか喉に小骨がささったような、居心地の悪い気分が払拭できなかった。子どもたちにも配られたらしいパンフレットには、愛の力が悪の心を開く、みたいなことが書かれている。ん? そうなのか?

同じ謎かけ姫系列のお話には、圧倒的に有名な「トゥーランドット」がある。「誰も寝てはならぬ」で有名なプッチーニのこのオペラでは、氷の心を持つトゥーランドット姫が出した問題を王子は解いてしまい、逆に、自分の名前を当てるようにと言う。不正な方法で答えを知ろうとする姫に、王子はあえて自分の名前を明かす。運命の日。姫は、名前を言い当てて王子を殺すこともできたのに、「その名前は愛」と叫んでふたりは結ばれる。こういう展開を、王子の愛の力が氷のような姫の心を溶かしたと言うのだろう。

「旅とあいつとお姫さま」の場合。若者はお姫さまに首ったけだから、「一途な愛」は妥当だろう。しかし、「一途な愛の力が悪の心を開いた」のか? 難問を見事に解いたのは、道連れになった「あいつ=最初に全財産をはたいて助けた死体」であり、だから、「愛」の力の勝利というよりは、若者の「死んだ者に対する(無償の)敬意」「ひどいことを見て見ぬふりはできない気持ち」つまりは「正しい行い」の勝利、という方がふさわしいのではないか。問題が解けるのも、お姫さまにかけられた魔法が解けるのも、若者の愛ではなく、「あいつ」の活躍のおかげ。若者はずっとぐうぐう眠っているんだし。

「人が見てなくても、自分の良心に従って見返りを求めずにいいことをすれば、きっといいことがある。情けは人のためならず、ですよ」ではダメなのだろう
か?
「人間って、何かの理由で、まるで魔法にかけられたみたいに、悪いことを面白いと感じてしまうことがある。どんなに可愛い人でも、たとえほんとはいい人でもね。だけど、その理由がなくなれば、やさしい人に戻るんですよ。そして、その理由をなくすのは、遠回りみたいだけど、あなたが誰かに優しくすること、見返りを求めずに誰かを大事にすることです。そして、あなたの優しい正しい行いは、結局あなたを助けることにもなるんです。」それでいいんじゃないのかしら。こう言ってしまうとちょっと説教くさいが。パンフレットに書かれていた「愛の力こそが悪の心を開く」という内容自体には激しく同意する。が、そのこととこのお芝居とは、あまりうまく結びつかないように思う。そんなことを言わなくても十分面白いお芝居なのに。

ところで、三人の魔法使いの扱いはあれでよいのだろうか? 若者と「あいつ」は森の中で三人の魔法使いに出会う。魔法使いは、座るとお尻がくっついて離れなくなる椅子を持っていて、腰かけるように誘う。が、「あいつ」はそれを見破り、逆に三人を椅子に座らせてしまう。困った魔法使いは、助けてくれるなら魔法の道具を渡す、と約束するが、「あいつ」は、道具だけ取り上げて、魔法使いをそのままにして行ってしまうのだ。なんか、ずるいぞ。助けるって約束して魔法の道具をもらったのに。それにいたずらは不成功だったんだから被害は受けてないんだし。まあ、助けたら道具を取り返されちゃうかもしれないから、賢明だったとも言えるのだが、でも、魔法使いは騙していいの?

というようなことがどうも気になってしまう筆者なのだが、この同じ場面を、「お芝居で観る」のでなく、「読んで」いたら、あまり気にならなかったかもしれない。「途中で出会った魔法使いをうまく騙して、まんまと魔法の道具を取り上げました」と書いてあったら、たぶんほとんど抵抗がなかっただろう。(ただし、原作のアンデルセンの童話では、魔法使いではなく困った人を助けて、お礼に魔法の道具をもらっている。)筆者の場合、たぶん、読んでいるときは先へ先へと気持ちが進んで行くので読み流してしまえるのだが、おいてきぼりにされる三人の魔女が現に身体として目の前の舞台にいると、その姿を読み流すことはできず、え? 約束は? と感じてしまうのだと思う。

それにしても、このような作品を「公的に」小学生に見せることができるなんて、信じられないくらいだ。杉並区教育委員会が、書類審査だけでなく実際にこの舞台を観てからこのことを決めたのなら、わたしはただちに杉並区に引越しを決意し、周囲の小学生を持った知り合いにも引っ越すよう勧めるところだ。どの自治体でも「鑑賞教室」の予算はばっさり削られるこのご時世、学校での観劇を保証するだけでも大変なことなのに、この質のものを選ぶなんて。すごいぞ、杉並区!
(初出:マガジン・ワンダーランド第167号、2009年11月25日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
都留由子(つる・ゆうこ)
大阪生まれ。大阪大学卒。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミナーに参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/

【上演記録】
座・高円寺 「旅とあいつとお姫さま
スタッフ
脚本・演出:テレーサ・ルドヴィコ
台本:佐藤信
翻訳・通訳:石川若枝

美術:ルカ・ルッツァ
照明:齋藤茂男
音響:島猛
衣裳:ラウラ・コロンボ、ルカ・ルッツァ
衣裳製作:今村あずさ
小道具:ゼペット/福田秋生
舞台監督:佐藤昭子
制作協力:ジュディ・オーエン

キャスト
高田恵篤
KONTA
楠原竜也
辻田暁
逢笠恵祐

座・高円寺1、ほか
2009年09月06日(日)~10月11日(日)
座・高円寺以外での上演予定
9月22日(火)16:30/23日(水)13:00 あうるすぽっと(東京)
9月26日(土)19:00 山口情報芸術センター
10月4日(日)15:00 魚沼市小出郷文化会館(新潟)
10月14日(水)19:00 キャラホール(盛岡)
10月17日(土)17:00/18日(日)14:00 鳥の劇場(鳥取)

全席自由
おとな(18歳以上) 3,000円(税込)
こども(小学生以上高校生以下) 2,000円(税込)
未就学児 500円(税込)

助成:財団法人地域創造、芸術文化振興基金
後援:杉並区 杉並区教育委員会 杉並区文化協会
企画・製作:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク

共同企画:座・高円寺/あうるすぽっと/山口情報芸術センター/魚沼市小出
郷文化会館/盛岡市文化振興事業団/NPO法人鳥の劇場

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